みち



挨拶
サムライさんと飯山一郎さんのお蔭でこの掲示板ができました。厚くお礼を申し上げます。元気旺盛なお二人に倣って小生も横着の身に鞭打って参加したいと思います。とくに、本掲示板では「世界戦略情報誌みち」などで提起した問題を高い見識をお持ちの皆さまとともに、よりいっそう深めていくことができればと願っています。

そこで、まずお願いしたのは、建築家渡辺豊和氏と経済人類学者栗本慎一郎氏の両氏が提案している「太陽崇拝の縄文ネットワーク・三輪山ネットワーク」と「ミトラ崇拝シリウスネットワーク」とツラン文明の関係を皆さまに考えて戴きたいと言うことです。

渡辺・栗本両氏の考えは渡辺豊和『扶桑王国蘇我一族の真実──飛鳥ゾロアスター教伝来史』(親人物往来社)、栗本慎一郎『シリウスの都飛鳥』(たちばな出版)『シルクロード経済人類学』(東京農大出版会)などに書かれています。これらには「ツラン」という単語はひとつも出てきませんが、カスピ海と日本とをほぼ一ヶ月で結ぶ草原の道に着目している点で、まさにツランと日本との関わり探る論考と言えます。

さらに、ミトラ信仰はもともと「太陽崇拝」と「公正」とを旨とするツラン起源の古い信仰ではないかと栗本氏は示唆しているように小生は感じています。つまり、この信仰のペルシア的展開がアフラ-・マズダーを主神として悪神アーリマンを斥けてしまったゾロアスター教であり、それは本来の善悪共にそのところを得しめていた天神信仰からすれば、一種の堕落であり、矮小化であったのだと、栗本氏は指摘しているように思います。善悪を分離したゾロアスター教の影響下にユダヤ教の痩せ細った一神教信仰がまとめられたのは、ユダヤ教神学が整備されたのがバビロン捕囚時代であることを考えると、説得力があります。さらに、栗本氏は、スキタイ、突厥、ハザールに共通の文明制度として「双分制」を挙げています。これはわが国では統治権が「国権」と「政権」に分離されたかのように継承されてきたことを言います。一般的には政治権力が「祭祀権」と「統治権」に分離されることを言います。栗本氏はこれがツラン系諸民族の大きな特徴だと指摘しています。

東日本大震災は私たちに文明論的な発想の転換を迫っっているものと思います。市場原理とお金万能のフェニキア=カルタゴ=ヴェネツィア流の寄生的文明原理からの脱却です。それには、長い間わが国は何を拠り所として社会を営んできたのか、改めて自覚する必要があるように思います。

他人にお金を渡すとき、「これは不浄のものではあるが……」という気持ちを込めて熨斗袋に入れて渡したのは、お金で決済される以上のもっと重大な関係が人々を律していたことの顕れであると小生は考えています。

お互いが違うことを非難するのではなく、それぞれの違いに意味があること、その違いを「公」のために役立てること、それこそが深い喜びを齎してくれるものと信じます。本欄がお互いの切磋琢磨と研鑽の場になることを祈っています。

みち編集長天童竺丸

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コーヒーブレイク

1:サムライ:

2012/05/20 (Sun) 08:30:18

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1337470218.gif 飯山一郎さんの掲示板:『放知技(ほうちぎ)』の「ツランという絆」と題したスレッドで、主に馬之助さんとサムライの間で多岐にわたる意見交換や情報交換を行ってきました。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13007953
ツランという絆

このたび、新掲示板が立ち上がったのを機に舞台を此処に移しました。ただ、すでに「ツラン」というスレッドを立ち上げてしまったので、ツラン関連の話題はそちらのスレッドに任せ、このスレッドでは堅苦しい内容ばかりではなく、「熊さん・八っつぁん」的なスレッドにしたいという思いから、「コーヒーブレイク」と名付けました。皆さんも気軽に投稿ください。


追伸
以下は、飯山一郎さんの掲示板で行った「ツランという絆」のファイルです。ご参考まで
http://furukotobumi.web.fc2.com/toneri/kuri/mb/pursuit_of_truth.pdf
http://furukotobumi.web.fc2.com/toneri/kuri/mb/pursuit_of_truth02.htm
214:サムライ :

2014/12/25 (Thu) 06:51:20

host:*.t-com.ne.jp
返信ありがとうございました。


> サムライさんのサイト「人生は…」、間違っていたらすみませんが、たしか「舎人学校」と同じ方とお見受けします。

はい、同一人物です。(まほろば会で亀さんと呼ばれているため)ブログでは「亀さん」で通していますが、本掲示板では「サムライ」という昔の名前で出ています。


> 小生、「世界認識の旅」というサイトを立ち上げ、事実と科学と暗黙知と好奇心と品格(?)を持って、色々と駄文を発信しております。

先ほど、一部拝見しました。時間を見て、じっくりと読ませて頂きます。
http://wtech.dip.jp/juli/

> 小生、神奈川在住・東京の会社に勤務していますので、池袋はすぐ近くです。機会があれば、ぜひ参加させていただきたいと思います。

楽しみにしております。毎月一回のペースで都内の池袋で開催されており、来年の1月の開催日は分かりませんが、多分17日か24日のいずれかの土曜日になると思います。いずれにしても土曜日の午後3時から開始されます。


> 飯山氏が落合氏の著書を推奨されていましたので、ぜひ時間を作って読んでみようと思っているところです。

確かに飯山さんが落合さんの本をブログで推薦していましたね。小生も落合さんの主張される堀川政略や欧州大塔宮は、あり得ないことではないと思っています。

ただ、一方で別の観点もあります。これは、『みち』の発行人である藤原源太郎さんが発言していることなのですが、昭和天皇と沖縄問題です。これは豊下楢彦教授の『昭和天皇・マッカーサー会見』 (岩波現代文庫)に詳しいので、そちらを一読ください。

その昭和天皇は一方でアメリカのウォールストリートとも深く関与していたという情報もあります。詳細は以下を参照していただくとして、まほろば会で藤原さんと意見を交わしてみるのも良いと思います。特に、同記事の以下の結論は注目すべきでしょう。

**********
 戦後、「日米同盟」の仕組みを作り上げる上で昭和天皇が重要な役割を果たしていたことを豊下楢彦教授は明らかにしたが、その背景にはこうした事情もあった。吉田茂首相とマッカーサー司令官ではなく、天皇とワシントンとの間で軍事同盟の青写真が描かれていったのである。「悪いのは全て軍部だった」で内部官僚をはじめとする役人、学者、新聞記者などは責任を回避、その結果が現在の日本につながっている。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201412240000/
**********


では、まほろば会でお会いする日を楽しみにしております。

Wさんをはじめとする皆様、来年もよろしくお願いいたします。

サムライ(亀さん)拝
213:W :

2014/12/23 (Tue) 12:26:54

host:*.i-revonet.jp
サムライさん、こんにちは。

お返事ありがとうございます。

サムライさんのサイト「人生は…」、間違っていたらすみませんが、たしか「舎人学校」と同じ方とお見受けします。
偶然ですが、「みち」を知った時期より少し前に存じ上げており、RSS 経由で拝読しておりました。

小生、「世界認識の旅」というサイトを立ち上げ、事実と科学と暗黙知と好奇心と品格(?)を持って、色々と駄文を発信しております。
自身の好奇心に偏っているのが欠点ですが(苦笑)。自己宣伝になってしまうので私サイトの話はここまでと致します。

> 月に一回のペースで池袋で開催されている、『みち』の執筆者と読者が集う「まほろば会」

そうなんですね!こういった会があることを、最近になってサムライさんのサイトでも知りました。
小生、神奈川在住・東京の会社に勤務していますので、池袋はすぐ近くです。機会があれば、ぜひ参加させていただきたいと思います。

「みち」サイトで紹介されている本、どれも興味深く、とは言ながらまだどれも購入しておりませんので、ぜひ購読したいと思っています。
特に今は、落合莞爾氏の近刊本「欧州王家となった南朝皇統」というタイトルに釘付けです。オドロキのタイトルですね。

残念ながら、私自身は論理的に検証するだけの材料と時間と(最大の問題ですが)能力がないため、トンデモ本と落合氏の本をなかなか区別できないところにいます。
がしかし、飯山氏が落合氏の著書を推奨されていましたので、ぜひ時間を作って読んでみようと思っているところです。
212:サムライ :

2014/11/04 (Tue) 15:31:28

host:*.t-com.ne.jp
Wさん、この掲示板を長らくほったらかしにして済みません m._.m 小生、「人生は冥土までの暇潰し」というブログも書いているのですが、それすら今年は昨年と較べてアップする記事数も激減し、『みち』発行人の藤原(源太郎)さんに会う度に、「どうした?」と聞かれます…^\^;

大竹愼一氏の書籍の紹介、ありがとうございました。小生もカール・ポランニー関連の本を数冊買ったまでは良かったのですが、積ん読で終わっています。ホランニーをいつか読みたいと思いつつ、3年も経ちました。大竹氏が何処までツランに斬り込むのか、楽しみですね。

それから、月に一回のペースで池袋で開催されている、『みち』の執筆者と読者が集う「まほろば会」では、現役の金融マンである安西(正鷹)さんの貴重な講話もあります。機会があれば一度顔を出してみてください。
211:W :

2014/10/29 (Wed) 21:57:41

host:*.i-revonet.jp
大竹愼一「2015世界大恐慌の足音が聴こえる」を読んで。

「みち」、毎号楽しみに拝読しております。

ちょっとしたネタのレベルですが、投稿させて下さい。
ツランについて(私はまだ不勉強でここで語るものもなく恐縮なのですが)、栗本慎一郎の北方アジアのシルクロードと日本の関係について興味深く氏の本を読んできました。
その栗本慎一郎のご専門である経済人類学の祖はカール・ポランニーです。

他方、私は個人的に投資に興味があり色々とその方面の本を読んでいますが、大竹愼一氏(NY在住ファンドマネージャ)の本も良く読んでいました。
この大竹氏、ご自身が推奨していたSFCGが破綻したことをきっかけとしてか(?)しばらく見かけませんでしたが、この秋、しばらくぶりに本を出したので読みました。

私的にはなかなか興味深い内容でしたが、それはここではさておき、終章で大竹氏がカール・ポランニーについて触れていたので、ついこのサイトにも投稿させて頂いた次第です…。

つまり、ツラン-ミトラ教-北方アジア-栗本慎一郎-カール・ポランニー-大竹愼一、というつながりです。

大竹氏はカール・ポランニーが残した課題は重要だとして、これから展開していきたい旨、終章で述べていました。

興味深いつながりを見た次第です。
210:W :

2014/01/19 (Sun) 13:42:46

host:*.openmobile.ne.jp
皆さん、はじめまして。

「世界戦略情報誌みち」の購読を始めた、 W と申します。

この場を借りて、自己紹介させて下さい。

小生、零細企業に務める末端の中年サラリーマンです。
歴史好きのアマチュアに過ぎませんが、卑弥呼に関連して山形明郷氏の本を読み、そこからネット検索で飯山氏を知り、そこで「世界戦略情報誌みち」を推薦されていたのを知り、購読に至った、という経緯でこちらに来させて頂きました。

もちろん、ここに至るには長い紆余曲折がありました。エンジニアとして科学技術の中にどっぷりつかり、サラリーを得て生計を立て、
子供を愛する一市民に過ぎず、どうやらマスコミの報道内容はやけに偏っていることに30代にしてようやく気づき、
しかしなかなか事実を知る手段がなく、本屋の社会情勢・ビジネス向け・歴史の類の本も内容が両極端(だからこそまだ偏ってないと言えるのかもしれまえんが)、
ネットの情報は玉石混交・ノイズがあまりに多く(トンデモは論外として、思想的なサイトも、私から見ると、他者を罵倒することが主眼であったりと、妙に偏っているものが多いと思われ)、
かと言って身近の宗教には満足できず、

…と、いささか疲れはて(苦笑)、かと言って思考停止したいわけでもなく、現状、自分の力でポチポチと事実に基づいた世界(の見方)を再構築しようかと思うに至りました。

* * *

さて、栗本慎一郎氏のことが御サイトでも触れられていたことに驚きと何らかの縁を感じた次第です。

小生、栗本氏の書を10代から読み続けてきた、一ファンですが、氏の自由大学で半年ほど受講させてもらった身でもありました。

氏が「天才」と賞賛する化学者マイケル・ポランニーの「暗黙知の理論」が、今のところ私の思考回路の中心となっております。

氏が、渡辺氏の古代史を援用しつつ「聖方位」等の独自のキーワードで持って再び経済人類学と言いますか、人類史に着手されていたのは知っていて、脳梗塞から無事に復帰されて以降の氏の本も読んできました。

氏はれっきとした学者でありますから、「事実に基づいた論として、中央アジアがここ数千年の世界史の原動力である」、と言われているのだと理解しています。だからこそ、事実を重視する私にも説得力ある内容として受け止めることができました。

(しかしながら、氏は過去、私から見るとかなり飛躍した内容の書も時折出版されていて、戸惑うことも多いのですが…(苦笑))

栗本氏は、アジアと日本の古代史の多くを渡辺氏から援用しており、しかしながら私はまだ渡辺氏の書は読んでおらず、どこまで事実なのか、分かりません(実感できません)が、これから時間を見つけて渡辺氏の著書も読んでいこうかと思っています。

栗本氏は最近の著書の中で「書いてあることは全部事実だから、確認したければ勝手にどうぞ」と、読者のことはもう半ば突き放しているご様子です(苦笑)。

とは言え、日本古代史を中央アジアとのつながりから再構築するのは私にはまだまだハードルが高く、せめて文献や考古学的事実の出典などを示してくれていれば、ポチポチと私の個人作業としてやっていけるかと思いつつも、文献や考古学的事実すらもないので途方にくれているところです
(もちろん、氏はまだご健在なので、時間があれば教えを乞うことは可能かと思いつつ、悲しいかな、サラリーマンの身としてはなかなか自由に使える時間も作れないのでした)。

* * *

そう言えば、たまたま昨日、TBS「世界ふしぎ発見」で海の正倉院「沖ノ島」のことが一部紹介されていましたね
(内容的にはお宝の紹介が主で、由来について飯山氏などは不満が多いかと想像してしまいますが…)。
私としても、興味深い「事実」が(マスメディア経由ではありましたが)見ることができた一幕でした。

* * *

本掲示板での皆様の投稿内容をざっと拝読させて頂きましたが、小生にはよくわからないことばかりでした(汗)。

私のレベルでは、シロウト発言となってしまうことも多いかも知れませんが、今後共よろしくお願いします。
209:馬之助 :

2014/01/12 (Sun) 19:55:46

host:*.au-net.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


私が勝手に師と仰いでいる紀野一義先生(この方が自然なので、今回はこれで失礼します)が去年の12月28日に死去されました。私は紀野先生70歳からの(自称)弟子で、それまでも本を読んだり、講話を聞きに行ったりしていたのですが、ある出来事を境に、本気でかからないといけないと思うようになりました。それは何年か振りで上京した際、はじめて乗った地下鉄線の車両の私が吊り革を持ったその目の前に紀野先生が座っておられたのです。丁度ご子息の大学の入学式だったそうで、普段は使うことのない地下鉄線だということでした。起こるはずのないことが起こったというべきか、起こるべきことが起こるべくして起こったというか、私はその時、「捕まった、もう逃れられない」と観念したのでした。それ以来、十年くらいは毎月のように京都の講話に顔を出し、毎年夏には高野山での集まりにも参加していたのですが、四人の子どもが成長するとともにそういった行動が取りにくくなって来てやがて疎遠になってしまいました。ですから、死の知らせを何人かの人から受けたのですが、親近者のそれのように激しい感情は湧いてきませんでした。寂しいようでいて、冷靜に自分を観察してみると、本当のところは寂しくはない。悲しいようでいて本当のところは悲しくもない。そんなものかと斜に構えていたのですが、何日かたって気が付いてみると、肚に力が入りません。まだ風邪が抜けきらないのかと思っていたのですが、さらに数日たっても、一向に回復しません。どうやらこれは、師を亡くしたからではないのかと思い当たりました。それは初めての感覚で、どういえばいいのだろうと思っていたら、「寂寥」という言葉が響いてきました。ですから、今はいろんなものが空虚に感じられてなりません。
紀野先生はエッセンシャルなものにしか、心を動かさず、また語りませんでした。人間、そんなにエッセンシャッルな体験が起こるはずもなく、感動を呼ぶようないい話もそうそうないですから、聞き方によっては、話は毎回同じ話です。そして、そんなことを意に介することなく、同じ話を平然とされる訳ですが、聞き様によっては、それは毎回違った話に聞こえ、毎回新鮮で驚きに満ち、感動を呼びます。馬鹿みたいに毎回のように、同じところで手を打って笑い、同じところで涙を流している自分がいます。そんな変化が五年を過ぎた頃、いい加減同じ話にウンザリしていた頃に起こりました。それはエッセンシャルなものの出逢い、永遠なるものの体験だったのかも知れません。それに引き換え今の私は…。

しばらく、こんな感じが続きようです。


>ともあれ、内容が内容だけに、我々には真偽のほどを判断できるものではないようです。

その通りだと思います。それ以上でも、それ以下でもないと私は思います。


>現在、渡辺氏のHPやブログを読んでいますが、どちらかというと小生よりも馬之介さんが、関心を持ちそうなHPおよびブログだと思いました。

渡辺氏のブログを少し読んでみました。以下の文章など、私好みというか、こんな生き方を思考しています。こういう生き方を貫き、微動だにしなかったのが紀野先生の生き方のように見え、そういうところに魅せられたのだと思います。実際、そういう部分がない人とは、お近づきになりたくないようなところが私にはあります。

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解決の糸口が付かないような事態に直面した時には,「一切、神にお任せする」というのが一番良い方法なのですが、常日頃、神の実在が信じられず、また「神に任せる」ということが出来ずに、自分の人生を自分で何とかしようとしている人は、その生き方に迷ってしまった時には結局は他に依存し、指図を仰ごうとします。ですが、そんなことをすると余計に悩みや迷いは深くなるものです。
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>小生が上記の渡辺氏の論文で共鳴するのは、渡辺氏が国を思う憂いの心でした。

『古事記』の序に次のようにあります。サムライさんが共鳴する「国を思う憂いの心」の国というのは、国家ではなく、この序の「土(くに)」ではないかと思っています。

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故(かれ)太素(おおもと)の杳冥(えうめい)なる、夲教(もとのをしえ)に因(よ)りて土(くに)を孕(はら)み嶋(しま)を産(う)みたまひし時(とき)を識(し)り、元始(げんし)の綿邈(めんばく)たる、先聖(せんせい)に頼(よ)りて神(かみ)を生(う)み人(ひと)を立(た)てたまひし世(よ)を察(あきらか)にす。
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しかし、それが神国である時は、「憂いの心」とは馴染まないようにも思ったりします…。

208:サムライ :

2014/01/10 (Fri) 09:36:45

host:*.t-com.ne.jp
馬之介さん


> 要らぬ誤解を生みそうで、ここは落合氏の続刊を待つしかないという思いに至っています。

落合さんの新著を読んだ上での馬之介さんの感想を今から楽しみにしております。さて、張成沢の“刑死”に関連して、今のところ、張成沢が〝隠れた〟と考えているのは、ネットでは新井信介氏と柿添氏のようです。

「お隠れになった」と「平らげる」。時代が変わるとき。
http://www.k2o.co.jp/blog2/2013/12/post-1068.php

隠れる事が大事
http://kakizoe.seesaa.net/article/384761174.html

しかし、一方で『みち』の藤原源太郎さんやグルンパの飯山一郎さんに対して、張成沢の“死”を伝えた情報通の情報も信憑性が高いと思います。ともあれ、内容が内容だけに、我々には真偽のほどを判断できるものではないようです。

ところで、『神道と日本文化』(渡辺勝義著 現代図書)を通読中です。渡辺氏の論文は、『月刊日本』の編集人・坪内隆彦氏が作成したリストから知りました。
http://ci.nii.ac.jp/els/110007124510.pdf?id=ART0009062136&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1389313566&cp=

現在、渡辺氏のHPやブログを読んでいますが、どちらかというと小生よりも馬之介さんが、関心を持ちそうなHPおよびブログだと思いました。馬之介さんをはじめ、他の皆さんの感想を聞きたい気がします。小生が上記の渡辺氏の論文で共鳴するのは、渡辺氏が国を思う憂いの心でした。
http://kodougaku.jugem.jp/
207:馬之助 :

2014/01/05 (Sun) 20:29:46

host:*.au-net.ne.jp
皆様、サムライさん、遅くなりましたが、
明けましておめでとうございます。
こちらこそ、今年もお願いします。


>さて、まだ三が日ということもあり、少々お屠蘇が入っています…


正月休みに入ると同時に風邪を引いてしまい、寝正月になってしまいました。おかげでゆっくり休養することができて、いいタイミングでリフレシュできたように思います。年末年始は、四人の子供たちのうち娘ふたりと過ごすことができています。それで、何年かぶりで自家製のおもち(餅つき器ですが…)とやはり自家製の餡でぜんざいやおはぎなどを楽しむことができました。おせちの準備も女三人で(私は寝ていましたが…)、にぎやかにやっていたようです。


>『みち』の「洞察日本史」で不明な点があれば、筆者本人に問い合わせてみるといいかもしれませんね。大勢の読者も落合さんの回答を知りたいことでしょうし…。


サムライさんも御存知の通り、年末年始にかけて、落合氏とメールのやり取りがあったのですが、それをここに書こうかと考えてみますと、私が落合氏の読者と落合氏の間に入って誤解の生じることなくその機微を正確に伝えられるのかと考えた時、落合氏にも、読者にも、要らぬ誤解を生みそうで、ここは落合氏の続刊を待つしかないという思いに至っています。さる筋からの情報を正確に私たち読者に伝えている、落合氏の力量を思うと、脱帽するしかありません。
メールのやり取りのはじめとなった私のメールは、以下の通りで、その返事は「さよう」という、一見取りつく島もないような短いものでした…。

***********************************
>情報通なる者は企画者側だから、

というのには、唸りました。 情報通なるものに、偏った情報ばかりが集まって来るということは、その時点 で、当人に自覚があるかどうかは別にして、企画者側に包囲されている、 また は、取り込まれているということでしょうか?
***********************************

私たちは、表のマスコミからの情報にせよネットの情報にせよ、「情報通なる者は企画者側だから」ということですから、情報通にその自覚(いつのまにか企画者側にたって発言している)があるにせよないにせよ、いいように(企画者側の思惑通りに)情報に踊らされているような気がします。そこに「洞察」という落合氏の立場があるように思いますし、そこが私たちの勉強になるところではないかと思います。特にネット上では、情報通にはことかかず、耳目を集めたいがために過激な言葉が溢れていますが、冷静沈着な落合氏の言葉にこそ重いものがあるのではないでしょうか。

今回のメールのやり取りで思ったことは、「伏見宮海外ネットワーク」の人智を越えているのではないかと思わざるを得なくなるほどの奥深さです。そして、私にはまだ理解は難しいですが、原日本人が有するシャーマニズム。この二つは、落合史観のキーワードではないでしょうか。この二つがある限り日本は心配するには当らないように思います。そして、この二つが集中するところが、天皇です。たびたび引用してきましたが、『国際ウラ天皇と数理系シャーマニズム』の次の言葉は、やはり重要な言葉だと思います。

***********************************
 その後、対数の発見により、いわゆる自然対数の底と称するネイピア数(e)などの無理数ないし超越数が発見されましたが、これらの数理定数こそ「自然」ないし「宇宙」の本質を示すものですから、これを理解することは「自然」に対する崇拝を意味し、またこれを活用することは数理科学を意味します。
(中略)
 もし夫(そ)れこれをしも数理科学系シャーマニズムと呼ぶのであれば、これこそ正に太古から続く日本列島文明の根本でその本質なのです。古来日本文明が拠り所とする柱が、数理定数と並んで山岳信仰であったことは「落合秘史シリーズ」の随所で説明いたしますが、この両者はともに自然に対する合理性の崇敬精神として日本社会の根本にあり、その活用が日本経済の根底たる「ものつくり」を支えているのです。(『国際ウラ天皇と数理系シャーマニズム』p201)
***********************************

そして、それに対する問題点は、落合氏のメールから引用すると、次のようになりますが、そういう部分を唆(そそのか)しているものには注意を要するのではないかと思います。が、残念ながら、そこに安心を求めてしまうのが同時に私たちの正直な姿ではないかと思ってしまいます…。そして思うのは、そういうことのない世界の到来です。

>シャーマン性を妨げるものは個人的物欲である。過剰な富を有して他を翻弄し、観応の愉楽を得るために富の増蓄を願うは人非人の行為である。

上の言葉を念頭に置いて、この一年を過ごしていきたいものです。

>馬之介さん、このあたりは〝性の大家〟栗本慎一郎氏に任せましょう。

同感。私などが足元にも及ばない大家のようです。

206:サムライ :

2014/01/02 (Thu) 15:39:17

host:*.t-com.ne.jp
皆様、馬之介さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、まだ三が日ということもあり、少々お屠蘇が入っています…

> これは、平成二十五年十二月十五日発行の「みち」の『洞察日本史』からの引用

そうでしたか…。『金融ワンワールド』にも似たような記述があったと、うっすらと覚えていましたので早とちりしました。『みち』の「洞察日本史」で不明な点があれば、筆者本人に問い合わせてみるといいかもしれませんね。大勢の読者も落合さんの回答を知りたいことでしょうし…。


> 対面して行なう生殖行為を正常位とするのは、陸に暮らす哺乳類では唯一人間だけ

馬之介さん、このあたりは〝性の大家〟栗本慎一郎氏に任せましょう。以下は少々長いですが、同氏の著書からの引用です。

****************
もっとも、何事にも例外はあるもので、動物にも「人間的」にがんばるやつがいる。ゴリラは、ヒトのようにオスとメスが向き合った「腹面位」で性交することもあるし、チンパンジーに至っては、ソドミーさえ報告されている(チンパンジーのメスは、出産すると、育児期間の五年間は性行動を停止するそうだが、そのせいかしらん。ようわからんが……)。

この程度で驚いてはいけない。バンドウイルカのオスの場合は、さらに刺激的である。発情期を迎えたオスは、他のオスのところに近づき、背中を下にして泳ぎはじめる。そして、相手のおたかの柔らかいところにペニスをこすりつけ、射精するのだ。まさに同性愛的マスターベーションである。

このような動物の性行動は、一見、不可解に思える。性行動"種の維持という生物学的原則を踏みはずしているかのように見えるからだ。

しかしである。彼らは、のべつ幕なしにこんなことをやっているわけではない。発惰期において、しかも、ある特別な個体がやるにすぎないのだ。ヒトのように“回数”の多い男性が尊敬のまなざしで見られたり、男性が、女性を縛ってニヤニヤしながら眺めたりするのとくらべたら、ものの数ではない。たぜ、ヒトはこのような無駄な性行為をするようになったのだろうか。

これは、程度の違いといったものではない。もちろん、性的な“能力”の違いでもない。ふつう、ヒトよりもサルやチソパソジーのほうが、ムチをふるうためには“進化”した強い腕力を持っている。彼らが、その気になりさえすれば、手と足の両方を使って「乱れ打ち」だってできるのだ。ヒトのサディストから見たら、なんというもったいない話であろうか。

ヒトと他の動物では、性そのものの意味がまったく違っている。こう考えたほうが、ヒトにとっての性の問題を、より根源的なところで理解することができるのではないだろうか。
『パンツをはいたサル』p.98
****************

栗本慎一郎氏の著作は多岐に及んでおり、拙ブログでも「栗本慎一郎」というカテゴリを立ち上げたほどでした。栗本氏の著作と、たとえばツラン、天武天皇などを結び付けて考えると、今までに見えなかった〝隠し絵〟が、浮き彫りになることがままあります。年末に『扶桑国王蘇我一族の真実』(渡辺豊和著 新人物往来社)を久しぶりに再読しましたが、同書は栗本氏がチェックしている本だけに、新たな〝隠し絵〟を見つけましたので、折を見て拙ブログに発表したいと思います。


> 『月刊日本』を読むまでは、官僚という言葉に触れることはなかったように思います。
天木直人だったと記憶していますが、特定秘密保護法で最も得をするグループとして官僚を取り上げていました。なるほど、天木氏は元官僚であるだけに蛇の道は蛇です。

正月ということもあり、酔いが回っていますので、続きは次回ということで…。
205:馬之助 :

2013/12/29 (Sun) 19:06:05

host:*.au-net.ne.jp
サムライさん、こんばんは。


今年も、いよいよ押し迫ってきました。
いろいろな情報によると、消費税が導入されるまでになにかが起こりそうな雰囲気です。それが国内だけのものか、アメリカ発か、中国なのか、ユーロ圏か、中東か、それとも多発的なものかはわかりませんが、波乱が待ち受けているようです。
そんな中、今後ともよろしくお願いします。


>実際には、文字を使って記録を残した中国よりも、文字で記録を残さなかった遊牧民の方が、武力の面でも知力面でも遙かに優れていたことが分かります。それだけに、文字を持たなかった遊牧民族の視点で、改めてアジア史乃至は世界史を見直す必要性を強く感じます。

同感ですが、一般にはなかなか受け入れられないですよね。賛同者を得られないので、嘲笑の的に成りやすく、否定してみせることによって賛同者が得られやすいようで、そんなところを利用するのが中国四千年の歴史なのかと思ったりしています。


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ここに百済とは、結論だけ言えば、太古のオリエント文明の時代に日本皇室と分岐した一派が騎馬民の一種扶余族に混じ、さらにその分派南扶余族となって、朝鮮半島南端の東シナ海寄りの地に百済王国を建てたのである。その百済が、太古の所縁を辿って大和王権に接触してきた時、皇室がこれを排斥せず好意を以て迎えたため、継体天皇没後の日本皇統は急速に百済色に染まり始めたのは、歴史事象として顕著である。

 中大兄と提携して覇権を握った鎌足が、日本簒奪のために根本戦略として定めたのが、家系偽造でであったのは、煎じ詰めれば家系とは史実にほかならないからである。

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落合さんの『金融ワンワールド』の一節の紹介有り難うございました。

これは、平成二十五年十二月十五日発行の「みち」の『洞察日本史』からの引用で、ここでは最新の落合秘史が語られていて、目が離せません。「中大兄と提携して覇権を握った鎌足が、日本簒奪のために根本戦略として定めたのが、家系偽造でであったのは、煎じ詰めれば家系とは史実にほかならないからである」。この辺りにも、大陸的な気風を感じてしまいます。


>此処でもポイントは、“文字を持たなかった”遊牧民の過去に何処まで肉薄できるかにかかっていると思います。

おっしゃる通り。その辺りに問題の核心があるようです。それをいいことに、文献を証拠とする向きには辟易とするところがあります。確信犯的な手口に思えて、私は好きになれません。


>同じ哺乳類なのに、チンパンジーと人間とを比べてみると、人間の方が極端に体毛が少ないのが一目瞭然です。その伝でいけば、陸上生活から海に戻ったイルカは、ヒト以上に体毛の無い生き物であり、“スベスベのお肌”をしている(笑)。

対面して行なう生殖行為を正常位とするのは、陸に暮らす哺乳類では唯一人間だけのようですし、同じような対面しての行為をするのは海に暮らす哺乳類のようですから、「水生のサル」というのは説得力があるように思えますが、これも非常識というヤツなのでしょうか。こういう行為は文献による伝承はないですよね。にもかかわらず、漢字圏の人たちにも伝承されている。私が知らないだけで、恐らく文献による伝承がきっとあるのでしょう。


>フーテンの寅さんは北海道の農場の手伝いを始めたまでは良かったのですが、三日坊主どころか一日でギブアップしています(笑)。

そのシーン、覚えています。広々とした牧場で大張り切りの寅さんと、案の定ギブアップしてしまう不甲斐ない寅さんの周りを巻き込んだ騒動。それでいて憎めないところが、面白いですよね。


ところで、『月刊日本』の1月号では特定秘密保護法の問題が特集されています。ざっと目を通したところ、佐藤優氏と菅沼光弘氏の論文に問題点が上手く集約されているように思いました。菅沼氏の「これではスパイもテロも防げない」では、その発端と官僚の対応方針が語られているようですので、詳しくは『月刊日本』にあったってもらうにして、その一部を以下に引用しておきます。

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 しかし、提供された情報が簡単に漏洩してしまうようでは、日本と情報を共有することはできない。アメリカ側からそのような要請があったため、日本政府は今回の法律を作ったのです。
 ところがこの法律には、このような外交や安全確認に関する規定だけでなく、テロリズムやスパイ防止の規定まで加わっています。それは、この法案を作った内閣情報調査室が、強いて言えば、どさくさに紛れ自らの権益拡大のためにねじ込んだからです。(『月刊日本』一月号p24)
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次に佐藤氏の「戦争ができる普通の国」への道から一部(少し長くてスミマセン)引用しておきます。これを読むと「アメリカ側からそのような要請があったため、日本政府は今回の法律を作ったのです」というのも、官僚の影を感じないではいられません。

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 私の見立てでは、特定秘密保護法が施行された後でも、情報の漏洩自体は続くでしょうし、それによって誰かが罰されることもないでしょう。なぜなら、国家にとって本当に都合の悪い情報が漏洩されることは滅多にないからです。検察や警察の捜査情報が代表的ですが、官僚は意図的にマスコミにリークを行ない、世論を誘導します。マスコミは忠実に報道してくれますから、むしろリークは官僚にとって便利なツールなのです。問題は、マスコミから情報を保護することではないのです。では、誰から保護するのでしょう。
 それは、国民の代表である国会議員から秘密を保護することなのです。秘密を取り扱うためには適性評価をクリアしなければなりませんが、実は政治家は適性評価の対象になっていません。
 情報機関の間では、「適性評価を受けていない人間には情報を渡さないように」という約束があります。すると、機微に触れるよう情報が政治家に渡されず、官僚が独占することになります。その結果、政治家は官僚の言うことを聞くだけで自ら政治判断をできなくなる。たとえは官僚が「大臣、イラクが大量破壊兵器を隠し持っています」と説明する。大臣が「具体的な情報を見せてくれ」と言っても、「適性評価を受けていないのでお見せできません」ということになるのです。これは大げさではなく、実際に大臣、副大臣、政務官の政務三役も適性評価を受けないことから必然的に生じる事態なのです。
 国会議員が自らの首を締めるような法律を一生懸命成立させたわけです。(『月刊日本』一月号p13)
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『月刊日本』を読むまでは、官僚という言葉に触れることはなかったように思います。「それは、国民の代表である国会議員から秘密を保護することなのです」ということですから、特定秘密保護法の印象も違ったものになってきました。官僚というのは、どういった存在なのでしょう。どういう位置づけで、だれのために働き、なにをおこなっているのでしょうか。文字を弄するので、「文字を持たなかった遊牧民族」とは対極にあるのでしょうか。そうなると「実際には、文字を使って記録を残した中国よりも、文字で記録を残さなかった遊牧民の方が、武力の面でも知力面でも遙かに優れていたことが分かります」というのが、また違った意味に響いてきます。さまざまな疑問が湧いてきますが、騒動の影、総理や国会議員の影に隠れて、マスコミの情報にも、ネットの情報にも官僚と云う存在が浮かび上がることは少ないように思います。

それでは、よいお年を…。

204:サムライ :

2013/12/26 (Thu) 07:31:39

host:*.t-com.ne.jp
馬之介さん、今年最後の投稿になります。


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神々と直接に交信する能力を永く保持していたツランの民は文字という神への不信をまったく必要とせずむしろ軽蔑していたがために、後世の者に正確な姿を伝えなかった。漢字の発祥に関する白川静氏の洞察を手にした我々は、文字の発明が人間の神々への不信・言訳であり傲岸不遜の記念碑であることを知っている。
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この天童さんの記述は、遊牧民、すなわちツラン民族を連想させてくれます。天童さんのツラン説と根底で相通じているのが栗本(慎一郎)説であり、栗本氏もアジアの歴史は文字という手段で中華思想の歴史を残したが、その史書は中国の一方的な視点で書かれたものであると喝破しています。実際には、文字を使って記録を残した中国よりも、文字で記録を残さなかった遊牧民の方が、武力の面でも知力面でも遙かに優れていたことが分かります。それだけに、文字を持たなかった遊牧民族の視点で、改めてアジア史乃至は世界史を見直す必要性を強く感じます。



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 ここに百済とは、結論だけ言えば、太古のオリエント文明の時代に日本皇室と分岐した一派が騎馬民の一種扶余族に混じ、さらにその分派南扶余族となって、朝鮮半島南端の東シナ海寄りの地に百済王国を建てたのである。その百済が、太古の所縁を辿って大和王権に接触してきた時、皇室がこれを排斥せず好意を以て迎えたため、継体天皇没後の日本皇統は急速に百済色に染まり始めたのは、歴史事象として顕著である。
 中大兄と提携して覇権を握った鎌足が、日本簒奪のために根本戦略として定めたのが、家系偽造でであったのは、煎じ詰めれば家系とは史実にほかならないからである。
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落合さんの『金融ワンワールド』の一節の紹介有り難うございました。同書のp.140の「天武朝は海人勢力挙国一致王朝」あたりの記述、過日取り上げた「天武天皇を巡る裏史」との整合作業を近く進めたいと思います。此処でもポイントは、“文字を持たなかった”遊牧民の過去に何処まで肉薄できるかにかかっていると思います。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-472.html


> 「水生のサル」

同じ哺乳類なのに、チンパンジーと人間とを比べてみると、人間の方が極端に体毛が少ないのが一目瞭然です。その伝でいけば、陸上生活から海に戻ったイルカは、ヒト以上に体毛の無い生き物であり、“スベスベのお肌”をしている(笑)。

現在、栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』(光文社)を再読中ですが、読了したら拙ブログに簡単な書評を載せたいと思います。


> 我が子も、牛の世話ばかりをしていました。

農業の道に進むわけですね。それは頼もしい。


> そこには天童氏ではないですが、「文字という神への不信」の入り込まない世界を実地(自然)に体験している(牛や豚などの出産や、死、出荷)強みがあるようです。

同感です。フーテンの寅さんは北海道の農場の手伝いを始めたまでは良かったのですが、三日坊主どころか一日でギブアップしています(笑)。馬之介さんの末のお子さんのことを、寅さんに語って聞かせてやりたくなる…。ちなみに、寅さんの酪農での体験シーンは、「男とはつらいよ」の第11話、「寅次郎忘れな草」に出ています。

正月は、大スクリーンで「男はつらいよ」を見るかな…。来年もよろしくお願いいたします。
池袋・新文芸坐にて新年「男はつらいよ」上映決定!「新春寅さん傑作選」2014/1/6から1/10まで
http://tora-and-me.blogspot.jp/2013/12/201416110.html
203:馬之助 :

2013/12/22 (Sun) 17:11:22

host:*.au-net.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


サムライさんが、ご自身のブログ「人生は冥土までの暇潰し」で、紹介されている天童氏の「みち」巻頭語—みち330号(平成23年01月15日) ツランの足跡 ─ 遙かなるツランーに、次のようなロマンを掻き立てられる一文がありました。

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人類文明の大動脈であった草原の道のもっとも東に位置し、ツラン文明の策源地であり司令塔ともなったのが、わが日本列島である。局所文明史観に災いされた考えでは、日本列島は極東のさらに果てにあって陸路文明と海洋文明の最終終着地点であると見られているが、ユーラシア大陸中央を結んだツラン文明の大動脈を前提にすれば、むしろ人類文明の最初の発源地であり、永きにわたる文明の司令塔でもあったことが納得されよう。
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これは、前回、サムライさんが紹介してくれた、栗原氏の次の文章(貴重な引用をありがとうございました)…。

>栗原茂さんも、「今の文明人は世界に点在する六大サンゴ礁の主要地帯で誕生した。そして、原日本人の日本列島も六大サンゴ礁の地帯の一地帯であり、文明人の中心が天皇家であった」と語ってくれたことがありました。


天童氏の文章は、この栗原氏の文章に呼応するもののようで、「原日本人の日本列島も六大サンゴ礁の地帯の一地帯であり、文明人の中心が天皇家であった」
とするならば、「人類文明の最初の発源地であり、永きにわたる文明の司令塔でもあったこと」が、確かに納得されます。が、私には天童氏の次の一文が、さらに注目されました。

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神々と直接に交信する能力を永く保持していたツランの民は文字という神への不信をまったく必要とせずむしろ軽蔑していたがために、後世の者に正確な姿を伝えなかった。漢字の発祥に関する白川静氏の洞察を手にした我々は、文字の発明が人間の神々への不信・言訳であり傲岸不遜の記念碑であることを知っている。
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「文字という神への不信」という言葉が、自らに警鐘を打ち鳴らしています。愚かにも、私は紙幣に価値を置いてしまうのと同じように、文字に対してもいつのまにか信を置いて憚ることが無くなってしまっているようです。ですから、文字を元にして神国日本を語ることの愚かしさを今一度、自ら省みることが必要のようです。

平成二十五年十二月十五日発行の「みち」の、落合氏による『洞察日本史』は、さらに核心に迫る勢いで、次のように記されています。これは、以前の投稿で私が言った以下の不明な部分を明らかにしてくれるものでした。

>私が未だ理解で来ていない崇神天皇以後の渡来系騎馬民族については、つぎのような記述がありました。

「右のように、舒明はいかにも“クダラクダラ”していますが、問題は。その北方民族(百済的)要素は、いつ皇統に入ったのかということです。」(「金融ワンワールド」p140)

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 ここに百済とは、結論だけ言えば、太古のオリエント文明の時代に日本皇室と分岐した一派が騎馬民の一種扶余族に混じ、さらにその分派南扶余族となって、朝鮮半島南端の東シナ海寄りの地に百済王国を建てたのである。その百済が、太古の所縁を辿って大和王権に接触してきた時、皇室がこれを排斥せず好意を以て迎えたため、継体天皇没後の日本皇統は急速に百済色に染まり始めたのは、歴史事象として顕著である。
 中大兄と提携して覇権を握った鎌足が、日本簒奪のために根本戦略として定めたのが、家系偽造でであったのは、煎じ詰めれば家系とは史実にほかならないからである。
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落合氏のこの文章を読むと、天童氏の「神々と直接に交信する能力を永く保持していたツランの民は文字という神への不信をまったく必要とせずむしろ軽蔑していたがために、後世の者に正確な姿を伝えなかった」という意味が明確になり、重みを持って来ると思います。「原日本人の日本列島も六大サンゴ礁の地帯の一地帯であり、文明人の中心が天皇家であった」のであるのなら「南北朝の強制統合」が成ったように、源泉の部分では統合はすでに(初めから)成っているものであるのに、表層の為政者(日本簒奪のための根本戦略に加担しているのかは現代においては不明ですが、もしそうであるにしても、今までの史実を見ると何らかの手は打たれているとするのが自然のように思います)の部分ではむしろ統合とは反対方向に行きたがるのは、今も昔も変わらないようです。落合氏は、さらに驚くべきことを述べられます。

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 不比等が編纂した偽史は『日本書紀』と呼ばれるが、その系図に用いた家系作造法が、古代エジプト流であることは歴然である。
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詳しくは「みち」に当ってもらうにして、これが本来の文字の使い方(「文字という神への不信」)であるように思います。で、不比等は本来の文字の使い方(「文字という神への不信)に慣れていたということではないかと、私は愚考する次第です。


>これに関連して思い出すのが、栗本慎一郎のアクア説です。これは、「人類は海辺で進化した」とする説であり、今までの人類アフリカ誕生説を覆した説なので面白い。

私はこの説を、ライアル・ワトソンの『アースワークス』(ちくま文庫)で知りました。この本の中に「水生のサル」という章があります。様々な説(サバンナ説を含め)を公平に分析しているのですが、そういった説(その背景も含めて)を知るにつけ、私もこの説を支持しないではいられない感じです。ですから栗原氏の説になるほどと思ってしまいます。


>とする落合さんの主張を念頭に、今後も政局の動きを追っていきましょう。


私も、そう思います。決めつけないで、惑わされないで、政局の動きを追うことが肝心のようです。


>それにしても、大学・大学院の6年間の青写真を既に作成しているとは凄いですね。

これは農業高校が凄いのではないかと思います。上の三人の子どもは、普通科の進学校なのです(だからかも知れません)が、大学も、就職も、面白そうだから、面白いことができそうだからといった感じ(本当は、私はそんな行き当たりばったりというのが好きです)で、進路を決めました。しかし、農業高校は、学科は普通科の半分で、あとは実習。3年生になると作業服でいることの方が多いといった感じです。我が子も、牛の世話ばかりをしていました。そんなところから、「大学・大学院の6年間の青写真」はできたようで、普通科の子どもが(自らの頭で考えて)目標を立てたりするのとは少し違うようです。そこには天童氏ではないですが、「文字という神への不信」の入り込まない世界を実地(自然)に体験している(牛や豚などの出産や、死、出荷)強みがあるようです。農業高校恐るべし(肉牛の子は宮崎へ、乗馬が好きな子は北海道へ、乳牛は帯広へとみんなフットワークは軽いようです)、と云った感じでしょうか。

202:サムライ :

2013/12/19 (Thu) 09:29:14

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馬之助さん、今年もあとわずかですね。


> その中で特に、「what'snow 2013/11/19 スウィートキャロライン」(http://www.youtube.com/watch?v=kKYkXh1oNEs)は面白かったです。

ご紹介有り難うございました。小生も後に拝見します。


> 明治維新の一方の担い手が長州藩であったのは偶然ではなく、実にこのことに原因するので、さらに、この地から伊藤博文を始めとし、佐藤甚兵衛の家から兄弟宰相が出るのも、ここに遠因がある。

とする落合さんの主張を念頭に、今後も政局の動きを追っていきましょう。


> 相曾氏によると、日本列島に初めて降り立ったのが天皇家

栗原茂さんも、「今の文明人は世界に点在する六大サンゴ礁の主要地帯で誕生した。そして、原日本人の日本列島も六大サンゴ礁の地帯の一地帯であり、文明人の中心が天皇家であった」と語ってくれたことがありました。

これに関連して思い出すのが、栗本慎一郎のアクア説です。これは、「人類は海辺で進化した」とする説であり、今までの人類アフリカ誕生説を覆した説なので面白い。そして、そこからさらに真実に迫った「人類は淡水湖で進化した」という説が誕生、小生もこの説を支持しています。詳細は拙ブログの記事を参照願います。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-251.html

現在は、“栗本派”の渡辺豊和氏の『扶桑国王蘇我一族の真実』(新人物往来社)を再読中です。10年前に一度目を通していますが、当時は砂を噛むような思いをしたものです。しかし、その後世界戦略情報誌『みち』の関係者との出会いをきっかけに、栗本慎一郎や渡辺豊和の世界を彷徨い、多くを知り、発見できました。来年はどのような発見があるか、今から楽しみです。

> 4番目の子どもも無事進路が決まりまして、ほっとしています。

おめでとうございます。それにしても、大学・大学院の6年間の青写真を既に作成しているとは凄いですね。流石は馬之介さんの子だ。
201:馬之助 :

2013/12/15 (Sun) 17:50:31

host:*.au-net.ne.jp
サムライさん、こんばんは。


サムライさんが、ご自身のブログ「人生は冥土までの暇潰し」で、紹介されている「道友が面白いYouTubeを紹介してくれた。『特定秘密法案に民主党が必死で反対した』理由が、明らかになる動画という触れ込みだったので、最後まで見てみたという次第。面白かったなぁ…。」という対談の映像(what'snow 2013/12/10 秘密保護法案http://www.youtube.com/watch?v=ZYze0mPZzfs)、私も面白く拝見しました。山本太郎氏を賛美してやまない向きもありますが、私が持っている山本氏の印象が、間違ったものではないと分かりましたし、オスプレイ騒動も特定秘密法案の反対騒ぎも同じ構造であることが分かったようにも思います。もしかしたら、(フクイチの二号炉が核爆発した際、風向きを考慮しないでひたすら原子炉を守ることを最優先してベントしたために、放射能汚染してしまった地区以外の)放射能汚染の問題も、同じ構造ではないのかと妄想を逞しくしている次第です。

この対談が面白かったので、さらに何本か見てみました(雑談に終始した印象を与えるものも中にはありましたが)。流石、華僑の情報ネットワークは侮れないと思いましたし、その情報の中で形成されたに違いない感覚もすばらしいと思いました(私ではなく公に終始しているように思われるところに好感を覚えました)。その中で特に、「what'snow 2013/11/19 スウィートキャロライン」(http://www.youtube.com/watch?v=kKYkXh1oNEs)は面白かったです。「田中宇の国際ニュース解説 」無料版において、田中氏が「米国にはしごを外されそうな日本」という記事を書かれていますが、そうとばかリもいえない状況が現実には起きているということを知りました。「what'snow 2013/10/29 挑発に警戒せよ」(http://www.youtube.com/watch?v=vnxj-bN5vZ0)では、中国、韓国の現実も、マスコミやネットの情報操作された情報ではないものを得たように思われました。日本は米国の属国という、今では確かなものになりつつあるのも、今一度怪しんでみる必要があるのではいかと考えさせらました。落合氏風にいえば数理系シャーマンの伝統によって、アメリカのみならず世界に比肩(おそらくはリード)し、そのことがあるので、はしごを外されることはなさそう(それによって、日本は守られている)、といったところでしょうか。とにかく見てみる価値はあるのではないかと思います。


>その法律を行使するものによって、特定秘密保護法は諸刃の剣になりかねません。


私の中では、その辺りに南北朝問題が潜んでいるのではないかと思うのです。ですから、自分の中でそれを明確にすることができれば、現実に起こっていることで判断を迷うことが少なくなるのではないかと思っています。


>安倍首相は今後どう動くか。

その辺も、私には見えない所で、やはり次の落合氏の、『月刊日本』十月号の「疑史」の言葉が気になります。

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 護良親王の長男で常陸宮と呼ばれた興良親王を始祖とする大室家を田布施に入れたのは、興良の父親の“西大寺”か後代の伏見殿かは今は不詳であるが、当地には西行が全国を周回して創立した佐藤甚兵衛家の一つがあった。“西大寺”ないし伏見殿はこの地の佐藤甚兵衛に大室家を預けたのである。
 明治維新の一方の担い手が長州藩であったのは偶然ではなく、実にこのことに原因するので、さらに、この地から伊藤博文を始めとし、佐藤甚兵衛の家から兄弟宰相が出るのも、ここに遠因がある。
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安倍首相のバッシングも相当なもののようですし、そういったものが強ければ強いほど、バッシングしている陣営には安倍首相は不都合な存在であると言えるのではないかと思う訳で、そこに、バッシングしている側に怪しさを感じないではいられません。ですから、落合氏の続刊に期待するところが、ここにあります。この辺りが今後、徐々に明確になっていくのではないかと、私は思っています。


>このあたりで栗原茂さんが別の人か忘れましたが、異論を唱えていたように記憶しています。だから、現時点ではこのテーマに関して小生はペンディングにしています。来年、北九州の宗像大社を検討していますので、そうしたら多少は考えがある程度固まるかもしれません。


実は、私も異論を唱えたいところがあります。相曾氏によると、日本列島に初めて降り立ったのが天皇家ということですから(さらに大陸に文化を伝えたのがスサノヲですから…)、証明は難しいにせよ、というか証明することが難しいからといって、これ幸いと否定する気にはならないというか、心情的には古事記の通りに天孫降臨を事実として受け入れたいです。サムライさんに、新たな発見があればぜひ教えて下さい。


>是川銀蔵が或日一人の若者に出会い、貴乃花の出現で引退を決意した千代の富士ではありませんが、「俺の後継者ができた」と相場の世界を去ったと聞いています。その若者こそが落合さんであり、その本人にお聞きするのはなんとも贅沢な話ですね。

そういう重みを持って(一方的に軽率な拒絶はしないで)、落合氏の言葉を受け止めていきたいところがあります。

私事ですが、この度、4番目の子どもも無事進路が決まりまして、ほっとしています。研究したいことが明確になったとかで、大学、大学院の6年間で学びたいこと、さらにその先の、入りたい研究所も、すでに本人には決まっているそうです(!)。もう、北海道に骨を埋めるつもりでいます。親とすれば、はあ?ですが…。


200:サムライ :

2013/12/12 (Thu) 11:18:38

host:*.t-com.ne.jp
馬之介さん


> 特定秘密保護法案

いまのところ、大手マスコミでは読売と産経が賛成、朝日と毎日が反対という構図になっていますね。ちなみに、東京新聞は朝日・毎日派です。毎日が反対するのは、西山事件の時の後遺症でしょう。今までの場合、極端に言えば読朝毎産の各紙vs.東京新聞でしたが、特定秘密保護法に限っては明確に別れました。黄不動さんや佐藤優さんの主張には同意するものの、その法律を行使するものによって、特定秘密保護法は諸刃の剣になりかねません。

安倍首相は今後どう動くか。取り敢えず明後日土曜日の午後18時に、安倍氏がNHKで行う重大発表で、特定秘密保護法を具体的にどのように使うのかを確認してから、ブログなどに感想を書きたいと思います。


> 以前引用したp162には「北部カナーン人はアッシリアに滅ぼされてカナーンを追われ、海路を辿り日本に渡来してアマベ氏・モノノベ氏となりました。また別の傍流は陸路をシルクロードを辿り、秦氏となって朝鮮半島から渡来し、宇佐八幡を本拠としました。

これは落合さんの『金融ワンワールド』の記述だと思いますが、このあたりで栗原茂さんが別の人か忘れましたが、異論を唱えていたように記憶しています。だから、現時点ではこのテーマに関して小生はペンディングにしています。来年、北九州の宗像大社を検討していますので、そうしたら多少は考えがある程度固まるかもしれません。


> 「ウォール街の」「証券界の哲学」は「悪の哲学なのです」というところが引っかかってきました。この発言は日本の証券界に身を置いていた落合氏の発言だけに重いと思います。

落合さんが過去に著した経済関連の書籍はすべて取りそろえ、一度は目を通していますが、落合さんの本はスルメ本なので、じっくりと腰を据えて数度読み直す必要があります。その上で質問をまとめ、落合さんに教えを請うつもりでいます。

是川銀蔵が或日一人の若者に出会い、貴乃花の出現で引退を決意した千代の富士ではありませんが、「俺の後継者ができた」と相場の世界を去ったと聞いています。その若者こそが落合さんであり、その本人にお聞きするのはなんとも贅沢な話ですね。

ところで、その落合さんの新刊本が今上陛下の誕生日の12月23日というのは、なんとも意味深長です。(これは関係のない話ですが、当日はNHKで高倉健と倍賞千恵子主演の「ステーション駅」が放送されます)
199:馬之助 :

2013/12/08 (Sun) 20:38:10

host:*.au-net.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


十二月一日発行の『みち』の「常夜灯」で、黄不動氏は、

「特定秘密保護法案は一一月二六日に衆院を通過。独立国家として当然の法ながら報道各社は総じて反対論を展開。参院通過阻止を目指し世論操作に血道を上げている。」

と書かれています。正確な理解のために、前後の流れは『みち』で確認してほしいものですが、こういった当たり前のことを当たり前に言うことが憚れるような現在の空気の中、当たり前に発言していることに、勇気のようなものを得た思いがしました。私はこの法案の内容については詳しく知りませんが、テレビのニュースなどでは確かに「報道各社は総じて反対論を展開」しているようで、詳しく知らせることをしないで(またデフォルトした極端で一方的な情報を強調することで)反対の空気を醸し出す事に躍起となっている印象を受けています(法案以前に、そこに違和感を持ってしまいます)。ネット上の論調も、この件に関しては、マスコミと歩調を合わせているように感じられるのが不思議なところです。私は、格好のサニワの材料になるのではないかと愚考しています。正確な情報は『みち』や『月刊日本』を元にするしかないようです。

今号の『みち』には、驚くべき記事が多いです。その一つに落合氏の「洞察日本史」がありますが、私が特に驚いたのが次の文章です。

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 ところが、一八年目に入った今年の春、「在英ワンワールド」の実体が日本から発祥したことを覚るに至ったのは、京都皇統代から南北朝の強制統合の史実を教わったからである。「在英ワンワールド」とは、国史上の南北朝時代にウラ天皇として成立した永世親王伏見殿が政治・経済・社会的戦略の集合体たる「大塔政略」に基づき、欧州各所に作った拠点を中心に活動してきた政治的・経済的勢力のネットワークなのである。
 したがって「在英ワンワールド」の意味は、「伏見宮海外ネットワーク」と大凡同じものであるが……
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続きは『みち』にあたってもらうとして、「歴史の教科書には載っていない事項ばかり」に抵抗を感じ私にすれば、正に驚愕に値するものですが、閉塞感の高まる(?)現代社会に身を置く者にすれば希望と期待感を感じられます(ここで思ったのですが、落合氏とは真逆に、閉塞感を高めようと大衆を誘導しようとしている勢力が働いているのではないかということです)。

「南北朝の強制統合」が出来たのは、考えてみると、「金融ワンワールド」のp110にあるように、応神期に朝鮮半島からツングース系人を呼び寄せた秦氏にしても海部・物部と同じく古イスラエル北王国十支族の一つだからではないでしょうか。以前引用したp162には「北部カナーン人はアッシリアに滅ぼされてカナーンを追われ、海路を辿り日本に渡来してアマベ氏・モノノベ氏となりました。また別の傍流は陸路をシルクロードを辿り、秦氏となって朝鮮半島から渡来し、宇佐八幡を本拠としました。」とあります。私が未だ理解で出来ていないのは、崇神天皇以後の渡来系騎馬民族で、それを除けば、南北朝は親和性が元々高く、「南北朝の強制統合」も可能だったのではないかと思います。これも「金融ワンワールド」のp162ですが「古イスラエル人は、シュメル人の傍流のカナーン人が入ったものの、ヴェネツィア・コスモポリタンとは別の集団です。」とありますから、ヴェネツィア・コスモポリタンに対応するために、「伏見宮海外ネットワーク」の存在があるのではないだろうかと愚考するに至っています。愚考ついでに言いますと、私はいつしかコスモポリタンには二つのものがあるのではないかという思いに至ったことで、それを確信させたのが、同じく「金融ワンワールド」の次の文章です。

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 私はこの時、ウォール街の“本音”を実感しました。証券界の哲学は、甘っちょろい道徳観念は要のない悪の哲学なのです。その後、ウォール街は金融工学的手法をどんどん取り入れ、デリバティブとかCDSなどの「大inntiki」
をもって、ゼロ金利社会で資金運用に悩む機関投資家を幻惑しています。(「金融ワンワールド」p253)
***********************************

前後の文章の流れの中で感じた事なので、引用した短い文章では分かりにくいかも知れませんが、「ウォール街の」「証券界の哲学」は「悪の哲学なのです」というところが引っかかってきました。この発言は日本の証券界に身を置いていた落合氏の発言だけに重いと思います。また、日本の「証券界の哲学」は「悪の哲学なの」ではないのでしょうか。ウォール街からすれば、「甘っちょろい道徳観念」というものが存在する世界なのでしょうか。もしそうなら、そこに希望を感じてしまうのが「甘っちょろい」私です。

私が未だ理解で来ていない崇神天皇以後の渡来系騎馬民族については、つぎのような記述がありました。

「右のように、舒明はいかにも“クダラクダラ”していますが、問題は。その北方民族(百済的)要素は、いつ皇統に入ったのかということです。」(「金融ワンワールド」p140)

続いての文章には、

「ともかく継体崩御から欽明の即位に至るまで、朝鮮半島情勢に起因する全国的な内乱が生じたことは確かなようで、欽明を機に百済的要素が皇統に浸透したものと思われます。」(「金融ワンワールド」p141)

現在の社会情勢にも、「朝鮮半島情勢に起因する全国的な内乱」を感じられないでもないですし、特定秘密保護法案採決に抗議して委員長に詰め寄る野党の理事の姿を見るにつけ、その思いが深まってしまいます。こういう情景が過去にも繰り返されてきましたが、何が正しかったのかは、歴史の闇に疎い私には理解できていません。


>もう暫く落合秘史のやり取りを此処で続けましょう。

同感です、承知しました。


>しかし、かなり掘り下げた内容になっていたので、出版して本当に良いのかという思いも一方にあります。

『みち』で、落合氏はこのように続けています。

「私の歴史研究の目的は、『ウラ天皇世界ネットワーク』の実情を解明して、その歴史的変遷と未来に向けた方向性を世界に伝えること、と自覚したのが今年である。」

これこそ、サムライさんが言われる、「しらす」ではないかと愚考する次第です。やはり一番私が欲しているのは、「未来に向けた方向性」ですから、新しい落合秘史シリーズの刊行が待ち望まれますし、読後におおいに語り合いたいものです。


198:サムライ:

2013/12/04 (Wed) 16:01:07

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馬之介さん、いよいよ師走に入りました。そろそろ海外の友人や取引先にクリスマスカードを書いたり(小生はクリスチャンではありませんが…)、年賀状を書いたりしなければなりません。こうした作業も楽しみといえば楽しみではあるものの、仕事と並行して行うことになるので投函するまではしんどいです。


> 「という感じの方が私には強い」という、至って個人的な感覚に属する事柄です

なるほど、それで分かりました。特に、以下の引用は流石です。

***********************************
 その後、対数の発見により、いわゆる自然対数の底と称するネイピア数(e)などの無理数ないし超越数が発見されましたが、これらの数理定数こそ「自然」ないし「宇宙」の本質を示すものですから、これを理解することは「自然」に対する崇拝を意味し、またこれを活用することは数理科学を意味します。
(中略)
 もし夫(そ)れこれをしも数理科学系シャーマニズムと呼ぶのであれば、これこそ正に太古から続く日本列島文明の根本でその本質なのです。古来日本文明が拠り所とする柱が、数理定数と並んで山岳信仰であったことは「落合秘史シリーズ」の随所で説明いたしますが、この両者はともに自然に対する合理性の崇敬精神として日本社会の根本にあり、その活用が日本経済の根底たる「ものつくり」を支えているのです。(p201)
***********************************


> 正直ついでに白状しますと、落合氏にも「歴史の教科書には載っていない事項ばかり」に抵抗を感じてしまっていた私には、やはり抵抗するところがありましたが、繰り返し読んでいくうちにそれも薄れてきました。

日本という国の成り立ちについては、まほろば会のメンバーにも深い関心を寄せている道友が大勢います。馬之介さんも仰せのように、落合さんの「歴史の教科書には載っていない事項ばかり」について、小生の場合は心から納得するには、もう暫く時間がかかりそうです。まず、広範な知識を必要とすること、その上で落合さんの言葉で言えば洞察力が必要な点にあります。こればかりは幾ら頭を捻っても得る物がなさそうです。頭を空っぽにして宗像大社などを散策していくうちに、もしかしたら何か閃くものがあればと、淡い期待をしたりしていますが…。そうした、旅先での〝気づき〟が過去に幾度かあっただけに、来年は日本の成り立ちを一つのテーマに、旅をしてみたいと思っています。2年前は紀州の狸庵、昨年は京都御所に行ったきり、遠出はしていませんので、そろそろと考えています。


> しかし史家でない身には、文献を漁る余裕もないので、なんとか落合氏のものを読み解いていくのが最良ではないかと思っています。

同感です。もう暫く落合秘史のやり取りを此処で続けましょう。今月の天皇誕生日には新しい落合秘史シリーズが刊行されるはずですから、来年の正月はそのあたりからスタートできそうです。すでに、草稿の一部を拝読しましたが、目を引いたのが「大室家を保護した佐藤甚兵衛とは」と題した小節でした。この佐藤家からは昭和の御代に首相を二人出しているだけに、大室家の影の部分を見たような気がしました。しかし、かなり掘り下げた内容になっていたので、出版して本当に良いのかという思いも一方にあります。
197:馬之助 :

2013/12/01 (Sun) 22:02:45

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サムライさん、こんばんは。


>確かに、落合氏の反応にも興味はありますが、それよりも、飯山氏はどういう風の吹き回しでしょうか、という感じの方が私には強いです。

「という感じの方が私には強い」という、至って個人的な感覚に属する事柄です。その個人的な感覚というのは、人格、神格に関するものです。私が理解できるとすると、それは人格の方ですが、私は神格が理解出来ないからといって、神格を人格にまで引き寄せて理解しようとしたくはありません。計り知れないものは、計り知れないものとして、穢したくないというか、人格がしゃしゃり出て、手垢に塗れさせたくないというところがあります。フラーは球(円周率さえ割り切れないのですから、人類は未だかつて完全な球体を作ったことがないそうです)を単位として(分からないものは、分からないとして)この世界を理解していきました。私には、そんな感じなのですが、そのようなものを落合氏は『国際ウラ天皇と数理系シャーマニズム』の中で、上手く表現されています(以前引用しましたが、繰り返します)。

***********************************
 その後、対数の発見により、いわゆる自然対数の底と称するネイピア数(e)などの無理数ないし超越数が発見されましたが、これらの数理定数こそ「自然」ないし「宇宙」の本質を示すものですから、これを理解することは「自然」に対する崇拝を意味し、またこれを活用することは数理科学を意味します。
(中略)
 もし夫(そ)れこれをしも数理科学系シャーマニズムと呼ぶのであれば、これこそ正に太古から続く日本列島文明の根本でその本質なのです。古来日本文明が拠り所とする柱が、数理定数と並んで山岳信仰であったことは「落合秘史シリーズ」の随所で説明いたしますが、この両者はともに自然に対する合理性の崇敬精神として日本社会の根本にあり、その活用が日本経済の根底たる「ものつくり」を支えているのです。(p201)
***********************************

「これこそ正に太古から続く日本列島文明の根本でその本質なのです」というものが、私の中にもあるようで、それが「という感じの方が私には強い」という感覚になるのではないかと、思っています。「風の吹き回し」の「風」も古来から、いのちや神や仏の流れのようなもののようです。


>馬之介さん、落合さんと飯山さんとの間では多少は歴史観の違い等はあるにせよ、最も大切な点で一致しているのではないでしょうか。つまり、「しらす」の精神です。

「しらす」を相曾氏のいう言霊で理解すると、シはス+イで「ものの本質が実体からスーと上昇してくること」を意味する言葉のようで、ラはル+アで「体中にある種の現象がもろにでている状態のこと」、スは「すだれのス、透けて見える、気(本質)が盛んにスースー上昇すること」と言う意味のようです。とにかくものの本質と関係があるようですね。ですから、「落合さんと飯山さんとの間では多少は歴史観の違い等はあるにせよ、最も大切な点で一致しているのではないでしょうか。つまり、『しらす』の精神です」というのは確かにそうだと思いますが、「しらす」というのが、人格の話題としてどうなのかなというのが、私の正直な感覚です。


>ともあれ、上記の飯山さんのブログ記事で、「いま、天皇家を誹謗中傷する者を、私は絶対に許さない!」と書いた飯山さんの心情、ご理解いだたければと思います。

ですから、飯山氏の心情は重々承知している(素晴らしい人格者だとお見受けしている)つもりですが、「いま、天皇家を誹謗中傷する者を、私は絶対に許さない!」という表現は個人的な感覚として、ちょっと引っかかってしまう所があるというのが正直なところです。ですが、正直ついでに白状しますと、落合氏にも「歴史の教科書には載っていない事項ばかり」に抵抗を感じてしまっていた私には、やはり抵抗するところがありましたが、繰り返し読んでいくうちにそれも薄れてきました。飯山氏に対してもそうなっていくことを、期待しています。


>一つだけ気になった点ですが、上記の馬之介さんがタチバナ氏(橘氏)とヘイ氏(平氏)を南朝の祖、一方でアマベ氏、モノノベ氏、秦氏らを北朝の祖という具合に、分けて考えるように至った根拠は何でしょうか?


「金融ワンワールド」の「終わりに」に次のようにあります。

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 日本では天孫騎馬民族と海洋民族という「日本在住ワンワールド」が競合しながら歴史を形成しましたが、地勢学上のリムランド(縁辺地域)に属する日本が、世界経済に雄飛しえたのは、実にその競合がうまく働き、秩序を誇る倭人族の勤勉と相まった結果というのが本稿の結論です。(p260)
***********************************

ですから、私の南朝、北朝の理解(アマベ氏、モノノベ氏、秦氏をひとつに括ること)は間違いで、「金融ワンワールド」のp110にある、「崇神天皇以後の渡来系騎馬民族」と「応神期に秦氏が朝鮮半島から呼び寄せたツングース系人」を北朝の祖とし、タチバナ氏(橘氏)とヘイ氏(平氏)の先住渡来人、さらにアマベ氏、モノノベ氏を海人勢力として一括りにして南朝の祖とした方がいいようです。ですが、この南北朝を「日本在住ワンワールド」としてしまうのには(山岳宗教の理解の助けにはなりますが…)抵抗があります(苦笑)が、これに関しては別の機会にします。


>落合さんの説は独特かつ雄大ですが、浅学非才のため未だ納得できないでいる点が残っています。

全く同感です。しかし史家でない身には、文献を漁る余裕もないので、なんとか落合氏のものを読み解いていくのが最良ではないかと思っています。

196:サムライ:

2013/11/28 (Thu) 07:04:07

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馬之介さん、おはようございます。早いもので、明明後日日は師走ですね。小生は別に師でもないので走り回るわけではありませんが…。


> 確かに、落合氏の反応にも興味はありますが、それよりも、飯山氏はどういう風の吹き回しでしょうか、という感じの方が私には強いです。

馬之介さん、落合さんと飯山さんとの間では多少は歴史観の違い等はあるにせよ、最も大切な点で一致しているのではないでしょうか。つまり、「しらす」の精神です。落合さんにしらすの心があるのは、拙ブログに書きました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-337.html

一方、飯山さんも皇室のしらすの精神を良く理解しておられます。論より証拠、以下の飯山さんの記事をお読みください。及ばないまでも皇室のしらすの精神に倣うという気持ちが、以下の記事から読み取れると思います。
◆2013/11/25(月)2  心やさしい知性と、やさしさに欠ける蛮性
http://grnba.com/iiyama/index.html#st11252

一方、しらすについて全く理解していないのが、飯山さんのブログ『文殊菩薩』の元編集長およびその仲間たちでしょう。元編集長が書いた皇室を貶める記事は、以下の飯山さんの記事に魚拓として保存してあります。
本ブログの元編集長・蜂谷弘悦クンが天皇家を悪し様に誹謗中傷するエントリーを掲載している。そのコピーを下に掲げた。著しく下品で酷い内容である。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-7042.html

一つだけ理解できなかったのが、ブログ「つむじ風」の飄平氏です。1年ほど前までは実に良い皇室の記事を彼は書いていました。
「天皇陛下」
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/cat11965458/

しかし、その後の飄平氏の天皇観は大きく変わります。たとえば、同氏の「立ち上がれ人類!」は、殆どが他人の記事のコピペですが、その中で、「あなたの富を吸い上げる王族貴族と呼ばれる犯罪者達」として、日本の皇室や英国王室を侮辱した記事のコピペ等を載せるようになった、最近の飄平氏の“変節”ぶりに首をかしげたくなります。
「立ち上がれ人類!」
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/10/post_c080.html

ともあれ、上記の飯山さんのブログ記事で、「いま、天皇家を誹謗中傷する者を、私は絶対に許さない!」と書いた飯山さんの心情、ご理解いだたければと思います。


> 上記のように国内では二つの(ともにヴェネツィア・コスモポリタンとは違う)流れがここに始まるようで、その一つがヴェネツィアに入る前に別れた分流のシュメル・コスモポリタンで、海人サカイ族の援けによって日本に到来しタチバナ氏(後に橘氏)となり、サカイ族も縄文海人のヘイとなって列島に住みつき平氏となります。この流れをを南朝の祖と考えたらいいのでしょうか。もう一方が、イスラエル王国を建てた古イスラエル人で、北部でカナーン人と通婚して元のオリエント多神教に戻り、アッシリアに滅ぼされてカナーンを追われ、海路を辿り日本に渡来したアマベ氏・モノノベ氏と、陸路をシルクロードを辿った秦氏のようです。こちらを北朝の祖と考えたらいいのでしょうか。さらに別の一派が、一神教に固執してイスラエル本国から分離し、ユダヤ王国を建てた南部のアマルナ衆で現在の国際金融勢力とも云うべきものでしょうか?これをヴェネツィア・コスモポリタンといってもいいのでしょうか。ということは、南北朝に海外勢力を加えると、三つ巴ということにもなりそうです。

馬之介さんの質問は、筆者の落合さんに直接ぶつけてみると良いかもしれませんね。一つだけ気になった点ですが、上記の馬之介さんがタチバナ氏(橘氏)とヘイ氏(平氏)を南朝の祖、一方でアマベ氏、モノノベ氏、秦氏らを北朝の祖という具合に、分けて考えるように至った根拠は何でしょうか?

落合さんの説は独特かつ雄大ですが、浅学非才のため未だ納得できないでいる点が残っています。それは栗本慎一郎のシリーズ本とニュアンスの異なる部位で、その栗本シリーズと落合シリーズ、特に『金融ワンワールド』を再度読み比べてみることで、自分なりに考えを纏める必要があると、今回の馬之介さんの投稿を読んで思うに至りました。ただ、お二人の仕事は歴史の教科書には載っていない事項ばかりなので、当面は比較するための時間が取れそうにありません。
195:馬之助 :

2013/11/24 (Sun) 18:09:00

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サムライさん、こんばんは。


>落合さんがどのような反応を示すか、興味ありますね。


確かに、落合氏の反応にも興味はありますが、それよりも、飯山氏はどういう風の吹き回しでしょうか、という感じの方が私には強いです。

ところで、また、「金融ワンワールド」を読み返しているのですが、南北朝の淵源を示すような一文を見つけましたので、長くて恐縮ですが以下に引用しておきます。

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 ワンワールドの中核は、シュメルに発したコスモポリタンです。その主流はフェニキアからカルタゴを経て、八世紀から数世紀にもの間ヴェネツィアに本拠を構え、さらにネーデルランド(オランダ)に向かい、ロンドンに広がりました。ニューアムステルダムも、現在はニューヨークと改称していますが、コスモポリタンの拠点として創られた港町です。
 シュメル・コスモポリタンは一般にヴェネツィア・コスモポリタンと呼ばれますが、ヴェネツィアに入る前に別れた分流も勿論います。その一部は、インド亜大陸南端から、海人サカイ族の援(たす)けにより海路を採り、日本に到来してタチバナ氏となり、皇胤(こういん)の形をとって易姓橘氏となります。サカイ族は縄文海人のヘイとなって列島に住みつき、一部は皇胤の形をとって易姓平氏となりました。
 古イスラエル人は、シュメル人の傍流のカナーン人が入ったものの、ヴェネツィア・コスモポリタンとは別の集団です。“約束の地”カナーンに入ったアマルナ衆は、イスラエル王国を建てますが、北部でカナーン人と通婚した氏族は元のオリエント多神教に戻りましたが、南部のアマルナ衆は一神教に固執してイスラエル本国から分離し、ユダヤ王国を建てました。
 北部カナーン人はアッシリアに滅ぼされてカナーンを追われ、海路を辿り日本に渡来してアマベ氏・モノノベ氏となりました。また別の傍流は陸路をシルクロードを辿り、秦氏となって朝鮮半島から渡来し、宇佐八幡を本拠としました。
 上田家伝がユダヤと呼び、アヤタチの基としているのは彼らのことです。(「金融ワンワールド」p162)
***********************************

上記のように国内では二つの(ともにヴェネツィア・コスモポリタンとは違う)流れがここに始まるようで、その一つがヴェネツィアに入る前に別れた分流のシュメル・コスモポリタンで、海人サカイ族の援けによって日本に到来しタチバナ氏(後に橘氏)となり、サカイ族も縄文海人のヘイとなって列島に住みつき平氏となります。この流れをを南朝の祖と考えたらいいのでしょうか。もう一方が、イスラエル王国を建てた古イスラエル人で、北部でカナーン人と通婚して元のオリエント多神教に戻り、アッシリアに滅ぼされてカナーンを追われ、海路を辿り日本に渡来したアマベ氏・モノノベ氏と、陸路をシルクロードを辿った秦氏のようです。こちらを北朝の祖と考えたらいいのでしょうか。さらに別の一派が、一神教に固執してイスラエル本国から分離し、ユダヤ王国を建てた南部のアマルナ衆で現在の国際金融勢力とも云うべきものでしょうか?これをヴェネツィア・コスモポリタンといってもいいのでしょうか。ということは、南北朝に海外勢力を加えると、三つ巴ということにもなりそうです。

「皇胤の形をとって」というのが、意味深なところですが、現在の国際金融勢力の劣勢を考えると、より興味深い所でもあります。この辺りに、私は「競わず争わず」の源流を感じないではいられません。しかし、揺るがせにしてはならないのは、次の文章で、「皇胤の形をとって」というのにも繋がる表現かも知れません。

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 そもそも、我が皇室・皇族そのものに南北の別はありません。南朝皇統は皇族の一部が海人(かいじん)勢力の支持を受けたもので、北朝皇統には騎馬系勢力が背後にいますから、大きく云えば地政学(ちせいがく)的な対立ですが、それは背後勢力に限った話です。婚姻により、母系において南北の別が生じることがありますが、それもその代だけで、次代には南北混淆するのが寧(むし)ろ普通です。問題は当該皇族の意識だけでしょう。(『明治維新の極秘計画』p164)
***********************************

また、国内の南北朝の大まかな流れを、落合氏は「金融ワンワールド」の中で、次のように示してくれています。

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 ともかく継体崩御から欽明の即位に至るまで、朝鮮半島情勢に起因する全国的な内乱が生じたことは確かなようで、欽明期を機に百済的要素が皇統に浸透したものと思われます。それが欽明の孫の舒明を経て天智朝まで伝わる一方、アマベの海人勢力は凡海(おおあま)氏が養育した天武天皇に海人が期待をかけたものと考えられます。
 天智(中大兄皇子)と天武(大海人皇子)は、父を舒明天皇、母を斉明天皇とする同母兄弟とされていますが、今どき本心でこれを信じる史家はおらず、両人の関係についてはさまざまな揣摩(しま)憶説(おくせつ)が盛んですが、本稿は立ち入りません。一言だけすれば、天智と天武は同時期に併存していた並立王朝で、前者は天孫系と百済系勢力の利害を、また後者は海人系勢力の利害を反映していたものと考えます。いってみれば二大政党のようなものです。(「金融ワンワールド」p141)
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さらに落合氏は大化の改新から壬申の乱までの二大政党の攻防についても続けて言及されていますが、引用が長くなりますので、詳しくは本書に当って下さい。
しかし、『国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者』の、以前にも引用した以下の文章に触れると、事は簡単には済まず、ツランとか、伏見宮海外ネットワークという存在を意識しないではいられません。

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 前年七月の薩英戦争を切っ掛けとして、英商グラバーが薩藩家老の小松帯刀(たてわき)と藩士五代才介・松本弘安(寺島宗則)と協力して薩藩下士連合を成立せしめ、これを在英ワンワールドの薩摩支部とします。この動きの裏には、伏見宮海外ネットワークの存在が感じられます。
 安政五(一八五八)年に初来日したフランス人シャルル・モンブラン伯爵と、翌六年に来日した宣教師グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。この英商トーマス・ブレーク・グラバーは明らかに在英ワンワールドの使者ですが、加えて伏見宮海外ネットワークの要員と観るべきものと思われます。(『国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者』p255)
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勅使河原大鳳著 「『異境備忘録』釈義 幽真界研究」によりますと、スサノヲは、「素戔嗚神」と書くときは荒魂としての活動で、「須佐之男」と書くときは和魂としての働きだそうです。そこから私が妄想するに、ヴェネツィア・コスモポリタンは「素戔嗚神」と書くときの荒魂としての活動で、シュメル・コスモポリタンは「須佐之男」と書くときの和魂としての働きなのではないかと思ったりする訳です。で、さらに類推しますと、ともに和魂としての働き故に、南北朝は元来親和的で、南北朝対ヴェネツィア・コスモポリタンと見た時も、その働きに差こそあれ同じスサノヲ故に、この両者、意外に根底では親和的なのではないのでしょうか。コスモポリタンはスサノヲにこそお似合いで、一方の天皇は神国日本にコスモポリタンの流入以前から存在するアマテラスとすると、私には納まりがいいのですが、落合氏はまだそこまでは語られていません。


>それから、12月23日に向けて、新刊本を発行の予定とのことです。今のところ仮題ですが、『寄兵隊天皇と卒族革命』といったような書名を予定しているとのことでした。

もしかしたら、新刊本では、「ツランとか、伏見宮海外ネットワークという存在」がより明確になっていくのかもしれませんね。どちらにせよ、いよいよ目が離せなくなって来たようです。


194:サムライ:

2013/11/21 (Thu) 16:45:24

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馬之助さん、

昨日、飯山さんが落合さんの本を紹介していました。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-7046.html
いま、皇室をバッシングしていると… (落合莞爾氏の珠玉の文章)

落合さんがどのような反応を示すか、興味ありますね。


> 昨今の世界の情勢も「競わず争わず」に靡いているように感じるのは贔屓が過ぎるでしょうか…)。

そんなことはないと思いますよ。上記飯山さんの記事でも、落合さんの「競わず争わず」が登場していましたね。


> 落合氏の「金融ワールド」を詳細に読んでいって、確固たる視座を得ようと考えているところです。

その意味で、世界戦略情報誌『みち』の執筆者と読者を中心に、落合さん本人に参加していただく形で、さまざまなやりとりがの場を設けると、面白いというか貴重な情報を互いに交換できそうですね。




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 その後、対数の発見により、いわゆる自然対数の底と称するネイピア数(e)などの無理数ないし超越数が発見されましたが、これらの数理定数こそ「自然」ないし「宇宙」の本質を示すものですから、これを理解することは「自然」に対する崇拝を意味し、またこれを活用することは数理科学を意味します。
(中略)
 もし夫(そ)れこれをしも数理科学系シャーマニズムと呼ぶのであれば、これこそ正に太古から続く日本列島文明の根本でその本質なのです。古来日本文明が拠り所とする柱が、数学定数と並んで山岳信仰であったことは「落合秘史シリーズ」の随所で説明いたしますが、この両者はともに自然に対する合理性の崇敬精神として日本社会の根本にあり、その活用が日本経済の根底たる「ものつくり」を支えているのです。(p201)
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小生は上記の行で思い出したのが太田明氏の本です。『トンデモ ニセ天皇の世界』(文芸社)を著した原田実氏は、同書のp.224「百人一首は後鳥羽上皇への思いを込めた暗号だった!?」という小節を書いています。主要参考文献として、『百人一首の暗号』(学習パブリッシング)を取り上げていますが、どうも太田さんの研究について言及していないような感じがします。太田さんの本を理解するのは大変なので言及しなかったのかと思います。ともあれ、原田氏は単に同小節の結びの言葉として、「百人一首の暗号解説、それは結局、百人一首を媒介にして解読者が自分の脳内にそれぞれのストーリーをつむぎ出していく過程といえよう」と、曖昧な結論を書いています。もう少し太田さんの著作に言及して欲しかったなぁ…(笑)。ちなみに、同書は太田さんから謹呈していただき、旧ブログでも取り上げました。

http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/05/post-16c9.html
『百人一首の暗号』

それ以外にも太田さんは本を出しており、やはり旧ブログで取り上げました。

http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2009/09/post-01cd.html
『古事記』序

今回は寄り道をしてしまいましたが、次回からまた落合秘史に戻らせていただきます。それから、12月23日に向けて、新刊本を発行の予定とのことです。今のところ仮題ですが、『寄兵隊天皇と卒族革命』といったような書名を予定しているとのことでした。
193:馬之助 :

2013/11/17 (Sun) 19:59:37

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サムライさん、こんばんは。


>京都にキリスト教系の同志社英学校を興した新島襄とは何者だったのか

イエズス会と吉田神道を考えると興味が湧きますね。しかも、「これを祓(はら)う(避ける)ために、家康は、吉田神道で固まった京都を去り、山王一実神道を奉じて関東へ移住することを命ぜられ、」ということですから…。最近、「競わず争わず」という言葉が気になっています。「吉田神道で固まった京都を去り、」お膝元の京都に「キリスト教系の同志社英学校を興」すままにさせる訳ですから、まさに「競わず争わず」で、そうすることでのみ、自然にあるべき結果が顕われて来るかのようです。こういうやり方は、落合氏の歴史書を観ると、皇統では何度も繰り返されているように思います(最近では、そのために伏見宮家や閑院宮家の創設があるのではないかと思うようになりました)。顕われた結果に抗うことなく、もしその結果が意に沿わなければ、結果にではなく、自らを反省して軌道を修正しているようにも感じられます(現代人はこういうのは苦手だと思いますが、だからといって、否定するのもどうかと思います)。また、相曾氏の禊祓祝詞でも、天関打開の八文字の霊言を四度繰り返した後に、ひと、ふと、み、よ…で、大自然のリズムが述べられるのですから、人智、人力を越えた、大自然の、人の計画が太刀打ちできない力が招来されるかのように感じます(そのあたりにシャーマン天皇として一目置かれる所以があるのでしょうか…昨今の世界の情勢も「競わず争わず」に靡いているように感じるのは贔屓が過ぎるでしょうか…)。


>「日本史は必ず天皇を書かねばならぬもので、天皇周辺の人物・事情をいくら書いても歴史とはいわぬ」


そういった意味でも、「さる筋、かく語りき」の上記の言葉には、意味深いものがあるという思いを深めています(まるで、真実は「競わず争わず」=意が歴史を作っているかのようです、というか、これを立体史観というのでしょうか…)。世に出ているものは(落合氏の秘史を除いて)天皇周辺の人物・事情を書いたものばかりですし、天皇を書いたものでも、直接的または間接的かつ巧妙にその存在を否定するものばかりのようにみうけられますから。しかしそういったものを読むことで時間を消費している私の中には、「競わず争わず」でないものを、求めるところが確かにあり、そこに価値(その方が、競い争って、人とぶつかり、世の中とぶつかって、充実した感じがするし、そうやって頭角を現したものを世間では成功者というようです…)を見出そうとしているのもやはり否定出きません。で、あまりキョロキョロとしていないで、もう一度というか、落合氏の「金融ワールド」を詳細に読んでいって、確固たる視座を得ようと考えているところです。同書も、私が考えているよりも奥が深い本で、どうやら私は未だその奥深さに触れることができていないようです。

落合氏の『国際ウラ天皇と数理系シャーマニズム』でちょっと気になるのは、修験道に関することで、相曾氏によると、山岳信仰はスサノヲ系、天狗系のものだとして注意を促しています。そこに私が伏見宮家や閑院宮家の創設、ウラ天皇の意義があるのではないかとする所以ですが、同書には次のような記述があります。

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 さる筋から仄聞した「法親王ネットワーク」とは、この宮門跡のネットワークと考えられます。法親王とはいかにも仏教めいた呼称ですが、國體(国体)上最高の国家シャーマンたる天皇の血を享(う)けた以上、法親王の本質は古神道系ないし神仏集合系のシャーマンで、古神道の主流が山岳信仰であることを鑑みると、その実体はむしろ修験道に近いのではないかと思われます。
 修験道は、森羅万象に神霊が宿ると考える山岳信仰を中核とした古神道と密教とが習合し、さらに道教・陰陽道を加えた日本独特の宗教とされています。(p195)
***********************************

この日本独特の宗教の成立を、「競わず争わず」にあるとすると、様々なものが習合するのは、なるほどと思うところがあります。相曾氏はスサノヲ系をユダヤとしますから、そこにも納得するものがあります。

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 その後、対数の発見により、いわゆる自然対数の底と称するネイピア数(e)などの無理数ないし超越数が発見されましたが、これらの数理定数こそ「自然」ないし「宇宙」の本質を示すものですから、これを理解することは「自然」に対する崇拝を意味し、またこれを活用することは数理科学を意味します。
(中略)
 もし夫(そ)れこれをしも数理科学系シャーマニズムと呼ぶのであれば、これこそ正に太古から続く日本列島文明の根本でその本質なのです。古来日本文明が拠り所とする柱が、数学定数と並んで山岳信仰であったことは「落合秘史シリーズ」の随所で説明いたしますが、この両者はともに自然に対する合理性の崇敬精神として日本社会の根本にあり、その活用が日本経済の根底たる「ものつくり」を支えているのです。(p201)
***********************************

「これらの数理定数こそ」、「自然」であって、「宇宙」の本質を示すものであって、『これを理解することは「自然」に対する崇拝を意味』するというのですから、私はこういう表現にはシビレます。「古来日本文明が拠り所とする柱が、数学定数と並んで山岳信仰であったこと」とうのも頷けるものがありますし、「この両者はともに自然に対する合理性の崇敬精神として日本社会の根本にあり」というのも凄い表現で、宗教というと胡散臭く一方的な拒絶反応にあってしまいますが、日本人としての自然な信仰心を上手く表現していると思います。その「自然に対する合理性の崇敬精神」の発露が、『日本経済の根底たる「ものつくり」を支えている』というのですから、納得です。戦後の宗教に対する拒絶反応の形成は、『日本経済の根底たる「ものつくり」を支えている』という構造を破壊させようとしている意志が働いているものではないのかと勘ぐりたくもなります。

192:サムライ:

2013/11/14 (Thu) 16:24:17

host:*.t-com.ne.jp
馬之介さん、こんにちは、ここ数日寒くなってきました。一昨日から石油ストーブを出し、早朝は焚くようになりました。僅か1ヶ月前の十月上旬、30℃を超す真夏日があったというのに、1ヶ月もしないうちに真冬の気候に…。お互いに健康だけは注意しませう。


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 イエズス会の狙いは、秀吉が純粋神道の吉田神道で祀られれば、山王一実ないし両部神道を奉ずる密教勢力との間に軋轢(あつれき)が生ずることを期したものですから、これを祓(はら)う(避ける)ために、家康は、吉田神道で固まった京都を去り、山王一実神道を奉じて関東へ移住することを命ぜられ、江戸の地に日枝山王神社を建てて京都の吉田神道と棲み分けることにしました。これで、伏見殿は、大阪城を西ローマ帝国、江戸城を東ローマ帝国と見立てて、自らはローマ教皇を以(もっ)て任じたそうです。(p178)
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引用ありがとうございました。近く、『国際ウラ天皇と数理系シャーマニズム』のp178前後を再読し、イエズス会と吉田神道について追求してみたいと思います。

それに関連して、やはり気になるのは園田義明氏の著した『隠された皇室人脈 憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?』(講談社)です。この本をまほろば会の皆さんに紹介したところ、一部の道友の関心を引き、現在池袋の「みち」編集部の書庫に置いてあります。

それと関連して、同氏の「『隠されたクスノキと楠木正成(一)~(完)』
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200516.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/2005181.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/2005201.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200523.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200526.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200530.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200603.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200608.htm

現在、稲村公望さんが『みち』でタブノキを取り上げておられますが、そのあたりとも関連させながら上記ウエブ記事を再読してみたいと思います。。


***********************************
 それにしても、切支丹布教さえ解禁になるご時世なのに、この時の修験道の禁止はいかにも納得のいきかねる措置なので、その意味を知ろうと「さる筋」を叩いたところ、即座に、「修験は明治維新以後、世界中の高山地帯に分散した」と呟きました。
***********************************

この行読むと、現在放映中のNHKの八重の桜を思い出します。廃仏毀釈旋風が巻き起こった明治初年以降、京都にキリスト教系の同志社英学校を興した新島襄とは何者だったのかと思いつつ、テレビを眺めています。しかし、夏に放映された会津戦争のシーンを最後に、現在放映されている八重の桜はあまり面白くありません。そのあたりの理由の一つが、前半は孝明天皇と松平容保を描いていたのに、後半は明治天皇が全く登場しません。このあたり、『国際ウラ天皇と数理系シャーマニズム』の表紙裏にある、「さる筋、かく語りき」を思い出します。

「日本史は必ず天皇を書かねばならぬもので、天皇周辺の人物・事情をいくら書いても歴史とはいわぬ」

なお、内容的にはファンタジータッチですが、思うことがあってビッグコミックオリジナルに連載中の「兵馬の旗」を紹介しました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-404.html


今回はこの辺で…
191:馬之助 :

2013/11/10 (Sun) 18:17:45

host:*.au-net.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


>飯山さんのように太陽を直視するという荒行を、今までにやったことがありますでしょうか。もし、やったことがあるのであれば、是非経過をお知らせください。

私の行なっているのは日拝で、「太陽を直視するという荒行」ではありません(というか、荒行をする勇気は私にはありません)。相曾氏の云われる古神道の作法を同氏の著作やDVDを参考にして実践していますので、「太陽を直視するという荒行」とは少し違うのではないかと思います。一応古神道の作法に則って、手を翳していますし、呼吸法も伴っています。言霊といいますか、太陽の神名を響かせて、それを臍下胆田に降ろすように心がけています。健康に特化(といいますか、矮小化?)したものではないので、参考になるかどうかは分かりませんが、体調はいいです。ヨガや気功をやっていた時よりも、臍下胆田は充実していてうっかりするとズボンのチャックが自然に下がってしまいます(単なる中年太りかも知れませんが…)。


>しかし、まさに平成の堀川政略が密かに進められていると思います。尤も、百年以上が経ってから次の〝落合莞爾〟が登場して明らかにしてくれるのでしょう。

私もそう思います。ですから、余り詮索しない方がいいのかも知れませんが、「百年以上が経ってから次の〝落合莞爾〟が登場して明らかにしてくれる」類のものでしょうから、私が詮索(というか、希望をそこに見ようとしているのですが…)したところで、なんの問題も生じないでしょう。特に落合氏の『国際ウラ天皇と数理系シャーマニズム』を読みますと、そういった意味で同書は、私には未来を見通す希望の書のように受け取ることができると思います。前回、次のように書きましたが、「みち」の最新号(11月1日発行)の深層潮流に、何が「崩壊に瀕し」「対応できない」のか、その一端を見ることができのではないかと思います、それ故に、サムライさんが云われるように「まさに平成の堀川政略が密かに進められている」と思う訳です。


>「本当の問題は、貨幣経済の浸透により商品経済が伸張し、流通・商工業者による資本蓄積が始まって金融業が生まれるなど、日本社会の経済的構造が変化しつつある状況それ自体にありました。つまり、古来の律令制度は言うに及ばず、摂関公家による荘園制も崩壊に瀕し、新興の武士による幕府政体ですら対応できない時代に差し掛かったことにあります。」(p55)

とあります。実際に現在、何が進行しているのかは見えてきませんが、現実に「崩壊に瀕し」ているものは少なからずあるようですし、「対応できない」ものも多くあるようですから、それらを透かし見ることはできるのではないかと愚考します。


で、藤原源太郎氏が『みち』に書かれているのは、

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 ロックフェラーは伝統的に共和党で、オバマはその超党派的な別働隊と見なされてもいる。この視点から見れば、茶会勢力が仕掛け、オバマが強気な姿勢を貫いて当座の米デフォルトを暫定的に回避したのも、次なる戦略を想定しての茶番劇だと見なすことができる。ロックフェラーが目論む多極主義は、クリントン二期政権以来、米政治を乗っ取ったユダヤ系主導の米一極主義の根本的な修正である。すなわち、潜在的な反ユダヤ主義である。(中略)
 一連の動きはブレトン・ウッズ体制の維持がもは不可能になっている現状を浮き彫りにしている。同時に、中央銀行制度の維持もまた不可能になっていることが暗示されている。すなわち、世界の金融市場に君臨し統括してきたロスチャイルド帝国の権威と存続が危ぶまれているのだ。
 ロックフェラーが黒人のオバマを大統領に選出したのも、ロスチャイルド系勢力との全面対決を想定したうえでのことである。その最終的な標的は、連邦準備制度(FRB)の改編、すなわち,実質的な解体であろう。
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ところで、落合氏の『国際ウラ天皇と数理系シャーマニズム』には、イエズス会が吉田神道に侵入したことや、それをどのように祓ったかも詳細に書かれてありますね(p178前後)。長くなるので、ほんの一部を引用しますと、

***********************************
 イエズス会の狙いは、秀吉が純粋神道の吉田神道で祀られれば、山王一実ないし両部神道を奉ずる密教勢力との間に軋轢(あつれき)が生ずることを期したものですから、これを祓(はら)う(避ける)ために、家康は、吉田神道で固まった京都を去り、山王一実神道を奉じて関東へ移住することを命ぜられ、江戸の地に日枝山王神社を建てて京都の吉田神道と棲み分けることにしました。これで、伏見殿は、大阪城を西ローマ帝国、江戸城を東ローマ帝国と見立てて、自らはローマ教皇を以(もっ)て任じたそうです。(p178)
***********************************

そのうえで、家康が薨去するやその神号を権現号とすることで、

「家康が権現号を以て祀られたと観るや、天下の大勢は一斉に山王一実神道に靡(なび)き、吉田神道は一時見る影もなく衰退します。これが不遜を取り除いた結果なのです。」(p179)

ということです。
しかし、イエズス会の侵入は繰り返され、明治に入って修験禁止令で修験道そのものが廃止されるのですが、このことに関しては次のようにあります。

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 それにしても、切支丹布教さえ解禁になるご時世なのに、この時の修験道の禁止はいかにも納得のいきかねる措置なので、その意味を知ろうと「さる筋」を叩いたところ、即座に、「修験は明治維新以後、世界中の高山地帯に分散した」と呟きました。
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この記述によって、私には藤原源太郎氏が『みち』に書かれていることが、なるほどと思えるのです。


>ところで、飯山一郎さんのホームページを人が読めば、福島原発のため日本は完全に終わったという気持ちになることでしょう。

福島原発や放射能のことはいつまでたっても明確になりませんので、最悪を想定して免疫を高める努力は飯山氏の乳酸菌を参考にさせて戴いていますが、放射能騒ぎのウラにはなにかあると思っています。しかし、「日本中で最も世界情報に通じていたのは、天皇(ないし上皇)でした。これは幕末に限らず、室町時代以来江戸時代を通じてのことで、その後も明治・大正の時代は固(もと)より、昭和平成の今日まで一貫して謂えることなのです。」(p53)ということですから、そちらを参考にしたいと思います。そういう意味でも、落合氏の著作は希望を与えられます。


190:サムライ:

2013/11/07 (Thu) 16:49:47

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、


> 最近、日拝をすると「大御心」とでもいいようのないものを意識するようになりました。

日拝を実践しておられる馬之介さんに、一度聞いてみたいと思っていたことがあります。飯山さんのように太陽を直視するという荒行を、今までにやったことがありますでしょうか。もし、やったことがあるのであれば、是非経過をお知らせください。

相曾先生のビデオは途中まで観たのですが、その間に「男はつらいよ」、木下恵介監督や小津安二郎監督の作品を見始めてしまったので、暫く先になりそうです…^^;


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因(ちなみ)みに、「日本史はかならず天皇を書かねばならぬもので、天皇周辺の人物・事情をいくら書いても歴史とは云わぬ」と仄聞(そくぶん)しました。そういう意味で「少なくとも南北朝時代以後について、歴史書と呼べるものは、まだ存在していない」そうです。(p30)
***********************************

これは、さる筋が落合さんに語ったことですね。『南北朝こそ日本の機密』表紙裏に書いてありました。


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 外事というものはいつの時代でも機密ですから、その要衝に当る者は一般国民から見ると何をしているか想像すらできません。勢い偏見を以て(もっ)眺められ、不当な批判を浴びせられることが常ですが、これに耐え得る精神力は、到底一、二世代では獲得できるものではなく、また世俗的地位が保証されていないと、維持できるものでもありません。
 方今(ほうこん)、蒙昧(もうまい)無知な言論人が皇室に対して失当な批判をする例が増え、あるいは国際勢力に踊らされた宗教学者風情が、実情の片鱗すら知らぬくせに、家族問題に仮託して不遜の提言を成す例もありますが、その背後に国論の分裂を謀(はか)るワンワールド反日派の工作があるのが当然です。いかに優秀な個人であろうと、職業人の場合は、まず世間での足場を外さないための努力が必要ですから、そんなことに日常のエネルギーの半分を取られてしまえば、職務を全うすることは不可能です。(p38)
***********************************

落合さんの『南北朝こそ日本の機密』は、一度目を通しただけで、早めに再読してアマゾンにレビューを思っていたのですが、日々の仕事にエネルギーの半分以上を取られている身なので、これも暫く後になりそうです。

しかし、まさに平成の堀川政略が密かに進められている思います。尤も、百年以上が経ってから次の〝落合莞爾〟が登場して明らかにしてくれるのでしょう。その頃には、我々はもうこの世には居ません…。それから、「国際勢力に踊らされた宗教学者風情」は誰のことを指しているのか一目瞭然ですが、なかなか落合さんも厳しいことを仰る。

ところで、飯山一郎さんのホームページを人が読めば、福島原発のため日本は完全に終わったという気持ちになることでしょう。飯山さんが仰せのように、ツランという観点からシベリアへの移住も魅力がありますが、若い頃に長年海外での生活を体験した者でなければ無理です。逆に言えば、日本の若者に是非世界に飛び出して欲しいと願っています。


> 天皇を書いて、日本史を語る中で、私たちに見えないものが見え始めているようで、今後が興味津々です。

小生も次の本を楽しみにしておりますが、その前に、『トンデモニセ天皇の世界』(原田実著 文芸社)に目を通しておかなければなりません。この本では落合さんの本を批判していますので、一度読んでおきたいと思って取り寄せたのですが、当面は読む余裕がなさそうです。
189:馬之助 :

2013/11/03 (Sun) 18:49:38

host:*.au-net.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


そろそろ、年賀状の準備をしなければと思い、日拝をする場所で、その候補になるかと写真を撮ってみました。その時には気付かなかったのですが、しばらくして映像をパソコン上で見てみますと、太陽の周囲に光るものがひとつ写り込んでいるのに気付きました。拡大してみて太陽の光線がレンズに反射するなどして写ったのだろうと思ったのですが、その時三枚写したそれぞれの写真にその光のようなものは刻々と場所を変えて写り込んでいますので、そうではないのかも知れません(ここに画像を添付しておきますが、操作が上手くいかないで添付できないかも知れません…)。
私は、ちっぽけな人間ですから、科学的に分かっていることでも知らないことの方が多く、また自然の現象は科学の理解より大きいものだと漠然と思っているので、当面は「分からない」というカテゴリーに入れて納得しておくことにしておきます。

余談ですが、最近、日拝をすると「大御心」とでもいいようのないものを意識するようになりました。それが何か?までは分かりませんが、「大御心」であれば、それが何かなんて、私には知る必要のないものかもしれません。そこに安心をおくことで十分なのかも知れませんね。古事記の序に、「日月(じつげつ)目(め)を洗(あら)ふに彰(あらは)れ」「神祇(じんぎ)身(み)を滌(すす)ぐに呈(あらは)る」とありますから、日拝を続けて、禊祓いを徹底していくしかないのかも知れませんね。また「烟(けむり)を望(のぞ)みて黎元(れいげん)を撫(な)でたまふ」ともありますから、竃に火を絶やさないように心がけるのが肝心なことかも知れません。

科学が進歩(これも考えてみると妙な表現ですね)すると、自らを神のような存在と思い込んでそれにも気づかない科学者その他が出て来るようですが、ネットの発達で真実を知っている(?)と思い込んでいる一般人も増えているようです。現代では、全てが分かって当然で(それは恐らくネットの発達による!)、それが分からない人間は、どうやら罵倒しも構わないようですが、分からないものは、分からないとしておくと生きるのが楽なように思います。こういうと、覚醒していないとか言われそうですが…。

落合氏の『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』に以下のような一文があり、考えさせられました。

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因(ちなみ)みに、「日本史はかならず天皇を書かねばならぬもので、天皇周辺の人物・事情をいくら書いても歴史とは云わぬ」と仄聞(そくぶん)しました。そういう意味で「少なくとも南北朝時代以後について、歴史書と呼べるものは、まだ存在していない」そうです。(p30)
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現在、園遊会の件で、騒がしくなっているようですが、「自らを神のような存在と思い込んでそれにも気づかない科学者その他」と「ネットの発達で真実を知っている(?)と思い込んでいる一般人」などばかりでは、攻守ともに神格と人格の区別に思いが至る訳もないようですから、騒がしいばかりで収拾の着かないことになりそうですね。誰かが、政治利用されとばっちりを喰ってお開きというのが予定調和的に行なわれて、印象に残っていくのは、恐らく、「などてすめろぎは人となりたまいし」というところでしょうか。すかさず皇太子が慰問に行かれたと言うニュースがでましたが、必要なのはこういうことのようで、まさに「烟(けむり)を望(のぞ)みて黎元(れいげん)を撫(な)でたまふ」ですね。

落合氏の同書にこのようにあります。

***********************************
 外事というものはいつの時代でも機密ですから、その要衝に当る者は一般国民から見ると何をしているか想像すらできません。勢い偏見を以て(もっ)眺められ、不当な批判を浴びせられることが常ですが、これに耐え得る精神力は、到底一、二世代では獲得できるものではなく、また世俗的地位が保証されていないと、維持できるものでもありません。
 方今(ほうこん)、蒙昧(もうまい)無知な言論人が皇室に対して失当な批判をする例が増え、あるいは国際勢力に踊らされた宗教学者風情が、実情の片鱗すら知らぬくせに、家族問題に仮託して不遜の提言を成す例もありますが、その背後に国論の分裂を謀(はか)るワンワールド反日派の工作があるのが当然です。いかに優秀な個人であろうと、職業人の場合は、まず世間での足場を外さないための努力が必要ですから、そんなことに日常のエネルギーの半分を取られてしまえば、職務を全うすることは不可能です。(p38)
***********************************

云われてみると、納得で、当たり前のことすぎて寧ろそれが盲点になっているのかも知れません。政治家は、本質的に外事に向かないということでしょうし、きょうびの官僚こそ「世間での足場を外さないための努力が必要」なように見受けられてしまいます。ほとんどの人が、職業人ですから、「そんなことに日常のエネルギーの半分を取られてしまえば、職務を全うすることは不可能です」というのに、返す言葉もありません。そんな中で、私は、断言口調で語られるものには違和感を感じないではいられません。そこには使命というか、どこかからの司令を感じてしまうからです。

廃炉に、1炉1兆円かかるそうで、それが日本国内で54炉あるから、54兆円。それがそのままロスチャイルドに流れるとかいう話のようですから、それには様々な手続きがいるようです。

落合氏の『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』には次のような表現もあります。

「日本中で最も世界情報に通じていたのは、天皇(ないし上皇)でした。これは幕末に限らず、室町時代以来江戸時代を通じてのことで、その後も明治・大正の時代は固(もと)より、昭和平成の今日まで一貫して謂えることなのです。」(p53)


同書には、「大塔政略」の根本は「荘園史観」から「散所史観」への転換、という見出しもあります。また、別の箇所には、

「本当の問題は、貨幣経済の浸透により商品経済が伸張し、流通・商工業者による資本蓄積が始まって金融業が生まれるなど、日本社会の経済的構造が変化しつつある状況それ自体にありました。つまり、古来の律令制度は言うに及ばず、摂関公家による荘園制も崩壊に瀕し、新興の武士による幕府政体ですら対応できない時代に差し掛かったことにあります。」(p55)

とあります。実際に現在、何が進行しているのかは見えてきませんが、現実に「崩壊に瀕し」ているものは少なからずあるようですし、「対応できない」ものも多くあるようですから、それらを透かし見ることはできるのではないかと愚考します。

落合氏は、「経済社会の金融史的な位相(Phase)が完全に転換した」といいます。天皇を書いて、日本史を語る中で、私たちに見えないものが見え始めているようで、今後が興味津々です。その背後に、「さる筋」というものが存在しているというのも凄いですね。私は神国日本という存在をわくわくして見守っています。
188:サムライ:

2013/11/01 (Fri) 06:10:11

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、お早うございます。茗荷さん、ご無沙汰です。

ススキとセイタカアワダチソウが、中央分離帯で〝共生〟しているのを、見落とすことなく観察しているあたり、流石は茗荷さんです。でも、事故だけは起こさんで欲しいと思った…。以前、拙ブログに栗原さんの家紋講座を、イラストを付けて公開したことがありますが、あれを念頭に互いに今後も植物観察を続け、新たな発見や情報がありましたら、本掲示板上で情報・意見交換をしていきましょう。なお、以下は茗荷さんのブログです。何故か、昔懐かしい由美かおるの写真が…。
http://dakimyouga111111.blog.fc2.com/


> イザベラ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』で、ユダヤ教のラビは次のように云います。

十代の頃はペンダサン氏(山本七平)の『日本人とユダヤ人』と、小田実の『何でも見てやろう』の影響を受け、三年間の世界放浪の旅のきっかけになりました。今回、馬之介さんが取り上げてくれた、『日本人とユダヤ人』の一部を読み、外つ国から入ってくるモノは、時間の経過と共に日本の風土に溶け込んできた歴史を思い出させてくれました。

> 『月刊日本』11月号の、「安倍総理! 民の悲鳴が聞こえぬか!」という亀井静香氏のインタビュー記事(http://gekkan-nippon.com/?p=5763

ふと気が付くと、書架には6年分の『月刊日本』がズラーッと並んでいます。亀井さんには一度『月刊日本』の講演会でお会いしたことがありますが、なかなかの人物でした。爾来、同誌に載る亀井さんの記事に注目しています。

> かつて小泉・竹中内閣の目指した経済社会の市場化は、教科書的には常識ですから私も当初はやや賛同しましたが、その後になって、現実の社会の方が大きく変化して、金融史的な位相(Phase)が変わりつつあるのに気が付きました。つまり、近代社会とは性格の異なる新しい位相の近未来社会が始まろうとしている時に、遅れて駆け付けてきた理念が小泉・竹中氏の市場至上主義だと思います。

本スレッドの何処かで書きましたが、小生も小室直樹博士に指摘されるまでは、規制緩和、市場至上に傾いていました。だから、自著の中で自分の間違いを素直に認める落合さんは凄いと思います。

> 明治維新の一方の担い手が長州藩であったのは偶然ではなく、実にこのことに原因するので、さらに、この地から伊藤博文を始めとし、佐藤甚兵衛の家から兄弟宰相が出るのも、ここに遠因がある。

ネット界隈では田布施云々と騒いでいますが、そんなに騒ぐ必要もなく、回答は上記の落合さんの発言通りでしょう。

> もう一つだけ引用いておきますと、同じ『月刊日本』の「ウォール街が仕掛けた安倍増税」で大手町太郎氏が以下のようにいいます。

大手町さんを囲んでの小人数による親睦会があり、小生も3回ほど末席を汚させて戴きましたが、流石に現役のエコノミストだけに。小生のような素人にも分かりやすく世界の流れを説明してくれました。財政危機にあるアメリカの債務上限期限が来年の2月15日に延期になりましたが、大手町さんはどのような予測を立てているのか、詳しく聞いてみたい気がします。
187:馬之助 :

2013/10/27 (Sun) 21:30:23

host:*.au-net.ne.jp
サムライさん、茗荷さん、こんばんは。

茗荷さんの突然の発生(?)、歓迎いたします。おかげで、「ススキとセイタカアワダチソウのお話」に、より注目することができました。

また、サムライさん、面白い話を紹介いただきありがとうございます。この記事で、特に注目したのが以下の部分です。(ススキとセイタカアワダチソウのお話
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2045.html
)
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ところが近年になって、不思議なことがおこりはじめました。

なるほど「セイタカワダチソウ」は、我が物顔に繁殖したのです。
ところが彼らが根から出す毒素が地中に溜まり、こんどは彼ら自身を滅ぼしはじめたのです。

地中深くにあったススキの根は、セイタカワダチソウの出す毒素を体内に取り込みました。
そして毒素を体内で中和し、セイタカワダチソウたちが自滅をはじめたとき、再び地上に芽を出し始めたのです。

そしてススキは生長し、セイタカワダチソウが荒した土地にふたたび栄養を与え、毒素までも中和し、他の日本古来の植物も生育できるように、土地を改良しはじめたのです。

ススキの群生によって、野原にモグラやミミズも、戻って来ました。
スズムシなどの秋の昆虫も帰って来ました。
そして、秋の風物詩の、おみなえしや、なでしこ、コスモスなども帰って来てくれたのです。
***********************************

これを読んで思い出したのが、イザベラ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』で、ユダヤ教のラビは次のように云います。

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……しかし日本教という宗教は厳として存在する。これは世界で最も強固な宗教である。というのは、その信徒自身すら自覚しえぬまでに完全に浸透しきっているからである。日本教徒を他宗教に改宗さすことが可能だと考える人間がいたら、まさに正気の沙汰(さた)ではない。……禅の公案には何を素材に使っても良いのである。仏典でも、金銅仏でも、猫の首でも、いわしの頭でもよい。もちろん、聖書でもよいのだということを忘れないように。日本人が、聖句を用いて盛んに禅問答をしても、驚いてはならない。そういう人たちは、日本教徒キリスト派といって、聖書の言葉で禅問答をやるのにたけている人びとであるから。……聖書は日本語に訳されており、その訳文がすでに禅的であるが、その読み方・解釈となると、まさに禅である。……そして実にこまったことに、日本教の根本理念を形成する「人間」なるものの定義が、すべて言葉によらず、言外でなされていることである。従って日本教の世界に外国人は絶対に入れないし、外国の宗教も日本には絶対に入れないのである。
***********************************

『月刊日本』11月号の、「安倍総理! 民の悲鳴が聞こえぬか!」という亀井静香氏のインタビュー記事(http://gekkan-nippon.com/?p=5763)に、「安倍総理だって、こんなことをすればどんな結果になるかわかっているんだ。だけども自分ではどうすることもできない。」とありますが、上記の引用や落合氏の本を読んだあとでは、今まで通りの解釈では済みません。同じ11月号に、村田秀男氏がこう述べています(「今なすべきは消費減税だ」から)。「財務省は日本経済ではなく、国際経済のために動いているようにも思える。日本のデフレは日本国民にとっては不都合だが、世界にとっては好都合なのだ。」その落合氏の文章を繰り返し引用しますと、該当する箇所は以下の通りです。

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 ともあれ、日本社会は那須判決によって、また一つ社会主義化が進行しましたが、本来これが日本社会のあるべき姿で、今後はこの方向に進むと思います。ギリシャの救済で国際社会主義化が進み、過払い金返還命令で日本の社会主義化が進んだのです。
 かつて小泉・竹中内閣の目指した経済社会の市場化は、教科書的には常識ですから私も当初はやや賛同しましたが、その後になって、現実の社会の方が大きく変化して、金融史的な位相(Phase)が変わりつつあるのに気が付きました。つまり、近代社会とは性格の異なる新しい位相の近未来社会が始まろうとしている時に、遅れて駆け付けてきた理念が小泉・竹中氏の市場至上主義だと思います。
 世界中で日本だけがゼロ金利を強制されているのは、「アメリカ経済を救い、中国を離陸させるための世界的な緊急避難的措置」であると勝手に判断していた私は、「この緊急避難時期が終われば、現状政策的にゼロにおさえられている預金金利が自然金利の二%に戻ることは確実で、そうなれば消費も復活して日本経済は必ず立ち直る」との所説を月刊誌『新潮45』の誌上に発表してから数年経ちますが、実際には反対側に動きました。
 今思えば赤面の至りです。私は、経済社会の金融史的な位相(Phase)が完全に転換したことに気が付かなかったのです。(p211)
****************
 護良親王の長男で常陸宮と呼ばれた興良親王を始祖とする大室家を田布施に入れたのは、興良の父親の“西大寺”か後代の伏見殿かは今は不詳であるが、当地には西行が全国を周回して創立した佐藤甚兵衛家の一つがあった。“西大寺”ないし伏見殿はこの地の佐藤甚兵衛に大室家を預けたのである。
 明治維新の一方の担い手が長州藩であったのは偶然ではなく、実にこのことに原因するので、さらに、この地から伊藤博文を始めとし、佐藤甚兵衛の家から兄弟宰相が出るのも、ここに遠因がある。
***********************************


>このあたりを「確信」に変えてくれそうなのが、以下の飯山さんのコメントでしょう。



***********

どうやら今月から、中国・ロシア・北朝鮮。この国家グループが、政治的にも、経済的にも、軍事的にも、文化的にも、世界の覇権を握ったようです。

***********

この国家グループに、中国とロシアが同居しているというのが、今の私にはしっくり来ないものがあります。中国は覇権にまだ囚われいるように私には思えて、知らぬ間にロシアはそこを抜けているように思えるのです。ですから、このグループが『覇権』を握ったのであれば、サムライさんの言う通り「>米国一国のデフォルト問題(本当は日本の方がデフォルトの危険性が高いなど…)と捉えるよりも、国際金融秩序が全面崩壊していると捉える方が納得するように思います。」というのが、「確信」に変わるように思います。

長くなりそうなので簡単に言いますと…。

田中宇の国際ニュース解説 無料版 2013年10月22日 http://tanakanews.com/mail/
★中国主導になる世界の原子力産業

このなかで、「今回、私が驚いたのは、それでない。英国のデイビー・エネルギー相が訪中し、 中国の国営企業2社から資本金の半分以上にあたる投資を受け、中国とフランス の技術で、英国内に新たな原子力発電所(南西部のヒンクリーポイント原発)を 建設すると決めたことの方だ。」とあります。その一方で日米は廃炉の方向で動いているということです。

もう一つだけ引用いておきますと、同じ『月刊日本』の「ウォール街が仕掛けた安倍増税」で大手町太郎氏が以下のようにいいます。

***********************************
 こうしたバブルに拍車をかけているのが、米FRBの金融緩和だ。FRBが増刷したドルは大量に中国へ流入しており、取引に占めるドル資金の割合が高い、つまり中国市場はドル依存度が高くなっているのだ。その状況でQE3が縮小されると、中国市場からドル資金が減少する。そうすると市場そのものが縮小し、バブル崩壊のリスクが高まってしまう。そこで中国はアメリカに対して、米国債売却という脅しをかけながらQE3縮小を見合わせろと迫っているのだ。……各国の国民は金融資本に振り回され、生活苦に喘いでいる。ところがその鬱憤は、資本家や政治家ではなく他国民に向けられている。我々はヘイトスピーチではなく共産党宣言を叫ぶべきかもしれない、「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」と。
***********************************

ここにHAARPが加わると、私には、サムライさんが言うように、「里山資本主義」の時代が本当に来るように思えてくるのです。
186:抱き茗荷 :

2013/10/24 (Thu) 22:30:53

host:*.katch.ne.jp
サムライさん、馬之助さんこんばんは、お久しぶりです。

ねずきちさんの仰る通り、ススキはセイタカアワダチソウに負けない性質を持っているようです。
これには私自身の観察(買い物道の中央分離帯)からの気づきであり科学的な根拠はあいにく持ち合わせておりません。

>これは、外来植物セイタカアワダチソウと、日本古来の植物であるススキの話なのですが、
 同記事を読みながらセイタカアワダチソウをキリスト教や仏教、ススキを神道と捉えて読みました。
 仏教がそうであったように、日本に根を下ろしたキリスト教もいずれは日本の土に溶け込んでいく(日本的になる)のではと思った次第です。

共感します。
その観察対象である中央分離帯はススキがセイタカアワダチソウを駆逐することなく共生しており、日本の植物らしさをホッコリと感じていました。

ススキといえば鷹の羽斑を持つタカノハススキというのがありますが、鷹の羽紋と通じるものがあるのでは?と感じつつ、植物観察を継続中です。

以上、何処でも突然生える茗荷でした(割込み失礼致しました…)
185:サムライ:

2013/10/24 (Thu) 07:18:10

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馬之助さん、おはようございます。


> 今回の『みち』はいつもにも増して、読み所満載といった感じです。

過日(10月19日)のまほろば会で、飯山一郎さんと天童竺丸さんが、電話で語り合っている場面を目にしました。その飯山さんが自身のブログで、天童さんのツランに関する記事を紹介しています。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6899.html
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6907.html

このような形で、一人でも多くの人たちに『みち』が注目してもらえるのは嬉しいことですね。


***********************************
……「天下布武」の大義を与え陰に陽に嚮導したのが大儒者清原家(清原枝賢・しげたか)と吉田神道家(吉田兼右・かねみぎ)であったこと、そしてその清原・吉田人脈が早くからイエズス会の工作によってキリシタンに染まっていたという驚愕の真実を明らかにした。
 徳川幕府によって神道の相元締めの任を与えられた吉田神道が実はキリシタンだったという歴史の真実は、誰にしてもにわかには信じがたいに違いない。
***********************************

平成21年12月1日号から平成23年12月15日号にわたって連載された、栗原(茂)さんの『アッシリア文明史論』の後半部でも、イエズス会の正体を余すところなく伝えています。『アッシリア文明史論』は未だ本になっていないので、『みち』のバックナンバーで確認していただくしかないのですが、それを読めばイエズス会が深い爪痕を日本に遺したことが良く分かります。

立花京子『信長と十字架—天下布武の真実を問う』(平成二六年、集英社新書)の題名が示すように、ネットをはじめとする様々な所で信長と十字架の噂は耳にしていました。そして、日本の至る処にイエズス会およびその他キリスト教の痕跡が認められます。

たとえば数年前、上記の栗原さんと道友の林廣さんを車に乗せ、埼玉県飯能市の山奥にある竹寺に案内したことがあります。同寺は明治初期の廃仏毀釈運動を逃れた東日本唯一の寺であり、神仏習合の姿を今でも伝えているのも、山の奥深い所にあったからこそでした。そして、お二人と同寺の境内を歩いていたところ、林さんがキリスト教の痕跡を示す何かを指さし、栗原さんも同意している姿を目にしました。このような所にもキリスト教が…と、非常に驚いたものです。このあたり、キリスト教が瑞穂の国に深く根を下ろしているのが良く分かったものです。

ここで、「ねずさんの ひとりごと」というブログに、非常に興味深い記事がありましたので紹介します。
ススキとセイタカアワダチソウのお話
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2045.html

これは、外来植物セイタカアワダチソウと、日本古来の植物であるススキの話なのですが、同記事を読みながらセイタカアワダチソウをキリスト教や仏教、ススキを神道と捉えて読みました。仏教がそうであったように、日本に根を下ろしたキリスト教もいずれは日本の土に溶け込んでいく(日本的になる)のではと思った次第です。


> 米国一国のデフォルト問題(本当は日本の方がデフォルトの危険性が高いなど…)と捉えるよりも、国際金融秩序が全面崩壊していると捉える方が納得するように思います。

そのあたり、先週のまほろば会で『お金の秘密』(成甲書房)を著した安西(正鷹)さんが、「嘗てゴルバチョフがソ連邦を崩壊させたように、オバマが合衆国を崩壊させるだろう」という話をしていましたが、その言葉からも国際金融秩序が崩壊しつつあることが感じ取れます。したがって、仮に合衆国(近代資本主義)が崩壊した場合、次はどのような時代になるのか…。これについて、個人ブログで簡単に書いてみました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-400.html

上記の記事にも書いた「里山資本主義」の時代が本当に来るのか、これは淡い期待ですが山田洋次監督の「男はつらいよ」が見直されてきているのも、我々の心の奥底で「里山資本主義」のような世界を、無意識に期待しているのかもしれません。このあたりを「確信」に変えてくれそうなのが、以下の飯山さんのコメントでしょう。

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どうやら今月から、中国・ロシア・北朝鮮。この国家グループが、政治的にも、経済的にも、軍事的にも、文化的にも、世界の覇権を握ったようです。
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http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6910.html#more
184:馬之助 :

2013/10/20 (Sun) 21:06:22

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サムライさん、こんばんは。


>それだけに今日あたりお手元に届いた『みち』の巻頭言、「伏見宮人脈探求に向けて」を興味深く読んだことでしょう。


今回の『みち』はいつもにも増して、読み所満載といった感じです。天童氏の「伏見宮人脈探求に向けて」では、以下の文章に感銘を受けました。

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 これまでの維新史観では薩長土肥の軽輩たちがにわかに力を得て維新回天の功績を成し遂げたというおとぎ話のような歴史が巷間に流通しているが、大人になれば、そんな莫迦な話はないと誰しも気づくのが普通である。
●戦乱の世に「天下布武」を掲げて日本全国の統一を果たした英雄が織田信長であったというおとぎ話も巷間に流布している。
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子どもの頃、英雄・織田信長には熱を上げたものですが、私はなかなか大人になりきれないようであります。実際、我が子が二十歳を超え始めて、進学、就職とその歩みを進めていく行く中で、我が身を振り返ってみると大人になりきれない部分を感じないではいられません。その部分が単に普通ではないところなのかと思い始めているところです。その辺りが、日本人に共通する子どもっぽいところなのかもしれません(私だけのことで、日本人に拡げるまでもないことかも知れませんが…)。天童氏は立花京子『信長と十字架—天下布武の真実を問う』(平成二六年、集英社新書)を紹介して、次のように云います。

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……「天下布武」の大義を与え陰に陽に嚮導したのが大儒者清原家(清原枝賢・しげたか)と吉田神道家(吉田兼右・かねみぎ)であったこと、そしてその清原・吉田人脈が早くからイエズス会の工作によってキリシタンに染まっていたという驚愕の真実を明らかにした。
 徳川幕府によって神道の相元締めの任を与えられた吉田神道が実はキリシタンだったという歴史の真実は、誰にしてもにわかには信じがたいに違いない。
***********************************

これには驚愕しないではいられません。早速同書を取り寄せているところですが、『月刊日本』の坪内氏の連載,「明日のサムライたちへ」を読んでいると、そういう匂いを感じないでもありません。ここに登場する人物に、私は大人になり切れない部分を感じてしまうのです。そういう部分は、大人に理解できない部分で、利用しやすい部分でもあり、利用し切れない部分ではないでしょうか。それを本当に生かすのは、人格ではなく神格ではないかと愚考しています。それ故に、枝吉神陽の楠木正成の尊崇運動(禊祓い)があったのであれば納得するものがあります。英雄・楠木正成には大人になり切れない人たちは我を忘れて熱狂しそうです。そこに日本人のどうしようもない特徴があるようで、切っ掛けさえあれば、本来の日本人に簡単に戻ってしまうように思えてなりません。そういう考えの私には、天童氏の巻頭語を締めくくる次の文章には唸らざるを得ませんでした。。

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 網野善彦氏はこの非人の聖域(アジール)としての寺社の役割に注目した歴史家と記憶するが(記憶違いかも知れない)、網野非人史観の盲点はその聖域が政体権力からの聖域ではあっても、國體からの聖域ではありえなかったことを見逃している点にある。なぜなら、聖域そのものといえる國體からの避難所(アジール)などわが日本列島にあり得るはずもなく、聖域性を担保するのが一般的には寺院のもつ宗教性であったとしても、やがていつしか階層的に天皇家へと繋がり却って避難所の聖域性を担保したのが天皇の聖性であったことを、網野氏は認めたくなかったのであろう。
***********************************

大人の持つ子どもっぽさでしょうか。独りよがりで味気ないものを感じてしまいます。
今号では、タイムリーな話題は何と言っても藤原源太郎氏の深層潮流の「米国デフォルト懸念への一考察」でしょう。他で読むことのできない内容で、深く納得するものがあります。その冒頭に次のようにあります。

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●過去数ヶ月間に起きた一連の異変を纏めてみた。これらは第二次世界大戦後の資本主義体制を支えてきたブレトンウッズ国際金融体制以降の構造的な綻びを象徴しており、国際金融秩序が全面崩壊(金融ハルマゲドン勃発)しかねない危険な様相を呈しつつある状況を示唆している。同時に、国際決済銀行BIS
が警告しているように、世界経済もまた世界恐慌に陥る危険な水域に入りつつあることを暗示している。
***********************************

こういう話題も、大人になりきれない私には、英雄伝説と同じように熱くなるところがあるので困ったものです。藤原氏の纏められた一連の異変を見ると、米国一国のデフォルト問題(本当は日本の方がデフォルトの危険性が高いなど…)と捉えるよりも、国際金融秩序が全面崩壊していると捉える方が納得するように思います。そして、この論文は次のように閉じられています。

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 米国は一〇月八日に新一〇〇ドル紙幣を発行したが、米関係筋は密かにわが国の関係筋に、新ドル紙幣の信用と権威を担保するように求めている。その担保とは、わが国の皇室のお墨付きを与えることだとされている。
 ……すなわち、世界的な文明の衝突位相にあって、神国日本の存在感が静かに浮き彫りになりつつあるのである。
***********************************


>本来であれば、落合さんは野村證券の社長の椅子に座っていたはずの人でした。
>それだけ想像していた以上に落合秘史シリーズは深いものがありました。

落合氏の経済に関する発言は群を抜いているように思います。その落合氏が皇統についても造詣を深めているのですから、鬼に金棒というか、当面は目を離すことはできないように思います。

183:サムライ:

2013/10/17 (Thu) 16:28:05

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馬之介さん、こんにちは。

今回の馬之介さんは、落合(莞爾)さんの秘史シリーズを中心に取り上げていましたが、それだけに今日あたりお手元に届いた『みち』の巻頭言、「伏見宮人脈探求に向けて」を興味深く読んだことでしょう。

並行して、同号の落合さん本人の筆による「伏見宮と散所商業網 3」の「結核とハンセン病」もありましたが、実はNHKの「八重の桜」と深く関係しています。『現代ビジネス』の「大河ドラマ『八重の桜』に見る「教育は国家百年の計」という言葉の重み」という記事です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37250

この記事に登場する井深八重(ソニーの井深大と親戚関係にあり)は、ハンセン病患者のために尽力した女性で、やはり山本八重と同じ会津藩の出であり、同藩の基礎である「什の掟」を己れの血肉とした人物です。昨今の知識を重視した教育と異なり、教育は国家百年の計という言葉の重みを分かっていた、明治の先達に思いを馳せながら同記事を読んでみるのも良いのではと思います。


********************
 幕末の金流出を、従来の史家は不良外商・外交官によるものと解していましたが、真相は小栗が、不良外人を隠れ蓑にしたものです。何のためかというと、「堀川政略」の基金を作ったので、小栗もとっくに「堀川政略」に加わっていたのです。ともかくここに推定二百八十万両の保字小判が退蔵された、と仮定します。(p240)
********************

本来であれば、落合さんは野村證券の社長の椅子に座っていたはずの人でした。換言すれば、経済について一般には及ばぬほど経済については造詣の深い人であるだけに、上記の発言は重みがあります。


> グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。

小生は慶応大学の高橋信一先生と10年近くにわたり、フルベッキ写真について追求してきました。だから、フルベッキの視点で落合さんの最新本の書評をアマゾンにアップしようと思っていたのですが、なかなか着手できません。それだけ想像していた以上に落合秘史シリーズは深いものがありました。もう少し落合秘史シリーズとフルベッキを纏めたら、アマゾンのカスタマーレビューにアップしたり、個人ブログに記事を書きたいと思っています。ちなみに、以下は旧ブログに書いたフルベッキ関連の記事集。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat4229856/


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 護良親王の長男で常陸宮と呼ばれた興良親王を始祖とする大室家を田布施に入れたのは、興良の父親の“西大寺”か後代の伏見殿かは今は不詳であるが、当地には西行が全国を周回して創立した佐藤甚兵衛家の一つがあった。“西大寺”ないし伏見殿はこの地の佐藤甚兵衛に大室家を預けたのである。
 明治維新の一方の担い手が長州藩であったのは偶然ではなく、実にこのことに原因するので、さらに、この地から伊藤博文を始めとし、佐藤甚兵衛の家から兄弟宰相が出るのも、ここに遠因がある。
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原田実氏が最近、『トンデモ ニセ天皇の世界』(文芸社)という本を書いていますが、かつて同氏の著書で旧ブログ「舎人学校」を、フルベッキ写真と兼ねて紹介してもらっているだけに、批評するのも考えてしまうのですが、「ニセ天皇論」を広く浅く書いている本だけに、突っ込み所が満載の本です。既に、アマゾンのカスタマーレビューで落合さんの関係者でしょうが、かなり鋭い批判がアップされていました。それは、ネオという人の書評で、佐伯祐三真贋事件に関連するものでした。ネオ氏は完膚なまでに『トンデモ ニセ天皇の世界』の原田氏を叩いていました。
http://www.amazon.co.jp/review/R2LUH5ZIVC352S/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4286141926&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

同書はフルベッキ写真についても言及しており、かつ『「フルベッキ群像写真」と明治天皇“すり替え"説のトリック』を著した、斎藤(充功)さんのことも書いていました。同氏とは今週末にお会いするので、原田実氏の『トンデモ ニセ天皇の世界』についてお知らせするつもりです。斉藤さんは「まほろば会」がかなりお気に入りの様子、常連の一人になりそうです。馬之介さんも遠方ですが、一度是非…。

「男はつらいよ」の第1作で満男が生まれ、その満男は最後の第48作では大学を卒業して靴メーカーの営業マンとして登場していたわけですが、その時、満男は寅さんにリリーの前で以下のようなことを言われています。

飯食う時だってお前はな、リリーの横にべったりくっ付いて離れなかったんだぞ。風呂も一緒に入ったんじゃないか?なあ?ポコチンまで一緒に洗ってもらいやがって。
https://twitter.com/futen_tora/status/390643918498316288
182:馬之助 :

2013/10/13 (Sun) 21:39:33

host:*.au-net.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


落合氏の『明治維新の極秘計画』によると、

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 秘密の採鉱技術とは「南蛮吹(なんばんぶき)」で、これにより日本の金銀産出量は大幅に増え、とくに銀の生産が増加します。十六世紀の金銀比価の国際相場は明国(みんこく)で一対九、朝鮮で一対十でしたが、日本では銀増産の結果、国内金銀比価天正年間の一対十から慶長年間には一対十二までになり、銀が割安化しました。このため銀地金(じがね)が明国や欧州に輸出され、代わりに金地金が国内に流入する構造が江戸初期に成立しました。その一方で国産銅地金が金銀を多量に含有したまま輸出されており、これを防止するために江戸幕府は鎖国を宣言しますが、その本音は貿易統制にありました。その後もしばらく金銀の交易が行われたので、東アジア全域では金銀比価が標準化し、一対十三前後に収束します。(p228)
********************
 幕末の金流出を、従来の史家は不良外商・外交官によるものと解していましたが、真相は小栗が、不良外人を隠れ蓑にしたものです。何のためかというと、「堀川政略」の基金を作ったので、小栗もとっくに「堀川政略」に加わっていたのです。ともかくここに推定二百八十万両の保字小判が退蔵された、と仮定します。(p240)
***********************************

とあります。推定二百八十万両がどのくらいの量で、どのくらいの価値なのか想像もつきませんが、巧妙なやり方であることには違いありません。従来の史家はまんまとその片棒を担がされていたようです。敵にも味方にも、その役回りは変わらないのがご愛嬌です。真実は、一般の歴史常識とは正反対のようです(これについては、『みち』の「黒潮文明論」で、稲村公望氏が『日宋貿易と「硫黄の道」』からの引用で、「日本の金を大量に積み込んだ中国商船が盛んに往来していたというような歴史像はとても描けない」としています)。結果、私たちもいいように踊らされているという訳です。これは恐らく、ネットを手にしているという、現代にも言えることではないのでしょうか。

以前に引用した。次の文章を基底のトーンとして上記を読み直してみると、その奥深さに唸るしかありません。

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 前年七月の薩英戦争を切っ掛けとして、英商グラバーが薩藩家老の小松帯刀(たてわき)と藩士五代才介・松本弘安(寺島宗則)と協力して薩藩下士連合を成立せしめ、これを在英ワンワールドの薩摩支部とします。この動きの裏には、伏見宮海外ネットワークの存在が感じられます。
 安政五(一八五八)年に初来日したフランス人シャルル・モンブラン伯爵と、翌六年に来日した宣教師グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。この英商トーマス・ブレーク・グラバーは明らかに在英ワンワールドの使者ですが、加えて伏見宮海外ネットワークの要員と観るべきものと思われます。(『国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者』p255)
***********************************

さらに落合氏は『月刊日本』の十月号の「疑史」で、次のようにいいます。

***********************************
 護良親王の長男で常陸宮と呼ばれた興良親王を始祖とする大室家を田布施に入れたのは、興良の父親の“西大寺”か後代の伏見殿かは今は不詳であるが、当地には西行が全国を周回して創立した佐藤甚兵衛家の一つがあった。“西大寺”ないし伏見殿はこの地の佐藤甚兵衛に大室家を預けたのである。
 明治維新の一方の担い手が長州藩であったのは偶然ではなく、実にこのことに原因するので、さらに、この地から伊藤博文を始めとし、佐藤甚兵衛の家から兄弟宰相が出るのも、ここに遠因がある。
***********************************

大室家と言うのは、明治天皇に入れ替わった大室天皇が出た家のようです。大室家を預けたその佐藤甚兵衛家から宰相が出ているというのですから驚かされます。しかもその佐藤甚兵衛家は、西行が全国を周回して創立したという。引用文の前段に「ここで浮上するのが大内氏の問題である。百済の王子琳聖太子と称して渡来し、上陸した周防国多々良浜に因んだ多々良氏が、山口村大内に居を定めて大内氏を称した大内軍閥は、あたかも今日の中東世界のごとく間断なく流入する新羅・高麗人を吸収しながら、朝鮮半島との交易から得た経済力を近隣地区の武力討伐に回して軍産複合閥となったが、その根拠地の一つが周防国熊毛郡田布施であった」とあります。その奥深くに“西大寺”ないし伏見殿がいるというのですから、やはり唸るしかないですね。一般に陰謀論的に語られるもののように単純ではないようで、そういった話は「従来の史家」の存在と大差ないように思われます。

落合氏はよく洞察という言葉を使いますが、こうなると自らの洞察力の不足を嘆かざるを得ません。現行の安倍内閣をどのように捉えたらいいのでしょうか。私たち一般の者はいつの時代もいいように踊らされるしかないのでしょうか。これも神国日本に生まれた幸せととるべきものでしょうか。


>「男はつらいよ」最後の第48作で、寅さんとリリーが満男を間に挟んで言い争いになるシーンがありましたが、物の見事に寅さんが言い負かされていました。小生も二十代の頃に付き合っていた〝リリー〟と、もし再会すれば、昔同様に遣り込められるのは間違いありません(笑)。

もう遠い記憶になるのですが、寅さんが言い負かされたのは、寅さんは「それを言っちゃあ、おしまいよ」ということは絶対言わないからで、それを平気で口にするのが“リリー”を代表する女性陣(?)のように思います。ですからそれを言わないで言い争いをする寅さんのやさしさは女性には永遠に理解できないのではないでしょうか。現在では相手を言い負かすためにはなんでもいう、しかも男女も問わないようですが、「小生も二十代の頃に付き合っていた〝リリー〟と、もし再会すれば、昔同様に遣り込められるのは間違いありません」と言う台詞がさらりと出てくるサムライさんは、寅さん流の男の美学をお持ちのようです。


>馬之介さん、いつまでも純情な渡世人でいてください。

不起用な私には、小利口な生き方はできないようです。しかも、今生も残りの方が少なくなっているようですから、下手な生き方で、生き恥をさらしつづけるしかないようです。しかし、今回引用した一連の落合氏の文章からすると、未来は当然のこととして、現在も過去も断言口調で言えることなど、それほど多くはないように思います。勝ち組の道を器用に渡って来たとしても、現在立っているところも怪しいものです。やはり寅さんじゃなですが、「それを言っちゃあ、おしまいよ」ということは懐を深く採って、喩え喧嘩に負けるにしても言わないでいたいものです。それを相手が理解しないにしても…。

181:サムライ:

2013/10/10 (Thu) 06:50:04

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ここ数日は真夏を思わせる天候が続いています。秩父や飯能は盆地なので暑さも半端ではありません。その点、海辺の近くに住む馬之介さんは羨ましい。

天童さんがホームページに掲載した最新の巻頭言は、在スペインのひろみ姐さんも注目したようで、近く個人ブログで紹介するとのこと、期待しましょう。ひろみ姐さんも最近の巻頭言に痺れた一人のようです。
http://blog.goo.ne.jp/tres-cerdidos

長谷川三千子先生の『神やぶれたまはず』を入手しましたが、今日から再び仕事に追われるため、読み始めるのは11月中旬あたりからになりそうです。この本を目に通したと思われる「まほろば会」のある道友は、「長谷川さんは日本人のことを考えているが、沖縄人のことは念頭にないようだ」と批判していました。実は、このあたりは佐藤優氏の御母堂の体験とも結びつくのですが、取り敢えず長谷川先生の『神やぶれたまはず』を一読の上,思うところがありましたら個人ブログに感想を書いてみたいと思います。


> いま読み返してみますと、ことのほか新鮮で、新たな発見がある

やはり「まほろば会」の道友から、杉山茂丸を祖父とする、「杉山家三代の物語」を録画したDVDを頂戴し、昨日漸く見ることができました。これは一昨日あたりから読み始めた宮脇昭先生の『森の力』(講談社現代新書)と深く関与することなので、これも今日辺りブログに纏めたいと思います。

それはともかく、杉山茂丸と言えば落合秘史シリーズで重要な役割をしていますね。無論、道友が録画してくれた上記番組では堀川政略に関与した杉山茂丸像について、全く触れていませんでしたが…。

> 寅さんの場合、リリーと出逢ったのは、もう少し年齢を経た頃で、双方ともある程度の分別があって、その年齢設定もまた面白く感じました。ふたりとも世間の荒波を渡って来たにも関わらず純情を保った希有な大人で、その純真が正面から出くわしてしまうとドギマギしてしまう。変な経験則が出て来てそれを思わず引っ込めてしまうところに、こっちは見ながらハラハラしてしまいます。

流石です。このように書けるのも、寅さんとリリーの関係を馬之介さんが理解しているからで、それが可能なのも、寅さんやリリー同様に、馬之介さんは組織に縛られないフリーランスだからだと思います。

「男はつらいよ」最後の第48作で、寅さんとリリーが満男を間に挟んで言い争いになるシーンがありましたが、物の見事に寅さんが言い負かされていました。小生も二十代の頃に付き合っていた〝リリー〟と、もし再会すれば、昔同様に遣り込められるのは間違いありません(笑)。

脱線しましたが、馬之介さん、いつまでも純情な渡世人でいてください。
180:馬之助 :

2013/10/06 (Sun) 18:37:38

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サムライさん、こんばんは。


>天童さんと馬之介さんは馬が合いそうですね。

「神やぶれたまはず」から始まる、天童氏の一連の『みち』巻頭語が、纏めてホームページにアップされています。直近の号の次の表現にも、思わずヤンヤの歓声をあげてしまいました。これにはシビレました。

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●想うに、われわれ日本人は何という信薄き民族であることか! 敗戦と外国軍占領という古今未曾有の危機に際し天皇陛下の御聖断如何によっては日本という国家も日本人という民族もこの地上から消えていたかも知れないのに、一度ならず二度までも天皇陛下に救われながら、少しも陛下の意中を察することなく、占領者に「人間宣言」を強いられてもそれを神々に誓う「現御神宣言」へと高められた神格のお振舞いを理解するどころか、かえって「などてスメロギは人となり給いしか」などと咒詛の言葉を繰り返している。
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>消化不良を起こしまして、落合本をおかゆにして、弱った胃腸を治療しているところです。

全く、同感です。ですから、いま読み返してみますと、ことのほか新鮮で、新たな発見があるようです(情けないことかも知れませんが…)。次の箇所は、初見の際にも足止めを喰らったところなのですが、今回も立ち止まってしまいました。

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 そもそも、我が皇室・皇族そのものに南北の別はありません。南朝皇統は皇族の一部が海人(かいじん)勢力の支持を受けたもので、北朝皇統には騎馬系勢力が背後にいますから、大きく云えば地政学(ちせいがく)的な対立ですが、それは背後勢力に限った話です。婚姻により、母系において南北の別が生じることがありますが、それもその代だけで、次代には南北混淆するのが寧(むし)ろ普通です。問題は当該皇族の意識だけでしょう。(p164)
***********************************

意図的かどうかは分かりませんが、背後勢力と皇統とをゴッチャにして語られることの方が多いので、この辺りは要注意ではないでしょうか。「それもその代だけで、次代には南北混淆するのが寧(むし)ろ普通です」というのも、特に留意すべき点で、偏った情報に惑わされないようにしなければいけませんね。

しかし、落合氏が語っているのは、確かに「背後勢力に限った話」で、皇統の来歴には触れていません。その辺りに不満を感じていたのですが、ということは、神格の来歴を詮索するということそのものが天童氏のいう「『などてスメロギは人となり給いしか』などと咒詛の言葉を繰り返している」ことになり、「想うに、われわれ日本人は何という信薄き民族であることか!」になってしまうのかもしれないと思うようになりました。せめて、そういう来歴を暴いたと得意顔して羞じることがないようにはなりたくないものです。

落合氏の本を読み直していると、最近のオバマ大統領の採っている態度が、ひどく日本的なものに思えるようになりました、

>二十代の頃にリリーのような女と付き合ったことのある小生、今では懐かしい想い出です。

それは、それは、本当に羨ましい思い出ですね。「リリーのような女」は、小説や映画に度々登場しますね。それを実地検分されたとは、重ね重ね、羨ましい。怪しい記憶ですが、私が「リリーのような女」に夢中になったのは、残念ながら虚構の世界でのことで、確か夏目漱石の『三四郎』に登場した美穪子という女性です。「二十代の頃に」というのがミソで、美穪子は自らを「迷羊(ストレイ・シープ)」といいますが、私の場合二十代の頃は「迷羊(ストレイ・シープ)」まっただ中(今も大差ないのですが…)ですからできることならば、「リリーのような女」とその頃に、ふたりして迷いに迷ってみたかったですね。

寅さんの場合、リリーと出逢ったのは、もう少し年齢を経た頃で、双方ともある程度の分別があって、その年齢設定もまた面白く感じました。ふたりとも世間の荒波を渡って来たにも関わらず純情を保った希有な大人で、その純真が正面から出くわしてしまうとドギマギしてしまう。変な経験則が出て来てそれを思わず引っ込めてしまうところに、こっちは見ながらハラハラしてしまいます。シリーズの最後になった作品にも、リリーと寅さんは再会を果たすのですが、念願かなってふたりは生活を共にし始めます(しかし、同衾することを寅さんはしようとしません。純情のゆえというか、思いが強すぎるというか…)。が、寅さん、またフイと、リリーに告げもせず旅に出るのですよね。そこが、寅さんらしいというか、見ていて、胸が透く感じになりました。「『などてスメロギは人となり給いしか』などと咒詛の言葉を繰り返している」ことになり、「想うに、われわれ日本人は何という信薄き民族であることか!」という人には、それ(リリーや寅さんのような純情さ、純真といったようなもの?)がないように私には思われます。リリーや寅さんに惹かれるのは、「ふたりとも世間の荒波を渡って来たにも関わらず純情を保った希有な大人」というところ(妙な分別というか分別との葛藤というか…)で、取り巻きに甘やかされてしまうとそれが無くなっていることを自覚するのが難しくなるのではないでしょうか。

『月刊日本』の九月号の「萬葉集に歌はれた日本の心」で、西宮正貴氏は「和歌はしらべがきはめて重要である。しらべを美しく、声調を整へることによって感動を大きくする働きをしたのが枕詞である。つまり、枕詞は和歌の口誦性・音楽性を高める働きをした。」とあります。いろんな意味で、日本に生まれて
本当によかったと思います。

179:サムライ:

2013/10/03 (Thu) 07:11:56

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、


>現在の世界的な貧富の差を生んだ“敵”に対して、IMF脱退という形で反旗を翻したのが、同じツラン圏のハンガリーであったということは痛快な出来事でした。

リーマンショック以前だったら、ロスチャイルド一族に猛反対され、今のハンガリー政府が転覆していたはずでず。ところが、今回はそうしたことが起こらないということは、IMFや世銀に何等の深謀があるのではと思います。

> 今の流れからは、原発を推進するのには無理があるように思います。

ここへ来て、小泉純一郎が「原発を廃止しよう」と訴えるようになりました。しかし、この男の言うこと真に受けると危ない。そのあたりは、「世相を斬る あいば達也」というブログでも警告しています。
小泉純一郎の「原発ゼロを目指す」の真意 迂闊に賛同出来ない隠れた問題
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/6be157edac64a9159f1787e1f366c73e

。小泉や竹中は、アメリカ共和党ネオコンの走狗なので、必ず裏があると思います。


> 私の三島由紀夫観は世間一般のものと違っていて、どこでも「見解の相違」があって、天童氏の『みち』の巻頭語には喝采しました。

天童さんと馬之介さんは馬が合いそうですね。機会があれば直接話を交わすと良いと思います。尤も、お二人とも多忙なので実現は難しいでしょうが…。

落合(莞爾)さんから時折私信を受け取りますが、行間を読めば誰に指南をしているか、朧気ながらわかります。公の場では書くことはできませんが、誰もが知っている現役の〝政事家〟です。

ともあれ、落合さんの新刊本、再読してアマゾンにカスタマーレビューを書きたいと思っているのですが、天童さんに見事なレビューを書いているので、あれだけのものを書けない小生は流石に躊躇します。

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 前著『金融ワンワールド』で明らかにしたように、ニギハヤヒは、本来古代イスラエル王国で多神教を捨てきれなかった十部族(「失われた十部族」の一つで、アッシリアの虜囚(りょしゅう)から逃れて東遷し、日本で物部(もののべ)氏を称した部族の祖先神のことで、橘氏とは系統が異なります。
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このあたりは落合さん本人の意見を聞きたいですね。まほろば会でも、上記の落合説を巡って色々と意見が出ています。それにしても、以下の馬之介さんの言葉は流石です。


> その橘氏の特徴として、「橘氏女系の特殊性の所以は、(1)橘氏は海洋系シュメルの遺伝子を保っていること、(2)経済種としての橘氏の遺伝子を血統に導入するパイプとなること、ではないかと思います。」(p167)とありますから、南朝の流れを色濃く引きい継いでいる落合氏は、まさに「ある意味では日本経済の指南役ともいうべき人」なのですね。それは落合氏の経歴からも窺うことができます。

落合さんの新刊本か矢継ぎ早に出版されるのは嬉しいことですが、小生、消化不良を起こしまして、落合本をおかゆにして、弱った胃腸を治療しているところです。ある程度回復したら、小生も直接落合さんに質問をぶつけたいと思っています。

話は脱線しますが、馬之介さんは「男はつらいよ」で、浅丘ルリ子演じるリリーの言葉が気に入っているとか書いていましたが、二十代の頃にリリーのような女と付き合ったことのある小生、今では懐かしい想い出です。
178:馬之助 :

2013/09/29 (Sun) 20:57:18

host:*.e-mobile.ne.jp

サムライさん、こんばんは。

>このあたりは直接落合さんに聞いてみては如何でしょうか。

なるほど、そういう方法もありますか。ご教授ありがとうございます。しかし、私の場合、質問にもなりえない、自問のようなところがありますから、しばらくはこのまま読み直して、新著に期待をかけたいところです。それでも、どうしても聞きたいところがありましたら、サムライさんの方法で質問を投げかけてみたいと思います。

>現在の世界的な貧富の差を生んだ“敵”に対して、IMF脱退という形で反旗を翻したのが、同じツラン圏のハンガリーであったということは痛快な出来事でした。

九月十五日発行の『みち』で、藤原源太郎氏が「現在、ハンガリー政府は政府が発行する通貨(政府通貨)で経済を立て直している。(中略)一九三〇年代のドイツ以降、ヨーロッパの主要な国がロスチャイルド家が支配する国際的銀行カルテルの支配から逃れようとすることは無かった。だが、ハンガリーのオルバン政権の選択は驚愕すべき決断で、金融的専制から自由になるための戦いを世界的に拡大させるよう愛国的民族主義者に勇気を与えるものとなるだろう。」と書かれています。正に痛快な出来事です。楽しみな展開と言えるのではないでしょうか。『金融ワンワールド』のあとがきにも次のような表現があります。「結局、信用創造システムの意味が変わり、経済的自由主義が終わって社会主義経済に移行することを意味しているのです。」(p260)

>これはまさに、原子力村の連中の発想そのものです。

同じく『金融ワンワールド』の付章に、さる筋から教わったこととして、「見返りは、HAARP基地をマンハッタンサイズで作って、電磁場の備蓄場とし、全米エネルギー需要のコスト・ゼロの達成と定めた。」(p256)とあります。今の流れからは、原発を推進するのには無理があるように思います。状況とすれば、日本にこそ「エネルギー需要のコスト・ゼロの達成」の環境は整いつつあるように思います。これこそ「社会主義経済」そのものではないでしょうか。

>このあたりは、色々と見解の相違が先日のまほろば会で出ました。

そうでしょう。私の三島由紀夫観は世間一般のものと違っていて、どこでも「見解の相違」があって、天童氏の『みち』の巻頭語には喝采しました。

>落合さんは、ある意味では日本経済の指南役ともいうべき人だと思います。

その落合氏の『明治維新の極秘計画』を今読み直しているところです。そこに、なぜ落合氏が、「ある意味では日本経済の指南役ともいうべき人」なのかが窺える箇所がありましたので、引用しておきます。

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 はるか縄文時代の昔から日本列島に住んでいた種族橘氏は、三世紀頃から陸続として渡来してきた騎馬族の攻撃目標になることを避けるために、橘姓を隠した時代が続いていました。
 元明天皇が県犬養三千代に「以後は橘姓を称すべし」と勅諚(ちょくじょう)したのは、実際には聖武天皇が葛城王(諸兄)に賜姓したのかも知れませんが、「もう大丈夫だから、橘氏にカミングアウトしなさい」との意味と視るべきです。(中略)三千代が最初に仕えた天武天皇は、いみじくも大海人の名が示す通り、海人族の連合による天武王朝を開いたのです。
 それまでの大和朝廷は、数代前から百済色の濃い王朝で、天智天皇まで続きましたが、百済は北方騎馬民の扶余(ふよ)族ですから、何時(いつ)の頃にか来日して皇族に混入したのでしょう。
 しかしながら、橘氏や平氏などの海人族は、軍事的または政治的に劣勢の時期が長く、その時期には、優勢多種族に潜入したり、他種族を偽称することが通例だったのです。
 清和源氏を自称する小笠原氏は本来海人橘氏ですが、騎馬系の攻撃を逃れるため、敢えて騎馬家系の本家を偽称したのです。(p173)
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南朝というのは、日本民族の淵源に関わることなのですね。「もう大丈夫だから、橘氏にカミングアウトしなさい」というのは、恐らく現代に通じることだと思います。落合氏の『南北朝こそ日本の機密』という本の副題が「現皇室は南朝の末裔だ」になっていますから、「もう大丈夫だから、橘氏にカミングアウトしなさい」というのは、意味深ですよね。それが矢継ぎ早に出版されているのが、また面白い。

日本人渡来説を主張する人たちのことが少し分かったように思います。彼らは、「はるか縄文時代の昔から日本列島に住んでいた種族橘氏」のことは、無視したいのでしょうね。そして「三世紀頃から陸続として渡来してきた騎馬族」以降を話題にしたい。そういう意味で文献主義は好都合かも知れません。彼らの、天皇を敬っているようで現皇室や昭和天皇は貶めるような言動も、なるほどと思いました。天武天皇が編纂を命じたのが『古事記』ですから、記紀を偽書扱いするのも納得です。

しかし、次のような表現もありますから、「橘氏とは系統が異な」る橘氏とは、何者なのでしょうか?

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 前著『金融ワンワールド』で明らかにしたように、ニギハヤヒは、本来古代イスラエル王国で多神教を捨てきれなかった十部族(「失われた十部族」の一つで、アッシリアの虜囚(りょしゅう)から逃れて東遷し、日本で物部(もののべ)氏を称した部族の祖先神のことで、橘氏とは系統が異なります。
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(『金融ワンワールド』には、こうあります。「結論をいえば、タチバナ氏はアマベ・モノノベの渡来より遥かに古く日本列島に渡ってきた海人族です。淵源はシュメルのウル都市文明か、ことによってはシュメルの先住ウバイド族かも知れませんが、コスモポリタンの分流であることには間違いありません。」)

その橘氏の特徴として、「橘氏女系の特殊性の所以は、(1)橘氏は海洋系シュメルの遺伝子を保っていること、(2)経済種としての橘氏の遺伝子を血統に導入するパイプとなること、ではないかと思います。」(p167)とありますから、南朝の流れを色濃く引きい継いでいる落合氏は、まさに「ある意味では日本経済の指南役ともいうべき人」なのですね。それは落合氏の経歴からも窺うことができます。

南朝の源泉のように思える橘氏が「経済種」ということですから、ハンガリーを含め、今後の経済の動向が楽しみに思えてきました。

177:サムライ:

2013/09/26 (Thu) 16:24:26

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馬之介さん、こんにちは。


槌田氏の『地球生態学で暮らそう』のご紹介、ありがとうございました。なかなか良いことが書いてありますね。馬之介さんの一神教と多神教とを対比させた捉え方、見事です。

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 これからの人間の生活を考えるとき、もっとも重視しなければならないことは、すでに述べたように、現代社会が科学技術と自由貿易により生態系を破壊し、世界各地を砂漠にしていることである。しかし、この問題を論ずることは政治家にとって利益に結びつかない。したがって、科学者も経済学者もこの問題を論じようとはしない。
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これはまさに、原子力村の連中の発想そのものです。金が儲かれば何をしてもよい、あとは野となれ山となれ、お前ら子孫のことなんか知ったことではない、というのが経済至上主義の安倍(晋三)や経団連の米倉(弘昌)です。

> 要は国家権力を当てにはできないということです。

毎日のように福島原発から大気中に飛散している放射性物質に、国は何の対策も取ってこなかったことからわかるように、もう自分の身は自分で守るしかありません。最近は近くの火葬場も落ち着いてきましたが、少し前まではかなり待ちました。しかし、ホッとするのもつかの間、今まで二年半近くにわたって日本人の体内に蓄積された、放射性物質の影響がじわじわ表面化してくる時期に入りつつあります。


> 槌田氏によるとフーテンの寅さんにその解があるようでした。

寅さんは渡世人だから、選挙なんかに行ったことはないと思いますョ。

ところで、寅さんを演じた渥美清、若い頃は入れ墨を入れようかどうかと迷った一時期があったそうです。渥美清は実際にテキ屋も体験していたのですから、やーさんの世界も詳しいはずです。


> 「余剰食糧はそもそも人力文明の基礎であった」

『月刊日本』を読もうと思っているところです。殊に、今月号は「日本の農業を考える」という興味深いテーマのようです。


> 三島由紀夫の夢をこのように的確に指摘したのは、長谷川さんが初めてではなかろうか。(略)

このあたりは、色々と見解の相違が先日のまほろば会で出ました。

落合さんの『金融ワンワールド』からの以下の引用、忘れていた大事なことを思い出しました。ありがとうございました

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 ともあれ、日本社会は那須判決によって、また一つ社会主義化が進行しましたが、本来これが日本社会のあるべき姿で、今後はこの方向に進むと思います。ギリシャの救済で国際社会主義化が進み、過払い金返還命令で日本の社会主義化が進んだのです。
 かつて小泉・竹中内閣の目指した経済社会の市場化は、教科書的には常識ですから私も当初はやや賛同しましたが、その後になって、現実の社会の方が大きく変化して、金融史的な位相(Phase)が変わりつつあるのに気が付きました。つまり、近代社会とは性格の異なる新しい位相の近未来社会が始まろうとしている時に、遅れて駆け付けてきた理念が小泉・竹中氏の市場至上主義だと思います。
 世界中で日本だけがゼロ金利を強制されているのは、「アメリカ経済を救い、中国を離陸させるための世界的な緊急避難的措置」であると勝手に判断していた私は、「この緊急避難時期が終われば、現状政策的にゼロにおさえられている預金金利が自然金利の二%に戻ることは確実で、そうなれば消費も復活して日本経済は必ず立ち直る」との所説を月刊誌『新潮45』の誌上に発表してから数年経ちますが、実際には反対側に動きました。
 今思えば赤面の至りです。私は、経済社会の金融史的な位相(Phase)が完全に転換したことに気が付かなかったのです。(p211)
***********************************

落合さんは、ある意味では日本経済の指南役ともいうべき人だと思います。そのあたりはここでは書けないものの、栗原(茂)さんから詳しく聞き及んでおります。


> 那須判決というのは、サラ金(消費者金融)業者に対する過払い利息の返還請求権を認めたもの

尾道からは遠いですが、馬之介さんが池袋のまほろば会に参加されることがあれば、サラ金の実態について詳しい道友もいるので、いろいろと興味深いサラ金の世界について語ってくれるはずです。

また、これも栗原さんから聞いた話だと記憶しているのですが、サラ金が返せそうにもない人たちにも平気で貸していた背景に、戸籍謄本のロンダリングがありました。

そういえば、311で亡くなった人たちの戸籍が、闇で売買されているという記事をネットで読みましたが、さもありなんと思った次第です。
176:馬之助 :

2013/09/22 (Sun) 22:24:54

host:*.e-mobile.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


>槌田氏は「日本は勿論世界にとって、最大の幸福というべきでしょう」というのが、なぜなのかという部分をエントロピー理論で解き明かしてくれています。

その話を続けます。「『地球生態学』で暮らそう」からの引用が重なって恐縮
ですがお付き合い願います。この話が、落合氏の『金融ワンワールド』と微妙に重なっているように思えるところが不思議です。まずは、槌田氏から…。

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 ヨーロッパの人々は、「人間は悪い動物だ」という。彼らは過去においては自国の環境を破壊し、近年では元植民地の環境を徹底的に破壊することで自国の環境を維持してきた。その結果が森林率に現れている。日本では66%であるがヨーロッパでは30%以下で、元植民地では現在どんどん下がっている。そこで、彼らは「悪いことをしてはいけない。よいことをしよう」と善意の環境保護活動を呼びかけることになるが、その呼びかけは成功していない。無理があるからである。
 しかし、日本人は、人間を悪い動物とは考えていない。自国の自然が今も豊かなので、別に環境をよくしなければならない理由はない。一部の人々は、ヨーロッパの人々の呼びかけに応えようとするが、多くの人々は「なんとかなるさ」と気楽に考え、これに応ずるふりをしているだけである。
 日本の自然が豊かなのは、すでにのべたように祖先の行動が自然の循環と適応していたからである。祖先は悪意もなければ善意もなく、ただ自分たちの生活をよくしたいという欲望のまま行動したことがよい結果をもたらしたのである。
 これを単なる偶然と考えるべきではない。他の生物がやっていることと同じことを人間もする。それがヒトとして「よい生活をする」ということであると気づけばよいのである。つまり、草食動物が野原で食事し、そこに糞尿をばらまくように、人間も自然から資源を得て、廃棄物を自然にそのまま還す。このことを基本とすればよいのである。
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自然を克服する、自然の上に人が立つという欧米人の基本的な姿勢(お大袈裟にいえば一神教)が垣間見られますが、「他の生物がやっていることと同じことを人間もする。それがヒトとして『よい生活をする』ということであると気づけばよいのである」というのは、あまりにも日本的なもの(大袈裟にいえば多神教)で、現代の日本人も忘れていることではないでしょうか。「よい生活をする」の「よい」とは自らもふくまれる生態系(究極の公)にとって「よい」ということのようですが、知らないうちに競争原理(究極の私)が滑り込んでしまっているように思えます。


>当時、浅学非才の爲、規制緩和が日本にとって良い事なのかどうか、判断が付かなかったサムライでした。そのため、ただ漠然と競争原理(規制緩和)を導入することは良い事だと、単純に考えていたにすぎませんでした。

もうすでに競争原理の下地が整っていたので、しようがないのではないでしょうか。私も同様で、「競争原理(規制緩和)を導入することは良い事だと、単純に考えていた」口ですが、今から思えば、このころから積極的に情報を求めるようになりました。

槌田氏の話に戻ります。

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 これからの人間の生活を考えるとき、もっとも重視しなければならないことは、すでに述べたように、現代社会が科学技術と自由貿易により生態系を破壊し、世界各地を砂漠にしていることである。しかし、この問題を論ずることは政治家にとって利益に結びつかない。したがって、科学者も経済学者もこの問題を論じようとはしない。
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要は国家権力を当てにはできないということです。それでも一票を投じるようにテレビの報道番組とやらはいいますが…。ではどうすればいいのかというと、槌田氏によるとフーテンの寅さんにその解があるようでした。(ところで寅さん、選挙に行ったことはあるのでしょうか。)

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……半農に対して全農、つまり専業農家の問題である。実は、これはしてはいけないことである。この専業農家で生ずる余剰食糧はそもそも人力文明の基礎であった。これにより国家権力が成立し、農業は支配されることになった。
 各家族が自分たちに必要な食糧だけを生産して、飢餓用に保存する食糧以外の残りの余剰生産物は収穫せず、翌年のための肥料として田畑に残しておけばよい。食糧に余剰が出そうなら農地を手放し、働かないことである。これが国家権力に協力しない方法である。
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「余剰食糧はそもそも人力文明の基礎であった」の「人力文明」というのが面白い表現です。「これにより国家権力が成立し、農業は支配されることになった」、この辺りからもう既に踊らされているようです。その下地としての一神教でしょうか。私たちは自然を利用して余剰生産物ばかり(ということは、支配されること)を追い求めます。ところが「食糧に余剰が出そうなら農地を手放し、働かないことである」というのですから、腹を抱えて嗤う他ないですね。私のところは現在4番目の子どもが大学を目指していますので、余剰の生産物が出ようはずがありません。ということは、自然の循環と適応して上手く行っているということで、不足をいわずに子どもに恵まれたことに感謝しなければならないようです。寅さんは気負うことなく国家権力に協力しない生き方を楽しんでいる(もしかしたら)過激な分子なのかも知れませんね。「他の生物がやっていることと同じことを人間もする。それがヒトとして『よい生活をする』ということであると気づけばよいのである」、これが本来の日本人的(多神教的)な生き方で、政体と國体と分かれているのがしみじみありがたいと思います。

これは「神やぶれたまはず」にも通ずように思います。なに、もとから神は「やぶれたまふ」という表現の対象ではなかったのです。その辺りを痛快に表現したのが、天童氏の『みち』の巻頭語で、こうあります。

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●三島由紀夫の夢をこのように的確に指摘したのは、長谷川さんが初めてではなかろうか。(略)
 まして、日々刻々と深まる国家存亡の危機に、純情な少年たちがその至情のまま自らの死を覚悟したとしても、それは自然の勢いだったと言えよう。
 そこまでは、よい。しかし、その死とともに日本の亡国を望んだとすれば、とんでもない思い上がりであり、不遜傲慢の極みと断じざるを得ない。(略)そうした増上慢を叩き潰すのが大人の役目だったはずである。
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これには思わず喝采を叫びました。と、同時にそういう役目を担えない大人の失われた大義を思わないではいられませんが、この文章は次の言葉で締めくくられています。「それは日本が近代国家として抱えていた欠陥を天皇が超克し、また同時に、敗戦に際してのジレンマをも解決された一瞬であった。その決断が御自身の命と引換えだったことを、われわれはゆめ忘れてはならない。」まさに、致せり尽せりで、泣けてきます。

落合氏の『金融ワンワールド』に次のようにあります。

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 ともあれ、日本社会は那須判決によって、また一つ社会主義化が進行しましたが、本来これが日本社会のあるべき姿で、今後はこの方向に進むと思います。ギリシャの救済で国際社会主義化が進み、過払い金返還命令で日本の社会主義化が進んだのです。
 かつて小泉・竹中内閣の目指した経済社会の市場化は、教科書的には常識ですから私も当初はやや賛同しましたが、その後になって、現実の社会の方が大きく変化して、金融史的な位相(Phase)が変わりつつあるのに気が付きました。つまり、近代社会とは性格の異なる新しい位相の近未来社会が始まろうとしている時に、遅れて駆け付けてきた理念が小泉・竹中氏の市場至上主義だと思います。
 世界中で日本だけがゼロ金利を強制されているのは、「アメリカ経済を救い、中国を離陸させるための世界的な緊急避難的措置」であると勝手に判断していた私は、「この緊急避難時期が終われば、現状政策的にゼロにおさえられている預金金利が自然金利の二%に戻ることは確実で、そうなれば消費も復活して日本経済は必ず立ち直る」との所説を月刊誌『新潮45』の誌上に発表してから数年経ちますが、実際には反対側に動きました。
 今思えば赤面の至りです。私は、経済社会の金融史的な位相(Phase)が完全に転換したことに気が付かなかったのです。(p211)
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那須判決というのは、サラ金(消費者金融)業者に対する過払い利息の返還請求権を認めたものですが、現実の社会では金融史的な位相(Phase)が変わりつつあるとのことです。しかも、「本来これが日本社会のあるべき姿」に変わりつつあるということのようです。「遅れて駆け付けてきた理念が小泉・竹中氏の市場至上主義だ」というのも面白いですが、未だに「アメリカ経済を救い、中国を離陸させるための世界的な緊急避難的措置」という議論は多いと思います。別の箇所には「決して喜んでしたわけではないが、萬(ばん)やむを得ず採用したのです」(p198)とありますから、ワンワールドには、流れが二つあるということでしょうか。金融史的な位相(Phase)が変わりつつあるということには注目ですね。

また、長くなりました。以下の二件は、またの機会にということで…。

>このあたりは直接落合さんに聞いてみては如何でしょうか。

>現在の世界的な貧富の差を生んだ“敵”に対して、IMF脱退という形で反旗を翻したのが、同じツラン圏のハンガリーであったということは痛快な出来事でした。
175:サムライ:

2013/09/20 (Fri) 02:41:58

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馬之介さん、お早うございます。相変わらず本業の方でバタバタしておりまして、今回も短い内容になってしまいますが、お許しください。

最初に、馬之介さんが取り上げてくれた槌田先生の“経済観”については同意します。

> 現代社会の特徴は、富豪と貧乏人の格差が大きすぎるところである。

日本では小泉純一郎と竹中平蔵が規制緩和を導入するまでは、今日ほどの貧富の差はありませんでした。当時、浅学非才の爲、規制緩和が日本にとって良い事なのかどうか、判断が付かなかったサムライでした。そのため、ただ漠然と競争原理(規制緩和)を導入することは良い事だと、単純に考えていたにすぎませんでした。しかし、そうした時期に小室直樹博士にお会いし、規制緩和について色々とお話を伺う機会がありました。そして、「ちょっと待てよ」と小泉・竹中路線に疑問を持つようになった次第です。

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ここで落合氏の「グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。」というのが、また、引っかかって来るのですよね。ロックフェラーは自滅し、ロスチャイルドは忠実な世界王室連合の使用人に戻ることで活路を見出したということでしょうか?そうだとすると、「伏見宮海外ネットワーク」の存在が気になるところです。それで、落合氏の著作を『金融ワンワールド』から読み直しているところですが、二三気になる記述に遭遇しましたので、引用しておきます。
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馬之介さん、このあたりは直接落合さんに聞いてみては如何でしょうか。折角、『みち』でも落合さんの連載が始まり、同誌の愛読者である馬之介さんなら、電話なりまほろば会のメーリングリストなりで直接尋ねることが出来るはずです。是非、やってみてください。小生も落合さんがどのように答えるか楽しみです。

『金融ワンワールド』、小生もそろそろ再読したいなと思っていた矢先でした。“馬が合う”とは、このことですね、馬之介さん。

小生は拙ブログにも書いたように長年プーチンに注目してきました。プーチンはツランの生琉里シベリアで生まれ育った人物です。多分、キルギス人の血が流れていると思いますが、同大統領の柔道観は今の日本人のそれより、遙かに優れたものがあります。そのプーチンの柔道観を如実に示すインタビュー記事を、拙ブログに載せましたので一読ください。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-369.html

最後に、現在の世界的な貧富の差を生んだ“敵”に対して、IMF脱退という形で反旗を翻したのが、同じツラン圏のハンガリーであったということは痛快な出来事でした。ツランは、世界の潮流を解くキーワードの一つだと確信しております。
174:馬之助 :

2013/09/15 (Sun) 18:29:27

host:*.e-mobile.ne.jp

サムライさん、こんばんは。

槌田氏の誰も言わない環境学シリーズ、三作目の「『地球生態学』で暮らそう」を読みました。物理学で語る「古事記」という感じで読みました。ここに金融について上手く纏められている部分がありましたので、引用しておきます。同時にこの部分は、どこにも語られていないところで、私の知りたかったところでもあります。

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 現代社会の特徴は、富豪と貧乏人の格差が大きすぎるところである。
 現代石油文明での富豪の横暴は止まるところがない。彼らは、科学技術により石油に働かせて大量の失業者をつくり、これにより給与水準を引き下げて大儲けした。また、この安い労働力による安い商品を輸出して利益を上げたが、これは諸外国に失業を輸出することを意味する。さらに、商取引の規制を緩和させて、零細商人を駆逐して利益をあげてきた。
 富豪はそのうえ,儲けすぎて使い道のなくなった金銭で投機に走り、株価を釣り上げて小金持を誘い込み、これをカモにして儲け放題であった。小金持たちも株で儲けた利益で商品を買うから、好景気がつづいた。
 しかし、企業の発行する株の総額は企業の資産の範囲内でなければならない。
これ以上の株は投資ではなく、銘柄という虚構に対する投機である。富豪たちはこの投機に走り、株を企業の資産以上に大きく釣り上げ、その株を突然売り抜けて素知らぬ顔をした。残された小金持たちは株価下落で貧困に追いやられ、彼らの需要が消えて不況に突入する。企業は倒産し、大量解雇が始まる。これが2008年の秋に始まった世界的金融危機の姿である。
 ここで大切なことは、不況という現象を損ばかりする現象と誤解してはいけない。経済で損を「する」人がいるということは、必ず同額の得を「した」人がいる。
 経済では時間を越えて取引できるが、現代経済学はこれを隠している。かつての世界大不況(1929年)では、富豪ケネディが不況直前に大量の株を売り抜けて大儲けしたことは常識であろう。そして、現代経済学者たちはこれらの金融危機が富豪の異常な行為の結果であったことを話そうとしない。彼らは富豪の使用人であって、これまでも次々とウソを並べてきた。
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ここでいう富豪は、どこまでをいっているのか不明ですが、富豪もまただれかの使用人であるのではないかと愚考する次第です。「経済で損を『する』人がいるということは、必ず同額の得を『した』人がいる」というところは、なぜか話題になることはありません。「金融危機が富豪の異常な行為の結果であったこと」というのも同様で、特に興味を引かれます。

また、2012年4月30日発刊の落合氏の『金融ワンワールド』は以下の刺激的な表現で始まっています。

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 数世紀に一度の経済構造のカタストロフィ的な変化が、今ここに紛(まぎ)れもなく到来しました。それは「通貨秩序の終焉(しゅうえん)」であります。近世重商主義時代の末期に欧州で誕生した通貨制度が、本位(ほんい)通貨制度から信用通貨制度に進展して現代社会を創(つく)り出しましが、それがたった今、終わったのです。
 この数世紀にわたって地球経済を支配していた通貨制度は、通貨の発行者が創ったものです。通貨は銀行が発行するものですから、銀行が通貨を手段として地球経済を支配してきたわけです。
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富豪が使用人だとすると、上記の世界を到来させるための使用人ではないかと思うのです。で、ここで落合氏の「グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。」というのが、また、引っかかって来るのですよね。ロックフェラーは自滅し、ロスチャイルドは忠実な世界王室連合の使用人に戻ることで活路を見出したということでしょうか?そうだとすると、「伏見宮海外ネットワーク」の存在が気になるところです。それで、落合氏の著作を『金融ワンワールド』から読み直しているところですが、二三気になる記述に遭遇しましたので、引用しておきます。

◎国内の工業設備の過剰を反映して過剰となった国内資本は、当面金利を生みません。そこで金融ワンワールドは、近代以後の世界では珍しいゼロ金利策の強行を決め、平成七(一九九五)年の日本で初めて実行に移しました。目的は、大衆の預金から自然金利を奪うためですが、同時に国債金利も低下しますから、金融ワンワールドも従来のような金利稼ぎができません。……金利は通貨の賃貸料ですが、それが日本ではゼロに近づき、ギリシャなどでは元本に食い込んで実質マイナス金利となりました。こうなったのも、金融ワンワールドによる収奪の過程で、国家間および階層間で富の偏在が進み過ぎたからですが、いずれも金融ワンワールドにとって、金利の意味が無くなりました。これは信用通貨の崩壊、少なくとも変質を意味します。(p038)

「堪へ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」という御言葉が脳裏を過りました。それで、今ここに至って、「神やぶれたまはず」ですから、面白いですね。「知食すというのが、男が女を知るように、同じ思いになること、同じレベルに立つこと、ひとつになることだとすると、天皇は先に待ってるのではないかと思います」という世界をますます感じます。


◎つまり第二種は「看做しユダヤ」でありますが、その中心にヴェネツィア・コスモポリタンがいて、さらにその中心に世界王室連合がいます。日本天皇が太古にシュメルから渡来したことは、欧州王室の夙(つと)にしるところでした。(p083)

◎ウィーン体制の結果成立した欧州連合は、ヴェネツィア・コスモポリタンの中核として太古に分離した同族の日本皇室に参加を求める方針をたてました。(p083)

◎シュメル人は、バビロニアの支配に入る前、すなわち前二〇〇〇年頃(?)にどこかへ移住して、ヴェネツィア・コスモポリタンの先祖になったと考えられます。
 移住民だったシュメル人は、骨格が原住民セム族と異なり民族性が不詳とされていますが、忽然と現れて、文字・天文学・暦法・学校・建築・農業・工業・法律など様々な文明を築いた後に、また突如として消えてしまった謎の民族です。(p097)

この謎の民族を相曾氏は高天原から神払いになったスサノヲというのですから、ロマンを感じないではいられません。

◎マッカーサーの最重要な目的は日本人の一神教化でしたが、これが実現しなかったことは、日本は勿論世界にとって、最大の幸福というべきでしょう。(p105)

引用を重ねると、いよいよ「伏見宮海外ネットワーク」の存在が気になって来ますが、ワンワールドのさらにその深部にそれを存在させられるとするとまさに、「グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です」というところで、今度はツランという存在が気にかかってきます。

槌田氏は「日本は勿論世界にとって、最大の幸福というべきでしょう」というのが、なぜなのかという部分をエントロピー理論で解き明かしてくれています。それは…長くなりしたので、またの機会にということで…。

173:サムライ:

2013/09/12 (Thu) 13:03:06

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馬之介さん、今回西日本を襲ったゲリラ豪雨を凌げた様子、何よりです。



> グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。

その後、拙ブログにフルベッキ写真について取り上げたところ、落合さんが貴重なコメントを寄越してくれました。以下の記事ですが、最後の方に落合さんのコメントが載っています。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-340.html

この投稿でも、落合さんの投稿をアップしておきましょう。

__________
岩倉具視の二人の息子と宇田栗園に折田彦市が写っている以上、原保太郎が写っていなくとも、、構わないのではと思います。原保太郎が移っているとの説は、私が小栗関連説を出す以前に、インターネットを皆がしている際に偶々目にしたのですが、目の悪い私は、一刻も早く画面を離れたくて、文章を読んでいません。しかし、原保太郎説は、私が小栗亡命説を世に出す前に見たのですから、作意はまずありません。小栗亡命説は毎日強化史料が集まってきます。そもそも三井家そのものが伏見宮の配下で、この家から藤堂が出ており、三井組はもともと伏見宮の商事部門だったのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

現在、NHKの大河ドラマ「八重の桜」を初回1月以来、欠かさずに見てきました。最近は、昨年の夏に訪れた同志社大学の風景が番組の終わりに映されるようになり、毎回当時を思い出しながら懐かしく見ています。

落合さんの『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』を読み、京都守護職を拝命した松平容保も登場しますが、やはり〝堀川政略〟の一部始終を知っていたことが分かり、なるほどなと思う次第です。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-37.html


> ですから、最後の御前会議で流した涙も、同じ涙ではありますが、軍部と天皇とではその次元が違うのではないかと思います。

小生もそのように感じています。殊に、最近は『教育勅語の真実』や『明治憲法の真実』といった書籍に目を通してきただけに、一層のことです。


> 「爆撃にたふれゆく民の上をおもひ いくさとめけり身はいかならむとも」「身はいかになるともいくさとめけり ただたふれゆく民をおもいて」という二首

この二首の解釈を巡り、毎月1回は開催されている「まほろば会」でも時折話題になります。殊に、「などてすめろぎは人閒ひととなりたまひし」と述べた、生前の三島由紀夫と森田必勝と交流のあった藤原源太郎さんの話は深いものがあります。その意味で、今後もお二人がどのような発言をするのか、注目していきましょう。


> 十四弁と見た人は居なかったようです。やはり落合氏の洞察力は凄いものだと思います。

確かに、小生も『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』に目を通すまでは、十六弁だとばかり思っていただけに、目から鱗でした。小生の住む街に、家紋の専門家がいます。近く、十四弁について意見を引き出してみたいと思います。
http://blog.livedoor.jp/kiseki612/
172:馬之助 :

2013/09/08 (Sun) 23:07:21

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サムライさん、こんばんは。

>馬之介さんの所は大丈夫そうですか?

毎朝、散歩している道が通行禁止になっていました。崖を削って無理矢理道を付けたような所なので、豪雨によって一部崖崩れがあったようです。しかし、今朝から通行再開となっています。人の手の入った所は、自然の災害には弱いですね。


>グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。

これには驚きですよね。「ワンワールド勢力から日本の開国指導役に任命され、教育担当でもあったフルベッキ」その人が、伏見宮海外ネットワークの要員だというのですから、恐れ入ります。敵を欺くにはまず見方からと言いますが、現実をより注意深く見ていかないといけないようです。私とすれば、『月刊日本』連載中の『「太平記」を読み解く』や『明日サムライたちへ』を、今までの調子では読めないように思います。特に、『「太平記」を読み解く』の著者が優秀な元外交官というのが唸らされます。そして、なぜか、オバマ大統領が天皇に深々とお辞儀をしている写真が思い出されるのです。。


>したがって、次号で明らかにされる「陛下が終戦の詔書に籠められた御決意」、このあたりの天童さんの解説を読んだ上で、馬之介さんなりのご意見を聞かせて戴ければと思います。

『みち』の天童氏の巻頭語「堪へ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キをヲ忍ヒ」を読みました。
二回読んで思い浮かんだことは、私たちは殊に戦争とかいう話になると、勝ち負けというのに拘ってしまうということです。戦争ですから、勝敗に拘らない方がどうにかしている話になるのは当然ですが、その部分に軍部は拘るあまり、天皇の大御心にまでは届かなかったというか、最初からその気はなかったのではないのかと思いました。ですから、最後の御前会議で流した涙も、同じ涙ではありますが、軍部と天皇とではその次元が違うのではないかと思います。その次元の差を埋めようとするのが、長谷川女史であり、天童氏であり、ここまでの歳月ではないのかと愚考する次第です。

大祓祝詞の中に、気にかかる表現があります。「如此依(かくよ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の国中(くになか)と、大倭(おほやまと)日高見之国(ひたかみのくに)を安国(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて、」という表現で、「安国(やすくに)と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ」と終わります。「大倭日高見之国」の前に「四方の国中」というのがあるわけで、それが「安国と平けく知食さむ」となるわけです。知食すというのは、相曾氏によると(いま同書は貸し出し中で、正確な引用はできませんが)、男が女を知るように、同じ思いになること、同じレベルに立つこと、ひとつになることだといいます。夫婦というのは、よく知りたくて夫婦になる訳ですが、知りたくもない、または、知られたくもない、表も裏も見せ、知りながら思いがけず、ひとつになり同じ思いになっていくもののようです。そこには本来勝ち負けはないようです。そこに勝ち負けを差挟むと喧嘩になってしまいます。しかし、先の大戦の相手は勝ち負けを差挟み、有利に喧嘩を運ぶことしか頭にないのです。そうなると、終戦するしかないわけで、「爆撃にたふれゆく民の上をおもひ いくさとめけり身はいかならむとも」「身はいかになるともいくさとめけり ただたふれゆく民をおもいて」という二首になったのではないでしょうか。そこには敗戦という言葉はありません。この大戦を、「知食す」という目的で本当に始めたなら、状況は違っていたかもしれない訳で、状況からみるとそのようではないので、それであれば止めるしかないわけで、皇祖皇宗に対して、また民に対して身を捧げることで、納まりをよくしていったのではないのかと愚考しています。しかし、「グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です」という落合氏の言葉を聞くと、なかなか一筋縄ではいかないようでもあります。

それに、知食すというのが、男が女を知るように、同じ思いになること、同じレベルに立つこと、ひとつになることだとすると、天皇は先に待ってるのではないこと思います。とすると、長谷川女史や天童氏の現今の登場は素晴らしいものだと思います。

>落合さんの新刊『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』では、馬之介の住んでいる場所も登場していましたね。同書のp.203です。

関東からすると地元という感覚になるのかもしれませんが、天童氏と同様、私の住んでいる場所からは少し距離が離れていますが、その墓のことは以前噂に聞いたことがあります。地元の一部では話題になっていたようで、誰の墓か調べた人もいるようですが、菊の御紋というと十六弁と決めつけたようで、十四弁と見た人は居なかったようです。やはり落合氏の洞察力は凄いものだと思います。しかし、その墓、いまだに墓守をする人がいるようです。

171:サムライ:

2013/09/05 (Thu) 07:09:26

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馬之介さん、おはようございます。台風17号から変わった熱帯低気圧で西日本は大雨のようですが、馬之介さんの所は大丈夫そうですか? こちら東日本も今日は不安定な天気で、同じ埼玉県越谷市ではもの凄い竜巻が一昨日発生しました。都内の友人がメールで、サムライの家は大丈夫だったかと聞いてきましたよ(笑)。


ロマノフ・ヴルピック氏は時折『月刊日本』に寄稿しているので、以前から注目していました。未だ、今号の同氏の記事は読んでいませんが、「日本人の精神が大きく変化した契機として、私は占領政策よりもむしろ、池田勇人政権による所得倍増計画が大きいと考えている」という同氏の主張、一つの面白い見解だと思います。

その池田内閣の長期経済計画が策定されたのは1960年でした。つまり、占領から15年が過ぎていたことを考えると、心よりも金を求める新しい日本人像の下地をつくったものこそ、占領軍だったのではないでしょうか。

関連して、原節子が主演した映画「青い山脈」、上映されたのが1949年であるだけに、米軍が許可した映画だというフィルターで改めて同映画を見直すことで、最近は同映画、殊に原節子演ずる島崎雪子に、違和感を持つようになりました。


> グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。

小生は慶応大学の高橋先生と一緒に、フルベッキ写真について旧ブログで色々と発表してきました。最近までは致遠館の学生の集合写真と思っていましたが、落合さんの「東山道鎮撫軍の関係者の集合写真」説に接し、フルベッキ写真の背景を見直すべきだと考えました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat4229856/index.html

落合さんの新刊『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』では、馬之介の住んでいる場所も登場していましたね。同書のp.203です。

__________
備前国深安郡箱田村の細川家は、榎本武揚の父箱田良助(榎本圓兵衛)実家ですが、その墓に刻まれた十四菊紋は何を意味するのか。十六菊紋は承知の皇室の御紋ですし、十二菊紋は民間ではたまに見られますが、十四菊紋は、膨大な千鹿野茂著『日本家系総覧』を被いてみても、伏見宮など数家の親王家以外には見当たりません。

つまり、細川家の墓石に刻まれた十四菊は、ありふれた家紋ではなく、伏見殿から細川家に下賜された家紋なのです。この十四菊の家紋こそ、箱田村細川家が伏見殿配下の数理系シャーマンの一命を担う測量屋筋であったことの動かぬ証拠なのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
馬之介さんの家から、例の十四菊が刻まれた墓石に近いのではないでしょうか。十四菊紋に、上記のような凄い秘密が隠されていたとは…。
170:馬之助 :

2013/09/01 (Sun) 20:33:08

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サムライさん、こんばんは。


>しかし、世の中は相変わらず地球温暖化拙が大勢を占めていますね。

槌田氏は、それをエコファシズムと呼んでいるようです。
燃費のいいハイブリッド車がなぜ石油資本から存在を許されるのか、疑問に思っていましたが、エントロピーの理論で考えれば、結論が導き出せるように思います。

エンジンは、物質の循環があって、空冷、水冷などにより余分なエントロピーを捨てることができるので、エントロピーの増大で活動を停止することのない地球や人体に等しい優れた機関です。一方、バッテリは余分なエントロビーを捨てるような物質循環はないのでエントロピーは増加するだけで、やがて活動を停止してしまいます。その証拠に、5年または5万キロ程度でハイブリッド車のバッテリは交換する必要があるようです。新しいバッテリは交換の手数料は別で本体だけで13万円くらいするようで、これって(放射能の除染と同様に)新たなビジネスになりますよね。その費用を燃費のよくなった分で埋め合わせられるかというとそうでもないようです。バッテリが高価なのは製造過程で電力を多量に消費するからですから、これなら石油資本からクレームがでることはないという訳です(どこでお金を払うのかという問題にすぎません。結局、石油が大量に消費されるのですからエコとはいえません)。太陽光発電と同じからくりです。石油資本が喜ぶものにエコというのはありえません。
ちなみに、我が家の屋根にも、太陽光発電のパネルがのっています(苦笑)。


>このあたりに、『月刊日本』や『みち』の存在価値があるのだと思います。

その『月刊日本』ですが、九月号は天童氏の「神やぶれたまはず」に呼応するかのように、「昭和二十年八月十五日正午」という特集が組まれています。この「昭和二十年八月十五日正午」というのは、長谷川女史の著作『神やぶれたまはず』の副題と同名ですね。『月刊日本』の九月号ですが、京都産業大学名誉教授でイタリア人の、ロマノフ・ヴルピック氏が「大東亜戦争は継続している」というインタビュー記事を寄せています。私はこれに共感を覚えました。その部分を引用させて頂きます。

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……保田にとっての8月15日は、日本精神の不滅性が試される「偉大な敗北」の日であり、日本精神を不滅たらしめるための戦闘開始の日でもあったのです。
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 日本人の精神が大きく変化した契機として、私は占領政策よりもむしろ、池田勇人政権による所得倍増計画が大きいと考えている。
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 しかし所得倍増計画の発表で、国家を上げての目標は経済だということになってしまった。それ以来、日本の政府は、要するに商工会議所の役割程度しか果たさなくなった。国民も「立派な国」ではなく「金持ちの国」を目指すようになった。あそこがひとつの分岐点でしたね。
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>ここ1ヶ月ほどは仕事の締め切りに追われ、それどころではありません。相曾氏や木下恵介監督の作品すら満足に見ていない状態です ^^;

念のため『東京物語』を観てみました。この作品には戦争が大きく陰を落としています。『東京家族』では戦争の代わりとして3.11を持ってきていますが、戦争に比べると弱いように思います。今、ロマノフ氏の記事を読むと、『東京物語』には上記の引用部分がうまく表現されているように思います。庶民とすれば、肉親の死に真正面から向き合うよりも、「立派な国」ではなく「金持ちの国」を目指す方が生きやすいのですね。今まで死と長く向き合っていたことを考えると、致し方のないように感じます。唯一の当事者ともいえる、夫を戦争で失った次男の嫁が義理の父とその部分で心を通わせ、その孤独をぎりぎりのところで共感するのですが、他の兄弟は「金持ちの国」を違和感もなく目指すばかリ…。それが戦後から長い時間を経過した現在になって、「金持ちの国」ではなく、「立派な国」を目指すという(本来の)選択肢のあることに私たちは気付いたのではないでしょうか。


>来月の1日に発行される『巻頭言』で、天童さんが「神やぶれたまはず」の続きを書いています。

残念ながらまだ手元に届いていませんが、その選択肢が「神やぶれたまはず」ではないかと愚考しています。確かに時間がかかってしまったようにも見えますが、致し方ないというか、悠久の大きな流れを感じます。


>また、落合莞爾さんの記事が新連載されることになりました。「洞察日本史」と題するようです。

それは楽しみです。落合氏の新著『国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者』で驚いたのは、以下のくだりです。

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 ワンワールド勢力から日本の開国指導役に任命され、教育担当でもあったフルベッキは、同志となった大隈重信に、日本の進むべき方針を示す草案『ブリーフ・スケッチ』を贈り、大隈が将来海外視察団を組織するための参考に供しました。それを流用したのが岩倉具視で、明治四年(一八七一)年の岩倉遣欧使節団の基礎としました。……つまり、禅楽が伏見宮海外ネットワークを通じてフルベッキを日本に招いたので、招聘の目的は、大きく謂えば開国指導役を任せるためですが、当面は世界青年党思想の招来だったのです。
 フルベッキの相手としては、前面に大隈重信がいて裏側に副島と枝吉がいましたから、ちょうど右に挙げた回路を伝って世界青年党思想が、朝彦親王から禅楽にまで抵抗なく届いたのです。
 文久二年の学習院の運営改革には、フルベッキのもたらした世界青年党革命のあらゆるノウハウが活用されたからこそ、短期間にあれだけの効果を現し、朝彦と会津藩が万端の準備を以(もっ)て鎮火したために、革命の犠牲を極小化できたのです。……この人物は自らが囮(おとり)となって、危険をはらむ新思想の実態調査に当ったのが真相と聞きます。……
*******************
 前年七月の薩英戦争を切っ掛けとして、英商グラバーが薩藩家老の小松帯刀(たてわき)と藩士五代才介・松本弘安(寺島宗則)と協力して薩藩下士連合を成立せしめ、これを在英ワンワールドの薩摩支部とします。この動きの裏には、伏見宮海外ネットワークの存在が感じられます。
 安政五(一八五八)年に初来日したフランス人シャルル・モンブラン伯爵と、翌六年に来日した宣教師グイド・フルベッキは、紛(まが)うかたなく伏見宮海外ネットワークの要員です。この英商トーマス・ブレーク・グラバーは明らかに在英ワンワールドの使者ですが、加えて伏見宮海外ネットワークの要員と観るべきものと思われます。
***********************************

正に国際ウラ天皇と数理系シャーマンの緻密さ深さには驚かされます。

>なお、今回の落合さんの新刊本に天童さんが書評をアマゾンに載せました。

その天童氏の書評の題名が、落合流洞察史観が明らかにする「もう一つの日本」ですから、意味深ですよね。ロマノフ氏は「日本の政府は、要するに商工会議所の役割程度しか果たさなくなった」といっていますが、その辺にも、「神やぶれたまはず」に通じるものがありそうですね。

169:サムライ:

2013/08/29 (Thu) 03:30:09

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馬之介さん、

二階の仕事部屋から外を眺めると、そこには大きな柿の木があり、沢山の実がなっているのが分かります。わずか数日前には葉の勢いも強く、実もあまり成っていないと思っていたのに、ここ数日の涼しさのせいか、俺の仕事も終わったとでも言わんばかり、葉が萎れたような感じになり、その分実が目立つようになりました。確実に季節は移り変わっていくのだなと、実感させられる一瞬です。

> 人間により発生したCO2が大気中に「留まりつづける」ことを心配する必要はまったくない

小生も、やはり槌田氏のホームページで知りました。しかし、世の中は相変わらず地球温暖化拙が大勢を占めていますね。殊に、今年の夏は世界的な酷暑だったので尚更だったと思います。それに関連して、興味深いフラーのお話ありがとうございました。

> 注目すべきところに注目しないで、私たちの興味半分なところに迎合する、またはそのようにリードしていくのが、職業科学者の存在する価値のあるところのようです。注意深く観察するとそのようなことって沢山あるのではないかと思います。

このあたりに、『月刊日本』や『みち』の存在価値があるのだと思います。亀さんのブログに寅さんに登場してもらったのも、そのあたりが理由の一つです。寅さんの連載をきっかけに、「男はつらいよ」を通して見たくなりましたが、ここ1ヶ月ほどは仕事の締め切りに追われ、それどころではありません。相曾氏や木下恵介監督の作品すら満足に見ていない状態です ^^;

> 以上の流れからすると、「神やぶれたまはず」というのは、そういった陣営からすると、面白くないですよね。

そのとおりです。その「神やぶれたまはず」ですが、来月の1日に発行される『巻頭言』で、天童さんが「神やぶれたまはず」の続きを書いています。また、落合莞爾さんの記事が新連載されることになりました。「洞察日本史」と題するようです。その落合さんの秘史シリーズ本に嫌がらせをしてくる投稿が、アマゾンのカスタマーレビューで目立つようになりました。小生もブログに「落合秘史」として新たなカテゴリを設け、落合秘史を応援していきたいと思います。なお、今回の落合さんの新刊本に天童さんが書評をアマゾンに載せました。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A3M67JN9HGLMST?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview
168:馬之助 :

2013/08/25 (Sun) 20:57:22

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サムライさん、こんばんは。


>そのため、真夏の暑さは半端ではありません。

確かに今夏の暑さは例年にないものでした。
向う三軒両隣といいますが、私の住むところは両隣が(畑が間にあるので)100メートル離れていますし、向う三軒に相当する場所には海がありますので、下手に窓を開けたまま寝てしまうと風邪をひいてしまいます。しかしこの夏は窓を開けたまま寝ても大丈夫でした。が、つい二三日前から明け方の清々しさが戻って来たようで、今は窓を締めて寝ています。朝の散歩の時の蝉の鳴き声もメインボーカルはいなくなったようで、コーラス隊だけの少し迫力に欠けるものになっています。

槌田敦氏の『CO2温暖化説は間違っている』を読むと、『結論として、大気中のCO2濃度は、主に気温による海水からの放出で決まる。人間により発生したCO2が大気中に「留まりつづける」ことを心配する必要はまったくない、と断定できる。』そうです。地球環境のスケールは、化石燃料の利用で影響を及ぼせるレベルのものではないようです。化石燃料が地球環境に良くないので原子力をという議論は最初から成立しないようですし、エコとかいって、「地球にやさしく」という発想が自らの傲慢さの現れのような気がします。地球環境に悪影響を及ぼすのは、むしろ「地球にやさしく」という傲慢さに気付かないことにあるように思うのです。

以前、バックミンスター・フラーの研究をフラーの著作の翻訳者であり共同研究者でもあった梶川氏のシナジェチック研究所で学んでいた時、地球環境についてアーヴィン・ラズロとジェームズ・ラブロックとの間で論争があって、その経過を観察していました。ラズロはブダペストクラブを創立した人で、その前身のローマクラブは、フラーが晩年に一人で論争し論破してしまったために、フラーの死後その業績を貶めていった団体で、世界金融資本の理論的裏付けになっている科学者、文化人の団体であり、地球の危機を煽っているのが特徴です。その論争に立ち向かったのがラブロックで、それで梶川氏も関心を持ったのでしょうが、ラブロックは自らを「地球の臨床医」と名のるようになって、どっ白けになってしまいました。それ以後、アーヴィン・ラズロも、ジェームズ・ラブロックも、話題に上ることはなくなってしまいました。

話を戻しますが、では、CO2が温暖化の原因ではないとすると、この暑さはどこからくるのかというと、「地球が過去40数万年間に温暖・寒冷を繰り返す11万年周期はミランコヴィッチ周期とほぼ一致する。このミランコヴィッチ周期とは、地球が太陽の周りを回る公転軌道がたえず変更されていて、その周期が約11万年であることをいう。これにより、太陽活動が一定でも、地球の受ける太陽光の入射量が変わり、気温を決める主要因となっていると思われる。/つまり、地球に入る太陽光の変化で気温が変わり、これによりCO2が増減すると考えるのが合理的である。」また、槌田氏は前書きでこのようにいいます。「しかし、多くの異常気象は自然現象である。この自然現象を人間の手で防ぐことは無理である。」これが、私には正しい科学的態度のように思えます。この言葉は、山浦氏の「放射能が怖くて、酒が飲めるか」という言葉に通じるものだと私は思っています。

では何故、「この自然現象を人間の手で防ぐことは無理である。」ものを、防ぐことが可能なもののようにしようとするのかというと、『第二次大戦(1941〜1945)後、世界の気象学者は一致して、地球の観測を始めることにした。その理由は、それまで各国の気象学者は敵味方にわかれて軍事研究に協力してきたが、戦争が終わって軍事予算の削減が進み、気象学者に失業の心配が生じた。そこで、当時の気温上昇をとらえて、「このままでは、地球は灼熱地獄になる」と気象観測の必要性を政府に訴えたのである。』ということのようです。

また、興味深い記述があったので、以下に紹介します。

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 宇宙のどこかの星に生命が存在するかどうかが話題になっている。そして、タンパク質やDNAの類似物質があるかどうかが論じられている。しかし、生命物質の有無よりも、余分のエントロピーを捨てる物質循環がその星にあるかどうかにこそ注目すべきである。
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注目すべきところに注目しないで、私たちの興味半分なところに迎合する、またはそのようにリードしていくのが、職業科学者の存在する価値のあるところのようです。注意深く観察するとそのようなことって沢山あるのではないかと思います。

以上の流れからすると、「神やぶれたまはず」というのは、そういった陣営からすると、面白くないですよね。


>馬之介さんも亀さん…、じゃなくて寅さんが好きですか?

お察しの通り、私は亀さんも寅さんも好きですよ。

借りてくるビデオがなかった時に、寅さんを借りて帰って観ていると、ドラマ好きの4番目の子どもが面白がったので、続けて何本か観ました。私はリリーと寅さんのやり取りが好きです。


>拙宅の京都の愚息も、帰省するのは年に1回ていどですが、

そのうち、就職が決まったころに。紹介したい女性(ひと)がいると言い出すのではないでしょうか。

167:サムライ:

2013/08/21 (Wed) 15:59:05

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馬之介さんの住んでいるところのように、当地は関東のチベットと呼ばれている関東平野の外れ、秩父山地が目の前に聳えていることもあり、京都のように三方を山で囲まれた盆地です。そのため、真夏の暑さは半端ではありません。だから、エアコンも不要という場所に住んでいる馬之介さん、大変羨ましいです。


> 私も日本実業出版社刊 天皇詔勅選集で、教育勅語を読んでみました

最近、『教育勅語の真実』(伊藤哲夫 致知出版社)という本を読みました。この本は、教育勅語が誕生するまでの秘話が描かれているのですが、同書に登場する中心人物が井上毅です。井上毅が関与したという、大日本帝国憲法,皇室典範,教育勅語について、改めて見直す必要を感じました。特に、井上毅が古事記を重視しているという行を読み、深く感銘しました。いずれ、ブログに古事記および皇室とを絡めて書いてみたいと思います。

> 瀬島龍三

ブログに書きましたが、実父がシベリアに抑留され、当地で亡くなったという人のご子息の山本顕一先生という方がおり、最近テレビに登場していました。その山本が以下のように瀬島龍三を高く評価していました。

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@fibonacci2010 サムライ様、瀬島龍三さんには二度ばかりお目にかかったことがあります。たまわった微笑の目の奥に計り知れないものを秘めておられるご表情が印象的でした。私は父にあの遺書を書かせる決断を下された方として深く恩義に感じております。
*************************

お陰様で、一歩瀬島龍三の実像に近づくことができたように思います。


> 日本の国民的映画と云えば、亀さんではないですが、寅さんシリーズでしょう。

馬之介さんも亀さん…、じゃなくて寅さんが好きですか?

最初は10回、長くても30回程度で佐藤氏の「寅さんのことば」シリーズも終わるだろうと思っていたのですが、もう50回を超えている…。もう乗りかかった船なので、佐藤氏が連載を終える最終回まで続けようと思います。お陰様で、最近は何となく寅さんが乗り移ったような気がするのですが、気のせいかな…。

それから、007シリーズやハリーポッターとの比較、面白いです。ただ、仰せのように生臭いですよね。このあたり、栗本慎一郎の「裸のサル」シリーズで、いずれ取り上げたいと思いますが、現代人の攻撃性は、意外にも人類誕生に深く関係していました…。


> 小津安二郎監督の不朽の名作『東京物語』をモチーフにして、山田洋次監督が監督50周年記念作品として「東京家族」

山田監督の「東京家族」は未だ見ていませんが、小津安二郎監督の作品は「東京物語」を含め、数本を見ました。味わいある作品が多いので好きです。


> 大学時代には家に寄り付きもしなかったのが、就職すると帰省するようです。

拙宅の京都の愚息も、帰省するのは年に1回ていどですが、来年の成人式を迎えたら、もう卒業まで帰省しないだろうなと思っています。と言うのも、何でも大学の授業以外に専門学校にも通いたいとのことで、来年の三月から始まる専門学校の授業料を稼ぐため、今や京都の鰻屋さんで一所懸命バイトをしているようです。

最後に、明日から2週間強にわたり、再び大量の仕事に追われることになりました。そろそろ、仕事量をセーブしなければと考える必要がありそうです。
166:馬之助 :

2013/08/18 (Sun) 21:07:38

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サムライさん、こんばんは。


>小生の場合、戦後のGHQ教育の影響をモロに受けていたため、

私も日本実業出版社刊 天皇詔勅選集で、教育勅語を読んでみましたが、フリガナがなければ読めませんね。これも戦後教育の成果かもしれませんが、我が不徳の致すところです。何を勉強して来たのか恥ずかしい限りです。これでは「国家」を履き違えさせようという意図にも気が付かないはずです。


>瀬島龍三を知るには、一度瀬島になりきってみないと分からない点が多そうです。

「一度瀬島になりきってみないと分からない」というのもキーワードのひとつかもしれませんね。過去の出来事を、現在から見て語られることは多くあって、この辺りに、履き違えさせようという意図を感じないではいられません。


日本の国民的映画と云えば、亀さんではないですが、寅さんシリーズでしょう。一方、外国と一括りにすると、007シリーズがそれのような気がしますが、両者の国家観に大きな隔たりがあるように思います。寅さんの方は、おおらかで緩い縛り(それでもそれに縛られるのが嫌で、そういったものから遠ざかろうとしながらも自ら囚われていくことに安堵する…)の中で、あるがままに生きようとする(家を捨てた時点では、我は強固だったのでしょうが、人との交わりの中でそれは希薄なものになって行くし回りもそれを包み込む…)。ボンドの方は、策略、謀略の果てに自分の生きる道を戦い取ろうとする(どこまでも我は強固でなければ、生き残れない、さもなくば、生け贄か犠牲。そうまでして守ろうとするのが国家で、知らないうちに我=国家という図式が強要されていく…)。また、最近の外国のシリーズは、ハリーポッターということもできますが、こちらも、策略、謀略で、007と共通するのは、人が簡単に死んでしまうところ(生け贄か犠牲)で、これには辟易としてしまいます。

小津安二郎監督の不朽の名作『東京物語』をモチーフにして、山田洋次監督が監督50周年記念作品として「東京家族」を撮られていますが、お盆休みにDVD
を借りて来て観ました。『東京物語』が「東京家族」という名になっています。東京を物語として捉えるのではなく、家族が故郷を捨てて、勝者として生き残るために「東京家族」という人種に自覚のないままなっているのですが、俳優自体のスピード感も『東京物語』と違ってしまっていて、『東京物語』を頭に置いて観るとスピード感に耐えられないものがあります。俳優の動きやカットに工夫を凝らして、台詞のテンポもゆっくりしたものにしようとしているのですが、現代では成立しにくい作品のようです(『東京物語』当時の俳優がやるのには耐えられるのが妙なところです)。また、私自体のスピードも早くなっているようで、終わりの頃には二倍速で観てしまいました。もう東京を物語としては語れないのですね。「東京家族」には、寅さんより、ボンドやポッターの方がお似合いのようでした。

今回のお盆の休みには、2番目の子どもが帰って来ました。大学時代には家に寄り付きもしなかったのが、就職すると帰省するようです。現在も東京で研修の身のようですが、もう東京の生活にダメ出しをしたようで、地方(中四国)の勤務を希望したとのことです。五月の連休に帰って来た時には、ハイテンションでこっちは辟易するところがあったのですが、今回は自分のペースを取り戻しているようです。親子共々、勝ち組にはなれそうもないようです。

165:サムライ:

2013/08/15 (Thu) 06:53:51

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馬之介さん、

熱帯夜が良いと書きましたが、こう連日熱帯夜が続くようになると、流石に疲れます。四万十川では40度を連日超えたとか、日本は東南アジアで一番暑い場所になりました。「世相を斬る あいば達也」というブログでも以下のように書いています。

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ちなみに明日の東京の予想気温は摂氏35度だが、バンコク30度、クアラルンプール32度、シンガポール29度、ジャカルタ28度、マニラ29度なのだから、天気図の解説は別にして、アジアで一番暑い国になっている。(8/14)
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馬之介さんが引用した『月刊日本』八月号の三浦小太郎氏の「日韓連帯の原点こそ大東亜戦争である」という記事…

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…仮に大東亜戦争を聖戦とするならば、この時の韓国兵たちは、大東亜戦争における連合軍の欺瞞、ナチス以上の悪であるスターリン体制に加担した罪がもたらした世界への災厄に立ち向かっていったのである。
 日本統治下、大東亜戦争において、まず「日本国民」としてのナショナリズムを抱きつつあった人々は、戦争後、韓国兵として再び「祖国防衛」に立ち上がった。日本軍将校だった朴正煕大統領の原点もおそらくここにある。戦争中はハワイに亡命し、米国流の民主主義とキリスト教に傾倒していた李承晩にはなく、朴正煕や、ここで挙げた韓国兵にあったものは、大東亜戦争において「国家」を守る覚悟を持っていたことなのだ。このことを韓国が、そして日本が認識した時、日韓関係はまったく新しい次元に入るだろう。
***********************************

小生も上記の箇所を読みましたし、まったくもって同感です。並行して、拙ブログにも少し書きましたが、最近『教育勅語の真実』(伊藤哲夫 致知出版社)という本を読みました。馬之介さんの言葉を借りれば、〝戦後教育で変質してしまっているので、率先して日本がその覚悟を「認識」すべき〟なのだという思いを、同書を読むにつれ強く感じた次第です。

小生の場合、戦後のGHQ教育の影響をモロに受けていたため、教育勅語全文に初めて目を通したのが5年前であり、藤原源太郎さんに「お前、『教育勅語』を読んでみろ」と、フリガナの付いていない一枚の〝教育勅語〟を渡され、大汗をかきながら、詰まりながら、誤読しながら、数名の人たちの前で音読したという、〝恐ろしい〟体験があります(笑)。今ではつっかえずに読めるようになり、「トンビもサマになってきたナ」と、藤原源太郎さんが言ってくれるまでになりました。

瀬島龍三を知るには、一度瀬島になりきってみないと分からない点が多そうです。世間では、簡単に瀬島は他の日本兵をソ連に〝売った〟と書いていますが、当時のソ連による赤化教育は悲惨を極めていたし、逆らえば命はありませんでした。そうした中で、どうして瀬島一人を責めることができるのかといつも思います。

ただ、極東国際軍事裁判で天皇の戦争責任を証言するように求められたものの、それを断固として拒否した瀬島を考えると、あの時は死を覚悟していた、と言うよりは死を恐れていなかったのだと思います。無論、そうした行動をとった瀬島だから、昭和帝が「最も信頼していた」という単純な話ではなく、さらに隠されている背景があると思います。ともあれ、当時は今の時代とは違いますので、正しく当時の〝空気〟を理解した上で、再び瀬島になりきる作業を行ってみたいと思います。そう思っていた矢先、『教育勅語の真実』に出会えたのは幸運でした。
164:馬之助 :

2013/08/11 (Sun) 18:52:02

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サムライさん、こんばんは。


>先月上旬の酷暑に続く、久しぶりの熱帯夜を期待したいところです。

熱帯夜を期待したいとは、なんだか随分快適な環境にお住まいのようですね。
まあ当方も僻地のようなところに居ますから、いまだにエアコンがなくてもなんとかなっていますが…。それにしてもゲリラ豪雨は世界レベルというか、七月十五日発行の『みち』の藤原源太郎氏の書かれた記事通りの様相を呈して来ましたね。


>したがって、次号で明らかにされる「陛下が終戦の詔書に籠められた御決意」、このあたりの天童さんの解説を読んだ上で、馬之介さんなりのご意見を聞かせて戴ければと思います。

了解です。
私も次号を楽しみにしています。「陛下が終戦の詔書に籠められた御決意」、それをどのように読み解かれたのか、興味津々です。それらと関係がありそうなのが、『月刊日本』八月号の三浦小太郎氏の「日韓連帯の原点こそ大東亜戦争である」という記事です。少し引用してみます。

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…仮に大東亜戦争を聖戦とするならば、この時の韓国兵たちは、大東亜戦争における連合軍の欺瞞、ナチス以上の悪であるスターリン体制に加担した罪がもたらした世界への災厄に立ち向かっていったのである。
 日本統治下、大東亜戦争において、まず「日本国民」としてのナショナリズムを抱きつつあった人々は、戦争後、韓国兵として再び「祖国防衛」に立ち上がった。日本軍将校だった朴正煕大統領の原点もおそらくここにある。戦争中はハワイに亡命し、米国流の民主主義とキリスト教に傾倒していた李承晩にはなく、朴正煕や、ここで挙げた韓国兵にあったものは、大東亜戦争において「国家」を守る覚悟を持っていたことなのだ。このことを韓国が、そして日本が認識した時、日韓関係はまったく新しい次元に入るだろう。
***********************************

日本の「国家」観は、民主主義とともに押し付けられた新しいものではなく、日本独自の古くからの、欧米から教わるまでもない、むしろ欧米にこそ教わってもらいたい揺るぎのないものがあったようです。しかし、それは戦後教育で変質してしまっているので、率先して日本がその覚悟を「認識」すべきものかもしれません。私たちは、日本古来の「国家」とは似て非なるものを「国家」(国の借金が1000兆円になろうがお構いなしで、TPPの参加に邁進するような…)として後生大事にさせられているのではないのでしょうか。


>ある意味、GHQによる戦後の教育策が成功したのだと言えなくもありませんが、一方でそれに流されない生き方をしてきたのが、藤原源太郎さんや天童竺丸さんでした。

ですから、その「認識」すべきものを、ご両人から学んで行く必要があると思います。


>瀬島龍三を知るということは、取りも直さず昭和天皇を知るということに他ならないからです。その意味で次号の天童さんの記事を楽しみにしている次第です。

そういう部分は多分にあると思います。サムライさんの解明が進んだら、またご教授戴きたいものです。その辺りにも、「国家」の手がかりがありそうですね。


>大東亞戰爭終結ノ詔書の記載
、ありがとうございます。日本実業出版社刊 天皇詔勅選集を参考に読み下し文にしてみました。


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大東亞戰爭終結の詔書


 朕(ちん)、深く世界の大勢(たいせい)と帝國の現狀とに鑑(かんが)み、常の措置を以て時局を收拾せんと欲(ほっ)し、玆(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。


 朕は、帝國政府をして、米英支蘇四國に對し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。


 抑〻(そもそも)帝國臣民の康寧(こうねい)を圖(はか)リ、萬邦(ばんぽう)共榮の樂しみを偕(とも)にするは、皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺範(いはん)にして、朕の拳々(けんけん)措(お)かざる所、曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以(ゆえん)も、亦(また)實に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾(しょき)するに出(いで)て、他國の主權を排し、領土を侵(おか)すが如(ごと)きは、固(もと)より朕が志(こころざし)にあらず。
 然(しか)るに交戰已(すで)に四歲を閲(けみ)し、朕が陸海將兵の勇戰、朕が百僚有司の勵精、朕が一億衆庶の奉公、各〻(おのおの)最善を盡(つく)せるに拘(かかわ)らず、戰局必しも好轉せず、世界の大勢亦我に利あらず。しかのみならず、敵は新たに殘虐なる爆彈を使用して、頻(しき)りに無辜(むこ)を殺傷し、慘害の及ぶ所、眞(しん)に測(はか)るべからざるに至(いた)る。而(しか)も尙(なお)、交戰を繼續せんか、終(つい)に我が民族の滅亡を招來(しょうらい)するのみならず、延(ひい)て人類の文明をも破却すべし。斯(かく)の如(ごと)くんば、朕何を以てか億兆の赤子(せきし)を保(ほ)し、皇祖皇宗の神靈に謝せんや。是(こ)れ朕が帝國政府をして、共同宣言に應ぜしむるに至れる所以(ゆえん)なり。

 朕は、帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に對し遺憾(いかん)の意を表せざるを得ず。帝國臣民にして戰陣に死し、職域に殉(じゅん)じ、非命に斃(たお)れたる者、及び其の遺族に想(おも)いを致せば、五內(ごだい)爲に裂(さ)く。 且(か)つ戰傷を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業(かぎょう)を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。惟(おも)うに、今後帝國の受くべき苦難は、固(もと)より尋常(じんじょう)にあらず。爾臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕善(よ)く之(これ)を知る。
 然(しか)れども朕は、時運の趨(おもむ)く所、堪(た)え難きを堪(た)え、忍び難きを忍び、以て萬世(ばんせい)の爲に太平を開かんと欲す。
 朕は、玆(ここ)に國體を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在り。若し夫(そ)れ情の激する所、濫(みだ)りに事端(じたん)を滋(しげ)くし、或(あるい)は同胞排擠(はいせい)し、互に時局を亂(みだ)リ、爲に大道(たいどう)を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之(これ)を戒(いまし)む。宜(よろ)しく擧國一家(きょこくいっか)、子孫相傳(あいつた)え、確(かた)く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念(おも)い、總力を將來の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を鞏(つよ)くし、誓いて國體の精華(せいか)を發揚し、世界の進運に後(おく)れざらんことを期すべし。爾臣民、其れ克(よ)く朕が意を體せよ。




御名御璽



昭和二十年八月十四日


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163:サムライ:

2013/08/07 (Wed) 09:21:49

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馬之介さん、こんにちは。今年の夏ですが、日中は暑いのに夜は暑苦しさを感じません。いつもの夏と違い、今年の夏は何処か変だと思っていました。ところが今朝の天気予報で、今週辺りから25℃以上の熱帯夜になりそうだとのこと。先月上旬の酷暑に続く、久しぶりの熱帯夜を期待したいところです。


***********************************
 英霊に続くとはまず、「神やぶれたまはず」との信念を同じくすることにほかならない。

「そうだ! 神やぶれたまはず!」

私も全身全霊の共感をもって心中で叫んでいた。
***********************************

先の戦争で祖国のため、異国の地で、沖縄で、本土で散った英霊。しかし、戦後の日本人は英霊のことを忘れ、下らないテレビのワイドショーを見てゲラゲラ笑い、そのテレビや新聞の流す情報に何等疑問も持たず、そのまま鵜呑みにしている。ある意味、GHQによる戦後の教育策が成功したのだと言えなくもありませんが、一方でそれに流されない生き方をしてきたのが、藤原源太郎さんや天童竺丸さんでした。

『みち』の執筆者と読者が集う「まほろば会」でも、先の戦争の総決算が未だ行われていない事実を巡り、源太郎さんを中心に色々と語り合ってきました。その折々に話題に出た人物の一人が、長谷川三千子先生でした。確か最近のまほろば会の前回か前々回、長谷川先生のことが久しぶりに話題に出ました、その時の源太郎さんの長谷川先生に対する評価が、天童さんをして13年前の「神やぶれたまはず」を再掲する決心をさせ、今号の『みち』(8月1日号)で三ページにわたって、「昭和二十年八月十五日正午の御放送直後の一瞬」を書かせたのだと思います。したがって、次号で明らかにされる「陛下が終戦の詔書に籠められた御決意」、このあたりの天童さんの解説を読んだ上で、馬之介さんなりのご意見を聞かせて戴ければと思います。

小生も次号を楽しみにしている一人です。最近書いた拙記事「証言 陸軍中野学校 5」にも書きましたが、瀬島龍三を知るということは、取りも直さず昭和天皇を知るということに他ならないからです。その意味で次号の天童さんの記事を楽しみにしている次第です。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-306.html


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大東亞戰爭終結ノ詔書

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ玆ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑〻帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歲ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庻ノ奉公各〻最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尙交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五內爲ニ裂ク 且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ玆ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ


御名御璽


昭和二十年八月十四日
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162:馬之助 :

2013/08/04 (Sun) 21:55:46

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サムライさん、こんばんは。


天童氏が、巻頭語に「神やぶれたまはず」(http://michi01.com/tendoh/93ktg26600401.html)というのを緊急掲載されています。そこから、引用しますと、

***********************************
 英霊に続くとはまず、「神やぶれたまはず」との信念を同じくすることにほかならない。

「そうだ! 神やぶれたまはず!」

私も全身全霊の共感をもって心中で叫んでいた。
***********************************

これは、天童氏の絶叫とも言えるものではないのかと思いますが、何ゆえ、現時点のものなのでしょうか?この絶叫は、上っ面の平和に安堵を決め込んで、個々がそれぞれの損得に邁進するのが当然のこの世界に,どのように響くのでしょうか。興味深いものがあります。
英霊ですから、人智では解き明かせないものがあるのでしょうから、どのように響こうが、全身全霊の共感をもって心中で叫ぶしかないものが確かにあるように思います。「神やぶれたまはず!」と、全身全霊をもって共感することこそが英霊に応えることかも知れません。


>これは、落合莞爾・栗本慎一郎といった、学際的で統合的な研究を行っている人たちの姿勢に共通するものだと思います。そのあたりに、人間の本物と偽物を見分けるモノサシの一つがありそうですね。

それがないと、いくら物知り顔で小難しい話をしたところで、ゴシップの集積にしかならないように思います。時宜を得たものであれば多少面白くもありますが、すぐに耐用年数に達するようです。エントロピーが高まるのが早いのですね。「全身全霊の共感をもって心中で叫んでいた」というのがないわけです。


>このあたりの憤りがあるから、小生が新しいブログ「亀さん」を始めた理由の一つがあります。

その「亀さん」の情報によると、落合氏が新刊本『国際ウラ天皇と数理系シャーマン 』を上梓されたようですね。早いペースの出版には驚かされます。天童氏の絶叫といい、何故なのでしょうか。

現在、勅使河原大鳳著 『異境備忘録』釈義 幽真界研究というのを読んでいますが、そのなかのに次のような文章がありました。

**********************************
 なにもない状態(プラスとマイナスが拮抗(きっこう)している状態)のところに皇室という聖域(より強いプラス)が出現すれば、反動で、それをおとしめようとする(より強いマイナスの)動きが人間社会にも、幽真諸界にも
出てくる。人間社会でいえば日本国体を歪曲(わいきょく)する言論人や、自虐史観を植え付ける諸外国である。幽界諸界でいえば、妖魔邪神界が日本の霊的根幹を消滅させようと躍起になっている。このような妖魔邪神界の活動にかげから整理し、消滅させているのが陰の系列の神々(伊邪那美神、素神、大国主神、国魂神など)である。
***********************************

また、4章 天狗界の概要に次のような文章があります。

***********************************
 八天狗は、八山霊(はちさんれい)ともいい、大南坊崇徳天皇(だいなんぼうすとくてんのう)、太郎坊後醍醐天皇(たろうぼうごだいごてんのう)、歓喜坊護良親王(かんきぼうもりながしんのう)、普賢坊宇治左大臣(ふけんぼううじさだいじん)、三密坊献山法務大僧正(さんみつぼうけんざんほうむだいそうじょう)、火乱坊三井寺頼豪法印(からんぼうみついでららいごうほういん)、光林坊鎮西八郎為朝(こうりんぼうちんぜいはちろうためとも)、東金坊六條判官為義(とうこんぼうろくじょうはんがんためよし)で、いずれも天狗界系列における正一位(しょういちい)(最高位)を与えられている(『異境備忘録』七十八ページ)。
***********************************

何故、天狗界系列に後醍醐天皇や護良親王の名が上がっているのか、訝しく思ったのですが、先の引用と合わせて読むと分かるような気がします。さらに、落合氏の著作を読むと、なるほどと思います。新著が楽しみです。

161:サムライ:

2013/08/02 (Fri) 05:04:26

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馬之介さん、漸く、今日辺りで山を越えそうです。次回からはいつものペースでレスさせていただきます。

> 槌田氏はエントロピーの理論を経済学にまで押し広げて行った

これは、落合莞爾・栗本慎一郎といった、学際的で統合的な研究を行っている人たちの姿勢に共通するものだと思います。そのあたりに、人間の本物と偽物を見分けるモノサシの一つがありそうですね。その観点で、槌田先生の本をもう一度読み直す必要がありそうだ。

特に、馬之介さんが引用してくれた以下の槌田先生の言葉に全くもって同意します。

***********************************
 弱者を失業させることによって強者が過剰に利益を得、また資源を過剰に消費して経済が不当に膨張する。つまり、現代経済学には、失業者の発生が社会エンジンの劣化という認識がなく、これによる経済「膨張」を経済「成長」と勘違いしている。
 この失業問題を解決するには、原因者の負担により、失業者を救済する。つまり、外部不経済を内部化するという視点が必要である。これを徹底することにより、失業者を社会エンジンの構成員に戻し。健全な社会に修復・再生することが可能となる。
***************
 人間社会で、もっとも大切な原則のひとつは「公正」である。社会でおこなわれる行為がすべて公正になされているとき、この社会は健全である。……
 多くの経済学者は気づいていないが、経済行為における不公正とは外部不経済のことであった。……
 この不公正は他人の損失をこの商取引に内部化することによって正すことができる、すなわち、商取引の利益でこの損失を与えないように対策し、与えた損失について賠償する。正義感の問題ではないのである。……内部化は市場の効率性の低下ではなくて、供給量の適正化である。つまり、公正を達成することにより、社会は健全化するのである。
***********************************

このあたりの憤りがあるから、小生が新しいブログ「亀さん」を始めた理由の一つがあります。

さて、来週あたりには通常のペースに戻ると思うので、いつもの通り色々と意見交換をやっていきましょう。来週もよろしくお願いします。

週末には、まほろば会のレポートが書けるかな…?
160:馬之助 :

2013/07/29 (Mon) 06:46:41

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サムライさん、こんばんは。


>そんな訳で、ここ半月ほどは簡単なレスでご勘弁ください。

当今の社会情勢からすると羨ましい限りです。こちらのゲリラは“ゲリラオーダー〟ならぬ、代わり映えのしない真夏の蝉の声です。お仕事に精進下さい。それでは、それをいいことに、槌田氏の経済をエントロピーで説明する話をしたいと思います。まあ、『弱者のための「エントロピー経済学」入門』という本を読んだ方が手っ取り早いとは思いますが…。

槌田氏はエントロピーの理論を経済学にまで押し広げて行ったところに面白さがあります。それによって、今まで見えて来ないものが、浮き上がって来たようです。
アダム・スミスによれば、経済は神の見えざる手によってうまくいくはずなのです。すなわち、需要と供給の曲線の交点によって市場価格が決まるわけですが、同じ商取引でも予想よりも高く売れた、安く買えたと思う人もでてくるわけで、そういった余剰分を再投資していけば、循環がうまく起こって(エンジンというべきものができて)、単なる需要と供給の曲線が、再生産される成長曲線にも成るのです。しかし、経済の分野(に限らずかも知れませんが)には、みんなが良くなることでは満足できない人というのが存在するようで(他人事のように言いましたが、自分自身のなかにもそれは巣くっているようで、結局はその欲望こそが経済の推進力になるということですから、それがある限り経済は大丈夫、要はその欲望の使い方ということになるようです)、そういう人は、独り占めしないではられないようです。その辺りを引用してみますと、

***********************************
アダム・スミスの神の見えざる手が成立する条件は、商取引によってすべての関係者が利益を得る場合のことである。ところが、この商取引によって、売り手と買い手はともに利益を得るのであるが、他人(商取引の当事者でない第三者)が損失をこうむることがある。
 これを経済学では「外部不経済」という。その場合、神の見えざる手は成立しない。すなわち、この外部不経済を伴う商取引は社会を健全な状態に修復・再生できないことになる。……
 また、商取引において強者の売り手は、圧倒的な力量により、弱者の売り手を商取引の片隅に排除して利益を失わせ、さらに失業または廃業させて市場からはじき出し、貧困化させるという問題もある。この場合もこの商取引は不公平であり、強者の得た利益は、弱者の生存権を奪って得た不当利益ということになる。
 そして、原発や国債のように、子孫の負担になることを知りながら、世代間の不当な利益を求める悪質な経済が現代社会でまかり通っている。
 これらの商取引の結果、外部不経済という他人の負担が生ずる場合、この商取引により得た利益は不当利益である。そして、この利益は、過剰な利益であって、資源は過剰に供給され、過剰に廃棄されることになる。つまり、エントロピーのさらなる増大である。
***********************************

みんなが良くなる形(利益は薄く広くなって行く)ではなく、独り占めしようとする人は、神の手を成立させないがために、外部不経済をつくり出して、不当利益を得ようとするのです。つまり自らエントロピーを増大させているのですが、エントロピーは増大するとやがては停止してしまうので、グローバル化とかいって市場を広げることで、エントロピーの増加を少しでも遅らせようとしているかのようです。さらに、不公平な商取引による不当利益を正当化するためにTPPを導入しようというわけです。それでも、エントロピーは物理の普遍な法則ですから、増大するのです。それが世界の経済的な現状でしょう。

一方、エントロピーを増大させない方向性は、どういうものなのでしょうか(槌田氏はエントロピーの理論を経済に応用するために、物理学者であるにもかかわらず、経済の講義を11年間もしながら研究したようです)?

***********************************
 弱者を失業させることによって強者が過剰に利益を得、また資源を過剰に消費して経済が不当に膨張する。つまり、現代経済学には、失業者の発生が社会エンジンの劣化という認識がなく、これによる経済「膨張」を経済「成長」と勘違いしている。
 この失業問題を解決するには、原因者の負担により、失業者を救済する。つまり、外部不経済を内部化するという視点が必要である。これを徹底することにより、失業者を社会エンジンの構成員に戻し。健全な社会に修復・再生することが可能となる。
***************
 人間社会で、もっとも大切な原則のひとつは「公正」である。社会でおこなわれる行為がすべて公正になされているとき、この社会は健全である。……
 多くの経済学者は気づいていないが、経済行為における不公正とは外部不経済のことであった。……
 この不公正は他人の損失をこの商取引に内部化することによって正すことができる、すなわち、商取引の利益でこの損失を与えないように対策し、与えた損失について賠償する。正義感の問題ではないのである。……内部化は市場の効率性の低下ではなくて、供給量の適正化である。つまり、公正を達成することにより、社会は健全化するのである。
***********************************

上記の天童氏の挨拶文のなかにも「太陽崇拝」と「公正」という表現があります。「ツラン」というか、日本って興味深い存在ではないでしょうか。

159:サムライ:

2013/07/26 (Fri) 13:17:33

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馬之介さん、

梅雨が明けたというのに、今日も日本の何処かで竜巻が発生し、ゲリラ豪雨になっているようですね(今日は東北地方の空が不安定だとのこと)。

そうした不安定な天候を連想させるかのように、小生も今週は世界各地の翻訳会社からの〝ゲリラオーダー〟に追われていました。2社ほどの仕事で手一杯のところへ、別の会社からも後から後から仕事打診のメールが来たのですが、全て断りました。8月の頭までは手一杯のため、折角買った木下恵介監督の30本を超える映画は全く見ていないし、相曾氏のビデオも未だ数本しか見ていません…^^; 先週の土曜日の「まほろば会」の報告書もそろそろ書かないと、メモした内容を忘れてしまいそうです。もしかしたら(メモした内容を思い出せない箇所が多かったら)、今回はパスするかもしれません(笑)。

そんな訳で、ここ半月ほどは簡単なレスでご勘弁ください。


> いやー、槌田氏というのは知れば知るほど面白いですね。

槌田先生や山浦さんらと共通するのは反骨精神だと思います。しかし、そのように捉えられる馬之介さんの反骨精神も相当のモンです(笑)。

槌田ゼミ「エントロピー入門」 #1~3
https://www.youtube.com/watch?v=M3Davt7SvRo
https://www.youtube.com/watch?v=5hR6lp_9wrc
https://www.youtube.com/watch?v=5bSv9Exe6rg

当面は見られそうにないなぁ…。槌田氏のお弟子さんかな、地球温暖化の嘘を暴いたHPを開設していた、小生も幾度か異見を投稿したことがあります。最近は以下のようなHPがありました。
http://www.tokyodaigaku.info/

エントロピーについての貴重な意見、ありがとうございました。余裕が出来たら、小生も上記のビデオを観てみます。
158:馬之助 :

2013/07/21 (Sun) 21:01:30

host:*.e-mobile.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


いやー、槌田氏というのは知れば知るほど面白いですね。原発や放射能の話に留まらず、その立ち位置というか、視座に天才的なものを感じないではいられません。それは丁度、フラーや相曾氏、栗本氏やアーサー・ケストラー、古事記や祝詞、立体史観など一見繋がりのないようなものを繋げるような存在で、それを何によって繋げるのかというと、エントロピーという物理の法則によってです。以下のビデオを見られる理解できるのですが、時間がない人は、#2がお勧めです(どれも二時間に及ぶ講義になっています)。

槌田ゼミ「エントロピー入門」 #1〜3
https://www.youtube.com/watch?v=M3Davt7SvRo
https://www.youtube.com/watch?v=5hR6lp_9wrc
https://www.youtube.com/watch?v=5bSv9Exe6rg

自分なりの未熟な理解でエントロピーの説明を試みてみます。

水に塩を溶かし込んでいくと拡散して塩分濃度が増加して行きます。その増加していく様をエントロピーが増加するといいます(エントロピーは一方通行で減少する方向はありません)。そして、やがては飽和状態を迎え、拡散する働きは停止します。例えば、携帯のバッテリは充電するごとにエントロピーは増加していき、やがては蓄電することを停止してしまいます。エントロピーが増加した結果です。この物理の法則は当然ながら、全ての事象に当て嵌まるはずですが、地球や人体が例外的に日々の活動を止めることがないので一時物理学者はその理解に苦しんだようです。

そこでシュレディンガー(猫の譬喩で有名な)という物理学者が負のエントロピーという誤った仮説を提唱して(残念ながらこの仮説はひとり歩きをはじめてしまってエントロピーの理解を混乱させたようです)、後に訂正してエントロピーを捨てることで地球や人体などは持続的で再生的に活動しているのではないかという仮説に辿り着きました。槌田氏は、シュレディンガーがそういう仮説を立てていることを知らず、そのメカニズムを解き明かしたのです。そして、さらに敷衍していき(栗本氏の提唱する層の理論のメカニズムをも解き明かしているように私には思えました)、地球には、気象の物質循環、生態系の物質循環、そして人間社会の物質循環、生命体の物質循環が存在し、生命・人間社会・生態系・気象の入れ子構造としての複合循環になっているとしています(ここまでは、シュレディンガーも提唱していません)。経済もこの物理法則で説明しています(これがまた分かりやすい。『弱者のための「エントロピー経済学」入門』という本になっています)。ということは、歴史もその例外ではないでしょう。

ポイントは循環にあるのですが、地球ではその元である大気と水の循環は太陽光(!)から生じます。云うならば太陽光が駆動装置になり、さまざまな循環で増加したエントロピーを引き受けて、宇宙に捨てているのです。それによって持続的で再生的な環境を維持しているという訳です。

フラーはエントロピーについて、『クリティカル・パス』のなかで次のように述べています。

***********************************
 われわれはこの本で、エントロピーとシントロピーについて述べてきた。放射という形でエネルギーを輸出しているエントロピックな星について、そしてエネルギーを輸入して放射から物質に変換する宇宙におけるシントロピックな場所について。……地球という私たちの知る唯一の惑星はシントロピー的にエネルギーを輸入している場所の一つであり、そこではエントロピー的な太陽の放射エネルギーは植物のシントロピー的な光合成によって封じ込められ、ランダムな放射として受け取ったエネルギーが美しく整然と配置された分子構造(物質)に変換され、他の生物や有機体は順々にその植物が作り出す分子を消費して、それによって自らが物理的にシントロピー的に「成長」を遂げるのである。われわれはこの惑星の自然なエコロジーのなかに歴然と現れる、この偉大なシントロピー的に作用するパターンを見いだすのである。
 「貪欲な法律家資本主義」の章で述べた幾人かの企業家たちや行政官僚たちは「目的は手段を正当化する」ということを勝手気ままにエントロピー的に主張している。……企業と政治のエントロピーは、あらゆる面で生じている。……
 この惑星上のあらゆる生命機能はシントロピー的にデザインされている。すなわち、放射エネルギーを閉じ込め保存し、永遠に再生しつづける宇宙のシントロピー的な統合を全体的に維持する過程でさらにシントロピー的な機能をつくリ出すためにその放射エネルギーを使うようにデザインされている。……
人類のそうした寛大で思いやりのある性向は、本来シントロピー的なものである。利己的性向は「エントロピー的」である。自然は人類のシントロピー的な機能ゆえに、宇宙の再生的な自然を維持しつづけるためにこの地球においたのである。
***********************************

フラーは反エントロピーという意味で(ネガティブで混乱を招くので)シントロピーという自らの造語を使っています。恐らく、その働きがUNKNOWN(未知の存在)<NATURE(自然)<SYNERGY(シナジー)<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)のUNKNOWN(未知の存在)<NATURE(自然)<SYNERGY(シナジー)の領域で行なわれていると考えるのでSYNERGY(シナジー)とエントロピーとの合成語ではないかと思います。


>やはり一人一人は考え方か違う所が出てきますね。これはまぁ、仕方がない。

現実を捉えようとする時に、私たちは誰がどうしたとか、何を言ったかに囚われるあまり、ゴシップ的になって「これはまぁ、仕方がない」という気分にならざるおえないようです。それで、現実を追いながら、現実味がなくなってしまう。ところが槌田氏のように、物理の法則で現実を見た場合、(それがすべてに及ぶ物理法則であるがゆえに)すっきりとして、かえって現実が見えてくるように思います。
これは物理の法則なのですよね。


>ここで、『クリティカル・パス』を著したバックミンスター・フラーは、アーサー・ケストラーの流れを汲む人物かどうか、馬之介さんが栗本慎一郎の著書に目を通すことがあれば、いつでも良いので感想を聞かせて戴ければ幸いです。


以上をもって感想に代えたいと思います。

経済をエントロピーで説明するのが面白いのですが、長くなるので止めます。これを使って、栗本氏の全世界史を読み直してみるのも一興かと思います。また相曾氏が、師と仰ぐ宮地水位氏の『異境備忘録』
を解説した勅使河原大鳳著『幽真界研究』の図説に「スメラミコトはエントロピーを解消するのがその働き」とあると、友人が教えてくれたので、読んでみたいと思っています。

157:サムライ:

2013/07/18 (Thu) 17:55:16

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馬之助さん、今日あたりから猛烈暑さがぶり返しました。


・「臨界は簡単には起きないというのはウソ。


槌田先生のビデオや講演で初めて知った人たちが多かったと思います。


・吉田氏の重圧は相当なものだった

ブログ「カレイドスコープ」が、そのあたりは一番詳しいですね。幸い、青山繁晴氏が確実に吉田氏の“遺志”を引き継いでいるので嬉しく思います。
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-2225.html
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-2221.html

・(槌田氏に云わせれば)菅元首相は、(マスコミの報道と違って)よくやったようで、彼がいなければ一号炉はベントしないまま爆発をしていたのではないか

現在、吉岡英介氏が菅直人を支持しています。
http://www.minusionwater.com/index.html

また、カレイドスコープも以下のような記事を書いています。
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-2233.html

今までのマスコミとは全く逆のことを書いているので、戸惑う人たちが大勢いるのではないでしょうか。


> この観点で飯山情報や栗本情報に接していると、文字には表されていない情報が、徐々に浮き彫りになってくるのではないでしょうか…。


根底で国を思う気持ちは、栗本先生、飯山さんで同じだとは思いますが、やはり一人一人は考え方か違う所が出てきますね。これはまぁ、仕方がない。

栗本先生については、パンツシリーズの二冊を漸く読み終えたので、拙ブログにパンツシリーズを再開したいと思っています。飯山さんに関しては、現在プーチン情報を精力的に書いておられますが、流石です。その中で、オバマがアフリカの奴隷貿易港の現場で一人佇んでいたということが書いてありました。

その時、小生は昔読んだアレックス・ヘイリーの『ルーツ』を思い出し、もう一度読み直してみたいと思ったことでした。

そして、栗本先生のパンツシリーズに、アフリカの黒人を実際にかき集めてアメリカ大陸に売り飛ばしていたのは、主に同じ黒人であったという事実を知ったので、ちょうど奴隷貿易を見直してみたいと思っていたところでした。

自分がオバマになったつもりで、アフリカの奴隷貿易港で何を本当は思っていたのか、一度じっくりと連想してみようと考えています。このあたりが纏まりましたら、拙ブログに書きたいと思います。

それにしても、暑い。夏休みが欲しくなりました(笑)。
156:馬之助 :

2013/07/14 (Sun) 21:14:40

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サムライさん、こんばんは。


>山浦さんの言葉を借りれば、まさにタカがタカを生んだということが言えそうです。

栗本氏の『栗本真一郎最終講義』の2章に、お利口にならない(なれない)学問と云う話がありますが、私はその後者のお利口になれない部類の人間だと思います。要は、ピーヒョロロなんですね。


>ただ、小生は余り人と内部被曝について語り合うことはありません。山浦さんを囲んだ会合でも、飯山さんのように徹底して内部被曝対策を講じている者も居れば、「放射能が怖くて、酒が飲めるかーッ」と言う者も居るという案配です。人それぞれであることから、あまりこうしたテーマは深く語り合うことはありません。これが議論のテーマになって熱を帯びてくると、仲間割れや原発別居に至りかねないからです。

全く同感です。
言いはじめますと、議論は神学論争の様相を呈して、平行線のまま加熱するようです。放射能もデータや真実が隠されれば、神学と同様になるのではないでしょうか。その後、槌田氏のビデオをいくつか見、また興味も湧いて本も注文しています。そのビデオの中で、神同様に(?)、私が知りえなかったことを羅列してみます(物理学者であれば知りえること)と、

・核利用に、はじめから平和利用というものは存在しない(「臨界は簡単には起きないというのはウソ。
5-10%低濃縮ウランは、水があれば核分裂を起こして爆発する。」から…)

・「臨界は簡単には起きないというのはウソ。
5-10%低濃縮ウランは、水があれば核分裂を起こして爆発する。」このプロセスでは、爆発も大きくないし(福一の三号炉程度の核爆発)、大した放射能(の核種)も出ない(どのビデオか分からないのですが、「放射能に関しては、原発推進派と同じ考え方になるのですよね」という発言があって、またこの事は別に時間をとって話しますとあったので、探してみたのですが、現時点では見つけられていません)。

・一号炉の水素爆発は(活断層があるかないかではなく、普通の)地震による配管の破断が原因(となると、今後地震による配管の破断の怖れがある原発は現在ある原発全てに該当するのではないでしょうか)。

・原発は、建設費や燃料が導入当初より(なぜだか?)高くなっているので、安全対策にお金を回さないようにしなければ採算がとれない(一号炉の地震による配管の破断以降は、適切な安全対策ができれば、未然に防げたが、最初からお金を回すつもりがないので、対策は現場に押し付けられたようです。現場では、事前にそういう方策が十分検討されていなかったので適切な処置が施せなかったのではないでしょうか)。ですから、再稼動が申請されている原発にも安全対策にお金を回さないようにしなければ採算がとれないので、当然ながらそういった処置はしていないようです。福一以上(?)に安全に対処している原発はないそうです(今回、福一だからこの程度で済んでいるようです!確かに、吉田氏の重圧は相当なものだったのではないでしょうか、それは単に放射能によるものだけではなかったようです)。

・水素爆発が起きたのは一号炉だけで、放射能が大気に放出されたのは、ベントによるものだったようです(すなわち、東電は原発の施設を守るためにベントして福島の市民を犠牲にしたということです。ということは、電気代を払っている市民以上にお金を払っている人がいると言う事で、東電はそちらを向いて仕事をしているようです)。

・福一のような沸騰水型の原子炉では、構造上、炉芯溶融は起こらないようで、メルトダウンやメルトスルーもありえないようです。現在も4号炉で起こっている事は、「臨界は簡単には起きないというのはウソ。
5-10%低濃縮ウランは、水があれば核分裂を起こして爆発する。」で、ただ十分に水があるために冷やされて一度に爆発できないために、小さな爆発が小出しに起きているようです。ということは、原子炉が剥き出しの状態のままでいるということになるのですが、「臨界は簡単には起きないというのはウソ。
5-10%低濃縮ウランは、水があれば核分裂を起こして爆発する。」このプロセスでは、爆発も大きくないし(福島の三号炉程度の核爆発程度)、大した放射能(の核種)も出ないということで、助かっているようです。ここを私は神謀りと思ったのですが、どうやらその辺りも、東電幹部は知っていてとぼけてやっているのではないかと槌田氏の他のビデオを見ると思うようになりました(だから、危機感が稀薄だったのではないでしょうか?)。現在会長になっている勝俣氏が、広報部長をしている時に、再生利用可能なエネルギーをどう思うかと質問を受けた時に、やってみればいい、やっても無駄だというのが分かるからと言ったといいますから、知識だけは凄く典型的にお利口な部類の人種のようです。

・(槌田氏に云わせれば)菅元首相は、(マスコミの報道と違って)よくやったようで、彼がいなければ一号炉はベントしないまま爆発をしていたのではないかという話です(これを政権を奪取する為のキャンペーンに使うということは、安倍首相は人並みはずれた神経の持ち主と言えるのではないでしょうか)。そうなると福一にはだれも立ち入る事ができず、その後の事態に対応することはできなかったようです。


>この観点で飯山情報や栗本情報に接していると、文字には表されていない情報が、徐々に浮き彫りになってくるのではないでしょうか…。

両者に共通するのは、天の邪鬼というところではないでしょうか。相違点は、飯山氏は平面史観で栗本氏は本質的には立体史観ということが云えるのではないでしょうか。栗本氏は、UNKNOWN(未知の存在)<NATURE(自然)<SYNERGY(シナジー)<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)のUNKNOWN(未知の存在)のところで学者として必要以上に踏ん張って、UNKNOWN(未知の存在)も時代が進めばやがて分かるとしているようですが、それも『栗本真一郎最終講義』を読めば分からなくなりました。おそらく学者としてではなく個人としたらUNKNOWN(未知の存在)な経験があるのではないでしょうか。フラーの凄いところは、UNKNOWN(未知の存在)をさっさとUNKNOWN(未知の存在)にしてしまって、その上位にNATURE(自然)<SYNERGY(シナジー)<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)を持って来ている点にあると思います。「時代が進めばやがて分かる」というのも、NATURE(自然)としているのです。そうできるのは、そのさらに上位にSYNERGY(シナジー)<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)を置いているからなのですね。ただ、飯山情報で気になる点は、『みち』の藤原源太郎氏の情報と方向性に差ができているところです。その藤原源太郎氏は次のように云います。「覇権地政学位相でこの趨勢(グローバリズム攻勢)に逆らうことはもはや不可能だが、わが国には文明地政学位相でその呪縛を超克できる叡智が秘められている。この叡智に覚醒することこそ、日本民族・神国日本の人類全体に対する使命である。」これはサムライさんが言うように、『小生も山浦さんの「放射能が怖くて、酒が飲めるか」という生き方を見習っていきたいと思います。』そのものだと思います。

>。しかし、長刀や竹槍では勝てません。やはり、鉄砲や大砲が必要だと思います。

私もそう思うのですが、また自民党も憲法改正でその方向を示しているようにも思うのですが、原発の経緯を思うと信用できないのが正直なところです。安倍首相の人並みはずれた神経の持ち主というところが、私に信用させる事を躊躇わせているようです。
155:サムライ:

2013/07/11 (Thu) 09:15:34

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馬之介さん、過日逝去された吉田元所長に関して、以下の情報を補足します。

最初に、以下のサイトにアクセスしてみてください。

吉田昌郎・前福島第一原発所長の逝去と周辺の出来事
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-2221.html

サムライから見て、ポイントは以下の2点です。

一点は、吉田元所長亡き後、「真実」を伝え続けてくれる人物の一人に、青山繁晴氏がいるという点。
__________
だから、吉田氏は、本店に事前に「お伺い」を立てずに、原発構内に青山繁晴氏を案内した帰りに、まるで遺言のように「必ず世間に真実を公表して欲しい。私も頑張る」と言い残したのです。

「あなたは現場を見たのだから、先々、東電が、どんな情報を出そうとも決して事実をゆがめることはありませんよね」と青山氏に念押ししたのです。青山氏は、その約束を果たしました。

吉田前所長は、この時点で、東電の幹部たち、そして、原発推進行政に関わっている官僚たち、そして自民党の政治家たちが、津波対策を怠った責任を自分一人に押し付けるであろうことも見抜いていたのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

もう一点は、菅直人前首相を陥れようとした人物が、今首相を務める安倍晋三であったという点です。
__________
国会事故調査委員会の報告で明らかになったことですが、菅直人の官邸が、まさにカタストロフィー一歩手前の状況にも関わらず、一日何十回も吉田前所長に直接電話をし、状況報告を迫っていたことが、大いに事故対応の障害になったとされています。

それだけでなく、官邸が「原子炉への海水の注入を一時中断するよう」、直接指示を出していた、という報道に、国民の政権に対する不信感が一気に噴出しました。

しかし、これは事実ではなく、しばらくして分かったことですが、デマを流したのは安倍晋三サイドであったことが判明しました。

混乱に乗じて、当時の政権に対して、ネガティブな印象付けをやっていたのです。
北半球が壊滅するかもしれない、というときに。

その同じ男の内閣が、再び法令違反を繰り返して、全国の原発を再稼動させようとしているのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

以上
154:サムライ:

2013/07/11 (Thu) 06:38:47

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馬之介さん、おはようございます。福島原発のことを考えて関西系の企業に就職とのこと、流石は馬之介さんのお子さんですね。山浦さんの言葉を借りれば、まさにタカがタカを生んだということが言えそうです。

原発に関して貴重な情報をありがとうございました。拙ブログにも槌田先生や今中助教授のビデオ、さらには阿修羅の投稿を紹介させていただきました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

ここでは、ブログに書かなかったことを取り上げたいと思います。

最初に、槌田先生のビデオで特筆すべきことは、「臨界は簡単には起きないというのはウソ。
5-10%低濃縮ウランは、水があれば核分裂を起こして爆発する」だったと思います。さらに、使用済みではなく未使用の核燃料なら、あとは水さえあれば核爆発を簡単に引き起こせるということが、世の中に広く知れ渡ったことは、原子力村には痛手でしょう

次に、食物摂取を通じた内部被曝ですが、飯山一郎さんや関係者の内部被曝観と比較すれば、今中氏の内部被曝についての考えは大甘だとは思います。ただ、小生は余り人と内部被曝について語り合うことはありません。山浦さんを囲んだ会合でも、飯山さんのように徹底して内部被曝対策を講じている者も居れば、「放射能が怖くて、酒が飲めるかーッ」と言う者も居るという案配です。人それぞれであることから、あまりこうしたテーマは深く語り合うことはありません。これが議論のテーマになって熱を帯びてくると、仲間割れや原発別居に至りかねないからです。、
__________
今上陛下が福島の地場の農作物を買い求めて皇太子にも食すことを勧めたという話です。生産者や流通業者が多大の犠牲を食する者のことを考えて払っていることを御存知の上での行動ということが、今はっきりと分かりました。そうなると、福島の地場の農作物を買い求めて皇太子にも食すことを勧めたということを知ら示すことには深い意味があったように思います。決して、死を覚悟したとかいう単純な、多くの人に美談として受け入れそうな類の話ではなく、そこにも日本古来の文化を感じないではいられません。またそこには、皇族の情報収集の奥深さも感じられます。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そのあたりの経緯は今でも鮮明に覚えています。“皇族の情報収集の奥深さ”については、落合さんが『月刊日本』に連載中の「疑史」からも、十分推測できますね。

小生も山浦さんの「放射能が怖くて、酒が飲めるか」という生き方を見習っていきたいと思います。
153:馬之助 :

2013/07/07 (Sun) 21:32:45

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サムライさん、こんばんは。


五月の連休明けに、大学院二年生の子どもが、就活の結果報告に帰って来た際に、理系の大学院生であれば私のような一般の者とは環境も違い情報も違うだろうと思い、福一の原発事故による放射能をどう理解しているのか訊ねてみたところ、それも考えて就職先を選定したという返事でした。なるほど、内定を得た企業は、本社は大阪で東日本には支社もなく、東日本方面には転勤も出張も考えにくい会社でした。
それもあって、今少し原発事故に関心を持っていたのですが、面白い情報に出逢いました。御存知の方もあるかと思いますが、それは阿修羅の掲示板から拾ったものです。
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/357.html

その中で紹介されていた次のビデオを面白く見ました。「事故から1年半、水素爆発のまま」 (2012/10/25)
https://www.youtube.com/watch?v=scVL1tRdbLM

槌田敦氏の講演ですが、物理学者が真摯な態度で「この事故がどんな事故だったのか」と追求しています。状況証拠や出て来たデータから、物理学者としてこのようにしか理解できないというところが、語られています。二時間を越えるものですが、それでも語り尽くせないようです。これをみると、誰が何を隠そうとしているのか、どこにどんなウソがあるのかが分かって、今まで感じて来た腑に落ちないものが、それなりに納得できるように思いました。
「この事故がどんな事故だったのか」と真摯に追求することは、反原発派の学者からも疎まれるようで拒絶されているということです。親原発派あっての反原発派というところでしょうか。フラーの云う「生活費を稼がない生き方」は、やはり嫌われるようです。反原発派の恐怖を繰り返し煽ることは、論点を逸らす目的があるということで、「この事故がどんな事故だったのか」と真摯に追求するは何かと都合が悪いようです。
正確には、ビデオを見ることですが、阿修羅の掲示板の記事にあるように、みんなでタブーにしているのは、「臨界は簡単には起きないというのはウソ。
5-10%低濃縮ウランは、水があれば核分裂を起こして爆発する。」ということのようです。だから、三号炉からキノコ雲が上がったようです。これをもって推測すると、合点がいくものか出てきます。だいたい(といっても無知なのは私ですが…)スリーマイル原発のような加圧水型の原子炉でないと炉芯溶融は構造上起こりえない(福一は沸騰型原子炉)もののようです。大それたウソを、みんなで平気でついていて、それを通してしまうと云うのはすごいですね(メルトダウンしているとか、メルトスルーしているとか、いまだに地下深くで云々)。それでいて「堀川政略」などには、拒絶反応を起こしてしまうと云うのは、実に面白いです。まあ、それがあるから、「堀川政略」のような謀が成立するのかも知れませんが……。

つぎのビデオは偶然見つけたものですが、今中哲二氏の講演会の模様です。
いわき放射能市民測定室が主催で、いわき市生涯学習プラザで行なわれたもので、演題は、「低線量被ばくの健康被害"科学 "ではっきり言えることと、言えないこと」です。
https://www.youtube.com/watch?v=GSRbFjsebRk

槌田敦氏の講演を見てから見ると、整合性があって面白いと思います。こちらも二時間を越えるものですが、科学者が被曝している、しかも食物等によって被曝を受け入れざるを得ない一般人を前に語り、質疑応答する様子は一見の価値ありで、"科学 "ではっきり言えることと、言えないことが語られています。
こちらもビデオを見るのがいちばんです。今中氏は、チェルノブイリにも、飯館村にも調査に行っているようで、資料(いろいろな学者と親しいようで本人からデータを直接貰ったりしているようです)も多岐に及びます。チェルノブイリと福島の違いは、プルトニウムやストロンチウムはセシウムと比べると無視できるほど少ないということだそうです(少ないにしても、大気に放射能を出したことは大問題だと今中氏は言います)。これは槌田敦氏の「臨界は簡単には起きないというのはウソ。
5-10%低濃縮ウランは、水があれば核分裂を起こして爆発する。」を理解できれば、納得のいくことで、5-10%低濃縮ウランが、水があることで核分裂を起こして爆発する際には、チェルノブイリのように原子炉が爆発したものと違い、プルトニウムやストロンチウムは余り出ないようです。そのおかげで、チェルノブイリの千分の一程度で被曝が済んでいるところに、神謀りを感じないではいられません。
また、今中氏が孫を首都圏で育てなければならないとすると、自然放射線量が一年に一ミリシーベルト(私には、自然が許容している放射線量のように感じられて来ました)ということを基準に考えると、家や職場が首都圏にあるとすれば、それを犠牲にして避難するという行動は私には考えにくいという話でした。また、チェルノブイリとの大きな違いは、ソ連は三年間原発の事故があったことを隠していたから、食物等からの内部被曝が進んだことで、福島では生産者や流通業者が放射能に対して早い段階で多大な犠牲を顧みず対処している(自殺者も出たようですね)ということです。ですから、いわき放射能市民測定室で測定しても、ほとんど生産物から放射能は検出されない(今中氏は測定機器の感度を問い、最大そこまでは被曝していると考えた方がいいと言う)ようです。ここに、日本古来の「あへる」の精神が生きているのではないでしょうか。ここで思い出すのが、今上陛下が福島の地場の農作物を買い求めて皇太子にも食すことを勧めたという話です。生産者や流通業者が多大の犠牲を食する者のことを考えて払っていることを御存知の上での行動ということが、今はっきりと分かりました。そうなると、福島の地場の農作物を買い求めて皇太子にも食すことを勧めたということを知ら示すことには深い意味があったように思います。決して、死を覚悟したとかいう単純な、多くの人に美談として受け入れそうな類の話ではなく、そこにも日本古来の文化を感じないではいられません。またそこには、皇族の情報収集の奥深さも感じられます。サムライさんからお聞きした、栗原氏が愛して止まないお孫さんを首都圏から疎開させないばかりかマスクもさないという話や、山浦氏が「放射能が怖くて、酒が飲めるか」と言ったという話など、頷けるものがあります。私は差し詰め「放射能が怖くて、食品添加物が食えるか」という話といったところでしょうか。


次の二点にもコメントしたかったのですが、長くなりましたので、またにします。

>この観点で飯山情報や栗本情報に接していると、文字には表されていない情報が、徐々に浮き彫りになってくるのではないでしょうか…。

>。しかし、長刀や竹槍では勝てません。やはり、鉄砲や大砲が必要だと思います。
152:サムライ:

2013/07/04 (Thu) 10:52:16

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1372902736.jpg そろそろ梅雨が明けるのか、蒸し暑い日が続きます。馬之助さん、お元気ですか? 相曾氏の件で、馬之介さん自身が何等かの〝悟りの境地〟に達しましたら、面倒でも報告していただければと思います。よろしくお願いいたします。


> 綻びを見せ始めた第二大英帝国が“第三”大英帝国という勢力として継続していくためには、生け贄として中国のシャドーバンクは格好の存在だったのかも…。

先月の第四土曜日、『みち』の執筆者や読者が集う会合(まほろば会)で、中国経済に関連して以下のような話が出ました。

・パーナンキ議長の会見は、中国バブルの崩壊を念頭に置いたものでは?
・金融ユダヤ系のパーナンキに対してオバマは対立関係にある点
・ネオコンを中心に密かに進められている、新河豚計画が実際にスタートするのは、中国バブルを崩壊させてから?
・所詮、中国通貨の「元」は〝軍票〟に過ぎない。

といった話が出ましたが、それに関連して注目べきは、飯山(一郎)さんが最近毎日のように書いているプーチン情報でしょう。つまり、第二大英帝国から“第三”大英帝国へのシフトが、どのようにプーチンの動きに絡んでいるのか、注目すべきだと思います。なぜなら、過去、そして現在において、ロシアという大国の牽引車である、政事家の大半がアシュケナージ系ユダヤ人だからです。この観点で飯山情報や栗本情報に接していると、文字には表されていない情報が、徐々に浮き彫りになってくるのではないでしょうか…。


> 所詮、アメリカ幕府も神国日本とはいえ、他国にすぎないので、その由来も忘れてしまって、内戦に突き進んでいるかのように感じます。

必要なのは。NHKで放送している大河ドラマ「八重の桜」で八重が言い放った、「会津を滅ぼしにくるもんを、わだすは許さねえ!」という気持ちだと思います。しかし、長刀や竹槍では勝てません。やはり、鉄砲や大砲が必要だと思います。
151:馬之助 :

2013/06/30 (Sun) 21:08:33

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サムライさん、こんばんは。


>。馬之介さんと相曾氏の話題についていくには、相曾氏のビデオを全て観る必要がありますので、それまで相曾関連の語り合いの継続は暫くお待ちください。m(._.)m

了解いたしました。
私のは単なる妄想ですが、相曾氏のビデオ、ごゆるりとご覧下さい。また、サムライさんさえ良ければ、語り合える時が来るのを楽しみにしています。


閑話休題。

>前回引用の、下記の文章の「本来なら虚構に過ぎないはずの」と云うのが、面白いです。

__________

ここまでに経済人類学が現在の地球の人類について導き出した結論は、宗教、民族、国家という三つの巨大な精度をパンツとして成長させたヒト(人類)が、近世から近代にかけて市場社会という(本来なら虚構に過ぎないはずの)土俵を作り上げて以上の三つの巨大な制度をフルに機能させ、ついにはそれを組み込み、そのメカニズムの基軸から生まれて結局はそれ以外のどのヒトのパンツをも凌駕する権力となった貨幣を生んだということだった。そしてその結果、自分自身の存在そのものを自己目的化した貨幣が自己回転運動を開始したということだった。(『パンツを脱いだサル』p.136)

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


六月十五日発行の「みち」、安西氏の「お金の功罪」のオフショア金融市場の話を読んで、高校時代に読んだ星新一氏(その頃は、星製薬が麻薬に深く関与したとは知る由もなく、お気軽に夢見ていました…)のショート・ショートを思い出しました。
確か、「おーい、出てこい」というような題名で、思い出すまま要約すると、以下のようになります。

ある日、正体不明の深い穴を見つけました。「おーい、出てこい」と、声をかけてみても、返答がなく、誰もいないようでした。試しに、物を投げ入れてみると、そのまま吸収するかのようです。最初は、面白半分に、物を投げ込んでいたのですが、そのまま吸収するようなので、いつしか、大勢の人たちが不要になったものを投棄するように成りました。ゴミ問題は深刻な社会問題なので、誰しもこの穴の存在は都合良かったのです。しかも、いくら大量に投棄しても呑み込んでしまう。それに気を良くして、さらに大量の投棄をする、どれほどの量が投棄されたのか誰も知らず、止めどがありません。
ところが、みんなそれとなく危惧していた時が、ついに来ました。
ある日、天上から声が聞こえて来たのです。「おーい、出てこい」

今回の、中国のシャドーバンキングの件も、オフショア金融市場の中国版といったところでしょうか。栗本氏の言われる「本来なら虚構に過ぎないはずの」ものは、また「本来なら虚構」の世界へ帰って行くし他ないのかもしれません。もしかしたら、綻びを見せ始めた第二大英帝国が“第三”大英帝国という勢力として継続していくためには、生け贄として中国のシャドーバンクは格好の存在だったのかもと妄想を逞しくしています。

また、七月号の「月刊日本」、落合氏の『平成日本の幕末現象―破綻した米主日従体制』を再読した身には、「ワクチンビジネスの深い闇」、「食の支配者モンサントの正体」や「検証・アベノミクス」もTPPに集約される、経済に名を借りた戦争状態(本土上陸決戦)のようにしか見えません。所詮、アメリカ幕府も神国日本とはいえ、他国にすぎないので、その由来も忘れてしまって、内戦に突き進んでいるかのように感じます。ここは、落合氏の云うとおり、「現在、我が国を支配するアメリカ幕府も、せめて慶喜のごとく潔く大政奉還して貰いたいものである」です。しかし、開国の当初は日本の貨幣システムは、欧米より進んでいてその実際のところは、欧米には理解できなかったというのは、希望を感じさせる話です(貨幣システムと同様、宗教というかシャーマニズムについてもその奥深いところにまでは理解が及ばなかったということです。だれがそれらのものを作ったのでしょうか)。

また、七月号の「月刊日本」の落合氏の「疑史」は、以下のように始まります。

「大塔政略」の骨子として建武新政でなされた南北皇統の秘密合意により、この年四月二十二日に生まれた大塔宮護良親王の王子が、北朝光厳上皇の第一皇子益仁親王とされて崇光天皇になる。

「堀川政略」を越えて、更なる深み(サムライさんのブログ参照)に突き進んで行くのでしょか。

150:サムライ:

2013/06/27 (Thu) 06:04:20

host:*.t-com.ne.jp
馬之介さん、


> 相曾氏の書籍を購入した人が四名、回し読みしている人、回し読みを希望している人が四名、その内で日拝をしている人が五名くらいではないかと思います。

凄い、馬之介さんも含め、相曾氏の下に集まった七人ならぬ九人の侍の誕生ですね。ちなみに、馬之介さんは志村喬演じる島田勘兵衛といったところでしょうか。

__________
以上を総合すると、私にはUNKNOWN(未知の存在)=古事記の世界<NATURE(自然)=魄(はく)で、国津神系、伊邪那美命、須佐之男命、和魂・荒魂の働き<SYNERGY(シナジー)=魂(こん)で、天津神系、伊邪那岐命、天照大神、奇魂・幸魂の働き<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)=造化三神になるのです。そして日拝は、「われわれ人間はマインドの宇宙的機能を働かせるために宇宙のここに存在している。マインドだけが真実を理解し、それを受け入れ、そしてそれに導かれる」ためのマスターキーではないのかと思います。またその恩恵として「もしもそのマインドが人間の行動をコントロールするようになれば、なすべき最初のことは、「うまくやり遂げる」ための選択する権利を行使することである」という話になるのではないでしょうか。で、これは、「知的な完全無欠性が存在するという証拠はただ経験的にしか発見されないということに圧倒されているのだと」という世界のようです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
馬之介さんは相曾神道について、かなりの所まで到達しているのが分かります。馬之介さんと相曾氏の話題についていくには、相曾氏のビデオを全て観る必要がありますので、それまで相曾関連の語り合いの継続は暫くお待ちください。m(._.)m


> お金は本来のUNKNOWN(未知の存在)の領域に入ったようです

相曾観に立脚した「お金」の捉え方は、相曾哲学の認識不足のため小生には理解できませんが、少なくとも『みち』の執筆者や読者が集う「まほろば会」では、第二大英帝国も綻びを見せ始め、現在は“第三”大英帝国という勢力が台頭しつつあるというあたりで、話が進んでいます。

小生はそれに加えて、落合(莞爾)さんの金融ワンワールド、さらには栗本慎一郎氏の経済人類学を並行して調べながら、自身の「貨幣」観を構築中です。ただ、栗本氏の経済人類学は学校で教わってきたことを、一端ゴミ箱に捨てた上で取り組まないと、栗本氏が伝えようとしている経済人類学、たとえずお金に関する考え等は掴めないと思い、現在仕事の合間に取り組んでいるところです。

栗本氏の経済人類学に一度取り組み始めると、経済学、人類文化学、歴史、考古学、進化論、神話、言語学…と多岐にわたって学習しなければなりません。以下に、栗本氏本人が述べている「経済人類学」の行を転記しておきます。

__________
ここまでに経済人類学が現在の地球の人類について導き出した結論は、宗教、民族、国家という三つの巨大な精度をパンツとして成長させたヒト(人類)が、近世から近代にかけて市場社会という(本来なら虚構に過ぎないはずの)土俵を作り上げて以上の三つの巨大な制度をフルに機能させ、ついにはそれを組み込み、そのメカニズムの基軸から生まれて結局はそれ以外のどのヒトのパンツをも凌駕する権力となった貨幣を生んだということだった。そしてその結果、自分自身の存在そのものを自己目的化した貨幣が自己回転運動を開始したということだった。(『パンツを脱いだサル』p.136)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

拙ブログでも、過日お話ししたように、「パンツを脱いだサル」シリーズを開始しました。もう暫く続きそうです。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-category-4.html
149:馬之助 :

2013/06/23 (Sun) 21:28:27

host:*.e-mobile.ne.jp

サムライさん、与一さん、こんばんは。

>いつも楽しく拝見させていただいております。

やさしい言葉をかけていただき感謝です。


>なので全体像を掴める事が出来ましたら、またあらためて書き込みさせていただきます。


是非またおしらせ下さい。


>ココロにクモリがあるということでしょうか。

私も最近、百柱までの暗誦をやっと完了しました。
『古事記』では、三柱の貴子(天照大神、月読命、建速須佐之男命)を得る段の事を、「御身(みみ)を滌(すす)ぎたまふに因(よ)りて生(あ)れませる神なり」とあります。それまでの神は成りませる神だったのが、三柱の貴子は「ココロにクモリ」を滌(すす)がないことには生まれないほど大変であり、かつ、重要な神であり命のようです。


>馬之介さんの周囲で何人くらいの知人友人が日拝を始めたのですか…? 

相曾氏の書籍を購入した人が四名、回し読みしている人、回し読みを希望している人が四名、その内で日拝をしている人が五名くらいではないかと思います。私の周囲には物好きが多いのではないかと思います。


>そこのところを、もう少し詳しく解説お願い出来ますか…?

前回投稿の中に、誤記がありました。
「そうすると、SYNERGY(シナジー)は、魄の和魂・荒魂の働きということが出来るかも知れません。」は誤りで、「そうすると、SYNERGY(シナジー)は、魂(こん)の奇魂・幸魂の働きということが出来るかも知れません。」が正解です。混乱させたかも知れませんので、訂正し、お詫び申し上げます。

UNKNOWN(未知の存在)<NATURE(自然)<SYNERGY(シナジー)<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)という階層構造に説明を加えるために、『クリティカル・パス』から引用しますと、

**********************************
 ……人類はいま、永遠に再生しつづける宇宙を支配しているデザイン法則—科学では「法則化された原理」と呼ばれているーに見いだした手がかりによって、「マインド」として宇宙に存続する資格が得られるか否かかの「最終審査」の最中にいるのである。
 人間のマインドは、他のいかなる現象とも異なる独特の宇宙的機能をもっている。つまり、永遠に再生しつづける宇宙の情報収集者として、そして局所的問題解決者として活動する能力である。
 宇宙時期の現時点では、腕力とか狡猾さ、恐怖そして利己心といったものが、人間の行動を強く支配している。われわれ人間はマインドの宇宙的機能を働かせるために宇宙のここに存在している。マインドだけが真実を理解し、それを受け入れ、そしてそれに導かれる。もしもそのマインドが人間の行動をコントロールするようになれば、なすべき最初のことは、「うまくやり遂げる」ための選択する権利を行使することである。
********************
 ……つまり、数学的に表現可能で、全的に相互調和的な法則の普遍性を発見する人間のマインドは、同時に知的にデザインされたシナリオ宇宙(訳注 観察事実を説明する科学的モデル)をも発見する。こうしたデザイニングには、宇宙の自己再生的で知的な完全無欠性(integrity)という、先験的で永続的な存在が欠かせないのである。私は自己に言い聞かせた。先験的、永続的、全包括的で、無限かつ完璧に関与する<神>と言ってもさしつかえのない知的な完全無欠性が存在するという証拠はただ経験的にしか発見されないということに圧倒されているのだと。
********************
 ……すなわち、純粋な原理で、純粋な原理によるマインドにより機能するとともに、永続的原理のいくつかを純粋な原理によって理解し、客観的に使用できるマインドを備えた人類が宇宙に登場したのは、宇宙システムへの人類の登場と、永続的な原理のいくつかーすべてではないーにアクセスし利用する人類のマインドとによって引き起こされる知識の分裂にもかかわらず、宇宙の永遠に再生的な完全無欠性の原理が乱されず存続できるかどうかを発見するために、神が果敢にも企てたことなのだということを。これは、ただすべての原理の知識だけを求めてシナジー的に増加していく英知に接近しようとはしないーすなわち、永続的に再生的な完全無欠性を損ないかねないー人間の観念に固有な、しばしば頑迷で自己中心的で利己的で欺瞞的な独善性に、原理のシナジー作用におけるシナジーが十分対処できるかどうかを、純粋な原理のなかで試すための純粋な原理における実験なのであった。それは、神という完全無欠性が知る必要のあること、それも実験による証明によって知る必要のあることなのかもしれない。
***********************************

よけい難しくなったかもしれませんが、以上を総合すると、私にはUNKNOWN(未知の存在)=古事記の世界<NATURE(自然)=魄(はく)で、国津神系、伊邪那美命、須佐之男命、和魂・荒魂の働き<SYNERGY(シナジー)=魂(こん)で、天津神系、伊邪那岐命、天照大神、奇魂・幸魂の働き<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)=造化三神になるのです。そして日拝は、「われわれ人間はマインドの宇宙的機能を働かせるために宇宙のここに存在している。マインドだけが真実を理解し、それを受け入れ、そしてそれに導かれる」ためのマスターキーではないのかと思います。またその恩恵として「もしもそのマインドが人間の行動をコントロールするようになれば、なすべき最初のことは、「うまくやり遂げる」ための選択する権利を行使することである」という話になるのではないでしょうか。で、これは、「知的な完全無欠性が存在するという証拠はただ経験的にしか発見されないということに圧倒されているのだと」という世界のようです。


>「生活費を稼がない生活」、改めて落合さんの『金融ワンワールド』、安西さんの『お金の秘密』、栗本慎一郎の経済人類学関連の書籍を通じて、お金の正体をさらに追求していきたいと思っています(これもブログに取り上げます)。

六月十五日発行の「みち」、安西氏の「お金の功罪」のオフショア金融市場、第二大英帝国の話を読むと、栗本氏ではないですがお金は本来のUNKNOWN(未知の存在)の領域に入ったようですし、であるなら、NATURE(自然)<SYNERGY(シナジー)<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)が働いて「原理のシナジー作用におけるシナジーが十分対処できるかどうかを」、私としては、見守るしかないのではないかと思います。そしてそれは、「神という完全無欠性が知る必要のあること、それも実験による証明によって知る必要のあることなのかもしれない」ということでしょうか。
148:サムライ:

2013/06/20 (Thu) 15:39:31

host:*.t-com.ne.jp
馬之介さん、与一さん、

与一さん、馬之介さんに引っ張り出された形での登場ですか、ご苦労様です。『みち』を楽しみにしているとのこと、発行人の(藤原)源太郎さんや天童さんが喜んでくれると思います。天童さんと言えば、落合さんの『南北朝こそ日本の機密』でアマゾンに書評を寄せていました。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A3M67JN9HGLMST/ref=cm_pdp_rev_more?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview#R2RWW74GKDYRKO

馬之介さん、先ほど、漸く栗本慎一郎の『パンツを脱いだサル』を読み終えました。なかなかの良書だったので、近く拙ブログで取り上げたいと思っています。

> 私の知人に日拝をしているのがいるのですが、予知能力がでてきたと、本人は言っています。

それは凄いことです。てっ言うか、馬之介さんの周囲で何人くらいの知人友人が日拝を始めたのですか…? これは一つの盛り上がりになりそうだ。


> SYNERGY(シナジー)は、魄の和魂・荒魂の働きということが出来るかも知れません。

そこのところを、もう少し詳しく解説お願い出来ますか…?


> バックミンスター・フラーは自らの生活を「大逆転」させる為に、生活費を稼がない生活に切り替えたと云います。

フラーだからこそ一人でも「大逆転」が出来るのでしょうが、小生のような凡人では一人で「大逆転」を実現するのは困難でしょうね。やはり、「仲間」が必要になるでしょう。それも、一握りの人たちではなく、かなりの人たちが「目覚める」必要がありそうです。ただ、そのあたりの実現性は限りなくゼロに近いのではと、やや絶望に近い思いでいますが…。

「生活費を稼がない生活」、改めて落合さんの『金融ワンワールド』、安西さんの『お金の秘密』、栗本慎一郎の経済人類学関連の書籍を通じて、お金の正体をさらに追求していきたいと思っています(これもブログに取り上げます)。

いつの間にか、相曾氏のDVDを含め、ナント百本近くの未鑑賞のDVDが溜まってしまいました。本当は「男はつらいよ」も見たいんですが、その前に相曾氏のDVDを見ねば…。
147:与一 :

2013/06/17 (Mon) 23:36:38

host:*.katch.ne.jp
サムライさん、馬之助さん、こんばんは。初投稿の与一です。
いつも楽しく拝見させていただいております。

馬之助さん

>与一さんも熱心にビデオや本に向い合っているようです。その辺の消息をもっと知りたいものです。

相曾氏の本は3往復目に突入しました(DVDはまだ全て見きれておりません…)
思うことや疑問を感じる点、多々ありますが、私には悪癖があり1ページ読んで反応するところがあるのです。
なので全体像を掴める事が出来ましたら、またあらためて書き込みさせていただきます。

かつて飯山一郎さんところの掲示板にサムライさんが立てていました「ツランという絆」のスレ17番↓

>最近も若い知人とのメールのやり取りで、古事記と取り組むに当たって大切なのは白紙の状態で、門前の小僧習わぬ経を読むではないけど、
 せめて古事記の上巻を諳んじるまでは、余計な巷に溢れている古事記の解説書を読まない方が良いと書きました。
 枝葉末節ばかりに拘っていると、結局は古事記の深奥の世界に生涯踏み込めずに終わってしまうからです。

これ私の事なんです(笑)おかげ様で古事記は百柱までの暗誦は完了しており、今も風呂場で神主気取りで暗誦を継続しておりますが、
この古事記と同様、相曾氏の考え方も森が見えるまで山を登っていきます。
因みに古事記はというと、森はうっすら見えてきたものの、木が霞んでよく見えません…(苦笑)ココロにクモリがあるということでしょうか。

明日は「みち」が届く日、残業早めに切り上げるかなぁ。。。
146:馬之助 :

2013/06/16 (Sun) 19:10:10

host:*.e-mobile.ne.jp
サムライさん、こんばんは。


>Aさんだけでなく与一さんも相曾氏のDVDに得るところがあったようなので、また互いに顔を合わせる機会が出来たら、感想を述べ合いましょう。

そういうので、おっさんが顔を合わせるのも悪くないかも知れませんね。
私の知人に日拝をしているのがいるのですが、予知能力がでてきたと、本人は言っています。トラブルが日常的に多発する現場で仕事をしているのですが、発生すること自体は変わらないそうですが、それが思いもよらない事や人によってスムースに解決していくようになったそうです。それが、前もって上手くいくというのが、分かるのだそうで、それを予知能力と言っているようです。そう言われてみると、私も結果的には、同様の事が起こっているのかも知れません(実感は持ちにくいですが…)。しかし、もう少しはっきりとした自覚のある事柄が起こってきた暁には土産話を持って行きたいですね。


>それにしても、この「コーヒーブレイク」のようなおじさんたちの井戸端会議なんて、誰も読んでないだろうと思っていたら、同じおっさんのAさんから「注目していますョ」と言われ、ビックリでした(笑)。Aさんのように〝熱心な読者〟(?)が一人でもいるかぎり、止めるわけにはいかないのかな…(爆)。


同感です。励みになります。
反応がないので、サムライさんとの内緒話になっているのではないかと思っていました(爆)。


>ここで、『クリティカル・パス』を著したバックミンスター・フラーは、アーサー・ケストラーの流れを汲む人物かどうか、馬之介さんが栗本慎一郎の著書に目を通すことがあれば、いつでも良いので感想を聞かせて戴ければ幸いです。


栗本氏の著作に目を通したら、感想を述べたいと思います。

バックミンスター・フラーの『宇宙エコロジー』p206に、包括的概念による宇宙の階層構造(上手く添付↑できてるといいのですが…)というのがあって、前回の添付の大橋氏の『波動性科学入門』のp.76にある「宇宙の階層性構成図」がUNIVERSEで終わっているのに対して、その上位構造として、UNKNOWN(未知の存在)<NATURE(自然)<SYNERGY(シナジー)<COSMIC INTEGRY(宇宙の完全無欠性)という階層構造を想定しています。先の「思いもよらない事や人によってスムースに解決していく」というのが、SYNERGY(シナジー)ではないかと私は思っています。UNKNOWN以降のことを書き記しているのが、『古事記』かも知れませんし、相曾氏の霊的生活という話になるのかも知れません。UNKNOWN(未知の存在)が魄(はく)で、国津神系、伊邪那美命、須佐之男命、それ以降が魂(こん)で、天津神系、伊邪那岐命、天照大神とすることもできるのではないかと愚考しています。そうすると、SYNERGY(シナジー)は、魄の和魂・荒魂の働きということが出来るかも知れません。


>貨幣は本来、ヒトの持つ社会制度というパンツの中で国家や民族を維持するための従属的パンツであったのだが、その貨幣自体の生きる権利を維持するために国家や民族が動員されることになにるという、「大逆転」が起ったからである。貨幣自体は組織的暴力を必要としないが、貨幣が理由となって国家や民族に組織的暴力や残虐性を発揮させることはできる。

バックミンスター・フラーは自らの生活を「大逆転」させる為に、生活費を稼がない生活に切り替えたと云います。それは魂(こん)と魄(はく)の喩えに繋がると思うのですが、栗本氏のいう「大逆転」をさらに再逆転するには、そう言った事が必要のように思います。そういう切り替えが可能な民族は、古(いにしえ)の心を蘇られたヤマト民族しかいないのではないかと思います…やっぱ、これは、おっさんの内緒話が相応しいですね(爆)。

145:サムライ:

2013/06/12 (Wed) 16:24:35

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1371021876.gif 馬之助さん、こんにちは。

先週の日曜日、馬之介さんもご存じのAさんと、地元の喫茶店で久しぶりに会い、色々と近状報告を交わしてきました。このコーヒーブレイクも話題になり、馬之介さんサムライさんは、相曾氏の対話が多くなったと言っていました(笑)。Aさんだけではなく与一さんも相曾氏のDVDに得るところがあったようなので、また互いに顔を合わせる機会が出来たら、感想を述べ合いましょう。それにしても、この「コーヒーブレイク」のようなおじさんたちの井戸端会議なんて、誰も読んでないだろうと思っていたら、同じおっさんのAさんから「注目していますョ」と言われ、ビックリでした(笑)。Aさんのように〝熱心な読者〟(?)が一人でもいるかぎり、止めるわけにはいかないのかな…(爆)。


> 栗本氏のいう「生命性」


『栗本慎一郎最終講義』を通読してつくづく思ったことは、「生命性」理解するには、やはりアーサー・ケストラーの『ホロン革命』(工作舎)が非常な助けになるということです。また、同書の「有機的ヒエラルキーの模式図」(p.57)も良いのですが、大橋正雄の『波動性科学入門』のp.76にある「宇宙の階層性構成図」の方が、栗本氏の言う「生命性」をよく現しているので、同図を本登校に添付しましょう(↑をクリック)。

ところで、アーサー・ケストラーは『間脳幻想』(藤井尚治・藤原肇共著 東興書院)という本でも登場します。ちなみに、東興書院というのは、落合(莞爾)さんが遠い昔に興した出版社ですが、同書に登場する藤井尚治博士をアーサー・ケストラーが、遠方よりわざわざ訪ねてくるという行が、同書の最後にある藤井博士の「あとがき」に書いてあるのを読み、腰を抜かした記憶があります。ここで、アーサー・ケストラー→藤井尚治→栗本慎一郎という一つの流れが読み取れます。その意味で、『間脳幻想』は藤井博士の思想の一端を垣間見ることができるという意味で、大変貴重な本であると言えます。

ここで、『クリティカル・パス』を著したバックミンスター・フラーは、アーサー・ケストラーの流れを汲む人物かどうか、馬之介さんが栗本慎一郎の著書に目を通すことがあれば、いつでも良いので感想を聞かせて戴ければ幸いです。


> 「逆にいえば注視はそれを可能にする」とは、日拝鎮魂法に通ず…。

御意。


> 『平成日本の幕末現象―破綻した米主日従体制』

随分難しいそうな落合さんの本を読みますね…。拙宅にも同書がありましたが、息子が京都に持って行ってしまったので最早手許にありません。


> 貨幣の動きはどうなっていくのでしょうか。

実は、現在栗本慎一郎の『パンツを脱いだサル』(現代書館)を通読中なのですが、以下の記述が目に止まりましたので引用しておきます。貨幣の今後を考える意味で何等かのヒントになりそうです。

__________
 そのパンツの現在は、どうなっているのか。これについては次章で詳しく見ていくことにするが、およそ530万年前に我々の祖先がはき始めたパンツは、もはや地球の環境に甚大な影響を与えうる水準にまで達した。
 また、社会制度としての部族や民族、およびその延長形態としての国家の有効性も終演しつつある。ヒトがパンツをはいたサルである事実を直視させず、いわば曖昧にごまかして生きるための道具として働いた大宗教もその意味を喪失した。宗教はもはや、それがあるために争いが起きる原因になってしまった。
 その最も大きな原因は、貨幣が国家の有効性をはるかに超えるところまで「発展」したことである。貨幣は本来、ヒトの持つ社会制度というパンツの中で国家や民族を維持するための従属的パンツであったのだが、その貨幣自体の生きる権利を維持するために国家や民族が動員されることになにるという、「大逆転」が起ったからである。貨幣自体は組織的暴力を必要としないが、貨幣が理由となって国家や民族に組織的暴力や残虐性を発揮させることはできる。p.86
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
安西さんの『お金の秘密』、落合さんのワンワールド関連シリーズによって、徐々に貨幣の動きが見えてきました。
144:馬之助 :

2013/06/09 (Sun) 20:14:36

host:*.e-mobile.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


>
『栗本慎一郎最終講義』で貨幣について印象に残る行は以下の通りです。



****************

地球を支配する貨幣の動きは、個体集団が作り出した社会や民族や共同体の理論を完全に越えているではないか。その貨幣の動きの次を予測することはそのような明らかな(と私には思える)生命性を注視することなしには、全く不可能ではないか。逆にいえば注視はそれを可能にする。(p.20)

****************

栗本氏のいう「生命性」というのが凄いですね。その「生命性」が貨幣の背後にあって、「個体集団が作り出した社会や民族や共同体の理論を完全に越えている」というのですから、これまた凄い。ということは、文章を縮めると「生命性」が地球を支配するということになります。だから面白い話です。ですから、「個体集団が作り出した社会や民族や共同体の理論を」押し通そうとすると、人知(背後に欲得)が「生命性」を越えた不遜な(と私には思える)ごり押しになってしまう。そういう構成は私には魂魄に通じるように思います(貨幣が魄で和魂・荒魂、生命性が魂で奇魂・幸魂)。その魂(こん)、天津神系、伊邪那岐命、天照大神の国が、神国日本、ですから、さてその貨幣の動きはどうなっていくのでしょうか。
そして余談ながら、「逆にいえば注視はそれを可能にする」とは、日拝鎮魂法に通ず…。


>『平成日本の幕末現象―破綻した米主日従体制』

落合氏の著作で、最初に触れたのがこの本です。他では読めない、スカッとしたところがあります。この本の出版を契機にその筋の接触が始まったということですから興味深い本です。現在、再読中なのですが、二三引用します。

***********************************
 巷間「日本文化というけれど、そのほとんどが大陸や朝鮮からきたものだ」という説をしばしば聞くが、これは「和風文化のなかにもシナ・朝鮮的要素が混入している」という趣旨ならば、その限りでは正しい。しかし、ヤマト精神の神髄がシナ大陸から朝鮮を経由して流入した、という意味なら明らかに誤っている。
********************
 こうして、よくみると日本人の宗教生活は、一見仏教の形態のなかにあって、その内実には古神道こころを生きているのである。このように仏壇に手を合わしていても、無意識に先祖(神道ではカミ)を拝んでいる“仏教徒”が多い(なお日本の仏教には神道の霊学観念を吸収して日本化した部分があり、これとの関連によるものか、各宗派により仏教的要素の濃淡が異なるようである。私見では浄土真宗に一神教的色彩を感じ、真言宗などは多神教的仏教色が強い。禅宗・日蓮宗には神道的な感覚がある)。
 これを卑俗に喩えれば、「神道」所有土地へ「仏教」がビルを建ててしまったので、「神道」は底地権者に転落しているが、しかし、登記簿を見ると「神道」の名義になっている状況だ。
***********************************

上記の文章を見る限りでは、落合氏の位相は、安西のものとそれほど代わらないのではないかと思います。その辺が安西氏を認めているところではないかと私は思っています。それが相曾氏のサニワの方法と似ているところも面白く感じます。しかし、「神道」所有土地へ「仏教」がビルを建ててしまったという、落合氏の話からすると、相曾氏の「仏教」を「仏魔界」とすることも分かるように思います。ただ、「神道」所有土地へ「仏教」がビルを建てたとすると、じゃあ「神道」はどこから来たの?というのは、やはり気になるところです。

次の文章は落合氏の原点ではないかと思いますし、新著によってそれがより明確になっていっているようです。

***********************************
 律令国家のシナの的影響を消化したあと、わが社会は公地公民制が荘園制に変容を遂げながら、律令政治の変形である摂関政治・院政を経て、源頼朝が鎌倉幕府を開設する。すなわち中世封建制の設立であり、統治二元主義の初めての法制的確立である。
 これより後、室町時代を経て、近世・近代そして現代にいたるまで、なお統治の二元主義を堅持していることこそわが国の政治伝統の特質である。すなわち天皇が国家民族の統合の象徴として祭祀の中心に居り、ときどきの幕府が国政を執るという統治のあり方こそわが国独特の政治的原理であり、著者はこれを『幕政原理』と呼ぶのである。……またわが二元主義における特徴は、政権執行者の権勢に対比して天皇の権威が絶対的に高いということである。すなわち祭祀王が世俗権力を授与するのであり、世俗王が祭祀長を選任、飼養している形ではないのである。(略)
 現在、我が国を支配するアメリカ幕府も、せめて慶喜のごとく潔く大政奉還して貰いたいものである。
***********************************

「現在、我が国を支配するアメリカ幕府も、せめて慶喜のごとく潔く大政奉還して貰いたいものである」と云われると、現在繰り広げられていることに、なるほどと深く納得するところがあります(明治維新が「堀川政略」に沿ったものであったように、今回の維新も新たな政略に沿って行なわれているに違いないと思えます)。また前回引用した「アングロサクソン系諸国が二大政党に向いている理由は、逆説的ではあるが、与野党両者を操っている国際的立場の第三者の存在であろう。日独でうまくいかないのはそれがいないためだとしても、敢えてこれを迎えて国際勢力の奴隷になる必要はあるまい」も深みを持って読むことができます。
栗本風に表現するならば、「生命性」対「個体集団が作り出した社会や民族や共同体の理論」といったところでしょうか。


>馬之介さんは理論(本を読む)だけではなく、すでに実践しているのですから鬼に金棒です。ビデオを少し見始めましたが、いつ見終わるのか気が遠くなりそうだ…。

いまだ私には、鬼が何だか、金棒が何だかわかりませんが、与一さんも熱心にビデオや本に向い合っているようです。その辺の消息をもっと知りたいものです。

143:サムライ:

2013/06/05 (Wed) 06:56:05

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1370382966.jpg 馬之助さん、おはようございます。

月曜日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を見ました。広島県福山市の後編で、福山市と言えば、「箱田良助と榎本武揚展」が2009年に福山城博物館で開催された土地ですね。それに関連して、地元の馬之介さんには箱田良助・その他について、多角的な報告をして戴き、大変勉強になりました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。


> 『月刊日本』の六月号、落合氏の「疑史」の次の二行が気になっています。

“貨幣経済”については、落合さんや安西さんの本や記事から学ぶこと大なのですが、最近栗本慎一郎の『栗本慎一郎最終講義』(武久出版)を読み、一度ポランニーの唱える経済人類学について、腰を据えて取り組みたいと思うようになりました。その上で、落合さんや安西さんの貨幣に関する書籍を再読して見たいと思っています。

『栗本慎一郎最終講義』で貨幣について印象に残る行は以下の通りです。

****************
地球を支配する貨幣の動きは、個体集団が作り出した社会や民族や共同体の理論を完全に越えているではないか。その貨幣の動きの次を予測することはそのような明らかな(と私には思える)生命性を注視することなしには、全く不可能ではないか。逆にいえば注視はそれを可能にする。(p.20)
****************

ちなみに、落合さんは優れた経済関連の書籍を数冊著しています。以下は一例です。
『先物経済がわかれば本当の経済が見える』
『平成大暴落の真相―意図された中堅階層の崩壊』
『平成日本の幕末現象―破綻した米主日従体制』
『教科書(テキスト)では学べない超経済学』

ここで、本スレッドのNo.30で、小生は以下のように書きました。

***************
かつて、是川銀蔵という相場の神様がいました。ある日、若き日の落合さんと面会した是川は世代交代の時を覚り、株の世界から引退を決意したと栗原さんが語っていました。その落合さんが次の世代と目をかけているのが、安西さんなのでしょう。そのあたりは、わざわざ自身のホームページに安西コーナーを設けたあたりからも窺い知ることができます。
http://kishu-bunka.org/kinmirai.html
***************

No.30を書いたのが一年ほど前の7月7日ですが、この一年間に貨幣経済にポランニーの思想を採り入れて、見直す作業を進めようと思うに至ったのは収穫でした。


> 秘事を知りたい方は相曾氏のものにあたるのが賢明のようです。

馬之介さんは理論(本を読む)だけではなく、すでに実践しているのですから鬼に金棒です。ビデオを少し見始めましたが、いつ見終わるのか気が遠くなりそうだ…。

では、仕事に戻ります。
142:馬之助 :

2013/06/02 (Sun) 21:36:20

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サムライさん、こんばんは。


>その意味で、『みち』の安西(正鷹)さんの「お金の本質」に注目しています。

『月刊日本』の六月号、落合氏の「疑史」の次の二行が気になっています。

**********************************
 国史上の南北朝は、鎌倉時代に大陸貿易が盛んになり、宋銭・元銭が大量に流入して貨幣経済が商品流通を促し、荘園外に「散所」が自然発生して貨幣経済の拠点となったから生じたもので、散所民(非人=無籍の非農業民)が経済主体として登場した時勢を反映したものである。
***********************
 アングロサクソン系諸国が二大政党に向いている理由は、逆説的ではあるが、与野党両者を操っている国際的立場の第三者の存在であろう。日独でうまくいかないのはそれがいないためだとしても、敢えてこれを迎えて国際勢力の奴隷になる必要はあるまい。
 南北朝対立は存在すべきではない。国民はこれを念頭に置き、常に唯一の皇室を立てて國體の保持に努めなければならない。
***********************************

『みち』の安西(正鷹)さんの「お金の本質」にあるように、貨幣経済がポイントのようですね。それが必然的な流れにあったにしても今後どのように変化を遂げて行くのかは分かりませんが、南北朝もその始まりが『荘園外に「散所」が自然発生して貨幣経済の拠点となったから生じたもの』というのが興味深いところです。

落合氏の云う「国民はこれを念頭に置き」というのは、「国際的立場の第三者の存在」というのが、私にはいまだに正邪と明確に分けられるものなのか判断がつかないのですが(>「結論から言う。ハザール人とはスサノオの子=ツランの兄弟である」は、正にそのとおりです。というところや、修験道や仏教の役割が正邪の区別を明確にさせません)、現時点において日独は「国際勢力の奴隷に」まさになろうとしているのかもしれませんが、今は奴隷であることを免れているということなのでしょうか(もう既に、属国であるとか、隷属しているとする向きもあるようですが、そういった発言には違和感を持っていました。「敢えてこれを迎えて国際勢力の奴隷」になるように、その手先として働いている方達はいるようですが…)。そのポイントが南北朝の対立にあるようですし、その隙を与えないためには、「常に唯一の皇室を立てて國體の保持」というのが重要なようですね。

で、私に出来ることは、相曾氏の云うように、日拝法によって霊的に「國體の保持に努め」ることしかないように思っています。その日拝法を佐藤愛子女史が自身のエッセイに書かれているようで、それを引用したブログ(http://ameblo.jp/cocoro358/entry-10953667306.html)を見つけました。ブログ中の、『息を吸うのは「ミ」の一ヵ所だけなの』というのは恐らく誤記で、正しくは『息を吸うのは「ス」の一ヵ所だけなの』ではないかと思います。しかし、愛子女史も秘事漏らすことはしなかったようですので、実行することで辿り着く方もいらっしゃるでしょうが、先に秘事を知りたい方は相曾氏のものにあたるのが賢明のようです。


>むろん、トンビの精神でです。


私は、伊邪那美命が、「汝の國の人草一日に千頭絞り殺さむとまをしたまひき」と伊邪那岐命に言う台詞が唐突で残酷すぎるように感じていたのですが、魂(こん)を、天津神系、伊邪那岐命、天照大神とし、魄(はく)を、国津神系、伊邪那美命、須佐之男命のことすると、分かるような(もちろんトンビの精神でですが…)気がしてきました。この台詞を「故伊邪那美神は火神を生みませるに因りて遂に神避り坐しぬ」したために、「是に伊邪那岐命御佩かせる十拳劒を抜きて其の子迦具土神の頸を斬りたまふ」たためのものと今では考えるに至っています。火之迦具土神を産んだために「神避り坐しぬ」という結果に自身がなったにしても産みの母とすれば(国津神系の伊邪那美命からすれば)、「其の子迦具土神の頸を斬りたまふ」ことの方が、許せないことのようです(このあたりは、長年の、家内との犬も食わぬコミュニケーションによる洞察から来るものですが、これもトンビの精神でしょうか)。伊邪那岐命からすれば、伊邪那美命を思えばこそで、筋の違うことのように思いますが、伊邪那美命の理屈では通りません。そこに魂(こん)と魄(はく)の初めから分かれているところがあるわけで、近いようで遥かに遠いところは、伊邪那岐命のほうにこそ悟らなければならないところがあるようで、「古事記」にもそこのところが丁寧に描かれているのではないかと思います。しかし悟るのは伊邪那岐命だけだったようで、国津神系の伊邪那美命の理屈が通るのはどこまでいっても魄(はく)の国津神系の世界であることを「古事記」では表現されているように思います。しかし、それぞれに異なった役割があり(ですから南北朝としての対立があるわけではない)、それを遂行することで大きくひとつの世界を築き上げて行くようでもあって、容易に正邪の区別がつきにくいように思います。でもそれには伊邪那岐命が悟って「あへる」ことが必須のように感じます。それを神国の人草として受け入れることは容易なことではなく、人草も天津神と連繋同化してひとつになっていくこともまた必須のように思うのです。それが貨幣経済の次なる姿ではないかと思い、また、落合氏の云う「常に唯一の皇室を立てて國體の保持に努めなければならない」ということではないかと愚考しています。

落合氏の二行をみると、「与野党両者を操っている国際的立場の第三者の存在」が、南北朝を対立させることによって、外部に存在するのではなく、最初から内部に存在させることによって、国際的立場というものそのものを作らないようにしているように思えてきました…まあ、これもトンビの精神でです。


141:馬之助 :

2013/06/02 (Sun) 19:35:32

host:*.e-mobile.ne.jp
サムライさん、こんばんは。


>その意味で、『みち』の安西(正鷹)さんの「お金の本質」に注目しています。

『月刊日本』の六月号、落合氏の「疑史」の次の二行が気になっています。

**********************************
 国史上の南北朝は、鎌倉時代に大陸貿易が盛んになり、宋銭・元銭が大量に流入して貨幣経済が商品流通を促し、荘園外に「散所」が自然発生して貨幣経済の拠点となったから生じたもので、散所民(非人=無籍の非農業民)が経済主体として登場した時勢を反映したものである。
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 アングロサクソン系諸国が二大政党に向いている理由は、逆説的ではあるが、与野党両者を操っている国際的立場の第三者の存在であろう。日独でうまくいかないのはそれがいないためだとしても、敢えてこれを迎えて国際勢力の奴隷になる必要はあるまい。
 南北朝対立は存在すべきではない。国民はこれを念頭に置き、常に唯一の皇室を立てて國體の保持に努めなければならない。
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『みち』の安西(正鷹)さんの「お金の本質」にあるように、貨幣経済がポイントのようですね。それが必然的な流れにあったにしても今後どのように変化を遂げて行くのかは分かりませんが、南北朝もその始まりが『荘園外に「散所」が自然発生して貨幣経済の拠点となったから生じたもの』というのが興味深いところです。

落合氏の云う「国民はこれを念頭に置き」というのは、「国際的立場の第三者の存在」というのが、私にはいまだに正邪と明確に分けられるものなのか判断がつかないのですが(>「結論から言う。ハザール人とはスサノオの子=ツランの兄弟である」は、正にそのとおりです。というところや、修験道や仏教の役割が正邪の区別を明確にさせません)、現時点において日独は「国際勢力の奴隷に」まさになろうとしているのかもしれませんが、今は奴隷であることを免れているということなのでしょうか(もう既に、属国であるとか、隷属しているとする向きもあるようですが、そういった発言には違和感を持っていました。「敢えてこれを迎えて国際勢力の奴隷」になるように、その手先として働いてい%E
140:サムライ:

2013/05/29 (Wed) 08:58:11

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馬之助さん、お早うございます、トンビです(笑)。

■神道と仏教
本掲示板の冒頭で、天童さんが栗本慎一郎について取り上げていますが、その栗本氏が神道と仏教の関係を取り上げています。
http://kurishin2013.wix.com/kurishin-world#!page-4-3/c1ext

このインタビューの中で、「ある意味で日本ではいまもそれは可能です。(日本には)皆あるんですよ。もともと神道があるところに仏教入れて、あんなでかい大仏なんか作ってね」、という栗本氏の発言が印象的でした。この発言を読んで咄嗟に思い出したのがカザールといった遊牧民族の創った“帝国”です。カザール帝国の支配層はユダヤ教をとりましたが、それ以外の層の人たちに対しては、イスラム教を含め信仰の自由に任せたという大らかさがありました。さらに寛大なのが日本で、クリスマスケーキを買ってきて祝い(キリスト教)、初詣に行き(神道)、お彼岸や盆にはお寺に墓参りに行く(仏教)のに何等抵抗を感じていないあたりが凄いと思います。

■法華経
先日、まほろば会にも幾度か顔を出したことのある、玉井(禮一郎)さんを久しぶりに訪れてきました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-168.html

玉井さんは出版社の社長であり、絶版になりましたが法華経も出していました。
http://www.nextftp.com/tamailab/books.htm

だから、訪問時に話題になったのが法華経に纏わる話でした。それと関連して帰宅してから思い出したのがら『正統天皇と日蓮』(小野寺直著 いしずえ)で、これは裏天皇に関する興味深い本ですが、自身が日蓮宗の“新派”を創立した玉井さんから観れば、同書は偽物だと一刀両断にしていました。一度<同書の真偽のほどを玉井さんに聞き出し、ブログに記事をアップしたいと思っています。


「ここに いざなぎのみこと ももにのりたまはく いましあをたすけしがごと あしはらのなかつくにに あらゆるうつしきあを ひとくさのうきせにおちてくるしまむときに たすけてよとのりたまひて おほかむづみのみこと といふなをたまひき」

この行は暗唱しています。やはり、古事記を暗唱するとなったら、幸田成友の訳がベストというか、言霊に最も忠実であるというのが朧気ながら分かるようになりました。むろん、トンビの精神でです。


> 柿添氏のブログに、ツランとスサノオの関係に言及しているものがあります。
http://kakizoe.seesaa.net/article/362951132.html

「結論から言う。ハザール人とはスサノオの子=ツランの兄弟である」は、正にそのとおりです。ただ、謎の民族だったカザールも栗本慎一郎のお陰で少しずつ秘密のベールが剥がれつつあるようです。


> 株式市場を観察すると、死体に輸血しているようなものだという表現が面白かったです。しかし、輸血を止めると死んでいるのがバレるので輸血をつづけるしかない

その意味で、『みち』の安西(正鷹)さんの「お金の本質」に注目しています。また、落合(莞爾)さんや天童(竺丸)さんらの話も統合し、拙ブログに簡単に纏めてみたいと思います。
139:馬之助:

2013/05/26 (Sun) 21:05:22

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サムライさん、こんばんは。

>やはり、馬之介さんもトンビでしたか…。だから波長が合うわけだ(爆)。ちなみに、まほろば会に来る連中は全員が全員トンビだと言っても過言ではありません。

散歩の時、春先には空の高いところから、ピーヒョロロという声が聞こえていました。おそらくトンビの鳴く声だと思うのですが、ノー天気でいいですね。こっちもつられて、空高く舞い上がりそうです。そこで一緒になってピーヒョロロとやれば、気持ちいいに違いありません。世間では株価が大暴落して損した得したとやっていますが、トンビにはやはりピーヒョロロですね。


>実は、今東光が当時の優れた記事を『おれも浮世がいやになったよ』に書いおり、拙ブログに公開しました。目から鱗の記事でした。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-188.html

相曾氏の物を読むと、仏教との関係が今一分からなくなったのですが、落合氏の『南北朝こそ日本の機密』を読むと、皇統との関わりも深いようですし、今東光氏の話でもそのようですね。以前『みち』のどこかで、天童氏が、法華経は仏教ではないという旨のことを書かれていました。また、サムライさんからは、栗原氏からの話で古代の日本は法華経だったというようなことを聞かされていますし、紀野一義氏は般若心経では悟れないので、法華経が出てきて、般若心経と反対のことを言っていると書いています。そんなことを頭の隅に置きながら「古事記」を読んでみますと、私なりの奇妙な解釈がでてきて、自分なりには少し納得しています。それは次の下で、私は大和言葉、ひらがなだけで書き出した物を声に出して読んでいます(読みやすいところで区切り、スペースを自分なりに入れています)。

「ここに いざなぎのみこと ももにのりたまはく いましあをたすけしがごと あしはらのなかつくにに あらゆるうつしきあを ひとくさのうきせにおちてくるしまむときに たすけてよとのりたまひて おほかむづみのみこと といふなをたまひき」

これを幸田成友の訳によって、漢語のルビを書き出しますと次のようになります。
「ここに伊邪那岐命桃子に告りたまはく、汝吾を助けしがごと、
葦原中國に有らゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、苦まむ時に
助けてよと告りたまひて、意富加牟豆美命と號ふ名を賜ひき。」

しかし、大和言葉で読んでいる私は、声を出して読んでいくうちに次のように読んで納得しています(前段の「あを」を「吾を」と読ませ、後段の「あを」は「青」と読ませるのには自然ではないものを感じないではいられません)。
「ここに伊邪那岐命桃子に告りたまはく、汝吾を助けしがごと、
葦原中國に有らゆる現しき吾を、人草の浮き世に落ちて、苦まむ時に
助けてよと告りたまひて、意富加牟豆美命と號ふ名を賜ひき。」
ここでは、ももに「人草の浮き世に落ちて、苦まむ時に」、「現しき吾を」助けてくれと云っているのです。吾は吾でも、「現しき吾」を、助けてくれと云っている訳で、ここでは伊邪那岐命という神が現実に生きている私たちである「現しき吾」になっているのです。ですから、その前のほうに「葦原中國に有らゆる」とあるのです。これは法華経の精神そのものと思えます。相曾氏風の言霊で解釈しても、「あ」は「広がりを意味する言霊」ということですから、合致するように思います。私には、この前後で、魂(こん)、天津神系、伊邪那岐命、天照大神と、魄(はく)、国神系、伊邪那美命、須佐之男命のことが、繰り返し丁寧に書かれているように最近では思っています。まあ、私たちが苦しむ時は、「人草の浮き世に落ちて」いる時に違いない訳ですから…。また、「人草の浮き世に落ちて、苦ま」ないようにするのが日拝鎮魂ですから、上手くできています。これに関しては、また、続けて書きたいと思います。漢語のルビに頼らないで、大和言葉で声に出して読むと、その響きから自分なりの解釈にせよ世界が広がるようで面白いですね。この辺りが鷹ではないトンビの自由さの発露ではないでしょうか。


>スサノオ系」の朝鮮半島が、もしかしたら今度こそ朝鮮動乱以来の大混乱に陥るのではないか、という話が出ました。

柿添氏のブログに、ツランとスサノオの関係に言及しているものがあります。
http://kakizoe.seesaa.net/article/362951132.html
柿添氏は立体史観で共感を覚えます。相曾氏も天孫降臨をサニワ(偽りのものを見分ける方法)に利用するようで、かかってきたものに次のように訊くようです。

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 次に天孫降臨について尋ねてみることです。正神に通じるかたでしたら、『古事記』に記してあるとおりに天上神界から天孫が立体的に下ってきたことを説きます。『古事記』をすなおに信じるよう諭してくれるのが正神界の系統です。
 一方、「天孫降臨とは、騎馬民族がシナ大陸から朝鮮を経て日本に渡来したのを美化しただけだ」と教えるのが天狗系の常です。現在、天狗系の人々が神道界を席けんしていますが、無神論の学者が説く平面史観の受け売りにしかすぎません。否、天狗系の思想が学界の一部に反映していることもじゅうぶん考えられます。
***********************************

次の映像は、飯山氏のグログで紹介されていたものですが、最近になって思い出して見てみたら面白かったです。藤原直哉氏の講演会ですが、大手町氏の言うことと近いように思います。これを紹介したのは、グッドジョブだと思います。株式市場を観察すると、死体に輸血しているようなものだという表現が面白かったです。しかし、輸血を止めると死んでいるのがバレるので輸血をつづけるしかないのが現状で、それを承知でアメリカはサブプライム以上に危険性の高い債券を懲りもせず売っているそうです。長いものですが、後半20分だけでも見ると、北朝鮮や中国、シリアやイスラエルの動向にも触れていて興味深いものがあります。
http://www.ustream.tv/recorded/32637039

138:サムライ:

2013/05/24 (Fri) 06:53:19

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馬之介さん、おはようございます。やはり、馬之介さんもトンビでしたか…。だから波長が合うわけだ(爆)。ちなみに、まほろば会に来る連中は全員が全員トンビだと言っても過言ではありません。一人だけ変わり種がいまして、「父上がタカ(名医だった)で、むすこである本人はタカから生まれたトンビ」だと、(藤原)源太郎さんがからかっていました。

> 私がしたことと云えば、一緒になって、子どもが辟易するくらい遊んだことくらい

なるほど。小生もそうでした。家族全員で車や電車で遊園地、動物園等に行った在りし日を思い出します。


> Aさんのシャーマニズム観、私も知りたいところですね。

同感です。今週あたりから相曾先生のビデオを観るつもりでいましたが、なかなか仕事から抜け出せません。まほろば会の報告書も、いつもは翌日あたりに作成して皆さんに送っていましたが、今回は未だ着手できない状態です。そのため、相曾先生のビデオなども当面先になりそうです。


>「後鳥羽天皇から後醍醐天皇の間は日月(じつげつ)紋だった」というあたり、関心を持ちました。もし、まだ分かるようでしたらどのブログかご教示願います。

実は、今東光が当時の優れた記事を『おれも浮世がいやになったよ』に書いおり、拙ブログに公開しました。目から鱗の記事でした。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-188.html

> 相曾氏は「鎮魂とは魂の状態でいることだ」とも云っています

小生は未だ一回しか通読していませんので、今年あたり再読しようと思っていますが、その他にも再読したい本が沢山ある…。

それにしても、先週のまほろば会ではつくづく思ったのは、相曾先生や馬之介さんの言う、「スサノオ系」の朝鮮半島が、もしかしたら今度こそ朝鮮動乱以来の大混乱に陥るのではないか、という話が出ました。今後も朝鮮半島の成り行きを見守っていきませう。
137:馬之助:

2013/05/19 (Sun) 22:19:26

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サムライさん、こんばんは。


>「鳶が鷹を生んだぁ~♪」

親が自分で言うのも妙ですが、私の場合はその通りだと思います。家内は帰省した二人の子どもを見て、「子どもと自分の同年齢の頃を考えると、自分が育てた子どもとは思えない」と感想を漏らしていました。私がしたことと云えば、一緒になって、子どもが辟易するくらい遊んだことくらいですし、家内もいつもカボチャの煮物が入っているような田舎くさい弁当を作っていたくらいしか、親として子どもにしてやれたことはないように思います。そんな私から見れば、子どもの就職先は子どもが今まで進んできた方向とは違った道のように思えるのですが、子どもはそのようには捉えておらず、大きな意味でひとつ引き出しが増えたので今度は(就職によって)また違った引き出しという風に、大きく捉えているようです。確かに大きく観ればその通りだと思います…。だから、就職が内定した今も、日本で開かれる国際学界での発表に備えて、その準備(スピーチの原稿を英文で書いているというのも、英語ができなかった自分には驚きです)に追われているようです。妙に気負いもなく坦々としているところが、変に達観していると云うか、家内じゃないですが、「自分の同年齢の頃を考える」と親として受け入れ難いところ(?)があるのが、正直なところです。


>Aさんから、興味深いシャーマニズム観を効かされており、

Aさんのシャーマニズム観、私も知りたいところですね。Aさんの独自の視点、興味が引かれます。


>「後鳥羽天皇から後醍醐天皇の間は日月(じつげつ)紋だった」というあたり、関心を持ちました。もし、まだ分かるようでしたらどのブログかご教示願います。

私もPCの状態が悪く、現在のところ確認ができません。「日月紋」で検索したものだと思います。

>お陰様で相曾氏のビデオ、今月の下旬あたりから鑑賞することができそうです。

それは楽しみですね。追加のDVDは、明日与一さんの方に郵送できそうです。

私は、また相曾氏の本を読み返してみたのですが、相曾氏は「鎮魂とは魂の状態でいることだ」とも云っていますね。一霊四魂の四魂を魂(こん)と魄(はく)に分けると、魂は幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)で天津神(伊邪那岐神、天照大神)系、魄は和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)で国津神(伊邪那美神、須佐之男命)系。相曾氏の云う魂とはこの分類で云うところの魂で、魂は魂でも幸魂と奇魂であり、天津神系(言葉を代えると天孫系)に留まっていなさいということのようです。そこにいることが鎮魂であり、その方法が日拝鎮魂法ということのようです。

私が気になることは、3,11から特に顕著なのは、この対極にある和魂と荒魂で、多くのブロガーはこれ幸いと声を荒げてみたり(荒魂)、恨み、怨みを公然と表明(荒魂)し、そうでなければ、新たにコミュニティーを作ろう(和魂)と提案したりで、それは状況からすれば一見素晴らしいように見えますが、魂という話になると、和魂と荒魂、国津神(伊邪那美神、須佐之男命)系なんですね。須佐之男命といえば、高天原を追われ天下った先は朝鮮半島であり大陸由来のものと云えそうですから、天津神系(言葉を代えると天孫系)から離れていこうとする方向に思えてしまうのです。まあ、私には、「これ幸いと声を荒げてみたり(荒魂)、恨み、怨みを公然と表明(荒魂)し、そうでなければ、新たにコミュニティーを作ろう(和魂)と」いうのは、できないので、できないことは云ってみてもしようがないので、自分にできること、「魂の状態でいること」を実践するしかないです。
136:サムライ:

2013/05/16 (Thu) 07:13:39

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馬之助さん、よいお話をありがとうございました。


> 仕送りだけでは不足するため夜遅くまで二つのバイトを掛け持ちしていたり、

京都の息子が大学の傍ら専門学校に通いたいとのことで、バイトのかけもちで専門学校の学資を稼いでいると、先月のまほろば会で話したところ、(藤原)源太郎さんから、「鳶が鷹を生んだぁ~♪」と3回も言われてしもうた…(爆)。また、それ以外に先輩に音楽のプロを目指しているのがいるということで、ドラムを叩いたり公演したりと青春を謳歌しているようです。また、紹介したいという人、上手くいくと良いですね。尤も、馬之介さんもそんなに早く爺さんにはなりたくないだろうけど…。


> 「この両度の大政略は畢竟(ひっきょう)、偏(ひとえ)に人心統一を願われる國體天皇の祈りから生まれたもの、との認識が深まりました。」この表現には唸らないではいられませんし、言外に多くのことが語られているように思います。

これはシャーマンに関係するのですが、相曾氏のビデオや栗原さんの一連の本(『真贋大江山系霊媒衆』)をベースに、馬之介さんもご存じの小生と同郷のAさんから、興味深いシャーマニズム観を効かされており、機会を見て駅前あたりの喫茶店で語り合ってみたいと思っているところです。なお、AさんのPCが故障のため、暫くメールでは連絡は取れない状態です。


***********************************
 英王室の王子が来日して二一世紀型の新日英同盟を模索する計画が明らかになったのは、皇太子ご夫妻のオランダ訪問が決まったことを受けてのことである。世界情勢がユダヤ系国際金融資本の跳梁跋扈で終末(ハルマゲドン)位相に突き進む現状にあって、英欧王室とわが国の皇室が連携する王室外交が活発化する動きが強まっている。
 立憲君主国体とは無縁の世俗政体のみの米国覇権の衰退が、世界情勢終末位相へと誘発する危険性を食い止めたいとする動きである。その米国内政が不気味な内乱の兆しを見せ始めている。
***********************************

このあたりは『みち』の情報の凄さだと思います。

また、馬之介さん仰せの「英欧王室とわが国の皇室が連携する」で思い出すのが、栗本慎一郎の『ゆがめられた地球文明の歴史』です。シベリアを起点に東に移動した集団が現在の日本の皇室の基になり、そして西に移動した集団、より具体的にはゲルマン民族がヨーロッパに入り、現在の英欧王室の基になった。だから、ヨーロッパにおける君主国の君主は、たいていはドイツ系であるのも頷けます。ご存じのように、英国のエリザベス女王もドイツ系ですね。ともあれ、ある意味で皇室も英欧王室も、出自が同じ遊牧民族であったことから、共に「連携する」のも自然なことだと思います。


> この皇室の御紋章、菊花十六紋が用いられるようになったのは室町以降のようで、後鳥羽天皇から後醍醐天皇の間は日月(じつげつ)紋だったと他の人のブログにありました。
「後鳥羽天皇から後醍醐天皇の間は日月(じつげつ)紋だった」というあたり、関心を持ちました。もし、まだ分かるようでしたらどのブログかご教示願います。落合氏の『南北朝こそ日本の機密』、あるいは南北朝について取り上げた『正統天皇と日蓮』(小野寺直著 いしずえ)などを絡めて、思索してみたいと思います。

お陰様で相曾氏のビデオ、今月の下旬あたりから鑑賞することができそうです。
135:馬之助:

2013/05/12 (Sun) 21:26:59

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サムライさん、こんばんは。

帰省した子どもの話によると、就活の面接では、試験の評価や学業の成績を重視するのではなく、学生生活で主体的に何を行なってきたかを問われたということで、仕送りだけでは不足するため夜遅くまで二つのバイトを掛け持ちしていたり、研究室も二つ掛け持っていたり、かといって、暇と金がある時には国内外の貧乏旅行に出掛けたりで、そういったエピソードには事欠かなかったことが、就活の面接を有利に運ばせたそうです。何が幸いするかわかりません。人間性を問われ、そこを問うからには成績ではなく人を大切にしてくれそうなので、強く入社を望まれたこともあって、それに従ったということでした。紹介したい人というのは、親としてとやかく言うことではないので、一緒になって喜ぶばかりでした。


>この点に関しては、落合氏の『南北朝こそ日本の機密』は無関係です。大手町氏の記事をベースに思ったことを書きました。

>少なくとも国の将来を憂う処から出ているというのが最も大きいと思います。

この件に関して、落合氏自身があとがきに書かれていましたので、引用しておきます。

***********************************
 この史観の中心に位置する南北朝問題が、実は「大塔(おおとう)政略」により巧妙に解消されていたことを知ったのが、今回の調査です。これにより、私は大きな衝撃を受けると同時に、國體(こくたい)がこのような形で健全に保たれてきたことに安堵を感じました。しかも、私がその存在と概容を洞察した江戸幕末の「堀川政略」が、実は「大塔政略」を規範としたものと悟るに及んで、先人の神通の知恵とこれを実行に移した広大な度量にただ打たれるばかりです。この両度の大政略は畢竟(ひっきょう)、偏(ひとえ)に人心統一を願われる國體天皇の祈りから生まれたもの、との認識が深まりました。
 翻って今日の日本を観るに、安土桃山時代以来最大の節目に差し掛かり、国外勢力がもたらす嘗(かつ)てない大難に正に遭遇せんとしています。日本人がこれまで蓄えた富の一切を略奪(りゃくだつ)し、わが皇室をカトリック教会と心中せしめんと企(たくら)む外敵は、日本国民の離間を謀(はか)り、皇室内部を再び南北朝の対立に導くための言論謀略を開始したそうです。
***********************************

「この両度の大政略は畢竟(ひっきょう)、偏(ひとえ)に人心統一を願われる國體天皇の祈りから生まれたもの、との認識が深まりました。」この表現には唸らないではいられませんし、言外に多くのことが語られているように思います。

五月一日発行の「みち」の藤原源太郎氏の記事に次のようにあります。

***********************************
 英王室の王子が来日して二一世紀型の新日英同盟を模索する計画が明らかになったのは、皇太子ご夫妻のオランダ訪問が決まったことを受けてのことである。世界情勢がユダヤ系国際金融資本の跳梁跋扈で終末(ハルマゲドン)位相に突き進む現状にあって、英欧王室とわが国の皇室が連携する王室外交が活発化する動きが強まっている。
 立憲君主国体とは無縁の世俗政体のみの米国覇権の衰退が、世界情勢終末位相へと誘発する危険性を食い止めたいとする動きである。その米国内政が不気味な内乱の兆しを見せ始めている。
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「立憲君主国体とは無縁の世俗政体のみの米国覇権の衰退が」という表現にも唸ります。日本では所謂知識人や知の巨人と自称する人たちの周辺にたむろする人たちは、「立憲君主国体とは無縁の世俗政体のみの」樹立を願ってやまないようです(その結果が、「米国内政が不気味な内乱の兆しを見せ始めている」ならば、皮肉なものです)。そういったものが「世界情勢終末位相へと誘発する危険性」へ人民を誘っているとすると、「英欧王室とわが国の皇室が連携する」しか他はないのでしょうか。
また、そういった動きも、「偏(ひとえ)に人心統一を願われる國體天皇の祈りから生まれたもの」という認識を、私たちは深めていかなければならないのではないでしょうか。「立憲君主国体とは無縁の世俗政体のみ」であることが、「覇権の衰退」に繋がっていくというのも、面白い表現です。

>この二人のやりとりを見て、馬之介さんはどう思われますか?

また、落合氏のあとがきに次のようにありました。

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 本稿を脱稿して七日後の二月十八日、流遇先で覧(み)せられた『新潮45』誌に、驚くべき記事がありました。山折哲雄の「皇太子殿下、御退位なさいませ」と題する一文です。内容を一言で謂うと、「雅子妃殿下の健康状態が問題だから、皇太子殿下はその地位を秋篠宮に譲り、家庭人として看病してあげなさい」というような趣旨であります。
 これを見て直感的に浮かんだのが「南北朝の再来」です。
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さて、日足(ひあし)紋は太陽を象ったものではなく源氏車紋の内部だけを取り出したものに由来すると云う件ですが、皇室の御紋章の菊花十六紋が本来の太陽光線の形に由来するものではなく菊の花と認識されているように、ある意味奥床しい話ではないでしょうか。日拝をしているものには、紹介のブログにある様々な日足紋は見覚えがあって親しみを感じます。特に、日足でなく中心部分に巴をあしらったものは、うまく動きを捉えていて面白い表現だと思いますし、実際にそのように見えることが多々あります。ですから、「別の家紋に深い知識を持つ人」の言うことは頷けます。
この皇室の御紋章、菊花十六紋が用いられるようになったのは室町以降のようで、後鳥羽天皇から後醍醐天皇の間は日月(じつげつ)紋だったと他の人のブログにありました。日月(じつげつ)紋とは、日と月の二つの円を横並びにした紋ですが、つい先日まで私は太陽がこのように二つに見えていたので、興味を引かれます。
相曾氏には菱形に見えるということですが、伊勢内宮の紋は菱形の内側に八つの光芒(こうぼう)を納めたものだそうで、それは極秘のうちに伝えられてきたものだそうです(ですから、源氏車紋であろうが、菊の御紋であろうが、それは奥床しい表現だとしても、伝えられて来ることの方が大事なようです)。相曾氏の本に「この御紋が日本にあるかぎり、日本はどんな天変地異に見舞われようとも、いかなる歴史的大変動に遭遇しようとも、絶対に滅びることはありません。内宮の御紋は、天祖(天照大神)、御自ら日本国民を守ることを約束されたシンボルだからです」、とあります。それはまた「畢竟(ひっきょう)、偏(ひとえ)に人心統一を願われる國體天皇の祈りから生まれたもの」に繋がる所以ではないかと思います。ですから、日拝はその御心に添おうという行いではないかと思うのです。
しかし、日拝鎮魂というと、日光浴として矛先をずらそうという向きもあるようですから、面白いものです。


134:サムライ:

2013/05/09 (Thu) 06:48:13

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馬之助さん、おはようございます。なかなか充実した連休を過ごされたようで,羨ましいです。安芸の宮島、確か、遠い昔に新入社員の研修で大阪にいた頃、週末を利用して訪れたことがあります。機会があれば、再訪してみたい場所の一つです。

> 前日まで左側頭部の左脳の言語野で響いていたものが頭頂部で響くようになっていました。

これは凄い…。また、馬之介さんの以下の言葉…

> シャーマニズムというのは、言葉にするのは難しいものではないかと思っています。相曾氏もその言葉に、シャーマンと簡単に括ってしまうところに問題があるとあります。私が日拝鎮魂をするのもその辺りに理由のひとつがあります。

相曾氏を『みち』の巻頭言で紹介してくれた天童さん、相曾氏の本を貸してくれたまほろば会の先輩方、相曾氏のDVDを貸してくれた林さん、そして何よりも相曾氏の日拝を実践実証された馬之介さんの体験談は非常に貴重です。今後も新たな体験がありましたら、ご報告戴ければ幸いです。

ここで、日拝をやっておられる馬之介さんにお聞きしたいことがあります。実は、小生の住んでいる街に家紋協会の会長さんがおられます。その会長さんのブログで、別の家紋に深い知識を持つ人が質問を投げかけていますが、この二人のやりとりを見て、馬之介さんはどう思われますか? 現在、『みち』で「みょうがの旅」を連載中の中村さんも、もしこの掲示板に目をとおしておられたら、意見を聞かせて戴ければ幸いです。ポイントは「日」にあると思います。
http://blog.livedoor.jp/kiseki612/archives/1168560.html#comments


> そういったものを見越しての、落合氏の『南北朝こそ日本の機密』の出版なのでしょうか。

この点に関しては、落合氏の『南北朝こそ日本の機密』は無関係です。大手町牛の記事をベースに思ったことを書きました。

> それを十年、二十年も前から、さる筋を経由して漏らされて来たこと、またそれを取り纏める落合氏という人物が居て、出版までいってしまうところが神国日本の所以というところでしょうか。

落合さんが自身の意志で書いているのか、何処からか〝背中を押された〟書かされているのか、または全く無意識で書かされているのか、このあたりについては小生には分かりませんが、少なくとも国の将来を憂う処から出ているというのが最も大きいと思います。そのあたりは、落合さんの徳川慶喜公に対する評価、皇室への思いなどから分かります。『徳川慶喜公伝』を読み進めていますが、全巻を読破するのは大分先になりそうです。
133:馬之助:

2013/05/05 (Sun) 18:05:46

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サムライさん、こんばんは。

連休の前半を利用して、4月29日に一番目の子ども(大学院二年の長男)の寝具を新しいものに交換しに行こうと計画していました。その旨連絡すると、かねてから5月の連休までには就活にメドをつけて決まったら報告のために帰省すると言っていた通りに、連休明けの週末に帰って来るそうな(報告というのは、就職のことだけではないようで、その時に、紹介したい人がいるので連れて行ってもいいかということでした)ので、こちらから行くのは中止にしました。「紹介したい人というのはなんだ」と家内にいうと、「男の人じゃあないでしょう」と暢気なことを言っています。私も、順序は間違っていないので、一緒になって喜んでいればいいかと思っています。で、4月29日はスケジュールがなくなったのでどうしようかと思っていると、4番目の子どもが、宮島に行ってみたいというので、そうすることにました。といっても子どもの場合、厳島神社が目的ではなく、宮島の水族館と牡蠣小屋での牡蠣料理、春物の服のショッピングが主たる目的のようです。その全てを満足させるため、休日なのにも関わらず、かなり早い時間に出発することになりました。そのため、待つことなく駐車場に車を預けることができましたし、おまけにフェリーが丁度来ていたので、飛び乗ることもできました。早速、厳島神社の本殿まで行ってみると、古色蒼然とした祭事が厳かに行なわれようとしているところでした。それは『昭和祭』というもので、何も知らないままに行ったにもかかわらず、本殿の正面から一部始終(雅楽も巫女の舞も素晴らしかったです)を経験することができました。これも、毎朝の散歩で厳島神社の分社に参拝しているせいでしょうか。子どもが「こんなものを見せられたら、水族館は、もう見なくていい」といったのが印象的でした。見えないものが見えたり、聴こえないものが聴こえたりすることはありませんが、当初の計画が変わらなければ、起こりえなかったことですから、神謀りはその範囲を広げながら起こってきているように感じないではいられません。
そのおかげか、日拝の時にどう見ても二つに見えてしまう太陽(「双分制」とはここに由来するものなのかと納得するところでした)が、翌朝にはひとつにしか見えませんでした。また、太詔戸言(ふとのりとごと)も、その言霊が体のいろんなところに響くのですが、前日まで左側頭部の左脳の言語野で響いていたものが頭頂部で響くようになっていました。


>『南北朝こそ日本の機密』を再読中です。今日で本業が一段落するので、終わったら急ぎ読了してアマゾンにコメントを書き込みたいと思います。現在、以下の記述が印象に残っています。



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修験道が独自の宗教理論を徒に深遠化せず、古神道に固着せず、また密教にも偏らず、ひたすら日本古来の山岳シャーマニズムに徹してきたことは、日本宗教史上特記さるべきものと思われ、寛政2(1799)年、光格天皇が役行者小角に大菩薩号を勅許されたのも顔る肯綮にあたります。(p.128)

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私もこの部分は印象に残っています。しかし、シャーマニズムというのは、言葉にするのは難しいものではないかと思っています。相曾氏もその言葉に、シャーマンと簡単に括ってしまうところに問題があるとあります。私が日拝鎮魂をするのもその辺りに理由のひとつがあります。

私が落合氏の『南北朝こそ日本の機密』で、印象的だった別の箇所は、

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新井白石は「南北朝の対立抗争こそ皇国の宿痾(しゅくあ)」と観ていたのです。そこで、何時(いつ)かは生ずべき虞(おそれ)のある南北朝の武力抗争を、未然に防ぐことを図ったのです。(p49)
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 日本列島には、縄文時代から土着してきた海人族とアイヌ、縄文末期に古イスラエル遺民のアマベ、秦氏に連れられて大陸から渡来し、弥生時代を開いた雲南経由で越(浙江省)経由渡来の倭族、さらに弥生時代以後に渡来したトルコ系騎馬族が住みつき、日本人の三大源流となりました。
 三大族種のうち、人口的血量では七割を占める倭族が、和を尚(たっと)ぶその精神により他の二種族の対立を緩和したため、騎馬族が軍事・政治部門に、海人族が商業・分化部門に、倭族が農耕・漁撈部門に携わる形で三大族種が社会機能を分担し、互いに協調して日本社会を発展させてきました。……
 長期間に蓄積した社会的矛盾はやがて限界に達し、それが破断界(カタストロフィー)に達すると、一気に露呈して社会構造を変化させ、その折に右の種族間の軋轢が共振するのです。日本の学者は何ゆえか誰一人として説きませんが、これこそわが朝特有の南北朝問題の本質なのです。……
 南北朝問題も、皇統の間の軋轢よりも、背後勢力が争っていることが重大な問題なのです。(p140〜141)
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>仮に遠い未来に「民のかまどはにぎはひにけり」の世界が実現するにしても、そこに至るまでには「中国で戦争や内乱、国家の崩壊」が勃発するだろうし、拙ブログでも書いた「TPPや黒田緩和」のため、日本人の国民性が変貌を遂げている可能性もあります。

そういったものを見越しての、落合氏の『南北朝こそ日本の機密』の出版なのでしょうか。それを十年、二十年も前から、さる筋を経由して漏らされて来たこと、またそれを取り纏める落合氏という人物が居て、出版までいってしまうところが神国日本の所以というところでしょうか。それのないアメリカの南北関係はどうなっていくのでしょうか。それをも含めての神謀りということなのでしょうか。

132:サムライ:

2013/05/02 (Thu) 06:48:27

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1367444908.jpg 馬之助さん

GWの真っ最中ですが、涼しい日が続きます。例年はGWが終わる頃に炬燵を仕舞っていましたが、この分だと当面は仕舞うわけにはいかなようです。


> 「民のかまどはにぎはひにけり」という言葉の意味は深いものがありますね

仮に遠い未来に「民のかまどはにぎはひにけり」の世界が実現するにしても、そこに至るまでには「中国で戦争や内乱、国家の崩壊」が勃発するだろうし、拙ブログでも書いた「TPPや黒田緩和」のため、日本人の国民性が変貌を遂げている可能性もあります。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-140.html

それだけでなく、日本の場合は人口も劇的に減ります。本記事に貼り付けた「日本の人口動態…西暦1000年~2200年」をご覧ください。人口は“自然に減少”する以外に、福島原発、その他の“人為による減少”の可能性も高いでしょう。たとえば、「中国で戦争や内乱、国家の崩壊」が起きれば、その余波が大津波となって日本を襲うことは間違いありません。

> 「堀川政略」

『南北朝こそ日本の機密』を再読中です。今日で本業が一段落するので、終わったら急ぎ読了してアマゾンにコメントを書き込みたいと思います。現在、以下の記述が印象に残っています。

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 修験道が独自の宗教理論を徒に深遠化せず、古神道に固着せず、また密教にも偏らず、ひたすら日本古来の山岳シャーマニズムに徹してきたことは、日本宗教史上特記さるべきものと思われ、寛政2(1799)年、光格天皇が役行者小角に大菩薩号を勅許されたのも顔る肯綮にあたります。(p.128)
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5月という衣替えの季節を迎えましたが、『みち』の複数の関係者も北は宮城から西は広島や岡山辺りと、アチコチ放浪しているようです。もしかしたら、馬之介さんの所にも寄るかもしれませんぜ(笑)。
131:馬之助:

2013/04/28 (Sun) 22:09:58

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サムライさん、こんばんは。

経済活動にも、その国々の国民性や文化と切り離せないものがあるようです。

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中野……マサチューセッツ工科大学を中心に「メイド・イン・アメリカ」というレポートが出されて、アメリカと日本とドイツを比較して、なぜ製造業が強いところと弱いところがあるのかという分析をやったんですね。そこで出た結論は、製造業、モノづくりの強さというのは、その国の国民性や文化と切り離せないということなんですね。
 たとえば、アメリカが海外との競争を遮断して,国内で製造業を強くしようとしても、そう簡単にはいかないのです。製造業のようなものを発展させるには、勤勉さとか、人と協力しあう習慣とか、倹約して将来のために投資しようとする精神とか、いろんな文化的な条件や過去からの蓄積が必要なんです。(中略)
 アメリカが対外的に稼げそうな分野というのは、農業のような一次産業か、金融やソフトウェアなどの三次産業でしょう。しかし農業は、特にアメリカは大規模効率化しているので、そんなに人手がいらないわけですよ。だからいくら農業で儲(もう)けても、雇用の拡大や所得格差の是正にはほど遠い。そうするとソフトウェアとか金融とか保険とかのサービス産業ですが、この分野で稼げるのは高学歴のエリート層だけです。だからこの分野で輸出を伸ばしても金持ちがもっと豊かになるだけなのです。(「グローバル恐慌の真相」からの引用)
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ということは、TPPでアメリカが輸出を増やしたい分野は、農業、そして本命は金融、保険ということになりそうです。その通りに、TPPはその分野に焦点が絞られていることが分かってきているようですが、それがその狙いのようにいくのかというと、結局所得格差を生むばかりで、全体的には上手くはいかないもののようです。

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 では、アメリカが推進するTPPに日本が参加し、関税を撤廃して農産物の輸入を増やしたら、グローバル・インバランスの是正に一役買うことになるのでしょうか。
 答えはノーです。なぜなら、関税の撤廃により、安価な農産物が流入すれば、デフレは悪化します。デフレが悪化すれば、日本人の国民所得と購買力は低下するので、結局、輸入量は全体として増えるどころか,逆に減ってしまうのです。(中略)
 日本は、グローバル・インバランスの是正のため、世界経済の再建のため、輸入を拡大すべきではあります。しかし、TPPに参加する必要はありません。むしろ、TPPへの参加は、デフレの悪化を通じて、日本の輸入の総量を減らします。日本は、アメリカの消えた消費を埋める需要を作り出せなくなるため、世界経済の再建はかえって遅れてしまいます。(「TPP亡国論」からの引用)
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そんな、世界経済の再建をかえって遅らせてしまうようなTPPを、なぜ強行しようとするのかというと、そこに国民性や文化が関係して来るようです。


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中野 私もそう思います。ただ、アメリカの場合は、脱グローバル化して助かるかどうか怪しいんです。脱グローバル化をして、賃金を上げて所得を増やし、消費者が借金をしないで消費できるようにするのが健全な姿ですが、一般消費者が所得を上げるためには貧富の格差を是正しなければいけない。(中略)
 格差の是正には、権力と地位を支配している金持ちたちが、これをあきためて所得の再分布に同意するという奇跡が起きないとだめなわけです。(中略)
 貧富の格差を是正するということをやらないかぎり、アメリカはどうにもならない。しかし、その貧富の格差を是正というのはすぐれて政治的な問題であり、それこそ社会的問題です。ですから、アメリカの金融がいかに強かろうが、ハーバード大学のマイケル・サンデル先生の白熱教室で教育を受けたエリートたちがいかに頭がよかろうが、核兵器を死ぬほどもっていようが、どうにもならんのです。
柴山 (前略)
 八〇年代後半ぐらいからアメリカは株高政策です。不況になるたびに金融緩和をして、とにかく資産価値を維持するという政策をずっとやり続けてきた。(中略)
 ということは何を意味するかというと、バブル崩壊から反省して、国内産業を立て直そうという方向には行かないということです。国内産業を地道に立て直して、長期的に雇用の質を高めて格差を縮小させるような時間的余裕も、国民の精神的余裕ももう存在しないでしょう。今の帝国経済そのままなんとかごまかして維持するということ以外、アメリカはやりようがないんじゃないかという気がします。
中野 結局アメリカは、さらなる金融化しか道がないということですね。つまり、TPPその他を仕掛け、ブッシュ政権時代にやったような金融化を推し進めて、グローバル・インバランスをさらに拡大させていくというプロセスに入っていかざるを得ない。そうしないとこの世界不況から脱出できない。
柴山 グローバル・インバランスを拡大するということは、アメリカの消費者が再び借金を増やして、世界中からモノを買い続けるということです。(後略) (「グローバル恐慌の真相」からの引用)
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中野 (前略)グローバル・インバランスは、アメリカの経済収支赤字を削減するとか、中国や日本が内需を拡大することで解決できるんですが、アメリカは社会的に無理。中国もまったく同じで、中国に内需拡大しろといっても現実的にはできない。それはさっき言ったように、所得格差の是正が政治変動を起こしかねない危険を内包しているからなんですね。(中略)マクロ経済管理ができない国はグローバル化してはいけなかった。中国やロシアなど、日本人が羨ましがっていた「成長する新興国」は、マクロ経済運営に必要な条件もないのに,グローバル経済に接続されてしまった。防波堤なしで荒波にさらされているという状況なのに、日本人はそのことを全然知らないんですよね。
柴山 (前略)
 経済発展が大事ってみんな言いますが、その前にまずしっかりとした国家が形成されるプロセスが必要なんです。(中略)
 考えてみれば日本は、幕末から始めたとして、今日まで一五〇年かけて国づくりをやってきたんですね。その途中で何回も戦争や恐慌を体験して、なんとかここまで来た。(中略)
 今の中国の経済の発展はこれから始まる大混乱の前触れであると考えのが、自然でしょうね。中国がこれから戦争や内乱、国家の崩壊も起こさずに、あと一〇年、二〇年もすれば安定した国家になるということ自体、歴史というものをまったく踏まえていない見方だと思います。(後略)(「グローバル恐慌の真相」からの引用)
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長々と引用を重ねてみてきましたが、国づくりということになると、落合氏のいう「堀川政略」の深遠な意味合いがやっと分かってきはじめました。TPPで追いつめられていくのは、結果的にはアメリカの方になるのではないかと愚考しています。日本が内需を拡大する方向性はひとり日本のためだけではなく、グローバル・インバランスは日本が内需を拡大することで解決できるようですから、世界経済の再建に繋がるようです。「民のかまどはにぎはひにけり」という言葉の意味は深いものがありますね。やがてそれを多くの国が認めないではいられなくなるのではないかとも愚考する次第です。確かに、フラット化はあるでしょうがあ(吾)へ(減)ることによって、それは世界の繁栄に繋がるでしょう。アメリカは、な(汝)へ(減)ること、汝から富を略奪する道しかないようですから、それはすなわち、な(汝)へ(減)る=萎えるを意味するのでしょう。そういった意味でも、日本の国民性や文化を大切にするということは意味深いものだと思います。コスモポリタンを自称することの空虚さを思わないではいられませんし、相曾氏の一連の話も大切なことだと思います。

130:サムライ:

2013/04/25 (Thu) 04:46:05

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馬之介さん、おはようございます。4月も下旬になって、秩父山地の麓にある拙宅でも、炬燵を仕舞う準備をしています。


> 北朝鮮は日本のスサノオ性の現れのように感じられてきます。よって、藤原氏の情報には興味津々です。

先週の土曜日、色々と北鮮に関するお話を源太郎さんから聞いてきました。特に、戦争屋と北鮮との間で〝核戦争〟が本当に勃発するのかと危惧していましたが、今のところ金正恩の〝勝利〟に終わっているようで、安堵しています。

「北朝鮮は日本のスサノオ性の現れ」については、相曾氏の二冊の本にも書いてありました。スサノオと言えば、現在通読中の『牛頭天王と蘇民将来伝説の真相』と深く結びつきます。他にも読みかけの本が多く、なかなか同書を読み終えるに至っていませんが、読み終えたら読後感をスサノオと結びつけ、拙ブログに書くかもしれません。

源太郎さんの話から印象に残ったのは、池口恵観大阿闍梨の件もさることながら、北鮮と交渉しているのは政府ではなく京都という情報です。このあたり、落合さんが『南北朝こそ日本の機密』の最後に言及していた、例の山折氏の皇太子殿下と雅子妃殿下に関する記事と、深層では繋がっていると思います。

> 脱原発・反原発に、なぜ左翼が多いのか?
http://www.youtube.com/watch?v=iljO69WObfY&list=PL00B89ABB3FA9EFE3

馬之介さん、右翼の雑誌と言われている月刊日本のスタンスも、脱原発・反原発で、いつの世にも例外はあります(笑)。


> TPPの出自も窺えるようですが、リーマン・ショックをアメリカ一国の問題とする訳にも、また、いかないような気もしてきました。

TPPですが、月刊日本のスタンスは一貫して反対の立場ですね。ただ、一部の識者、例えば佐藤優氏の場合、〝戦略的観点〟からTPPを支持する旨の記事を、1年ほど前に月刊日本誌に書いていましたが、〝同じ釜の飯を食った〟鈴木宗男が最新の『月刊日本』5月号で、「TPPによる國體破壊を防止せよ!」と題する記事を書いており、佐藤氏が鈴木氏の記事にどう反応するか、注目したいと思います。

「日本が内需主導で成長し、輸入を拡大すべき」というのは、如何にも終焉を迎えつつある資本主義側の人たちの考えそうなことですね。「民のかまどはにぎはひにけり」という、対極的な生き方を見つめ直す時期に、我々は差し掛かってきたのではないでしょうか。

> TPPによって日本からの搾取で過剰消費を継続することだ

御意。


>  世界経済の状況にあてはめていえば、リーマン・ショックを引き起こしたグローバル化や新自由主義的考え方で、問題を解決することはできないのです。(「グローバル恐慌の真相」からの引用)

中野氏の言うとおりだと思います。アベノミクスはどういう方向を目指しているかは、安倍政権が発足してから半年近く経って大凡が見えてきましたし、そのあたりを的確に指摘しているのが,大手町さんが今月号の『月刊日本』に寄稿した、「米国のための日銀総裁人事」(p.24)だったと思います。
129:馬之助:

2013/04/21 (Sun) 21:31:29

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サムライさん、こんばんは。

>現在の朝鮮半島は予断を許さぬ状況下になりましたね。今週の土曜日、藤原さんにお会いする予定ですので、最新の朝鮮半島情勢をお聞きしてきます。

相曾氏の影響でしょうか。日本をアマテラスの国とすると、北朝鮮はスサノオの国に見えてきました。しかも陰陽で一対ですから、北朝鮮は日本のスサノオ性の現れのように感じられてきます。よって、藤原氏の情報には興味津々です。


>主要エネルギー資源を巡って、日本がどのような行動に出るか(あるいは行動を強制されるか)、注目しています。


ユーチューブで偶然、当時京大の准教授、中野剛志氏の次のような映像を見つけました(リーマン・ショック以降世界が変わっているのを冷静に分析するために、一旦、拘束されることの多い官僚から退いて、束縛の少ない大学に籍を置いたと云う変わり種のようです)。

脱原発・反原発に、なぜ左翼が多いのか?
http://www.youtube.com/watch?v=iljO69WObfY&list=PL00B89ABB3FA9EFE3

ここでは脱原発・反原発を安全保障と云う観点から捉えています。則ち、脱原発・反原発を叫ぶことで、原子力発電という選択肢を消して火力発電に偏らせ、原料の輸入先を限定させることによって、金銭的な利権を越えて国家の安全保障が他国の手に落ちるように仕向けているという訳です。そういった面からもサムライさんが云うように「主要エネルギー資源を巡って、日本がどのような行動に出るか(あるいは行動を強制されるか)、注目しています」となります。こういう観点で原発が語られることがあまりない(庶民は放射能の恐怖を強調されることによって、思考停止を起こし、安易に脱原発・反原発を善なるものとして受け入れてしまうもののようです)ので面白く思い、中野剛志著・「TPP亡国論」と中野剛志・柴山桂太著・「グローバル恐慌の真相」というのを読んでみました。そこに面白い表現がありましたので引用してみます。

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 では、アメリカの消費者に代わって、誰が世界経済を引っぱることができるのでしょうか。国際連合貿易開発会議(UNCTAD)が、二〇一〇年度版「貿易開発報告書」において、この問題を論じています。
 二〇〇〇年代は、アメリカの過剰な消費が世界経済の成長を牽引していた。しかし、このグローバル・インバランスの世界経済の構造こそが、金融危機の遠因である。このグローバル・インバランスの構造は、もはや持続不可能である。世界経済秩序の安定化のためには、グローバル・インバランスの是正(リバランス)が必要である。すなわち、アメリカは過剰消費を改める一方で、日本、ドイツ、中国といった経済収支黒字国は、内需を拡大し、輸入を増やすべきである。しかし、今のところ、日本、ドイツ、中国のいずれもが、依然として輸出主導で経済回復を図ろうとしている。このため、リバランスは進んでおらず、世界経済は依然として脆弱な構造のままである。
 「貿易開発報告書」は、このように述べた上で、アメリカに代わる牽引役を検討しています。その中で,成長の期待が大きい中国については、アメリカの代役を期待することはできないと国際連合貿易開発会議は結論するのです。(中略)
 国際連合貿易開発会議は、それはドイツと日本だと指摘しています。ドイツと日本は消費需要の規模が大きいだけではなく、輸入している製品の性質がアメリカと近いからです。特に日本は、ドイツより消費規模が大きいことから、ドイツ以上の役割を果たすことができると期待されています。国際連合貿易開発会議は、リーマン・ショック後の世界経済の秩序回復、すなわち「リバランス」のためには、ドイツ、それ以上に日本が内需主導で成長し、輸入を拡大すべきであると主張しているのです。(「グローバル恐慌の真相」からの引用)
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どうやらリーマン・ショック後の世界経済の秩序回復の目途は立っているようですし、TPPの出自も窺えるようですが、リーマン・ショックをアメリカ一国の問題とする訳にも、また、いかないような気もしてきました。

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柴山 (前略)
 ブレトンウッズ体制というのは、第二次世界大戦後の西側世界で、為替をドルで固定し、各国の経済政策の自立性を保つ代わりに、資本移動は制限する、という体制でした。
 しかし、アメリカの貿易赤字が拡大してきたために、この体制が維持できなくなり、一九七一年のニクソン・ショック以降、段階的に金融自由化を進めた。つまり、資本移動の制限を段階的に外し、為替も自由化した。アメリカの赤字がいくら拡大しても、その分、アメリカへの資本移動があればファイナンスできるような構造にしてしまったのです。
中野 マネーのグローバル化は、そんなふうにアメリカのご都合主義で進んできましたが、その結果がリーマン・ショックと今回の世界大不況というわけです。要するに、約四〇年続いた経済システムが破綻したわけで、これまでとは違った経済システムへと移行しなければならないのです。(「TPP亡国論」からの引用)
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確かに、リーマン・ショックをアメリカ一国の問題とする訳にもいかないとはいうものの、知ってか知らずにか、アメリカのご都合主義に、各国ともそれぞれのご都合主義で乗っかっていったようですし、それなりに甘い汁も吸ったのでしょうから、アメリカ一国の問題とするのは、また、自身ご都合主義の誹りを受けないでは済まされないようです。かといって、これまでとは違った経済システムへの移行が、TPPによって日本からの搾取で過剰消費を継続することだとすると、継続を諦めた無理心中としか思えません。

私が一番面白く感じたのは、つぎのような表現です。

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中野 (前略)二〇〇八年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンが、リーマン・ショックの直後に、今の世界は『鏡の国のアリス』のような状態だと言っていました。つまり、鏡の世界のように世界は全部ひっくり返っていると。二〇〇八年の前と後が鏡の世界のように逆になっていて、前によかったことが悪い、前に悪かったことはよい、前に右だったことは今は左、前に左だったことは今は右になっているはずだという、そのぐらい考え方を変える必要があるというのです。
 ところが、我が国の場合は、残念ながら全然そうじゃないんですね。柴山さんがおっしゃったように、「日本は遅れている、グローバル化はいいことだ、なんでも自由化するのがすばらしい」という主張が相変わらず繰り返されている。
 物理学の世界では、アインシュタインがまさに相対性理論で、既存の物理学の固定観念、パラダイムそのものを変えたわけですが、その彼が重要なことを言っています。問題を生じさせたときの考え方で、その問題を解決できるわけがないだろう、と。
 世界経済の状況にあてはめていえば、リーマン・ショックを引き起こしたグローバル化や新自由主義的考え方で、問題を解決することはできないのです。(「グローバル恐慌の真相」からの引用)
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それを日本だけでなく、今や世界中でやっているようです。その最たるものが、サムライさんが言われるように「戦争が一番儲かるし、グローバル恐慌を回避するためにも、朝鮮半島で戦争が起こしたい連中が多いようです」ということでしょうが、その栗原氏がいう「ご破算で願いましては」をグローバル化してしまっている『鏡の国』で、果たして人の欲望を基にした計画通りにいくものなのでしょうか。グローバル化については、「グローバル恐慌の真相」の中にこういう記述があります。「…金融グローバル化が進んだ現在では、バブル崩壊のショックが世界的に予想もつかない形で連鎖する。…金融のグローバル化が進んでいたために、リーマン・ショックは世界中に激しい勢いで飛び火する結果となり、ついに同時多発的な国家債務危機にまで発達したのです」。「ご破算で願いましては」、そのものをご破算にしようというのが、北朝鮮の存在のようにも思えるのですが、スサノオは神ですから、人は真摯に受け止める他はなさそうです。

また、長くなってしまいました。サムライさんのレスポンスを待って、もう少しだけ続けます。
128:サムライ:

2013/04/18 (Thu) 06:29:55

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馬之介さん、藤原(源太郎)さんや飯山(一郎)さんがHP等で述べているように、現在の朝鮮半島は予断を許さぬ状況下になりましたね。今週の土曜日、藤原さんにお会いする予定ですので、最新の朝鮮半島情勢をお聞きしてきます。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-109.html

佐藤優氏が『月刊日本』三月号で語った、「原発推進派と脱原発派の議論は平行線に終わらざるをえない」という発言に関連して、原発離婚という言葉が一部に流行ったことがあるし、原発の是非を巡って会社の同僚はおろか、家族や親族の間でも“平行線”で終わっているケースが多いようです。小生の周りでも同様のことが起こりました。最初は放射性物質の恐ろしさを説いたり、豆乳ヨーグルトを勧めたりしていましたが、「米の研ぎ汁を使ったヨーグルト、そんな汚いものが飲めるか!」と、ほとんどの親戚・仲間からは無視あるいはバカにされました。だから、今はよほど相手が熱心に尋ねてこない限り、原発とか豆乳ヨーグルトの話は一切しなくなりました。

平野貞夫氏については、月刊日本主催の講演会で一度お話を伺ったことがあります。それで思い出すのは、まほろば会で顔を合わせる道友が質疑応答の時、「小沢一郎は済州島の出と聞いていますが,本当ですか」と問うと、平野氏は苦笑いされて否定していました(笑)。ところで、「ナノ純銀」によるセシウム低減効果を検証測定したという話で、汚染水で半減期を著しく短縮させることを確認した」という話、平野氏の口から出ると、信憑性が高まります。

平野氏の説く「低エネルギー核反応」(LENR)」については、「日本政府・主流学会・財界・マスコミは意図的に無視している」のは当然ですし、その他メタンハイドレートを巡っても政治的な動きが絡んでいるのは明かです。
http://methanehydrate.net/negative-feedback-to-the-methanehydrate.html

さらに、アメリカのシェールガス、ロシアの天然ガス、日本のメタンハイドレートといった主要エネルギー資源を巡って、日本がどのような行動に出るか(あるいは行動を強制されるか)、注目しています。


> TPPとグローバル恐慌へ話

戦争が一番儲かるし、グローバル恐慌を回避するためにも、朝鮮半島で戦争が起こしたい連中が多いようです。まさに半島には暗雲が立ち込めており、この文章を投稿した直後に戦争が勃発するかもしれません。TPPにつては、『月刊日本』四月号で亀井静香が「TPP参加は亡国への道だ!」と吠えていましたし、小生もブログに記事にしました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-110.html
アフラック保険の正体
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-126.html
立ち上がった埼玉西部地区の市長さんたち
127:馬之助:

2013/04/14 (Sun) 19:33:11

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サムライさん、こんばんは。

>現在、愛知の与一さんの所にDVDが行っていますが、あと1ヶ月ほどで拙宅に届くようです。

それは楽しみですね。実際の行動を促しているようなDVDの内容なので、できることから実行されることをお勧めします。そして、その結果をここで語り合えればいいですね。


>神社と関連する、以下の興味深い記事、「奏上している間は、潮騒の中」と書く馬之介さんはどう思われたでしょうか。
http://bloom.at.webry.info/201205/article_2.html
なぜ津波は神社で止まったのか

朝の散歩で参拝しているのは厳島神社の分社で、広島県の宮島にある本社と同様、朱の鳥居が満潮時には海の中にあります。したがって、その日は風が強かったこともあって「奏上している間は、潮騒の中」ということになったのです。

「月刊日本」の4月号に亀井静香氏が次のように語られています。

***********************************
…いまだに福島第一原発事故による放射線が人体に及ぼす影響については、全くわかっていない。スリーマイルにしろ、チェルノブイリにしろ、放射線が人体に及ぼす影響についてデータがない。
 モルモットになったのは、広島、長崎に対する原爆投下による被害者だ。彼らは、治療もしないで、データだけ取っていった。日本政府も、原爆被害者から取られたデータをくれと要求しない。
***********************************

これが正直な実際のところではないのかと思いますが、にもかかわらず、賛否どちらにしても断定的な言説をされる方が多くいます。それらを耳にする度に、その後ろに何かしらの思惑があるように感じられてなりません。

佐藤優氏は、同じく「月刊日本」の3月号の「『太平記』を読み解く」の中で、次のように云われています。

***********************************
 科学的合理主義的「世界」の見地からは、さまざまなデータを元に、「今回の事故は健康に影響はない」とする論や、はなはだしくは、「放射能は体に良い」とする議論がある一方、同じデータに基づきながら「これは極めて危険で、即時、全国の原発を停止すべきだ」という議論もあります。要するに、科学的合理主義的「世界」は、福島第一原発の事故に対して、数式のように美しく理路整然と「世界観」を示せなかったのです。
 こうして科学的合理主義的世界観がどうやら行き詰まっているらしい、画然たる結論はないようだとなると、生活の座としての世界観に、問題は移ります。
 誰だって死にたくはありませんし、病気にもなりたくない。その一方、既得権益があれば、それを放棄して生活のレベルを落とすなんてしたくない。
 すると、政府や東電は彼らの既得権益に満ちた「生活の座」を守るために、我々の「生活の座」を犠牲にしようとしているのではないか、という疑念が起こってくるわけです。もはや、科学的合理主義に基づいて説得しようとしても、「それはそっちが自分の権益を守るためにデータを隠蔽したり改ざんしたり曲解しているだけだろう」と、それはそもそも科学的合理主義ではないではないか、と否定され、原発推進派と脱原発派の議論は平行線に終わらざるをえないのです。
***********************************

日テレニュース24に、福島の内部被ばく「予測より大幅に低く」とする記事を載せています。
http://news.livedoor.com/article/detail/7582349/)「東京大学などの研究グループは、福島県内で行った大規模調査で福島第一原発事故の後、住民の食べ物などによる内部被ばくが当初の予測より大幅に低いことがわかったと発表した。」

節目、節目に「月刊日本」に寄稿されている平野貞夫氏が日本一新の会のブログ(http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-247.html)に「驚異的なエネルギー革命が始まっている!」(メタンハイドレートと日本資本主義)という記事を書かれています。これは、「ナノ純銀」によるセシウム低減効果を検証測定したという話で、汚染水で半減期を著しく短縮させることを確認したというのです。そのメカニズムには「低エネルギー核反応」(LENR)の可能性があるといい、この技術をさらに発展させれば、原発の放射性廃棄物をエネルギー源にして、無害化処理の可能性も考えられ、熱核融合とは異なるエネルギー源の開発につながるということです。その中に次のような一文がありました。

***********************************
天命は、東日本大震災と福島第一原発事故という悲劇を日本人を通じて人類に課した。同時にLENRによる放射能浄化や驚異的エネルギー革命の可能性を与えたといえる。日本政府・主流学会・財界・マスコミは意図的に無視している。核分裂や熱核融合発電への巨大な既得権が、わが国を崩壊へと導いている。これでは日本に未来はない。
***********************************

以上のことを既に、この「みち」のホームページのあいさつで天童氏が書かれていることが印象的です。
http://michi01.com/

なぜ津波は神社で止まったのかという話に戻りますが、「天之(あめの)御蔭(みかげ)・日之(ひの)御蔭(みかげ)と隠(かく)り坐(ま)して、安国(やすくに)と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)に、…。」とあるように、神社のあるところまでが、「安国(やすくに)と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)」ということではないのでしょうか。どうやってその地点を特定したかと云うと、「みち」に連載中の中村みつぞう氏が『みょうがの旅』で云われているように、汽水域(淡水と海水が混在した状態の水域。厳島神社には河はありませんが、本殿の下には三箇所に真水が湧き出る池があるそうで、干潮時にはそれが海に流れ出ているということで、やはりここも汽水域と云えそうです)が日本の信仰を紐解く重要な鍵ではないかということで、そこからが農耕生活を可能にする諸条件が最も揃う地形ではないかということです。つまり高天原由来の神に等しき稲が「安国(やすくに)と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)」というわけで、この地域内は守られているということです。メカニズムは分かりませんが、汽水域との関係で津波からも免れたのではないでしょうか。言わば、自然とともに安らかに暮らしていける地域ということで、そこから先は利便性の優先される土地(「公」から「私」に重心を移していくところ)で商業優先の場として後世の繁栄があるのではないのでしょうか。津波による水田の被害が23,600haあったそうですが、そこでは神に等しき稲としてではなく単に農作物として効率よく作られたものではないのでしょうか。大祓祝詞を奏上すると、自分の内面の世界にも「安国(やすくに)と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)」というのがあるようで、その範囲を超えて利便性の優先(「公」から「私」に重心を移す)し商業優先の場を求めようとするところに穢れが生じるように思えてきます。

長くなりました。この先、TPPとグローバル恐慌へ話を展開しようと思ったのですが、またの機会に譲ります。

126:サムライ:

2013/04/11 (Thu) 09:16:08

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1365639369.jpg 馬之助さん、今回の「太陽崇拝」のお話はなるほどなと思うし、また大祓祝詞を奏上しようと家を出た段階で雨が上がり、家に戻るやいなや再び雨が降り出したとのこと、偶然を超えた神計らいを思わせるものでした。ありがとうございました。


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如此依(かくよ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の国中(くになか)と、大倭(おほやまと)日高見之国(ひたかみのくに)を安国(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて、下津(したつ)磐根(いはね)に宮柱(みやはしら)太敷(ふとし)き立(た)て、高天原(たかまのはら)に千木(ちぎ)高知(たかし)りて、皇(すめ)御(み)孫(ま)之(の)命(みこと)の美頭(みづ)の御舎仕(みあらかつか)へ奉(まつ)りて、天之(あめの)御蔭(みかげ)・日之(ひの)御蔭(みかげ)と隠(かく)り坐(ま)して、安国(やすくに)と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)に、…。
***********************************

現在、愛知の与一さんの所にDVDが行っていますが、あと1ヶ月ほどで拙宅に届くようです。小生も今月の5日に2ヶ月近く続いた多忙な仕事も一段落し、現在は半日程度の仕事をこなしながら、未読の雑誌や書籍を読みあさっています。栗原氏の話が出ましたが、小生も今朝、拙ブログに「舎人家紋講座」を書きました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-121.html

ともあれ、拙宅で大祓祝詞を奏上できるのは、息子たちだけで、後は小生も含めて誰もできません。これで、また「まほろば会」に行ったら、藤原(源太郎)さんに、「鳶が鷹を生んだぁ~♪」と言われそうだな。その藤原さんについて、少し拙ブログに書きました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-93.html

なお、以下の馬之介さんの記述は貴重です。上記の藤原さんと馬之介さんが顔を合わせたら、多くの閃きが生まれそうです。なぜなら、藤原さんも言霊について深く研究されている方だからです。機会があれば、是非まほろば会に出席いただき、日拝鎮魂について述べて戴きたいと願っています。

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大祓祝詞による禊や、日拝鎮魂によってなされるものは、「あへる」則ち「あ(吾)へる(減る)」ということ、「私」から「公」に重心を移していくこと、栗原氏の言葉を一部お借りすると、「あ(吾)へる(減る)」ことによって、「『公の意が人という私の知を率いる』というこの序列が、『本能的属性を抑え』、『富を貪りつく』すことから、私たちを遠ざけてくれる」ということではないかと思います。
-------------

神社と関連する、以下の興味深い記事、「奏上している間は、潮騒の中」と書く馬之介さんはどう思われたでしょうか。
http://bloom.at.webry.info/201205/article_2.html
なぜ津波は神社で止まったのか

-------------
しかしながら、82社のすべてがギリギリに立っていた訳では無く
14社は海中に消えた。

その14社の調査をした結果、
海中に消えた神社がすべて近年に建立された神社で、
古来に立てられた神社はすべて無傷だったことが判ったのである。
-------------
125:馬之助:

2013/04/07 (Sun) 22:48:48

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サムライさん、こんばんは。


>最後に、改めて本掲示板の冒頭の挨拶の一部を以下に再掲させていただきます。



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建築家渡辺豊和氏と経済人類学者栗本慎一郎氏の両氏が提案している「太陽崇拝の縄文ネットワーク・三輪山ネットワーク」と「ミトラ崇拝シリウスネットワーク」とツラン文明の関係を皆さまに考えて戴きたいと言うことです。

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この文章に「太陽信仰」ではなく、「太陽崇拝」となっているところが凄いところだと思います。太陽は「信仰」の対象ではないのですよね。そこに「信」を置かなければならないと考えるところに、人間の奢り(その裏返しとして不安)があるように思います。現に、人間が「信仰」しなくても毎朝決まって太陽は昇ります。ということは、確かに「太陽信仰」ではなく、「太陽崇拝」なのですね。この単純そうに見えるところに、物事の本質、どうしようもない人間の思い上がり(当然、私も含めた)が潜んでいるように思います。同じことを大祓祝詞には次のようにあります。

***********************************
如此依(かくよ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の国中(くになか)と、大倭(おほやまと)日高見之国(ひたかみのくに)を安国(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて、下津(したつ)磐根(いはね)に宮柱(みやはしら)太敷(ふとし)き立(た)て、高天原(たかまのはら)に千木(ちぎ)高知(たかし)りて、皇(すめ)御(み)孫(ま)之(の)命(みこと)の美頭(みづ)の御舎仕(みあらかつか)へ奉(まつ)りて、天之(あめの)御蔭(みかげ)・日之(ひの)御蔭(みかげ)と隠(かく)り坐(ま)して、安国(やすくに)と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)に、…。
***********************************

「大倭(おほやまと)日高見之国(ひたかみのくに)を安国(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて」ですから、「太陽崇拝」のないところには「安国(やすくに)」もまた存在しないということではないのではないでしょうか。そうすると、「ネットワーク」という言葉の輪郭もおぼろげながら見えて来るように思われます。
ここまで来て、私がここにはじめのころ投稿した文章を思い出しました。ここに再掲してみます。

***********************************
アッシリア文明論―「ツラン」とは神を仰ぐ意志なり(http://michi01.com/kurihara/320abs_26700715.html)に、

つまり、神という公の意が人という私の知を率いる本義を弁えないままに、妥協の産物を出現させたがゆえ、本能的属性を抑えきれずに富を貪り(むさぼ)つくした。その反面教師として出現したのが神を仰ぐツランという意志であり、その潜在的信仰心が核になったのであり、それは国家という概念とは無関係なポテンシャルゆえに、消滅の事態など起こり得ようがないのである。

という、栗原氏の一文があります。「公の意が人という私の知を率いる」というこの序列が、「本能的属性を抑え」、「富を貪りつく」すことから、私たちを遠ざけてくれるもののように思いました。
***********************************

大祓祝詞による禊や、日拝鎮魂によってなされるものは、「あへる」則ち「あ(吾)へる(減る)」ということ、「私」から「公」に重心を移していくこと、栗原氏の言葉を一部お借りすると、「あ(吾)へる(減る)」ことによって、「『公の意が人という私の知を率いる』というこの序列が、『本能的属性を抑え』、『富を貪りつく』すことから、私たちを遠ざけてくれる」ということではないかと思います。

と、ここまでを朝起き抜けに(雨が降っているので散歩は出来ないと思い)書いていたのですが、ここに来て夜通し降っていた雨が上がっていることに気が付いて急遽散歩に出ました。新しいルールとして、日曜日だけは散歩の折り返し地点にある神社(厳島神社の分社)に大祓祝詞を奏上しようと決めた第一日目が今朝なのです。面白いことに散歩の間は晴天で日を拝することもできたのですが、帰りに家が見えるところまで来ると、太陽は黒雲の向こうに隠れてパラパラと雨が落ちてきました。奏上している間は、潮騒の中でしたし、道中は鳴き方の上手くなった鶯の合唱の中で時折雉の声も聴こえました。私たちは、確かに「天之(あめの)御蔭(みかげ)・日之(ひの)御蔭(みかげ)と隠(かく)り坐(ま)して、安国(やすくに)と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)に、…。」居るようです。
124:サムライ:

2013/04/04 (Thu) 07:16:48

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馬之介さん、おはようございます。


> 日拝鎮魂を行い始めて幾日も経ちます。

馬之介さんだけではなく、友人や知人もほぼ時期を同じくして日拝鎮魂を始めたというお話、かつ「心が揺れなくなった」というお話に感動しました。また、お子さんの引っ越しで、850kmを一人で運転して全く疲れを感じないという、「鎮魂を通じた健康法」についてのお話は、改めて日拝鎮魂の効果の凄さを知った思いです。車とオートバイの違いはありますが、二十代の頃に秩父山地の麓にある実家から、東北の花巻までオートバイを飛ばした事がありますが、宿に到着したころはクタクタで、泥のように眠った記憶があります。それだけに、850kmも運転してもいつもと変わらないというのは、改めて凄いことだと思わざるを得ません。


> 会社や社会に飛び出して、伴侶を見つけ新たな器を自分で用意する時節がすでに到来しているということを痛感しました。

大きな人生の節目を迎えたつつあるのだと思います、誠におめでとうございます。


> 「人類文明の大動脈であった草原の道のもっとも東に位置し、ツラン文明の策源地であり司令塔ともなったのが、わが日本列島である」という真実を隠そうと言う意図を感じるからではないのでしょうか。

旧ブログでも、「ツランという絆」と題した記事をアップしたことがあります。2009年の夏に「ツラン民族研究のためトルコから来日した留学生で、現在は某大学でツランに関する博士論文を執筆中のA君を囲み、藤原源太郎氏、天童竺丸氏、『月刊日本』の編集長・坪内隆彦氏らが集った」会合で、ツランについての勉強会がありました。勉強会の後に行われた飲み会では、『これから50年、世界はトルコを中心に回る』の著者である佐々木良昭氏も駆けつけ、イスラム教に改宗した佐々木氏と、生まれながらのイスラム教とであるA君との間で交わされた会話を、興味深く耳を傾けた在りし日を懐かしく思い出します。

「ツランという絆」でも草原の民の存在を隠そうとしている勢力について、小生は以下のように書いています。

---------
・ツラン民族の存在か世の中に知れ渡ることを嫌がっているのは、アングロサクソン、ユダヤ、ロシア、中国などである。したがって、政治的な配慮が働きによって、ツラン民族同士の横のネットワークが貧弱化している。現在においてツランについて取り上げることは、イスラエルなどを刺激してしまうので注意のこと。
---------

詳しくは、拙記事「ツランという絆」を参照してください。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/03/post-f66f.html

同記事の中で、「戦後の今西、梅棹、川北らはツランについて触れていない」という行にも注目して戴ければと思います。

ご参考までに、佐々木氏もツランについて自著で述べています。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2012/03/50-887d.html
『これから50年、世界はトルコを中心に回る』

それにしても、日拝鎮魂を実践しておられる馬之介さんのお話、非常に興味深いものがあります。今後、新たな段階に進みましたら、是非その様子をお知らせ戴ければ幸いです。
最後に、改めて本掲示板の冒頭の挨拶の一部を以下に再掲させていただきます。

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建築家渡辺豊和氏と経済人類学者栗本慎一郎氏の両氏が提案している「太陽崇拝の縄文ネットワーク・三輪山ネットワーク」と「ミトラ崇拝シリウスネットワーク」とツラン文明の関係を皆さまに考えて戴きたいと言うことです。
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123:馬之助:

2013/04/01 (Mon) 23:24:56

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サムライさん、こんばんは。

日拝鎮魂を行い始めて幾日も経ちます。
研究会と称して毎月のように集って雑談をしている人たちや、私の知人も同じ頃から日拝をしているようですが、異口同音に言うことは、「日々の暮らしようは変わらないが、心が揺れなくなった」という実感です。心が揺れなくなったということは、日々の暮らしようも変わっているということなのではないのかとも思うのですが、私も心が揺れなくなっているという変化には気付くのですが、日々の暮らしようが変わったとは思えないところが残念ながら正直な実感というところです。

相曾氏は、鎮魂は健康法でもあると言われていますが、それで思い当ることがあります。
二番目の子どもがこの度大学を卒業して就職も決まりました。四月から東京で半年間研修した後に勤務地が決まるということで、今までの住まいを整理して一旦実家で荷物を預かることになりました。三番目の子どもも入寮期間が一年間ということで新たに住まいが決まるまでこちらも荷物を預かる必要が出来ました。この二つの引っ越しを一度に済ませてしまおうと、大きめの車を借りて先日決行しました。一日に移動した距離、850キロ。予定外のことが次々に起こってきたのですが、やるべきことが明確なので坦々と処理することができました。家族でこういうことを行なうと、子どもの成長振りを目にすることができて、予定外のトラブルも面白がることができたように思います。終わってみれば、予定していたスケジュールより一時間ほど前倒してこなせていました。力仕事に加え、一人で850キロ運転していたものですから、相当くたびれるのではないかと危惧していたのですが、それが不思議なことに疲労感がありませんでした。普段通りの時間に就寝し、普段通りの時刻に起床しました。むしろ拍子抜けするくらいいつもと変わらないのです。先日の日曜日も三番目の子どもの新居に荷物を運び入れたのですが、こちらも一日の走行距離500キロということもあってか疲労知らず。どうやら一時間睡眠時間を削っても肉体的には問題なさそうな感じです。現在は寝床で時間を持て余し気味なのですが、気分的に十分な睡眠時間を取らなければと云う強迫観念がぬぐい去れないようです。以前との違いは日拝をしはじめたことだけです。
10日ほど子どもと日常を共にして思ったことは、もう子どもは以前の器を越えていて我が家の器には納まり切らないということです。会社や社会に飛び出して、伴侶を見つけ新たな器を自分で用意する時節がすでに到来しているということを痛感しました。


>それを読む限り、松本氏は角田説に懐疑的のようです。

「自然界の音などは、楽器や機械音と同じように無意味音として処理されます」私たち日本人は言語的には左脳優位民族で、実験的には角田氏のいうような反応を示すのでしょう。言語的には他言語であっても、その痕跡を残しているということでしょうか。相曾氏は右脳優位と左脳優位が「あへる」ところに、「立体史観」があるようなことを述べています。
角田氏の本では、目に入ってきた情報は視神経交差によって、脳の右半球にも左半球にも届くようになっているようですが、聴神経も視神経同様に、交差して両方に届くようですから、日拝と言霊を響かせることによって、視神経からも聴神経からも「あへる」結果になるようです。それによって今までとは次元の違った変化をもたらせるのでしょうか。

天童氏の巻頭語に面白い表現がありましたので、以下に引用しておきます。

○『ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 2 』から、
http://michi01.com/tendoh/325ktg26701015.html

***********************************
古人大兄皇子が語った「韓人、鞍作臣を殺しつ」という言葉は、実は古来より解釈を悩ましてきた難題である。皇極四年(西紀六四五)の六月一二日に宮中で起こった蘇我入鹿殺害事件を踏まえて、この言葉を素直に読めば、事件の首謀者である中大兄皇子を指していることは明らかなのだが、どうもすっきりそう認めたくない思惑がはたらいているようである。
***********************************

「どうもすっきりそう認めたくない思惑がはたらいているようである。」という部分は同感で、これは私の場合、生理的な反応のように思われます。

○『ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 3 』から、
http://michi01.com/tendoh/326ktg26701101.html

「いわば自らの出自ともいうべき北方ツラン的な要素を歴史から消し去った転換点こそ、大化の改新から壬申の乱へと至る政権の混乱期にある、と私は思う。」


○「ツランの足跡 ─ 遙かなるツラン」から、
http://michi01.com/tendoh/330ktg26710115.html

「漢字の発祥に関する白川静氏の洞察を手にした我々は、文字の発明が人間の神々への不信・言訳であり傲岸不遜の記念碑であることを知っている。」
「人類文明の大動脈であった草原の道のもっとも東に位置し、ツラン文明の策源地であり司令塔ともなったのが、わが日本列島である。局所文明史観に災いされた考えでは、日本列島は極東のさらに果てにあって陸路文明と海洋文明の最終終着地点であると見られているが、ユーラシア大陸中央を結んだツラン文明の大動脈を前提にすれば、むしろ人類文明の最初の発源地であり、永きにわたる文明の司令塔でもあったことが納得されよう。」

以上の引用などから考えると、漢語の害は強力で根深いものがあるように思います。「文字の発明が人間の神々への不信・言訳であり傲岸不遜の記念碑である」というのには納得で、「古事記」は言霊の生きている大和ことばでなくては意味をなさないと思いますし、相曾氏が言うように「大嘗祭」を漢語から解釈して御祭神が分からなくなっている学界の現状には納得するものがあります。「いわば自らの出自ともいうべき北方ツラン的な要素を歴史から消し去った転換点」を、「韓人、鞍作臣を殺しつ」にもっていくことが、「どうもすっきりそう認めたくない思惑がはたらいているようである」という感覚を呼び起こすのではないでしょうか?そこに「人類文明の大動脈であった草原の道のもっとも東に位置し、ツラン文明の策源地であり司令塔ともなったのが、わが日本列島である」という真実を隠そうと言う意図を感じるからではないのでしょうか。
122:サムライ:

2013/03/29 (Fri) 06:09:33

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馬之助さん、お早うございます。

> 角田忠信著『日本人の脳』をざっと読み返してみました。

懐かしい本ですね。小生は同書を紐解いたことはありませんが、大勢の知人友人から同書の内容を聞き及んでいます。一番印象に残るのは、若い頃のサムライの英語の師匠だった、松本道弘氏と角田氏の対談記事でした。残念ながら、手許には同記事のコピーは最早ありませんが…。馬之介さんの引用によれば、角田氏は、「私がいままでに調べたインド人、香港にいる中国人、東南アジアの一部の人達———インドネシア、タイ、ベトナム人は、日本人にみられるような型は示していないようです」と述べたとのことですが、これがツラン圏の民族だったら、どのような結果が出るのか、馬之介さん同様興味津々です。


> 角田 したがって日本人の脳だけが、母音に対して特殊な反応形式を示すと考えられます。

この角田氏の発言を読み、咄嗟に思い出したのが『みち』の最後のページに載っている「常夜燈」の数年前の記事、天童さんがツランについて言及していた言霊(確か、この記事は飯山さんの掲示板をお借りしていた時、一般公開したような記憶があります)、は藤原(源太郎)さんが長年研究されてきた言霊、さらには栗原茂氏の古事記と絡めた霊言(たまこと)も思い出します。どうしてこのような日本語という「ことば」が誕生したのか、長年追求していますが、未だに五里霧中ではあるものの、過日紹介した『コトバの原典』(松下井知夫 東明社)等のおかげで少しずつ日本語の本性が分かってきたような気がします。


> 「自然界の音などは、楽器や機械音と同じように無意味音として処理されます」

これも、確か角田氏と松本道弘氏の対談記事にあったような記憶があります。念のため、ネットで検索してみたら、「(角田氏の主張通り)本当に欧米人は虫の声を楽しまないか”と館長(松本道弘)が問題提起」と、松本氏の弟子が書いていました。それを読む限り、松本氏は角田説に懐疑的のようです。
http://www.english-kodokan.com/kodokan-19-09-09.html

松本氏は確か神道に関する書籍も数冊出していると記憶しており、小生も数冊読んだことがありますが、既に処分したようで最早手許にはありません。


> 漢語を以て日本の文化を理解しようとするところに無理が生じるのではないでしょうか。

相曾氏だけではなく、栗原(茂)氏も「漢字はルビだ」と語っていたことがあります。それが、

> 栗原氏がコトタマではなく、タマコトと表現しようとする理由

になるのでしょう。
121:馬之助:

2013/03/24 (Sun) 22:53:44

host:*.e-mobile.ne.jp

サムライさん、こんばんは。


>このあたり、人種的には北鮮と日本はツラン系統であり、中国と韓国は非ツラン系統(アーリア系)という話と関係してきそうです。アーリア系については、拙ブログにも書きました。まだ、完全にアーリア系説を支持しているわけではありせんが…。

なんだか、相曾氏の話を聞いた後では、順序がおかしいように感じられます。

相曾氏の本の中でも講演会の中でも、日本人は左脳優位民族であると云っているのに引っかかって、角田忠信著『日本人の脳』をざっと読み返してみました。私は、日本人は右脳的な民族であるように捉えていたので、一度整理してみる必要を感じたのです。その辺りの話が、対談部分にありましたので、すこし長いですが、以下に引用しておきます。

********************************
餌取 秋に虫が鳴くのを意識して聞くというのは、そうしてみると日本人だけの持つ風流さなのですね。
角田 ええ、中国人にさえ通じないようですよ。
餌取 そうしてみると右半球・左半球の分かれ方のお話は、日本人だけが特別なのですか……東洋人と西洋人、という具合にわかれているのではないのですか。
角田 私がいままでに調べたインド人、香港にいる中国人、東南アジアの一部の人達———インドネシア、タイ、ベトナム人は、日本人にみられるような型は示していないようです。
餌取 欧米と同じパターンですよ。
角田 ええ。私が興味深く思ったのは朝鮮人で、これは多分日本に近いのだろうと思われたのですが、全然違いました。
餌取 そうすると、日本人固有というわけでしょうか。
角田 そうですね。
餌取 どうして日本人にだけ、そんな特殊な脳の働きが出てきたのでしょう。
角田 それはやはり、母音の扱いか方の違いだと思います。
    (中略)
角田 したがって日本人の脳だけが、母音に対して特殊な反応形式を示すと考えられます。ですから面白いですよ。いろいろ実験をしてみますと、動物の声のようなものはみんな左側にいってしまうんです。けれども楽器の音のように整然としたものは右側へいきます。これはどうも脳幹にあるスイッチのような機能の作用らしくて、日本人以外では、そのスイッチの作用の仕方が違う……。
餌取 日本人のスイッチは感度が大変敏感で、西洋人などでは右側にやってしまうような音でも拾い上げる……。
角田 そうですね。厳密に音節単位のものでなければ拾わない……単純な音の場合には右側に入れてしまっていますからね、西洋人の場合は……。自然界の音などは、楽器や機械音と同じように無意味音として処理されます。
********************************

ツラン系統がどうなのか分からないのは残念ですが、以上のような話から総合すると、私などは、天下り国津神となったスサノウノミコトは大陸を西へ西へと辺境の地を高天原文化で教化して回ったその母集団がツランではないかと愚考するわけです。さらにその母集団が、天孫系が天下られた日本であると…。教化される側で高天原文化を真から理解できなかった民族は(その理由は上記の通りです。「自然界の音などは、楽器や機械音と同じように無意味音として処理されます」という部分が特に衝撃的です)、亜流として様々な文化を形成したのではないかと……ですから、様々に変化した太陽崇拝の名残が各地に見られるのではないかと……。


>それで思い当たるのが、たとえば、『干支九星鑑定術』(沙門慶仁著)です。同書を入手しましたが、どうも中華思想の影響を強く受けている本であることが分かります。たとえば、同書のp.5に以下のようなことが書いてあります。

--------
私たちは、中国で考え出された暦法に基づいて判断をします。日本文化は中国文化の影響が多いのですが、この暦にしろ占術にしろ、中国人の発想を取り入れて判断いたします。この勉強をしていましても、中国人の発想の的確さと緻密さに驚かされます。


サムライさんの引用部分、多くの問題の根源がこの辺りにあるように思っています。漢語を以て日本の文化を理解しようとするところに無理が生じるのではないでしょうか。相曾氏によると、『古事記』の大家と云われている人ですら、その多くが漢語から大和ことばを素にした『古事記』の解釈をこころみているとのことですから、漢語による弊害は根深いものがありそうです(栗原氏がコトタマではなく、タマコトと表現しようとする理由がこの辺りにありそうに思います)。そういう意味でも、太詔戸言(ふとのりとごと)を云い、その音を体内に響かせることには深い意味と深い作用がありそうです。先に天下ったとは言え、追われたスサノウ系のその亜流が、天孫が日本に伝える高天原文化を解釈しようというところに無理と云うか、その無理を押し通そうとするところが、現代の中国、韓国にも底通するスサノウ系の文化たる所以かもしれません。

>このあたりは、さる筋か天童さんに聞いてみたいですね。

全く同感です。相曾氏とはまた違った、次元の異なる話ですから…。

120:サムライ:

2013/03/22 (Fri) 08:44:36

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馬之助さん、相曾氏のビデオ追加、ありがとうございます。楽しみにしております。


> 藤原(源太郎)氏の「深層潮流」の情報は貴重です。

同感です。特に、小生が飯山一郎さんの携帯の電話を教えて以来(尤も、ホームページに堂々と飯山さん本人が、携帯の番号を書いていますが…)、色々と北鮮に関して情報交換しているようです。

先週の土曜日のまほろば会では、「お金の本質」を『みち』に連載中の安西(正鷹)さんと席が隣同士になり、やはり北鮮のことについて語り合いました。数年前になりますが、『みち』に「渤海」について安西さんが連載を書いており、まほろば会では藤原さんに続いて隠れた“北鮮のエキスパート”です。


> 相曾氏によると天下った先は朝鮮半島の牛頭山(ごずさん)で、そこでは牛頭大王(ごずてんのう)と呼ばれていたそうです。

現在、ルーツ探しと絡めて、『牛頭天王と蘇民将来伝説の真相』という本を通読中です。同書については、ブログにも簡単に書きました。さる筋から拙宅のルーツと牛頭天王とが関連すると教えてもらいましたが、未だ手がかりを同書から掴んでいません。尤も、まだ読み始めたばかりなので、数ページしか進んでおらず、4月に入って余裕ができたら、一気に読了したいと思っています。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-44.html


>五行、陰陽道、易経、古事記、神道、九星…と、関連書を沢山入手しましたが、本格的に読み始めるのは、現在は本業に追われていることもあって、当面先の話になりそうです。

> 上記のものは『古事記』を除きその多くは、スサノオ系というか天狗系となるようです。

それで思い当たるのが、たとえば、『干支九星鑑定術』(沙門慶仁著)です。同書を入手しましたが、どうも中華思想の影響を強く受けている本であることが分かります。たとえば、同書のp.5に以下のようなことが書いてあります。

--------
私たちは、中国で考え出された暦法に基づいて判断をします。日本文化は中国文化の影響が多いのですが、この暦にしろ占術にしろ、中国人の発想を取り入れて判断いたします。この勉強をしていましても、中国人の発想の的確さと緻密さに驚かされます。
--------

このあたり、人種的には北鮮と日本はツラン系統であり、中国と韓国は非ツラン系統(アーリア系)という話と関係してきそうです。アーリア系については、拙ブログにも書きました。まだ、完全にアーリア系説を支持しているわけではありせんが…。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-19.html


> 「フレイベルク氏の出自は明らかでないが、彼がゲルマンならば、紛れも無く、ツランの兄弟である」

このあたりは、さる筋か天童さんに聞いてみたいですね。
119:馬之助:

2013/03/17 (Sun) 20:15:20

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サムライさん、こんばんは。

ダブらないように先にお伝えしておきます。相曾氏のビデオでお試し価格で提供されている二つ、『がんばれ 日本人』と『ムスビの原理』を入手しました。見終わり次第(といっても、何度も繰り返し見ると思いますが…)回送しますので、楽しみにお待ち下さい。『ムスビの原理』では、電磁気の話も出てきますし、陰陽の二極が回転していく話も詳細に語られているようです。


>そして、深層潮流の上記目次を見てお気づきのように、北鮮に関する記事が多くを占めています。

今、韓国の経済状態が深刻で、国民も困窮しているようですね。IMFに援助を求めて以来、多国籍企業に蹂躙されるままになっているように思えます。そういう意味でも北鮮の動向には注目したいところです。日本を韓国のような状態に置いておきたいのが多国籍企業の望みでしょうから、日本にとっても他人事とは云えないというか、北鮮を日本の残置国家とする向きもあるくらいですから、藤原(源太郎)氏の「深層潮流」の情報は貴重です。

>また、本掲示板の冒頭にある、天童さんの「挨拶」も再読してもらえると幸いです。本掲示板を立ち上げた理由が、まさにそこにあります。

やっとスタートラインに立ったということでしょうか。深いですね。

『古事記』によると、天孫が降臨する前にスサノオノミコトは高天原から天下りになったようですし、相曾氏によると天下った先は朝鮮半島の牛頭山(ごずさん)で、そこでは牛頭大王(ごずてんのう)と呼ばれていたそうです。ここから、男神として太陽神(高天原文化)を西へ西へと伝えたということになります。その牛頭大王(ごずてんのう)の「ごず」から「GOD」と変わっていったという話です。やがて太陽神は辺境の民族を支配下に置く為に一神教へとその姿を変えてゆき、太陽神から遠ざかることで知らぬ間に衰退の道を歩む結果になったようですね。


>五行、陰陽道、易経、古事記、神道、九星…と、関連書を沢山入手しましたが、本格的に読み始めるのは、現在は本業に追われていることもあって、当面先の話になりそうです。

上記のものは『古事記』を除きその多くは、スサノオ系というか天狗系となるようです。それがどうして『古事記』や皇統と関わっていくのかが分からなかったのですが、相曾氏の『ムスビの原理』によると、スサノオは天下ったといっても高天原から追放されたことによって、天津神から国津神に変わられた訳で、神界には入ることは許されないということのようです。天狗系は霊力を磨くことで存在価値を見いだしていったようですが、悪とばかりは云えないようで、皇統をひたすらお守りすることによって、晴れて神界に参入する望みを繋いでいるようです。いくら乱暴狼藉を働いたといっても、天照大神の弟君ですから単純な損得以上のものがあるように思われます。

>2673年も続いてきたのですから、間違いなく神格シャーマンとしての存在が感じ取れますね。落合(莞爾)さんのいう堀川政略を例に挙げれば、平成版堀川政略が密かに進められているのではないでしょうか。

そうあって欲しいですし、そのような存在が連綿としてあるということに期待したいです。神格シャーマンとしての存在と、実動隊としてのスサノオ系皇統奉公衆の存在があるのではないかと愚考しています。

最近、ツランに関してあまり語られていない印象があるのですが、柿添氏のブログ(http://kakizoe.seesaa.net/article/344047309.html)にそのツランが出てきました。

その記事によると、バチカン銀行総裁に大和証券グループ元幹部の、エルンスト・フォン・フレイベルク氏が選任されたとの報道があったということで、「フレイベルク氏の出自は明らかでないが、彼がゲルマンならば、紛れも無く、ツランの兄弟である」ということです。実動隊としてのスサノオ系皇統奉公衆の存在をいよいよ感じさせる話ではないでしょうか。北鮮もそういう存在ではないかと愚考する次第ですが、天狗系は求道的で、逆に韓国は日本の政官財と似かよるものがあって、対照的な存在ですね。
118:サムライ:

2013/03/14 (Thu) 04:19:03

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1363202343.jpg

馬之助さん、おはようございます。ふと気がつくと、この掲示板のカウンターも3万を超えています。母屋(「みち」ホームページ)が6万なので、下手するとカウンター数で庇(本掲示板)が母屋を近々超えてしまいそうです(笑)。しかし、「みち」ホームページでは、天童さんに過去の「みち」の記事のデータベース化で頑張っていますので、ホームページの方にも注目してください。特に、最近更新された藤原(源太郎)さんの「深層潮流」、過去記事のほとんどをカバーしており、注目です。
http://michi01.com/hujiwara/shinsou/shinsou_index.html

そして、深層潮流の上記目次を見てお気づきのように、北鮮に関する記事が多くを占めています。今週土曜日、仕事の都合が付けば「まほろば会」で、藤原さんの最新の「北鮮情報」が聞けるを楽しみにしております。飯山(一郎)さんも、ここ数日にわたり金正恩を取り上げてますね。
http://grnba.com/iiyama/index.html#st03112


> 『古事記』の序にも、「二氣の正しきに乗じ、五行の序を齊(ゆ)へたまふ」とありますから、「五行」は古い日本の文化に間違いはないのでしょう。

特に、最近再読した『陰陽道』(長原芳郎著 雄鶏社)は、陰陽道を中心テーマに、五行と古事記の深い結び付きを取り上げており、当面は数年間にわたり、一年に一回は再読しなければならない本だと思っています。陰陽道・五行と古事記との深い結び付きは、いずれ新ブログに書きたいと思っています。なお、同書については古いブログにも書きました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/09/post_dbee.html

五行、陰陽道、易経、古事記、神道、九星…と、関連書を沢山入手しましたが、本格的に読み始めるのは、現在は本業に追われていることもあって、当面先の話になりそうです。易経と言えば、『東光ばさら対談』で今東光和尚と田中小実昌の対談があり、今東光も田中小実昌も易の大家であることを知り、驚きました。いずれ、同対談はOCRで読み取って新ブログにアップしたいと思います。

> 聖徳太子のいう和は、本来の日本の和とは、少し違うようですね。あれは、仏教から来ていますから本来の日本のものとは云えないのです…

「みち」の藤原さんや天童さんが注目している書籍に、渡辺豊和氏が著した『扶桑国王蘇我一族の真実』があります。残念ながら絶版本ですが、一読をお勧めします。それと、栗本慎一郎の『シリウスの都 飛鳥』も併読すれば、当時の時代背景が確実に読めてくると思います。ともあれ、当時は仏教もそうなのかもしれませんが、ゾロアスター教、ミトラ教も当時を解くキーワードだと思います。視点は違いますが、聖徳太子については旧ブログにも書きました。また、本掲示板の冒頭にある、天童さんの「挨拶」も再読してもらえると幸いです。本掲示板を立ち上げた理由が、まさにそこにあります。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2007/04/post_3af9.html


> これでもし国が成り立っていくとすれば、だれかが別のところで和する方の「あへる」ということを行なっているに違いないので、そうなると皇統奉公衆という存在を仮定するしか他はないのではないわけです。その一つの現れが、落合氏の明治維新における朝彦親王ということになるのでしょう。

2673年も続いてきたのですから、間違いなく神格シャーマンとしての存在が感じ取れますね。落合(莞爾)さんのいう堀川政略を例に挙げれば、平成版堀川政略が密かに進められているのではないでしょうか。そのあたりは、以下の飯山さんの記事や、甲府で行われた「飯山一郎が吠える」のビデオでも、ヒントが随所に出ていたように、御高齢の天皇皇后陛下に代わり、若い皇太子殿下と雅子様が神事(=シャーマン)を執り行っているというのは、本当の話です。
http://grnba.com/iiyama/index.html#st03013
117:馬之助:

2013/03/08 (Fri) 22:14:15

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サムライさん、こんばんは。


>なぜ、「東」なのか…、今までどうも腑に落ちませんでしたが、ここ数ヶ月にわたって五行、易、九星、家紋などを調べていくうちに、朧気ながら漸く分かってきました(いずれブログに書きたいと思います)。

これは凄い。興味あるテーマですので、快刀乱麻を期待しています。


>そして、五行は日本文化の真偽をはかる「ものさし」の一つと思うに至りました。

相曾氏流に云えば、「サニワ」ってことですね。私も、「サニワ」することでシンプルに分別することが出来て、煩わしさが減っていっているところがあります。

『古事記』の序にも、「二氣の正しきに乗じ、五行の序を齊(ゆ)へたまふ」とありますから、「五行」は古い日本の文化に間違いはないのでしょう。「五行の序」の前に「二氣の正しきに乗じ、」とあるのが、日本の文化である所以でしょうし、凄いところだと思います。「序」と云えば、『古事記』の以下のような表現には、読むたびに唸らされています。運び移る物事を詳細に取り拾う様は、音にすると心地いいほどリズムカルで体の内外の乱れたものが知らないうちに整えられていくようで、まさに「五行の序を齊へたまふ」です。

***********************************
 故爾(かれすはち)反(かえ)り降(くだ)りまして 更(さら)に其(か)の天之御柱(あめのみはしら)を先(さき)の如(ごと)往(ゆ)き廻(めぐ)りたまひき  是(ここ)に伊邪那期命 先(ま)ず あなにやしえをとめを  と言(の)りたまひ 後(のち)に 妹(いも)伊邪那美命 あなにやしえをとこを と言(の)りたまひき
***********************************

相曾氏は、DVDのなかで、「日本は和の文化というけど、聖徳太子のいう和は、本来の日本の和とは、少し違うようですね。あれは、仏教から来ていますから本来の日本のものとは云えないのです…」(正確な引用ではなく、私の理解による意訳というか記憶による書き下し)というような事を、いわれています。少し驚きますが、日本古来の和の精神は大嘗祭にこそ示されているというのです。この祭りを「だいじょうさい」と漢語という外国語読みにしてしまったため、学者にも一般にも、いったい何をお祭りしているのか、その御祭神すら分からなくなってしまっているので、ここは日本語として正しく「おほにあへまつり」としなければ、意味が見えて来ないと言います。この「おほにあへまつり」の「あへる」とは、和食にある和え物のように和する、料理としてひとつにするわけで、ここまでは書籍にも詳細にありましたが、DVDには別の語り口で語られています。即ち、「あへる」には、「吾(あ)減(へ)る」という意味があるというのです。吾(あ)を減(へ)らし、汝(な)に与える事で、和していくのです。これなら与えられるということで、汝(な)も和していくことでしょう。これが本来の日本に伝わる和の精神ということのようです。

なるほど、「競わず、争わず」の世界そのものだなと思います。そういう視点を持つと、先の大手町氏が「…つまり、アメリカは日本の円安を容認する代わりに米国債を購入させ、金利の上昇を押えようとしているのだ。……これはEUとの関係においても言えることである。麻生財務大臣は先日、欧州安定化メカニズム(ESM)が発行を始める債券について購入する意向を表明した」というのも、別の見方が出来るのですが、『月刊日本』の3月号の「運・命・に・挑・む」で鈴木宗男氏が以下のように書かれているのを見ると、暗澹な気持ちになります。

***********************************
 特定地域の専門家が現れ、その人物が特定の政治家と密接になって正しい情報を得るようになると、外務省がウソをついたときに、それが見破られてしまう。それこそが省益を害す、このように外務省は判断し、二つの決断をした。一つは、「専門家は育成しない」。もう一つは「情報(インテリジェンス)からは手を引く」という判断である。
***********************************

 このように、政官ともに「吾(あ)減(へ)る」ということにおいては、優秀な仕事をしているのでしょうが、これで国が成り立っていくのかと暗澹な気持ちにもなります。これでもし国が成り立っていくとすれば、だれかが別のところで和する方の「あへる」ということを行なっているに違いないので、そうなると皇統奉公衆という存在を仮定するしか他はないのではないわけです。その一つの現れが、落合氏の明治維新における朝彦親王ということになるのでしょう。

原日本人が一割しかいないというのも、この「吾(あ)減(へ)る」という精神に合致するように思えます。となると、原日本人以外の九割は、感謝こそすれという話になると思うのですが、政官ともご立派な態度です。しかし、世は知らない間に、「二氣の正しきに乗じ、五行の序を齊(ゆ)へたまふ」時に差し掛かっているように感じるのですが、このように運び移る様を、相曾氏は「神の経綸」と云うようです。となると、やはり私たちにできることは、『古事記』にあるように、天児屋命(あめのこやねのみこと)のように天の石屋戸の前で、太詔戸言(ふとのりとごと)を白(まを)すしかないようですね。天の石屋戸から天照大神のお出ましを請い願うことで、自らの内にも神界から天津神がお出ましになるようです。
116:サムライ:

2013/03/04 (Mon) 18:16:56

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1362388616.jpg 馬之助さん、こんばんは。


> 日拝とは、読んで事の如く日を拝むということで、その作法は相曾氏の書籍なりビデオを見るしかないと思います。

その通りだと思います。小生は相曾氏の本は二冊読みましたが、ビデオは未だ観ていません。現在、他の道友にDVDが回っていますが、本業の方で忙しそうなので暫くは当方に戻ってこないと思います。しかし、それも〝神計らい〟かもしれません。と言うのも、この1ヶ月間に10冊前後の本を入手し、読んで思うところがあったからです。そして、それぞれの本を貫くキーワードの一つが、「五行」でした。ある程度五行のイメージを掴んでから、相曾氏のDVDを観る(あるいは聴く)ことで、得るものが違ってきそうです。

現在は小生も本業に追われているため読書が進まないのですが、そうした中で特に印象に残るのが吉野裕子女史の著作集でした。それでも(一連の吉野女史の著作を読んだとしても)、五行の奥義までは進めないと思いますが、基本的な事だけでも抑えておきたいと思います。そうすることによって、今まで気づかなかったものが見えてくるような気がします。

たとえば、文明地政学協会刊の『真贋大江山系霊媒衆』のp.116には以下のような行があります。

---
抑も神格は、霊峰富士を東に仰いでこそ備えられた資質であり、皇祖皇宗の遺訓もまた霊峰富士の御来光をアマテラスに見立て、天皇自身の慢心を抑えるよう諭している。こうした勅旨を知るゆえ、役行者は吉野に根ざしたのであって、霊媒衆もまた、神格天皇に仕えるべく大江山に控えたのである。
---

なぜ、「東」なのか…、今までどうも腑に落ちませんでしたが、ここ数ヶ月にわたって五行、易、九星、家紋などを調べていくうちに、朧気ながら漸く分かってきました(いずれブログに書きたいと思います)。そして、五行は日本文化の真偽をはかる「ものさし」の一つと思うに至りました。例えば、拙ブログに書いた故吉田寅二氏が認めてくれた、傷寒論についての手紙に易・五行が登場しています。また、吉野裕子氏の『ダルマの民俗学』や今泉久雄氏の『易経の謎』も、再々読中であり、思うところがあったら拙ブログに纏めたいと思います。

----
今日の日本人は、明治以前の先人たちが生活のよりどころとしていた易・五行の世界観も法則も知らずに育ってきてしまっている。

その結果、五行の火気としての「ダルマさん」は、民俗学の大家によってさえ把握されてはいない。
『ダルマの民俗学』p.IV
----
115:馬之助:

2013/03/01 (Fri) 22:34:49

host:*.e-mobile.ne.jp
サムライさん。こんばんは。

>それは凄い。機会があれば是非一度、池袋のまほろば会で詳細を発表して戴ければと思います。

私の経験は、未熟でまだ上手くいっていないものですから、参考にはならないと思います。相曾氏ははじめから太陽が菱形に見えていたそうです。それをずっと不思議に思っていたところ、伊勢神宮に奉仕に行った際に、着せられた法被の背に同じ菱形の紋が赤く印されていて、訊けば菱形は天照大神の神紋であったということです。これこそ凄いです。

>相曾先生の書籍やビデオを見ていない人には、日拝といっても何のことやらと思いますので、そのあたりを文章化して発表されては如何でしょうか。

日拝とは、読んで事の如く日を拝むということで、その作法は相曾氏の書籍なりビデオを見るしかないと思います。相曾氏によると、それは神道や仏教などの宗教以前の、古来の日本文化(高天原文化)ということで、後世に広まった宗教を観念的なものと捉えたものとは違って、日本人なら誰でも、正確には、日本語を話す人なら誰でもその作法通り行なえば、神や高天原が実在するものであることを経験できるのだそうです。宗教であれば信じないといけませんが、観念的なものではないというのであれば、行なって経験しないまでは何ともいえませんし、そうとなると経験するまでは、実行してみたいものです。

私たちは、現実を変えるには議員になって国政に出るか、数を頼みにデモを起こすか、さもければ、テロという実力行使しか選択肢くらいしか浮かびません(しかし、それらは微かな希望を頼りに騒いでみるだけで、現実的には、その道はしっかりと閉ざされています)が、神や高天原が実在する古来日本では現実に神力に加勢してもらうという方法が正当な手段としてあったようです。こういう風に考えると、古事記、特に序は一層面白いものになっていきます。でも、神力を現実的の力とすると、怖いですね。それだけは、させたくないと思うのは当然ですよね。


>Aさんが馬之介さんに送ったというDVD、「シベリア鉄道」および「the big one」と真面目なものだったのですね、勘違いしていました(笑)。

私からもさらに怪しい(?)DVDを、知人から戴いたので、回送しました。お楽しみに…。


>カモシカ、タヌキなどは良いのですが、クマも出没する山奥なので、気楽に散歩というワケにはいきません。

当地では、さすがにクマは出ませんが、イノシシが来るそうです。どうやってこんな僻地に来るのかというと、海を泳いで渡って来るのだそうです。それを発見した農業を営むお年寄りが農産物の被害を恐れて、石を投げて上陸を阻もうとしたそうですが、必死なイノシシには勝てなかったようです。しばらく、そのイノシシの動向が話題になっていたのですが、面白いことに、この近辺の特産品がワケギで、それを嫌ってかイノシシはついに定住出来ずその姿は知らないうちに消えていったそうです。

>それでも、4月に入って仕事に追われていなければ、山に入ってみたいと思います。

天狗にはご注意下さい。
114:サムライ:

2013/02/27 (Wed) 14:08:18

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1361941698.jpg > 日拝をする時、こちら側にいろいろな思いがあると太陽は七変化して見えるようです。
それは凄い。機会があれば是非一度、池袋のまほろば会で詳細を発表して戴ければと思います。相曾先生の書籍やビデオを見ていない人には、日拝といっても何のことやらと思いますので、そのあたりを文章化して発表されては如何でしょうか。また、藤原源太郎さんなどは精神世界に詳しいので、多角的な情報交換が出来ると思います。

Aさんが馬之介さんに送ったというDVD、「シベリア鉄道」および「the big one」と真面目なものだったのですね、勘違いしていました(笑)。

両方とも未だ見たことはありませんが、“今”というタイミングでアメリカがシェルガスの輸出大国になりそうな気配があり、「シベリア鉄道」のロシアは天然ガスなので苦境に追い込まれることになります。

もう一本の「the big one」の制作者マイケル・ムーアには、以前から注目していました。アメリカの国内空洞化が叫ばれてから久しく、そのように持って行った「影にいる株主の思惑」の存在が臭います。


> まるで日本のマネーが欧米を支えるしかないように見えます。しかし、これも相曾氏のDVDを見てしまうと、それが日本の使命ではないのかとも思えてきます。

聞くところによると、大手町さんは911の時、WTC(世界貿易センタービル)に居たとのことであり、幸い生きながらえることができたようですが、その後は大手町さんの人生観が大きく変わったとのことです。それを念頭に、『月刊日本』の大手町さんの記事の行間を読めば、興味深い情報が掴めると思います。


> それでも日曜日には、私のお気に入りの海に突き出した岩場は、平地ということもあって釣り人に占有されてしまいます。

以前、まほろば会の林同志を車で秩父山地にある、竹寺という所に連れて行ったことがありますが、途中は雪が積もっており、スリップして谷底に落ちるのではと、自分で運転しながら冷や汗の連続でした。カモシカ、タヌキなどは良いのですが、クマも出没する山奥なので、気楽に散歩というワケにはいきません。それでも、4月に入って仕事に追われていなければ、山に入ってみたいと思います。


> 徳川慶喜を礼賛する記事が三号続いたので、ハッキリとはしないものの何か危惧する思いが浮かんでき始めていた

ある筋、さる筋、落合莞爾氏、栗本慎一郎氏といった人たちの講話や書籍から得た知識をもとに、日曜日の『八重の櫻』を見ていますが、やはり単なる一般向けの娯楽番組になっていますね。まぁ、『八重の櫻』はドラマと割り切って見ることにしています。
113:馬之助:

2013/02/24 (Sun) 23:12:51

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サムライさん、こんばんは。


>それにしても、古事記というのは奥が深い…。

同感です。

しかし、相曾氏のDVDを見て日拝をするようになった今、素直にそのままを受け取ろうとしています。日拝をする時、こちら側にいろいろな思いがあると太陽は七変化して見えるようです。ありのままを見ようとした時、はじめてそのままの姿を顕してくれるかのように思います。

その相曾氏のDVDをようやく次ぎに送ろうかと思っています。私に回してくれたAさんがおまけとして2枚のDVDを送ってくれています。一枚はNHK制作の「シベリア鉄道」で、海外の石油資本を追い出し、それらと呼応していた国内の財閥をパージして、資源を国民の為に使うようになったことで国民の所得が4倍になり活気づいているロシアの姿が映し出されていました。ロシア正教の熱気が印象的でした。もう一枚は、マイケル・ムーアの映画「the big one」で、株主がより利益を上げる為に、従業員がよく働いて利益を上げている工場が閉鎖され、東南アジアにその工場を移転することでより利益を増やそうとする姿で、煽りをくったアメリカ国民は、共働きは当然のこと、夫婦ともに二つの職を持たないと生活できないという現状の姿でした。対照的な話ですが、両国とも今まで見えて来なかった富を収奪しているものの存在が浮き彫りになってきたのではないでしょうか。大手町氏のいうフラット化は自然な趨勢とばかりとはいえず、その影にいる株主の思惑が大きいのではないかと思いました。

その大手町氏は『月刊日本』の三月号に「国民生活を犠牲にするアベノミクス」と題して面白いことを書いています。

***********************************
…つまり、アメリカは日本の円安を容認する代わりに米国債を購入させ、金利の上昇を押えようとしているのだ。アメリカはそれに加え、FRBが購入する段取りとなっていた銀行の不良債権をも日本に購入させようとするのだろう。
 これはEUとの関係においても言えることである。麻生財務大臣は先日、欧州安定化メカニズム(ESM)が発行を始める債券について購入する意向を表明した。メルケル首相が円安批判をしている一方で、EU全体としては表立った日本批判を行なっていないのはそのためだ。
***********************************

これを読むと、日本には、ロシアやアメリカとはまた違った事情があるように思います。これでは、まるで日本のマネーが欧米を支えるしかないように見えます。しかし、これも相曾氏のDVDを見てしまうと、それが日本の使命ではないのかとも思えてきます。


>同じように早朝散歩している他の人たちに、何処かの修行僧に間違えられることはありませんか(笑)? 

朝の忙しい時間にのんびり散歩している人は、さすがに少なく、日の出に向かってシコを踏む人が一人、なにやら詩のようなものを朗読して歩いて時折太陽に向かって大きな笑い声を上げる人たちが一組くらいです。しかしそれとなくお互いに歩く時間を調整したようで、今ではその姿を見ません。行きに自動車二台と帰りに一台とすれ違うくらいで、僻地の恩恵に預かっています。まあ修行僧というよりも、ちょっと変わった人と見られているかも知れません。それでも日曜日には、私のお気に入りの海に突き出した岩場は、平地ということもあって釣り人に占有されてしまいます。


>特に、最新号にあった「『慶喜公伝』は維新以降の慶喜公の行動を悟らせないようにするために刊行されたのでは」とありましたが、なるほどと思った次第です。

徳川慶喜を礼賛する記事が三号続いたので、ハッキリとはしないものの何か危惧する思いが浮かんでき始めていたので、天童氏のこの行には「みち」の真骨頂を見たように思いました。
112:サムライ:

2013/02/20 (Wed) 07:56:28

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馬之助さん、相曾先生のDVDを熱心に聞いておられる様子、流石です。かなり、お仕事にも活かせることでしょう。



> 『古事記』を何冊か立読みしてみると、翻訳によって、印象が全く違ってくる…

最近、8年振りに長原芳郎という人の著した『陰陽道』を再読してみて、改めて一度古事記を易学や陰陽道の観点から、徹底的に見直す必要を感じています。たとえば、最初の三柱について長原氏は以下のように述べています。

==========
陰陽道から解明すると、この三神は「太極より両儀を生ず」で、アメノミナカが太極、タカミムスビが陽で「-」男神動で、カミムスビが陰「--」で、女神静である。この三神は三位一体、陰と陽の章で、太極と両儀の関係は説明してある。したがって今までの学説は殆ど要点をついている。

しかし、ここで重要なことは、すでに説明したようにタカミムスビを東の神、春の神、十二支で卯の神、三碧。カミムスビを西の神、秋の神、十二支で西の神、七赤とすることで、この解釈がないと、これからの神々との関係が成立しない。

『陰陽道』p.330
==========

それにしても、古事記というのは奥が深い…。


> 私も音読は朝の散歩の時に続けています。

一度、馬之助さんが古事記を音読しながら散歩をしている様子を見たいものです。同じように早朝散歩している他の人たちに、何処かの修行僧に間違えられることはありませんか(笑)? 


> 落合氏の本の魅力は、情報の斬新さばかりではなく、情報に接した際の、その学究の真摯な態度にあるのではないかと思います。

同感です。そのあたりは、徳川慶喜について言及している、天童さんの『みち』の「巻頭言」でも納得できます。特に、最新号にあった「『慶喜公伝』は維新以降の慶喜公の行動を悟らせないようにするために刊行されたのでは」とありましたが、なるほどと思った次第です。
111:馬之助:

2013/02/17 (Sun) 21:14:09

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サムライさん、こんばんは。

>一つは〝磁気〟であり、古事記と電磁気を結びつけた栗原茂氏の説を思い起こします。

相曾氏は、DVDの中で放射性元素が神である、というようなことを言われています。私も詳細は失念してしまいましたが、別の本でどなたかが、同様のことを書いているのを読んだ覚えがあります。栗原氏も放射壊変に言及していますし、現今の放射能騒ぎも神の領域に踏み込もうとしている云々と表現していますが、未だに真実が明らかにされない放射能とは何なのかと思います。深く、何かが進行しているとしか思えません。日拝も放射壊変も放射能も、一直線上に並ぶものだとは思うのですが、その先は読めません。
また、相曾氏は本の中で、原爆を作りたいと言う軍部の友人から、相曾氏に作り方を神に聞いてくれと頼まれ、それは出来ないが鎮魂法は教えるから自分で訊けと鎮魂法を授ける話があります。後日軍部の友人が小型の原爆を作ったということですが、神界から小型原爆が降ろさせたということは、人殺しの兵器ばかリではない何かがあるのではないかとも思われます。そればかりか、北朝鮮の小型原爆も同じルートから来たものではないと妄想しています。


>それから、「言霊を失っていない翻訳本」とは、幸田露伴の実弟だった幸田成友の『古事記』でしょう。

そうですか。それは知りませんでした。『古事記』を何冊か立読みしてみると、翻訳によって、印象が全く違ってくるというか、目でしか読めませんね。幸田露伴の小説が創成されていく時代には、恐らく物語の内容ばかりではなく言霊の響きのようなもので何かを伝えたところがあったのではないかと愚考しています。それが、情報が重視されていくにつれて、言霊の響きは弱まり小説に魅力がなくなっていって、活字離れが言われ出したのではないでしょうか。


>小生も古事記の音読は毎日欠かさずに行っています。

私も音読は朝の散歩の時に続けています。相曾氏の日拝もそれに加えたので、散歩に一時間も要しています。相曾氏のDVDのおかげで、音読の響きがまた違ったものになってきました。


>落合さんの言葉で言えば「堀川政略」の中心が朝彦親王だったという話、それを裏付ける詳細なデータに接して、思わず息をのみました。

落合氏の新刊の出版が待たれます。落合氏の本の魅力は、情報の斬新さばかりではなく、情報に接した際の、その学究の真摯な態度にあるのではないかと思います。変な話、学究の徒にはその学究の真摯な態度は見られないので、落合本は魅力的なのではないかと思います。その真摯な態度は「さる筋」にも感じることで、それをなぜ落合氏に漏らしているのか、こちらでも何かが深く進行しているように思わないではいられません。
110:サムライ:

2013/02/14 (Thu) 07:27:32

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馬之助さん、お早うございます。


> 相曾氏の声(おん)の響きは心地良さを誘い、深いところまで届くかのようです

明日発売の『みち』の校正のお手伝いをさせて戴きましたが、稲村さんは肉体と魂の話、黄不動さんは妖狐の話でした。そして、神計らいで小生は昨日、美輪明宏氏の『霊ナァンンテコワクナイヨー』と題する本を読んでいました。そして今度は馬之助さんの相曾氏の話という具合で、それぞれが根底で共通していて面白い現象だと思います。


> 私もAさんの記述同様、「目に見えない何かを感じ取る能力など持ち合わせておりませんが」、神や仏といったものを観念的なものとしてではなく、飯時は腹が減るから分かるといった感じで、それは実感できました。

実は、昨日美輪明宏氏の本を読みながら、同じような気持ちになりました。馬之助さんがDVDを見終わったら、次は愛知の与一さんにDVDを転送、その与一さんが見終わる(聴き終わる?)数ヶ月後に、拙宅にDVDが戻ってくる予定ですが、その期間というのは神計らいかもしれず、その間は美輪明宏氏や長原芳郎の『陰陽道』などを読んでおけということなのかもしれません。

『霊ナァンンテコワクナイヨー』を読んで、二つのことを感じました。一つは〝磁気〟であり、古事記と電磁気を結びつけた栗原茂氏の説を思い起こします。もう一つは、美輪氏は九星で見ると二黒土星、そしてナント小生も二黒土星なのです。同書のp139に、「二黒土星は、若いうちはいくら努力して勉強しても、教養知識いろんなものを身につけても、何の効力もなく花も咲きません。お金も右から左に出ていき、貧乏で、惨めな思いをして、何の報いもないのです。だけど、晩年になればなるほどあらゆる面で良くなってゆきます」とあります。それが本当なら、小生は未だ未だ長生きするなと思った次第(苦笑)。とにかく、九星について、もう少し詳しく調べてみようと思います。


> また、DVDではその本質が何であるのか、それが本質であるのなら、この先どういう道筋を辿って行くものなのかが、語られていますが、それは古事記に書かれているもののようです。

これは相曾氏が強調している点ですね。同感です。それから、「言霊を失っていない翻訳本」とは、幸田露伴の実弟だった幸田成友の『古事記』でしょう。この点は『みち』の「常夜燈」で執筆されていた赤不動さんの主張でもありました。小生も古事記の音読は毎日欠かさずに行っています。


> 当然ながら、朝彦親王も皇統の一員であるというところが、もうこれは恐ろしい感じさえします。まさに修理固成と思わないではいられません。

落合(莞爾)さんの南北朝に関する本を近く出版の運びのようですが、同書の中で驚くことの一つは、落合さんの言葉で言えば「堀川政略」の中心が朝彦親王だったという話、それを裏付ける詳細なデータに接して、思わず息をのみました。
109:馬之助:

2013/02/12 (Tue) 22:18:12

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サムライさん、こんばんは。

>馬之助さんも相曾氏のDVDから何か思うところがありましたら、この掲示板に報告してください。

DVDを回送してくれたAさんが、映像をオフにして声(おん)だけにした方がしっくりすると感想を述べられていました。私も同感で、久しぶりに大和言葉の響きを聞いたように思います。その非常に懐かしい声(おん)の響きのせいか、何度となく居眠りを繰り返しながら、聴いています。最近の講演会といえば声を荒げてしまうものが多いような印象を持っているのですが、相曾氏の声(おん)の響きは心地良さを誘い、深いところまで届くかのようです。人を決して貶さない姿勢も好感を抱かせます(他の人も自らと同じく神の分魂と捉えているからだと思います)。自らに正当性を持つと大上段に構えがちな人の言葉は、たとえ言っていることが正しくても心には響きません。日本人としての言葉もそうですが、品も失いたくないものですね。品を失ってみせるところに親近感や好感を覚えるとしたら、それはどこかよその国の感性ではないかと思ってしまいます。漢語の侵入を深いところまで許してしまい、その自覚すらもう既にないといった感じでしょうか。ものの理解がいつのまにか漢語的になっていることを思わないではいられません。

DVDの中では、秘伝をそれとなく公開してくれていますが、秘伝とされる言葉を、秘伝の作法に則って自ら口にしてみると、自らの声(おん)の響きが体腔に響き渡り、尾骨にビンビン応え、えも言われぬ安心感に包まれます。私もAさんの記述同様、「目に見えない何かを感じ取る能力など持ち合わせておりませんが」、神や仏といったものを観念的なものとしてではなく、飯時は腹が減るから分かるといった感じで、それは実感できました。時間が来たから飯を喰うというのとは、少しだけ感性が豊かなのかも知れません(苦笑)。これを言霊というのかと、実感できたのは大きな収穫でした。時代を超えるものとして、言霊は決して失われるものではないようです。神国日本というのも天孫降臨というのも、実感として素直に受け止めるものだと、感じ入りました。まさに言霊の幸あふ国に生を受けているのだなと実感した次第です。

>「米国には幾つ権力が存在するのか?」という点で、最近飯山さんや飯山さんの〝娘さん〟(キノコ姐さん)が興味深い記事を書いていました。

また、DVDではその本質が何であるのか、それが本質であるのなら、この先どういう道筋を辿って行くものなのかが、語られていますが、それは古事記に書かれているもののようです。修理固成というのは、神話のお話ではなく、その現実を生きているのだなあという思いを新たにしました。古事記を偽書だと決めつける人たちも多くいるようですが、古事記をどのように捉えるかも、サニワの材料になるようです。というのも、古事記を声に出して読む時(言霊を失っていない翻訳本に限るようですが)、その声(おん)の響も体腔に響き渡り、尾骨にビンビン応えるからです。こういった実感は、誰がどう言おうと、どの文献に何が書かれていようと、この世に生を受けたものの確かに感じえる切なる実感で、理屈を持って否定できる類のものではないと思います。自らの実感を否定してしまっては、この世に命を得ている甲斐がないと思うのです。

>まさに、明治維新を解くカギは、朝彦親王にあるようです。

当然ながら、朝彦親王も皇統の一員であるというところが、もうこれは恐ろしい感じさえします。まさに修理固成と思わないではいられません。

古事記の序に次のようにあります。

***********************************
寔(まさ)に知る鏡を懸け珠(たま)を吐きて、百王相續(ひゃくおうあいつづ)ぎ、劔を喫(か)ひ蛇(おろち)を切りて、以て萬神蕃息(よろずのかみはんそく)することを。
***********************************

「劔を喫ひ蛇を切」らないでは、「萬神蕃息することを」得ないということのようで、その誘因として「米国には幾つ権力が存在するのか?」ということではないのか、という思いに至っています。それによって幾つか存在する権力も初めて浮かばれる、というものではないのでしょうか。
108:サムライ:

2013/02/09 (Sat) 17:51:47

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1360399908.jpg 馬之助さん、投稿が遅くなりました。


> サムライさんから回ってきている相曾氏のDVDを今見ています。

これは、道友の林さんからお借りしているものですが、多分本人は忘れているでしょうから、気にせずにゆっくりと見てください(笑)。実は、神計らいで美輪明宏氏のこと調べていたら、『霊ナァンテコワクナイヨー』という本の存在を知り、先ほど発注しました。美輪氏は霊感が凄いと各方面から聞き及んでいますが、とにかく同書に目を通したら、新ブログ[人生は冥土までの暇潰し]に、簡単な読後感を書きたいと思います。馬之助さんも相曾氏のDVDから何か思うところがありましたら、この掲示板に報告してください。


> ベンジャミン・フルフォードの講演は音声だけですがこちらで聞けます。(http://www.youtube.com/watch?v=aHjiTdtEvo4

2時間以上にも及ぶ講演ですね。今は無理ですが、来週後半にでも早速視聴してみたと思います。ありがとうございました。「米国には幾つ権力が存在するのか?」という点で、最近飯山さんや飯山さんの〝娘さん〟(キノコ姐さん)が興味深い記事を書いていました。


落合さんは次の新刊に向けて、着々と筆を進めているようです。馬之助さんの生琉里が排出した人物も登場するようです。並行して、馬之助さんが仰せの徳田氏の朝彦親王の本も大変参考になったようです。まさに、明治維新を解くカギは、朝彦親王にあるようです。

『徳川慶喜公伝』、仕事の合いに読み進めているのですが、同時進行で他のいろいろな本も読んでいるので、いつ読了できるか分かりません。でも、落合さんや天童さんが同書を高く評価しているのですから、小生も分からないなりにも早く全巻に目を通したいと思います。

サムライ拝
107:馬之助:

2013/02/04 (Mon) 23:18:49

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サムライさん、こんばんは。

>個人がどう思おうが、個人を超越した力が作用して世界が動いていく訳なので、為す術もなく我々は見守るしかないという意味で書きました。

相曾氏は、歴史は神と人との合作で、それを立体史観と言われていますから、まさに「為す術もなく我々は見守るしかない」のですが、このサムライさんの言葉を詳細に見てみるとそれは微妙な表現で、神の仕事ですから確かに我々には「為す術」もない訳ですが、同時に「見守るしかない」のが神の働きでもありますから、我々というのは神に等しい存在ということになってしまいます。ですから、立体史観をとるにせよ、とらないにせよ、実際にはそういう場に生まれているのではないのかと思うのです。これを自覚して生きていくことを神ながらというのでしょうか。これは前回引用しました古事記の序の「先聖に頼りて神を生み人を立てたまひし世を察(あきらか)にす」という神と人との序列に表現されていることだと思います。そういう世に生を受けながら、何でも自分が一人で、または信頼の置ける仲間とやっていると傲慢にならないで、現実世界にそういう神の計らいが垣間みれるところを面白く思います。

>最近も、「米国には幾つ権力が存在するのか? オバマの方針に逆らってアルカイダを動かす勢力」と題した、非常に興味深い記事を載せています。

>ベンジャミン・フルフォード氏の講演が紹介されていましたか? 残念ながら見落としたようです。URLが分かりますでしょうか?

ベンジャミン・フルフォードの講演は音声だけですがこちらで聞けます。(http://www.youtube.com/watch?v=aHjiTdtEvo4)ここでは「米国には幾つ権力が存在するのか?」ということも話題になっています。NWOを計っていた陣営はパージされたようですが、旧来の陣営もまだ健在なのかそれに変わる勢力が出て来るのか、見守るしかないようです。

>黄不動さんの記事を読んで咄嗟に脳裏に浮かんだのが、笠原和夫が著した『昭和の劇』の某行です。

こういった噂もたしかに垣間みられますが、攻守ともに皇室に関しては確かめようがない訳ですから、謎としかいいようがありませんし、だからそこを巧妙に突いているのではと感じることもあるのです。しかも当の皇室は否定も肯定もしないのですから謎が晴れることはない訳ですが、一方でいつから日本人はこんなにさもしくなったのかと思うところもあります。人格には、神格のことを計り知ることはできないのだと思ってしまいます。信じると言えば聞こえがいいですが、信じるというところに傲慢な匂いがします。所詮人格ですから、サムライさんが言うように「為す術もなく我々は見守るしかない」のかも知れません。

サムライさんから回ってきている相曾氏のDVDを今見ています。相曾氏は「その現実を真剣に研究したうえで、信じるものは信じ、否定する者は否定すればよろしいのです。正しい霊魂観がありませんと、乱れに乱れたこの世界はいっこうに浄化されません」というように言いますが、真剣に研究した人を見れば、ミイラ取りがミイラになったように感じられ、そこに不信感をもったりするのが我ながら哀れです。またはミイラになりそうなので頑になって否定するということもあるのかもいれません。総じて、それもまた面白いのかもしれませんが…。
106:サムライ:

2013/02/02 (Sat) 07:47:16

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1359758836.gif 馬之助さん、おはようございます。

> しかし、現在の日本では「オバマ政権がどのような措置を講じてくるか見守りたいと思います」というのが得策のようです。

個人がどう思おうが、個人を超越した力が作用して世界が動いていく訳なので、為す術もなく我々は見守るしかないという意味で書きました。それから、『月刊日本』の大手町さんの記事の他、注目しているブログがあります。あいば達也氏の「世相を斬る」です。
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya

最近も、「米国には幾つ権力が存在するのか? オバマの方針に逆らってアルカイダを動かす勢力」と題した、非常に興味深い記事を載せています。
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/9f7546d5e1fa642551ca0e901d82a975

特に注目した、あいば氏の記事の行は以下の通りです。

----------
なぜ日本人が多かったのかの疑問は解消しないが、マリで空爆を続けるフランス人の被害者が一人もいないのも不思議だ。
----------

湾岸戦争当時、アメリカに130億ドルもの戦争援助金を出した小沢一郎以来、さまざまな形で中近東でのアメリカの軍事行動に貢いできた日本は、テロリストから見ればアメリカのポチとしか見えないと思います。だから、日本人が多かったのも頷けます。それにしても、あいば氏ではないが、フランス人の被害者が一人もいないというのは、引っ掛かるなぁ…。



> 飯山さんのブログで紹介されていた、ベンジャミン・フルフォード氏の講演に、あちこちの国で現在大麻が解禁されて始めているという話がありました。

飯山さんの『文殊菩薩(ブログ版)』というブログは面白い情報が多いですね。ベンジャミン・フルフォード氏の講演が紹介されていましたか? 残念ながら見落としたようです。URLが分かりますでしょうか?


> 柿添氏のブログで歌会始の儀が取り上げられていました。(http://kakizoe.seesaa.net/article/313818077.html

アクセスしてみました。毎年、小生も歌会始の儀は注目しております。昭和聖徳記念財団が毎年発行している、昭和天皇御製カレンダーには昭和天皇の御製六首が掲載されていますが、この六首は小生も歌会始の儀と関連があると思われるので、調べてみたいと思います。3年前になりますが、『みち』にも以下のような記事が載りました。
http://pro.cocolog-tcom.com/photos/uncategorized/2011/01/30/michi30101.jpg


> 驚くことに、南北朝の対立は後醍醐天皇の子ども、その兄弟から始まっているというのです。

昨日も別件で落合さんとメール交換しましたが、今度黄不動さんの記事について、どう思われるのか聞いてみたいと思います。


> 私のような庶民でさえ兄弟は赤の他人と違って、お互いに家庭を持って疎遠になったとは云え、会えば他人とは明らかに違う親近感があるものです

その通りなのですが、こと皇室に関しては別の見方をする必要があると思います。このあたりは余り深入りは出来ませんが、黄不動さんの記事を読んで咄嗟に脳裏に浮かんだのが、笠原和夫が著した『昭和の劇』の某行です。内容が内容だけに、こうした公の場に書くことは憚れるので、上記にこっそりと画像ファイルにしてアップしておきました。
105:馬之助:

2013/01/28 (Mon) 21:14:15

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サムライさん、こんばんは。

>ネオコン派はアメリカに居づらくなったようですね。そして、アメリカに残るのがオバマ大統領に代表される反イスラエル派ですが、輸出を増やして〝国家再建〟を狙っている彼らにとって、円安ドル高は困った事態であるだけに…

面白いですね。確かに、ネオコン派には、アメリカが居づらい国になったように思えます。しかし、日本に対してはどうなのでしょうか?国家国民の利益と、ネオコン派の利益が相反している以上、どこまでごり押しできるものなのでしょうか(ましてや、本国アメリカが居ずらい国になった現在)?反原発勢力を煽っては毎日100億円分の原油を買わせ、国力を衰えさせ円安に誘導しているものの、それは「輸出を増やして〝国家再建〟を狙っている」オバマ大統領に代表される反イスラエル派にとっては好ましくない、米国の輸出を期待できない円安ドル高ですから、お互いに国家再建を計るのであれば、円高ドル安というところで、国家レベルにおいては利害が共通するように思えます。国民あっての国家と、商売しかない血統のコスモポリタンの正体があらわになりつつあるのでしょうか。しかし、現在の日本では「オバマ政権がどのような措置を講じてくるか見守りたいと思います」というのが得策のようです。属国という反面、アメリカに助けられるという形が必要のように思います。

飯山さんのブログで紹介されていた、ベンジャミン・フルフォード氏の講演に、あちこちの国で現在大麻が解禁されて始めているという話がありました。この辺りにネオコン派の衰えを感じるはするものの、毎日100億円分の原油を買うことで協力体勢の万全な日本では大麻解禁はまだ先かも知れませんが、世界の情勢は大きく変わろうとしているのは確実のようです。それにしても、ネオコン派にもオバマ大統領に代表される反イスラエル派にも、協力体勢の万全な日本というのは凄いのではないでしょうか?

柿添氏のブログで歌会始の儀が取り上げられていました。(http://kakizoe.seesaa.net/article/313818077.html

今年のお題は「立(りつ)」という事ですが、立といえば、古事記の序に次のようにあります。

********************************
故(かれ)太素(おおもと)の杳冥(えうめい)なる、夲教(もとのをしへ)に因(よ)りて土(くに)を孕(はら)み嶋を産みたまひし時を識り、元始の綿邈(めんばく)たる、先聖に頼りて神を生み人を立てたまひし世を察(あきらか)にす。
********************************

皇后陛下の歌は次の通りで、古事記の序と重ねて読むと何か期待するものが湧いてきました。

天地(あめつち)にきざし来たれるものありて
君が春野に立たす日近し

さて、落合氏の「南北朝」ですが、1月15日発行の『みち』の常夜灯に黄不動氏が驚くべき事を書かれています。

********************************
後嵯峨天皇は三歳になった第二皇子久仁親王を後深草天皇に即位させたが、後に六歳下の第七皇子恒仁親王を溺愛。親王一一歳の時に亀山天皇として即位させる。これが後深草=持明院統(北朝)、亀山=大覚寺統(南朝)の対立となり南北朝へと繋がる。
********************************

驚くことに、南北朝の対立は後醍醐天皇の子ども、その兄弟から始まっているというのです。私のような庶民でさえ兄弟は赤の他人と違って、お互いに家庭を持って疎遠になったとは云え、会えば他人とは明らかに違う親近感があるものです。多少の確執があったにしても、他人に対するものとは違うものではないでしょうか。それが神格と言われる人格とは比較にならない皇統の話ですから、兄弟の確執に端を発しているというのは、無理があるというか明らかに後付けの解釈か、そうでないとしたら、神国日本ではない国の話ではないのでしょうか?黄不動氏は暗にそれを言っているように、私は取りました。南北朝の対立はその始まりからしてなかったということではないでしょうか。そうでないと、落合氏の『月刊日本』の次の文章は理解できません。

********************************
・親王は奈良において幕府を代表する川路に対し、非公式な場とはいえ、伏見宮も現皇室も南朝の血統と言明したのである。史的常識に正反対の驚くべき発言であるが、これに対する川路の対応も驚くべきものであった。親王言を聞き咎めた様子は全くなく、むしろそれを諾(うべな)い、胸中でも「伏見宮家が南朝系のために今日全盛なのは、足利時代に南朝が苦労したことを思えば不思議なことである。まことに神慮は計り難い」などと、感心しているのである。

・つまり「貞成親王が実は南朝の血筋であった」と解釈するしかない話を、後の久邇宮朝彦親王が語り、川路聖謨はこれを肯ったのである。いかにも不審だが、それよりもなお奇怪なるは、現今の明治大学教授徳田武もそれを疑ってないことである。
********************************

川路聖謨の態度といい、現今の明治大学教授徳田武の態度といい、南北朝の対立は後世に作られたものではないかと疑わないではいられません。また現在、現今の明治大学教授徳田武のように確たる姿勢を示す人がいるというのは、頼もしい限りです。
104:サムライ:

2013/01/27 (Sun) 07:23:51

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http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1359239032.jpg 馬之助さん、おはようございます。

昨日は仕事も一段落したと勘違いして、朝から『満洲裏史』(太田尚樹著 講談社)に読み耽ていたところ、昼頃になってアメリカの翻訳会社から、「今日の締め切りを過ぎているのに、まだ翻訳したファイルが届いていないが、どうしたのか?」という連絡が入り、昨日仕事が全て一段落したと勘違いしていたのに気づき、慌てて取り組んだ次第。そのため、『満洲裏史』を漸く今朝読み終えたところです。(『満洲裏史』の写真は上記URLをクリック)

『満洲裏史』の主役は東条英機・甘粕正彦・岸信介の三人ですが、以下の行が印象的でした。

----------
あの熾烈な太平洋戦争で、2年9ヶ月東条内閣がもったのは、岸と甘粕の力でもあった」p.431
----------

ここで言う〝力〟の一つこそが、阿片事業によって得た莫大な資金であり、それを自由に出来た東条英機だからこそ、三年近くも内閣がもったということを証している行となっています。

満洲と阿片の繋がりについては今や常識の部類に属す話であり、そのため同書からは阿片に関する新情報は見いだせなかったものの、一方で同書から得た収穫は、様々な角度から取り上げた、甘粕正彦・岸信介の二人の人間像でした。筆者の太田氏は、「何を隠そう、当初は甘粕正彦と岸信介を通して、満洲とは何であったのかを書き始めたのだが、いつの間にか、彼らの虜になっていた自分に気が付いた次第である」(p.467)と書いていますが、小生も同書を読み終える頃には同じような気持ちになりました。ここで、改めて『戦後史の正体』で、孫崎さんが岸信介を高く評価していることを思い出した次第です。特に、「岸は対米自立路線を模索していた」(『戦後史の正体』p.186)には目が釘付けになったものです。


> 「アメリカ経済が決定的な破綻に至るとは考えにくい。」としているところが、気になります。

ネオコンという親イスラエル派が、山浦(嘉久)さんの主張する新河豚計画と、深く結びついているといった情報から推測するに、ネオコン派はアメリカに居づらくなったようですね。そして、アメリカに残るのがオバマ大統領に代表される反イスラエル派ですが、輸出を増やして〝国家再建〟を狙っている彼らにとって、円安ドル高は困った事態であるだけに、藤井さんが主張する「円高構造が円安構造に長期的に既に転換した」というトレンドに対して、オバマ政権がどのような措置を講じてくるか見守りたいと思います。


> ところで、今号の『月刊日本』で双璧を為すのが、落合氏の「南北朝」問題だったと思うのですが、長くなりましたので、またの機会とします。

今回はさる筋が登場せず、国文学者某になっていましたね(笑)。何か、新しい展開を予想させるに十分ですが、馬之助さんの落合説に関するお話を楽しみにしております。
103:馬之助:

2013/01/25 (Fri) 22:59:55

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サムライさん、こんばんは。

>今号の『月刊日本』の特集は「アベノミクス」であり、最もタイムリーな特集と言えそうです。その一本が上記の大手町さんの記事でした。特に、阿倍緩和でデフレを脱却しようとする試みについては失敗に終わると、大手町さんは断言しておられます。その理由として「不景気の原因である〝経済のフラット化〟は、金融緩和で是正できないからだ」と明白に述べているのは目から鱗でした。

大手町氏の記事は興味深く読みました。

「不景気の原因である〝経済のフラット化〟は、金融緩和で是正できないからだ」というところは、サムライさん同様、目から鱗でした。同氏の文章では、「先述したとおり、日本企業の収益は増えたが、その多くは内部留保されている。それを商品開発に投資し、イノベーションを起こすしかない。確かに一定のリスクは伴うが、リスクを恐れて何もしなければジリ貧だ。安全策として商品価値を下げても、その分人件費を削れば、経済全体の消費は冷え込むだけだ。」というところを特に興味深く読んでいます。その多くを内部留保させようとし、お金がなかなか開発投資に回らなくしているのは、どういう勢力なのか気になるところです。

今号の『月刊日本』で、植草氏は「アベノミクスの落し穴」で、「インフレ誘導は大資本と政府に利得を与える施策だが、労働者と高齢者には過酷な政策なのだ。」と切り捨て、「一見すると景気回復優先のスタンスを取っているように見える阿部政権であるが、大型補正予算編成などの施策が目的とするのは日本経済の浮遊ではない。10月までに最終決定することになっている14、15年の消費税大増税を間違いなく実現することが真のねらいなのだ。」とその正体を証してくれています。

また、同号では藤井厳喜氏が、「実は、円安ドル高トレンドを推進しているのは、阿部政権ではなく、その背後にある経済的な構造変化である。40年にわたる円高ドル安構造が、完全に終焉し、転換したというのが、昨年秋の時点における筆者の判断である。」とし、「アメリカ経済が決定的な破綻に至るとは考えにくい。」としているところが、気になります。

「経済のフラット化」といい、「経済的な構造変化」といい、もしそれが現実なら14、15年の消費税大増税は私たちの生活には致命的なものになるのではないでしょうか。それを隠すための「アベノミクス」であるとすると、辻褄が合いすぎて気味が悪いです。大切な話なので、藤井氏の文章をもう少し引用しておきます。

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…円高構造が円安構造に長期的に既に転換した、という認識は今後の経済予測の為に、決定的に重要である。長い目で見れば、寧ろ、日本は今後、過度な円安になる事を警戒しなければならなくなるだろう。そういった観点から見ると、アメリカの「財政の崖」問題が、一本調子の円安ドル高防いでいるともいえるのである。つまり、「財政の崖」問題は、イコール「ドル安の原因」であり、急激な円安ドル高にブレーキをかける作用がある。
 日本の経済構造は、現在、急速に貿易赤字の縮小から更に貿易赤字の拡大方向に向かっている。日本産業の競争力の低下や高齢化がこれを押し進める構造的な理由となっている。しかも原材料・食糧、特にエネルギーの輸入などにより、輸入は漸増する傾向にある。
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>ぐっちーなる人物は丸紅、モルガン・スタンレー、ABNアムロ、ベアー・スターンズなどを渡り歩いてきた人物であり、同氏の新著は飯山さんのブログでも紹介されています。

同じく飯山さんのブログで、ベンジャミン・フルフォード氏の講演会も紹介されていましたので、久々に聞いてみました。
http://iiyama16.blog.fc2.com/page-3.html

ここでは、原発反対で原発が止められたために火力発電のための原油や天然ガスの輸入の為に毎日100億円が使われ(『月刊日本』でも、中村勝範氏が『先憂後楽』で、同様の事を述べていました)、急速に貿易赤字が進んでいるとありました。ただ、ベンジャミン・フルフォード氏のいつになく楽観的な姿勢が気になるところです。ブッシュ勢力がパージされて、既に世界を影で操っていたトップが変わったという事ですから…。


>その人物が書いた『なぜ日本経済は世界最強と言われるのか』が、何故今というタイミングで出版されたのか、書いている内容は何処まで正しいのか、金融のプロである安西さんの目から見て、同書の内容はどのように映るのか、次回のまほろば会あたりでのお話が楽しみです。

上記の事からも、「日本経済は世界最強」とは、なかなか言えそうにもありませんが、それは現在の紙幣経済を前提にした話で、イノベーションではないですが、落合氏の『金融ワンワールド』、安西氏の『お金の秘密』はそれを越えた壮大な話ですので、「金融のプロである安西さんの目から見て、同書の内容はどのように映るのか」というのは、興味津々です。

ところで、今号の『月刊日本』で双璧を為すのが、落合氏の「南北朝」問題だったと思うのですが、長くなりましたので、またの機会とします。
102:サムライ:

2013/01/22 (Tue) 11:33:00

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1358821980.jpg 馬之助さん


> 大手町氏の言うように、「経済への不安を煽るキャンペーンにすぎないと解釈すべきだ。この不安をより過激なQE3追加緩和の支援材料とするために、意図的に解決を遅らせているのだろう」


今週の月曜日に届いた『月刊日本』を紐解くと、また大手町さんの新記事(「三本の矢は失敗に終わるか?」)が掲載されていました。小生は大手町さんを囲む会合に時折顔を出して、大手マスコミが報じない日本および世界経済の裏を教えて戴いていることもあり、どうやら今後は『月刊日本』で連載になりそうな雰囲気、有り難いと思います。

また、今号の『月刊日本』の特集は「アベノミクス」であり、最もタイムリーな特集と言えそうです。その一本が上記の大手町さんの記事でした。特に、阿倍緩和でデフレを脱却しようとする試みについては失敗に終わると、大手町さんは断言しておられます。その理由として「不景気の原因である〝経済のフラット化〟は、金融緩和で是正できないからだ」と明白に述べているのは目から鱗でした。

その他、同特集では東谷暁さん、森田実さん、植草一秀さんらもアベノミクスについて執筆されており、大手マスコミが決して報道していないことを、各々四人の個性で書いているので、アベノミクスの正体を知る上で参考になると思います。特に、小生から見て光っていたのが森田実さんの記事でした。

……「私はあなたの国が礼節の国だと信じ、格子としてお招きを受けて参りました。講演をする前から謝罪せよと厳しく追及されるようなあなたのやり方はとうてい承服できない。そして、強制された謝罪は真の謝罪にならないから、応ずるべきでいないという教育を、日本人の私は受けてきた」と語り、大切なのは礼節ではないのかと訴え、謝罪要求には応じられない、と答えた……

というあたり、流石は森田さんでした。



> しかし、落合氏の『金融ワンワールド』、安西氏の『お金の秘密』を読むと、とてもそのようには考えられない。

落合さんが「通貨とその独占発行体の今後の命運」について、安西さんに次の本で書いて欲しいと切望されているようなので、もう少し待ちましょう。先週の土曜日にまほろば会が池袋であり、安西さんと色々と語り合ったのですが、その折りにぐっちー氏の著した『なぜ日本経済は世界最強と言われるのか』を手渡し、今度お会いした折りに読後感をお願いしたいと依頼してきました。ぐっちーなる人物は丸紅、モルガン・スタンレー、ABNアムロ、ベアー・スターンズなどを渡り歩いてきた人物であり、同氏の新著は飯山さんのブログでも紹介されています。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-1513.html

しかし、このぐっちーすなわち山口正洋氏なる人物は、かつては小泉純一郎や竹中平蔵らのグループに属していた人物であり、対峙していた植草一秀氏に対して事実無根のブログ記事を書いた人物だけに、素直に同氏の本の内容には同意できません。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/cat30905475/index.html

その人物が書いた『なぜ日本経済は世界最強と言われるのか』が、何故今というタイミングで出版されたのか、書いている内容は何処まで正しいのか、金融のプロである安西さんの目から見て、同書の内容はどのように映るのか、次回のまほろば会あたりでのお話が楽しみです。
101:馬之助:

2013/01/12 (Sat) 22:23:35

host:*.emobile.ad.jp
サムライさん、こんばんは。


>惜しむらくは、通貨の今後たどる道を明らかにしていないことだが、これはこの時点で一旦読者に考えさすべき主題であるから、本来は『お金の秘密上巻』とした方が良かった。下巻はむろん、通貨とその独占発行体の今後の命運を語ってくれることになるだろう。

落合氏がそのホームページに載せている、安西氏の本の推薦文からの引用ですが、落合氏の話は正にその通りだと思います。私も「通貨の今後たどる道を明らかにして」ほしいと思うところです。また次作で、「通貨とその独占発行体の今後の命運」を早く読みたいものです。

>やがてカタストロフィーがやってくるが、その時の処理は、換金率の切り下げしかない。

上記は次作が待てないという落合氏の説ですが、これもその通りではないかと思います。

ところが、その「カタストロフィー」が簡単にはやって来ないようです。「財政の崖」とか言いながらも、それは大手町氏の言うように、「経済への不安を煽るキャンペーンにすぎないと解釈すべきだ。この不安をより過激なQE3追加緩和の支援材料とするために、意図的に解決を遅らせているのだろう」という説に信憑性を感じたりする訳ですが、この説によると、あたかも「カタストロフィー」は回避される方向にあるようです。

しかし、落合氏の『金融ワンワールド』、安西氏の『お金の秘密』を読むと、とてもそのようには考えられない。虚構がいつまでも続く訳がない(虚構の継続を願う人も大勢いるようですが…)。
では、最大の虚構がなぜ続くのかと、正月惚けの身で妄想すると、お金に対する信用は、お金を頼りにする私たち庶民の信仰ともいえる根強い信念から来るのではないでしょうか。

オマケに、不安が増せば、余計にお金を頼りにする。その心がお金に信用を与え、揺るぎはするものの崩壊まではいかない。
だから容易に不安な状況は取り去れない(3.11の復興は遅れているようですし、福島も進展しているようには思えません)。不安な状況を創造しては、お金の信用を強固なものにしていく訳ですが、それではお金を回せない(だから庶民とは無縁のところでしかお金は回っていない)。やはりこれは別な意味でチキンレースのように思えます。

そして、お金の信用、信仰、信念(天童氏によるとサン・マルコ寺院の地下金庫がヴェネツィア・コスモポリタンの基盤を作ったようですから、本来が宗教と無縁ではないようです)、その対極にあるのが、本来の信仰心、機会さえあれば容易にそれを取り戻しそうな神国日本ではないでしょうか。だからそちらに目が向かないように、日本は内外からいろいろ仕向けられているように感じています。
それらが先のDVDにあったアマルナ革命の話に繋がっていくのでしょうが、そのアマルナ勢力が嫌うのが、天孫降臨、立体史観ではないでしょうか(最近、あちこちのブログでアンチ天孫降臨という話題を目にします)。

>しかし、最初は相曾先生のビデオだな…

『古事記』の序の始めの方に、「所以(このゆえ)に幽顯に出入(でい)して、日月(じつげつ)目を洗ふに彰(あらは)れ、海水に浮沈(うきしずみ)して、神祇(じんぎ)身を滌(すす)ぐに呈(あらは)る。」という句があります。これは相曾氏の日拝鎮魂法や禊祓いそのままのようで、相曾氏の方法論の正しさを窺わせますが、この神祇というものが、お金という信仰の対極にあるものではないかと愚考しています。
その神祇が自然な形で皇統と私たち庶民とを繋げ、その繋がりが私たちに安心を与え、その安心を基にした私たちの純粋な働きで神祇がこの神国日本に行き渡るのではないでしょうか。

ただ「身を滌ぐに呈(あらは)る」ということですから、お金以上に手に入れるのは現代では難しいのかも知れません。恐らく、昔の生活の中には自然にそういう風習というか文化が息づいていたのではないかと思っています。それを取り戻す方法を相曾氏は本に書いている訳ですから、相曾氏のビデオがあるのであれば楽しみです。
100:サムライ:

2013/01/09 (Wed) 07:42:19

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、よい新年を迎えられた様子、何よりです。拙宅では一家全員が風邪を引き、とんだ寝正月になりました…。

『月刊日本』の大手町さんとは今までに数回お会いしており、お会いする度に刺激を受ける凄いエコノミストです。それにしても、内容が内容だけに、『月刊日本』に公表した大手町さんの侠気に敬意を表したいと思います。


> お金は目先の現実を保証するかのような確かなものに思えるのですが、安西氏はそれこそが最大の虚構だと云っているのですから、どうも私たちは根柢からいいように操られているようです。

小生は一ヶ月ほど前に安西さんの『お金の秘密』(成甲書房)の普及に協力して欲しいと、大勢の人たちに声を掛けましたが、真っ先に手を上げ且つ実行に移してくれたのが、あの落合(莞爾)さんでした。落合さんのホームページに、安西本として紹介していますのでアクセスしてみてください。さらに、落合さん自身の推薦文も載せてあり、心憎いばかりの気配りです。
http://kishu-bunka.org/


> また機会がありましたら,DVDを送って頂けたらと思います。

林廣さんという方に、まほろば会で頂戴しているDVDには誠に貴重なものが多く、本山さんにも興味を持って戴けそうなものは、見終わったら送らせていただきます。しかし、最初は相曾先生のビデオだな…。


> 今年もよろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いいたします。
99:馬之助:

2013/01/03 (Thu) 16:00:03

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サムライさん、明けましておめでとうございます。

私の住むところは僻地なのでしょうか、今までADSLでしかネットに繋がる手段がなかったのですが、最近になってやっと光よりも先にeモバイルが来るようになって、それを導入してみたのですが、まだまだ電波の状態が十分ではないようで、かえってネットに繋がりにくかったり余計に時間がかかったりしています。

>今年はマヤ暦騒動がありましたが、地球最後の日にならなくて何よりでした。

そのお祝いも兼ねて、祝い酒に浸った正月です。

地球最後の日にはならないにしても、アメリカの経済に衝撃が走るのかと思っていましたが、それも「月刊日本」の大手町太郎氏の予測通りに事が運ばれているようで、「財政の崖」も大手町氏が「阿部金融緩和はアメリカの尻拭いだ」に書かれているように、

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…したがって「財政の崖」は、経済への不安を煽るキャンペーンにすぎないと解釈すべきだ。この不安をより過激なQE3追加緩和の支援材料とするために、意図的に解決を遅らせているのだろう。
 いわば大統領と議会が二人三脚でチキンレースを行なっているようなものだ。両者が崖に落ちてしまうとアメリカ経済も不況に陥ってしまうのだが、大統領に止まる気がない。彼はむしろ経済を崖に陥れ、景気不安が募る中でQE3を強化しようとしている。
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というところで、これに阿部金融緩和は寄り添っているようですね。テレビでも珍しく、「財政の崖」がギリギリで回避されたことがニュースになっていましたから…。でもそもそも、そういったもので回避される規模のものなのでしょうか?確かに、希望を繋ぐことはできますが…。

>このあたりについては、ヒントになりそうなDVDを一昨日送りました。きっと驚かれると思います。

貴重なDVD、確かに受け取りました。ありがとうございます。

アマルナ革命ですか、確かにそうかも知れません。大元を見なければなにも変わらないのでしょう。南北朝史観、オリエント史観、教育は怖いものですね。公武合体とはいいながら、徳川の血統を皇統の血で排除すると言うか、時間をかけて浄化していったのではないかと愚考するに至っています。

かつて紀野一義氏は、「永遠」というものに繋がっていく話を夫婦や家族、友としていかなくてはならないと云うような事をいっていました。過去と未来の歴史の中で連続して行くものに身を置いて行かないと安心は得られないということです。考えてみると、「永遠」に繋がりえないものに身を置いて、不安がっているのはむしろ当然な事かも知れません。そういった意味では、万世一系というものは貴重な世界に類を見ないものであり、古事記の序の重要性に思い至りました。何が起こっているのか、それが古事記の序にあり、現実はその繰り返しのような気が確かにします。永遠ではないにしろ、万世一系はどの国家よりも長期にわたって存続している訳で、ということはその方法論は他の文明の方法論よりも存続の可能性は高いということです。
「永遠」という視点に立てば、阿部政権とか「財政の崖」、いや経済そのものもが進歩と云う名の変転の連続ですから、怪しいものです。私たち庶民はそのなかで右往左往するしかない存在にすぎないのでしょうか。とはいえ、お金は目先の現実を保証するかのような確かなものに思えるのですが、安西氏はそれこそが最大の虚構だと云っているのですから、どうも私たちは根柢からいいように操られているようです。その根柢にアマルナ革命が位置しているということでしょうか。「永遠」に繋がり得ない選択肢しか見せないで、国家、政体に未来を任せろという、そして結果が見通せないまま、その虚構を維持するために金を出せという。そのために金にこそ価値があるように教育によってしむけ、我々を縛る道具にもしていく…。それに縛られているにも関わらず、「永遠」よりお金に関する信条を優先してしまう。

と、まあ愚痴はこのくらいにして、今年は金ではなく、「永遠」に繋がるものに身を起き安心を得たいものです。そのためにも、また機会がありましたら,
DVDを送って頂けたらと思います。

今年もよろしくお願いします。
98:サムライ:

2012/12/28 (Fri) 20:27:11

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、

返信を書こうと思ったら、今年も残すところ僅か3日、間もなく皇紀暦2672年も終わろうとしています。

今年はマヤ暦騒動がありましたが、地球最後の日にならなくて何よりでした。折角覚悟を決めて、最後の晩酌を飲んだつもりだったのですが…(笑)。

地球最後の日にはなりませんでしたが、依然として福島原発の問題は解決しておらず、東北関東は最早人間の住むような土地ではく、チェルノブイリ以上に深刻な健康問題が露わになりつつあります。兎も角、飯山(一郎)さんが提唱する乳酸菌ヨーグルトを、毎日摂取することで免疫力を付けるしか為す術はありません。

ところで、来年は伊勢神社の式年遷宮の年にあたり、かつ出雲大社の60~70年毎の大遷宮が重なります。そこで、伊勢神宮の外宮近くにある神棚・神具の専門店にネットで依頼し、真新しい小社を購入、産土神社の神主さんに頼んでお清めをしていただき、拙宅の神棚の古い小社を取り替えました。

また、取り替えたのは小社ばかりではありません。昨年の正月からから今日に至るまで、新たに知己になった人たち、逆に袂を分かつことになった人たちと、お付き合いする人間も大幅に入れ替わりました。


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そもそも、わが皇室・皇族そのものに南北の別はありません。南朝皇統は皇族の一部が海人(かいじん)勢力の支持を受けたもので、北朝皇統には騎馬系勢力が背後にいますから、大きく云えば地政学(ちせいがく)的な対立ですが、それは、背後勢力に限った話です。
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このあたりの本当のことを知っているのは、今上陛下と皇太子殿下ですが、まさか我々庶民が直接お尋ねするわけにもいきません。よって、南北朝の対立とは何だったのか、そのあたりを落合さんの次の新刊本で、明白に解き明かされることを期待したいと思います。


> 「公武合体の皇室の相手」である「徳川」は今現在、どういう形で存在しているのでしょう?皇統の血統と一和して溶込んでしまったとでもいうのでしょうか?

このあたりについては、ヒントになりそうなDVDを一昨日送りました。きっと驚かれると思います。


では、馬之助さん、皆様、来年度もよろしくお願い申し上げます。
97:馬之助:

2012/12/23 (Sun) 20:16:52

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。


>さる筋のiPS説と相曾氏の高天の原説は、互いに全く別次元の話になると思いますが、

その全く別次元の話を同一平面上に置こうというのが、栗原氏が『光悦』で述べている「放射壊変」ということになるのではないかと愚考しています(現在、四回り目に入っていますが、流石に四度も読むと義務教育に毒された硬い頭でも、文字が立ち上がって理解を促そうとしてくれているかのようです)。ですから、「さる筋のiPS説」というのも、奥が深そうな話ではないかと思います。是非、「さる筋」と話を詰めていただきたいものです。

落合氏の『明治維新の極秘計画』(成甲書房)の目玉は、サムライさんも指摘していた通り、次の文章にある南北朝の対立はないというところだと思います。しかし、渡来説は付きまといます。でも、「それは、背後勢力に限った話です」というのは、微妙といえば微妙な表現かもしれません。現在でも、ジャパンハンドラーズ云々というようですし…。

***********************************
そもそも、わが皇室・皇族そのものに南北の別はありません。南朝皇統は皇族の一部が海人(かいじん)勢力の支持を受けたもので、北朝皇統には騎馬系勢力が背後にいますから、大きく云えば地政学(ちせいがく)的な対立ですが、それは、背後勢力に限った話です。
***********************************

その南北朝の対立がないということの上に、朝幕の対立もなく、公武合体は成就していくようです。その辺りの消息は次の通りです。

***********************************
○旧来の「朝幕対立史観」から一歩を出たことは評価すべきですが、いまだ歴史の深層に達していない憾(うら)みは、慶喜および容保・定敬を、幕閣の一員と看ていることです。前述したように慶喜は、物心の就(つ)いたころから退廃した幕政を見切っており,守旧保守だけを念じている幕閣と心理的に対立していました。
 
○因に、公武合体の皇室の相手は幕府ではなくて徳川です。譜代大名支配による独立法人化が進んだ幕府と親藩(徳川一門)との間は,安政の大獄によって一段と疎隔しました。

○代々皇族・摂家と縁組みすることが多かった水戸家は、朝廷とは心理的にも密接な関係にありました。慶喜は、そもそも実母が有栖川(ありすがわ)宮家の登美宮吉子(とみのみやよしこ)女王ですから、自身が徳川家と有栖川宮の混血で、まさに公武一和を体現しています。

○橘磐代が生んだ閑院宮師仁親王が皇位に登ることで,伏見宮系皇室と南朝の根元橘氏が血統的に合流して、ここに南北皇統の一和がなったのですが…。
***********************************

面白いことに、当事者である慶喜、光明ともに、自身の血統の中で、慶喜は公武一和を体現し、光明は南北皇統の一和を成し遂げているという訳です。そうしたものの上に成就したのが、公武合体ということのようですが、私にとってショッキングな表現は、「因に、公武合体の皇室の相手は幕府ではなくて徳川です」というところです。現在の状況、先の選挙など(幕府の相も変わらずテイタラクな常態)を考えると、なるほど(慶喜は、物心の就(つ)いたころから退廃した幕政を見切っており…)とは思うのですが、では「公武合体の皇室の相手」である「徳川」は今現在、どういう形で存在しているのでしょう?皇統の血統と一和して溶込んでしまったとでもいうのでしょうか?
96:サムライ:

2012/12/21 (Fri) 16:46:32

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん

最初に、今回の選挙結果は自民党の“圧勝”という、“想像通り”の結果で終わりましたが、その中でも鹿児島三区で野間(たけし)さんが初当選したことは、大変嬉しく思います。

さて、馬之助さん曰く…

> 欧州各王室はすでにヴェネツィア・コスモポリタンに蹂躙されてしまっているということでしょうか、それとも、元来ヴェネツィア・コスモポリタンが欧州各王室を形成し、果ては世界王室連合に発展して行こうとしているということを意味するのでしょうか)。

「ヴェネツィア・コスモポリタン」という新しい概念を、本邦で初めて打ち立てたのは天童さんです。その意味で、天童さん本人の意見も欲しいところですね。小生は、ヴェネツィアはあくまでも欧州王室連合の「番頭」であると思います(その下にユダヤが居る)。主(あるじ)はやはり王室でしょう。そのあたりは、天童さん本人が著した『悪の遺産ヴェネツィア』を傍らにおいて、機会があれば直接意見を交わしてみると良いと思います。

その天童さん、アマゾンで落合さんの本を以下のように評している点、流石と思いました。「世界青年党運動」について、落合さんはどのように考えるのか知りたいところです。

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欧州王室連合から世界王室連合への動きを捉え、これに対応する必要をわが皇室が察知されていたとするのは著者の炯眼と言うほかないが、このいわば「上からの世界戦略」と軌を一にして「下からの世界戦略」が用意されていたのではないかと疑われる節がある。それは「民衆こそ神である」と標榜したジェノヴァ人ジウゼッペ・マッチーニを宣伝塔として起用した「世界青年党運動」である。
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次に…

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 血統的特殊性とは、王室ワンワールドも一目置くシュメル血統のことです(王室ワンワールドについては拙書『金融ワンワールド』をご覧下さい)。皇室や摂家は、族種橘氏の遺伝的特殊性と、橘性が南朝の中核であることを熟知していました。つまりこの時の朝廷は、次代の天皇として、母の橘磐代から南朝的要素を享(う)け継いた閑院宮師仁親王に期待したのではないか、ということです。
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落合さんの皇室のシュメル説、あるいは飯山(一郎)さんの「日本の天皇は、皇統的にも、祭祀的にも、殷の末裔である」といった渡来説に対して、「さる筋」は否定しております。
http://grnba.com/iiyama/hukainazo.html#TIM

過日、その根拠を問い詰めたところ、「過日ノーベル賞を受賞した山中教授のiPS細胞の本当の意義は、従来の皇室渡来説を完璧に否定するところにある」と仰せです。小生はiPSと言えば、悪くなった肝臓や腎臓といった内臓を交換することで、長生きへの道が拓ける」といったことだと思っていたし、今でも思っているだけに、さる筋の「iPSに基づく皇室渡来説の否定説」には、今のところ納得していません。まだ、落合さんのシュメル説、あるいは飯山さんの殷説の方が小生は納得できます。


「平泉清の天孫降臨説は平面史観でした。平面史観ですと、いくら国体の淵源を力んで説明しても、天皇陛下の祖先は大陸から渡ってきたことになってしまいます。立体史観ですと『古事記』にあるとおり、天皇は高天原からお下りになった神様ということになり、初めて天皇の尊厳性も揺るぎないものになります。」

さる筋のiPS説と相曾氏の高天の原説は、互いに全く別次元の話になると思いますが、もう少し「さる筋」を問い詰めていきたいと思っていますので、お時間をください。


追伸
マヤ暦によれば、本日は地球最後の日とか…。昨夜は地酒で「最後の晩酌」を楽しみました(笑)。
95:馬之助:

2012/12/17 (Mon) 21:26:35

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>天童さんが作成した「まほろば會」バージョンの大祓祝詞もありましたので、御礼にPDFにして先日送りましたが届いたでしょうか? 

ありがとうございました。無事届いております。それにしても流石というか、私のやっつけ仕事と違って、気品と風格のある編集ですね。当然のことかも知れませんが、このような真正な大祓祝詞が奏上されて会が始まっていたなんて素晴らしい事ですね。こういう風な実践は好きですし、こういった地道なものこそ真に尊敬に値すると思います。

>落合さんの新刊本、飯山(一郎)さんのホームページで取り上げられたこともあり、大きな反響があったようです。

私もやっと読み終えました。前書の『金融ワンワールド』で、読後ちょっと靄がかかった感じになっていたのですが、本書の中に以下の文章を目にし、その靄が晴れました。「さる筋」から仄聞ということで、論拠やこれを裏付ける史実を知らないとしながらも次のように語られています(「さる筋」と一線を引くことで、落合氏の筆も軽くなったように感じますし、すっきり読む事も出来るように感じています)。

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 しかしながら、神聖同盟の真の意味は、実は「欧州王室連合」の成立にあり、それは将来の「世界王室連合」を睨(にら)んだものだったのです。つまり欧州各王室の眼は、この時すでに、遠く極東の日本皇室に向けられていました。欧州王室連合は世界王室連合に向かって発展するために、日本皇室に参加を求める方針を建てたのです。
 その理由は、ヴェネツィア・コスモポリタンからなる欧州各王室が、日本皇室を以て「シュメル文明の正統後継者」と視ていたことによる、と聞いております。
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しかし、「『シュメル文明の正統後継者』と視ていた」とするばかりで、どのように扱おうとしていたのかは語られていません。妄想するに、素直に「シュメル文明の正統後継者」と仰いで遠く極東の日本皇室の元に世界王室連合を形成しようとしたのか、逆に排除する方向で連合し動いたのか、利点を活かす為に形だけ担いで(搾取される側に留め置いて)院政を敷こうといたのかは分かりません。果たして現在、欧州王室連合は世界王室連合に発展しているのでしょうか?(「ヴェネツィア・コスモポリタンからなる欧州各王室が」という表現も、気にかかります。欧州各王室はすでにヴェネツィア・コスモポリタンに蹂躙されてしまっているということでしょうか、それとも、元来ヴェネツィア・コスモポリタンが欧州各王室を形成し、果ては世界王室連合に発展して行こうとしているということを意味するのでしょうか)。

別のページにこういう仄聞もありました。
>これらは国際秘密勢力すなわち「ヴェネツィア・コスモポリタン」の世界戦略に向けての進展を意味しますが、その一部の王室ワンワールドが作った神聖同盟は、日本の開国と日本皇室の王室連合への参加が秘かに諮(はか)られたと、仄聞(そくぶん)してます(ワンワールドについては小書『金融ワンワールド』をご覧下さい)。


このあたり相曾氏の本を読んだ者が愚考するに、これって須佐之男命が天照大神に行なったことと同じではないでしょうか?で、どう対処すればいいのかが語られているのが大祓祝詞だというのも面白いですね。
その辺を相曾氏は、『先代旧事本紀』を蘇我家の家柄に箔(はく)を付けるために工作した書物としながらも、サニワすることで真実を抽出し次のように述べています。

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 伊邪那美命は伊邪那岐命に毒づいたことを悔やみ、内心から反省し、わが身を犠牲にしてまで伊邪那岐命に協力することを衷心から誓ったわけです。

 伊邪那美命の系統、つまり須佐之男命系のユダヤ勢力は経済的に日本と衝突するかもしれませんが、最後は必ず天照大神(日本)と良好な関係になることを菊理媛の言葉が暗示しています。ユダヤと日本が力を合わせて世界平和に貢献できる日が必ず到来します。間違いないことです。
***********************************

こういう強い発言の土台を古伝がなしているということも、分かるようになってきました。古典が重要だというのも分かってきました。この辺りの消息を、落合氏は次のように語っているようです。

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 血統的特殊性とは、王室ワンワールドも一目置くシュメル血統のことです(王室ワンワールドについては拙書『金融ワンワールド』をご覧下さい)。皇室や摂家は、族種橘氏の遺伝的特殊性と、橘性が南朝の中核であることを熟知していました。つまりこの時の朝廷は、次代の天皇として、母の橘磐代から南朝的要素を享(う)け継いた閑院宮師仁親王に期待したのではないか、ということです。
***********************************

ただ思うのは、そういうものを血統的特殊性にだけ求めようとするのには少し無理があるというか、平面史観の枠に囚われているのではないかとも感じられます。相曾氏の言葉にこのようにあります。

「平泉清の天孫降臨説は平面史観でした。平面史観ですと、いくら国体の淵源を力んで説明しても、天皇陛下の祖先は大陸から渡ってきたことになってしまいます。立体史観ですと『古事記』にあるとおり、天皇は高天原からお下りになった神様ということになり、初めて天皇の尊厳性も揺るぎないものになります。」

この辺り、囚われの枠が、落合氏に次のようなあとがきを書かせたのではないでしょうか。

***********************************
…「ナチュラル・ヒストリイ」においては自然が主役で、人類は自然の一部として舞台のごく一部に見え隠れするに過ぎません。この意味での「歴史」が、今日では「歴史」の基本的概念として用いられています。
 しかし、「歴史」という言葉は本来、人間が過去に営んだ事蹟を時系列的に記述した文章的表現のことです。つまり、「どの頃に、誰それが、どのような事蹟を行なった」との主張が、本来の意味における「歴史」なのです。この意味での「歴史」は今日では「歴史書」と呼ばれ、むしろ「歴史」の派生的概念として用いられているようです。
***********************************

しかし、現代の頼りない時代、落合氏の『明治維新の極秘計画』(成甲書房)は、自らの拠り所を不動なものにしていこうとする書だと思います。次作が待たれます。
94:サムライ:

2012/12/15 (Sat) 17:06:34

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、こんばんは。再び仕事に追われていたため返事が遅れました。今年の年末年始は,久しぶりにのんびりしたいと思っていますが、どうなることやら…。

> 相曾氏が本の中で公開している秘伝や口伝を加味し編集した大祓祝詞をワードで打ち直してみましたので、後ほど私信で送らせていただきます。

確かに受け取りました、ありがとうございました。天童さんが作成した「まほろば會」バージョンの大祓祝詞もありましたので、御礼にPDFにして先日送りましたが届いたでしょうか? 


> ささやかな就職祝いという事で…。

その外資系IT企業は結局辞めました。小生の翻訳能力は問題なかったのですが、IBMといった大手企業が編み出した、ローカライゼーション(大量生産式の翻訳)という方式、小生にとって未体験であり、これからITを駆使したローカライゼーションを、基礎から学ぶのは大変だということで、上司と話し合って退職することにした次第です。よって、今まで通り自宅で翻訳の仕事を続けることにしました。このあたりは、折角「カメさんの就職物語」というブログを立ち上げましたので、近く「カメさんの退職物語」として書きます。
http://toneri2672.blog.fc2.com/


> 立体史観を物にするには大祓祝詞を自ら口にしてみる事が一番かもしれませんね。

一昨日、産土神を祭る神社の宮司と語り合う機会があり、来年は伊勢神宮で遷宮祭があることから、それに合わせる形で拙宅の神棚を交換したいので、お清めをお願い出来ないでしょうかと依頼してみたところ、有り難いことに快く引き受けて戴きました。早速ネットで探して、伊勢神宮の外宮の近くにある神棚・神具の店に注文し、来週後半には新しい神棚(小社)が宅急便で届く予定です。届き次第歩いて1分の所にある宮司の家まで持っていき、お清めをして戴くつもりです。

天童さん作成の「大祓祝詞」、これだけの貴重な大祓祝詞を持っているのに、恥ずかしながら未だ一度も、自宅の神棚に向かって奏上したことはありません。拙宅の息子たちは天童さんに教わって出来るようなので、拙宅における新年の大祓祝詞は彼らに頼むつもりでいます。こんなことを書くと、まほろば会の藤原源太郎さんに「やはり、鳶が鷹を生んだということになるなぁ~」と、またまた“皮肉”を言われそうですが…。

落合さんの新刊本、飯山(一郎)さんのホームページで取り上げられたこともあり、大きな反響があったようです。落合さん本人からメールで知らせてもらったのですが、一時は「Amazon ベストセラー商品ランキング: 本」で、ナント!「83位」に“瞬間風速”で入ったとのことです。第三弾が楽しみですね。
93:馬之助:

2012/12/10 (Mon) 22:54:39

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>それから一週間が経過したわけで、

おかげで、こちらものんびりできました。

>「まほろば会」で、いつも大祓祝詞を奏上しており、

サムライさんご紹介のブログ上の大祓祝詞は、まだ十分とはいえない物のようで、のんびりしていた間に、相曾氏が本の中で公開している秘伝や口伝を加味し編集した大祓祝詞をワードで打ち直してみましたので、後ほど私信で送らせていただきます。ささやかな就職祝いという事で…。

>このあたり、現在『みち』で「イスラエル十二支族考」を連載中の天童さんと直に会い、様々な観点から意見交換されてみては如何でしょうか。

そういう機会が実現するならば確かにお聞きしてみたいところですね。天童氏の「イスラエル十二支族考」と少し重なるといえば、相曾氏の言葉に次のような物がありました。

***********************************
…朝鮮のかたがたは非常に短気で,激情に駆られた行動を取りやすいと世間ではうわさしています。反面、家族のきずなが非常に強いという美点もあります。そういう世上の評価と、須佐之男命が朝鮮に下ったことを考え合わせ、「なるほど。スササノオ性とはこのことか」と納得するかたもいるようです。朝鮮ばかりではありません。シナやペルシャ、ギリシャなど、大陸民族のほとんどがスサノオ性を色濃く受け継いでいるのです。
 黄泉の国、常夜の国の分化や宗教は須佐之男命系の文化です。換言すれば、外国の宗教には須佐之男命の性格が入っています。日本としては慎重におつきあいしなければならないのではないでしょうか。この特徴をうかつに見過しますと、世界じゅうを、“怒りの渦”にしてしまう恐れがあるからです。
 日本(伊邪那岐大御神や天照大神、天皇=陽の系列)とスサノオ圏の国々(伊邪那美命や須佐之男命、大国主神=陰の系列)とのかかわりがこれからの世界の歴史になります。陰と陽では陽が主体にならなければなりません。日本がこのことを自覚したうえで世界各国の人心を和の心にまとめ、ほんとうの世界平和を築いていかなくてはなりません。
 ただ、このような大きな観点でとらえることも必要ですが、わが身に当てはめて考えることも忘れてはいけません。スサノオ性は決して他人事ではないからです。魂は天照大神の分魂です。魄は大地系(須佐之男命や大国主神など)の分魂です。魄の悪い面が出ますと、功名心や名誉欲、支配欲、権勢欲などが強く働きます。地上の修理固成もわが身の修理固成も、規模こそ異なっていても質においては全く同じです。
***********************************

長くなりましたが、以上の文章を読むと、「イスラエル十二支族考」を連載中の天童氏が大祓祝詞を奏上するという意味も理解できますし、毎回それを耳にしているサムライさんが相曾氏の云わんとすることを、朧気ながら分かってきたというのにも納得するところがあります。立体史観を物にするには大祓祝詞を自ら口にしてみる事が一番かもしれませんね。さらにこういう記述もありましたのでついでに引用しておきます。

***********************************
 今から千数百年前、カスピ海周辺にハザール(カザール)帝国という国がありました。ハザールはたいへん貿易が得意で才気にたけた人種でしたが、途中で民族ごとユダヤ教に改宗します。やがて周囲の国々からたびたび侵略を受け、ハザール人たちは祖国を捨ててヨーロッパに逃げます。現在では堂々とユダヤ人を名のり、完全にユダヤ民族の一部になっています。それが、アシュケナジー・ユダヤ人です。このかたがたの多くが成功し、ニューヨークを中心にして国際舞台で“大活躍”しています。
 一方、血統的に純粋なユダヤ人はイスラエルのパレスチナ周辺に多くいます。イスラエルにいる大学教授たちは盛んに日本とユダヤの同祖論を信じています。極東の優れた国である日本とユダヤとは同一の祖先を持つという説で、日本に対してたいへん好意的です。
***********************************

この辺りに今後の指針が窺えるように思います。結局は人と人ですから、「たいへん好意的」という部分で繋がりあえるといいですね。
92:サムライ:

2012/12/08 (Sat) 06:42:50

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1354916570.jpg 馬之助さん、お早うございます。馬之助さんの投稿が先週の日曜日ですから、それから一週間が経過したわけで、その間に投稿出来ず申し訳ありませんでした。

先週は、あるエコノミストを小人数で囲み、同氏の世界経済の潮流についてのお話に耳を傾けたり、4日に“入社”したIT系の外資系企業の東京オフィスで研修を受けたり、大量の本来の仕事(翻訳)に昨夜まで追われたりと、忙しいながらも先週も充実した一週間でした。

さて、落合さんの本の形になった『明治維新の極秘計画』を、“痛勤”電車の中などで漸く読了しました。同書の影響を受けたのでしょうか、安部公房の『榎本武揚』および四巻からなる渋沢栄一の『徳川慶喜公伝』(東洋文庫)を購入、現在少しずつ読み進めているところです。

前著『金融湾ワールド』では、本来なら野村證券の社長に就任していたはずの落合さんの謙虚さが印象に残りました。2年前、落合さんの庵に数日間お邪魔した時に受けた印象とは、あまりにもかけ離れていたので、同書を初めて手にしたときは戸惑ったものです(苦笑)。

『明治維新の極秘計画』では上記の二冊、殊に『徳川慶喜公伝』を高く評価している行を読んて感動し、これは是非とも目を通さねばと思って四巻を購入しました。どのくらいの期間で読了できるか分かりませんが、「堀川政略」を念頭に読み進めていくことで、何等かの己れなりの発見があるのではと期待しています。ともあれ、『徳川慶喜公伝』について語る落合さんに、古狸どころか青年のような清々しさが感じ取れました。

***********************************
 日本民族(神道)に伝わる歴史観では、歴史は神と人との合体というように立体的な受け止め方をします。これが,神を妨害すれば最後には必ず自滅するという説の根拠になります。平面的歴史観は神の働きを認めていません。この姿勢はいずれ平面史観者たちにとって思いがけない盲点になるはずです。(中略)祖先も神の一部と考えるか、祖先は単なる人間とみなすかには大きな差があります。
 歴史は神と人間との合作としてとらえるのが立体史観です。目に見えない存在を無視し、人間の力だけで地球の歴史が作られると考えるのが平面史観です。立体史観者は神を恐れ、神の意思を尊重します。平面史観者は人間だけの秩序や経済力、武力などで国家や生命を営もうとします。
 よしあしは別として、日本とユダヤの歴史を比較すれば、皆さんも立体史観と平面史観の相違を御理解できるのではないでしょうか。

…須佐之男命の系列の神々には上級の神界にはどうしても行かれない宿命があります。上の七次元、八次元などの高級神界には専ら日本の古典に登場します神々がおられます。四次元止まりのいわゆる須佐之男命系の神々は、人間たちがいろいろ研究してだんだん正しい霊界の知識をたくわえてきましたので、非常に焦っています。
 その結果、現在、天狗系神界の悪あがきが強烈になってきています。断末魔ともいえましょう。特に日本の正しい神道を滅亡させるため、まがい物の“神道もどき”をたくさん輩出させて国民を惑わすようなことをしています。
*********************************** 

このあたり、現在『みち』で「イスラエル十二支族考」を連載中の天童さんと直に会い、様々な観点から意見交換されてみては如何でしょうか。思わぬ方向に話が展開するような気がします。天童さんは毎月第三土曜日に行われている「まほろば会」で、いつも大祓祝詞を奏上しており、毎回それを耳にしているお陰なのでしょうか、自然と上記の相曾氏の云わんとすることを、朧気ながら分かってきたのではと愚考します。
http://e-your-life.jugem.jp/?eid=675
91:馬之助:

2012/12/02 (Sun) 21:12:39

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>生前の相曾誠治氏は、沢山の講演会を精力的に行っているのには驚かされます。すべてを観たいのは山々ですが、どれも大変高価なDVDであり、大学生を抱えている身として手も足も出ません(笑)。

全く、同感です(苦笑)。この度、相曾氏の本を購入した際に、サンプルのDVDが同封されて来ました。高価なDVDですが、内容と収録時間からすると妥当な金額かも知れません、が、やはり手は出ません。本を購入した特典として、2枚のDVDに限りお試し価格で購入できるようです。購入できるとすると、この2枚くらいでしょうか。

前回も引用した、相曾氏の次の言葉が面白くていろいろ考えてみました。

***********************************
質問 初歩的な質問ですが、サニワというのはどのようなことですか。
回答 かかってこられる神と称するものが、正真正銘の神界の神なのか、もっとわかりやすくいいますと、皇祖皇宗の神々なのか、それとも皇祖皇宗とは縁もゆかりも全くないとんでもない霊物なのかを峻別(しゅんべつ)することです。換言しますと、そこらにうろうろしているきつねやたぬき、天狗、邪霊の化身かどうかを見極める技術をサニワといいます。
***********************************

もう少し発展して考えてみると、カルトといわれるものは、皇祖皇宗とは縁もゆかりも全くないもの=そこらにうろうろしているきつねやたぬき、天狗、邪霊の化身というのも、を崇めているということになるのではないでしょうか。ということは、同時に正真正銘の神界の神=皇祖皇宗の神々を(意識的ではないのかも知れませんが)崇めようとはしない立場ということになるようです。ですから、カルトは敬遠されるのでしょうが、それが行き過ぎてしまって、正真正銘の神界の神=皇祖皇宗の神々をもカルトと一緒くたにして否定してしまうと、知らないうちに敬遠していたカルトと同じ平面に立っているということになります。もしかしたら、カルトをあげつらう向きには、このような隠された意図があるのかも知れません。そう考えると、ジャーナリズムのカルトに対する態度も理解できます。

また、相曾氏に次のような表現があります。

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 人間が必死になって神理に逆らおうとしても、歴史の進展というのは人間が操作するのではなく、高天原の神が根本を握っておられます。地球の歴史のかじをとっているのは、アメリカのお偉いさんではなく高天原の神々です。そういうこともいずれだんだんわかってもらえるでしょう。わかってもらうには我々自身が神と同じ次元まで向上しなければなりません。同じレベルになるまで己を磨くことが必要不可欠です。
***********************************

こういった表現もカルトっぽく響くのでしょうが、私は「人間が必死になって神理に逆らおうとしても、」というところに人間の滑稽さを感じないではいられません。勿論自らの姿を省みてのことではあるのですが…。ネット上の記事をみると、私には「歴史の進展というのは人間が操作する」ということを肯定したいが為に、「高天原の神が根本を握って」いることを否定し、結果的に「地球の歴史のかじをとっているのは、アメリカのお偉いさん」という陣営に与している(意識的ではないのかも知れませんが)ように感じられるのです。

では、なぜ同じレベルになるまで己を磨くことが必要不可欠になるのかといいますと、以下の文章がありますが、「わかってもらうには我々自身が神と同じ次元まで向上しなければ」ならない訳で、そういった類の努力を厭う人が「必死になって神理に逆らおう」とするのは結構ですが、カルトを否定する発言すら控えた方が身の為ではないかと思います。

***********************************
 日本民族(神道)に伝わる歴史観では、歴史は神と人との合体というように立体的な受け止め方をします。これが,神を妨害すれば最後には必ず自滅するという説の根拠になります。平面的歴史観は神の働きを認めていません。この姿勢はいずれ平面史観者たちにとって思いがけない盲点になるはずです。(中略)祖先も神の一部と考えるか、祖先は単なる人間とみなすかには大きな差があります。
 歴史は神と人間との合作としてとらえるのが立体史観です。目に見えない存在を無視し、人間の力だけで地球の歴史が作られると考えるのが平面史観です。立体史観者は神を恐れ、神の意思を尊重します。平面史観者は人間だけの秩序や経済力、武力などで国家や生命を営もうとします。
 よしあしは別として、日本とユダヤの歴史を比較すれば、皆さんも立体史観と平面史観の相違を御理解できるのではないでしょうか。

…須佐之男命の系列の神々には上級の神界にはどうしても行かれない宿命があります。上の七次元、八次元などの高級神界には専ら日本の古典に登場します神々がおられます。四次元止まりのいわゆる須佐之男命系の神々は、人間たちがいろいろ研究してだんだん正しい霊界の知識をたくわえてきましたので、非常に焦っています。
 その結果、現在、天狗系神界の悪あがきが強烈になってきています。断末魔ともいえましょう。特に日本の正しい神道を滅亡させるため、まがい物の“神道もどき”をたくさん輩出させて国民を惑わすようなことをしています。
*********************************** 

やはり、峻厳としたサニワと大祓詞が肝要のようです。カルトもユダヤも七次元以上の情報はどう頑張っても、漏れ聞く事くらいしかできないようですし、漏れ聞く情報に真実が含まれる事は少ないようです。ここに、己を磨くことの必要性があるようです。ですからこれはライフワークとして、代わり映えのしない日々の中で、やりつづけて行くしかないようですね。

>落合さんの新刊本『明治維新の極秘計画』(成甲書房)ですが、

そろそろ「光悦」の三回り目をと思っていたのですが、そろそろアマゾンから同書が届きそうです。読むのが楽しみです。
90:サムライ:

2012/11/30 (Fri) 15:13:20

host:202.3.127.4
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1354256000.jpg 馬之助さん、寒くなりましたね。私の棲んでいる秩父山地もうっすらと雪化粧の季節を迎えました。


生前の相曾誠治氏は、沢山の講演会を精力的に行っているのには驚かされます。すべてを観たいのは山々ですが、どれも大変高価なDVDであり、大学生を抱えている身として手も足も出ません(笑)。
http://homepage1.nifty.com/sengabou/


> 金融界を生き抜いて来られた落合氏が「ある筋」の情報を自分なりに咀嚼し伝えることは、自らを禊祓いすることであり、我々読者をも祓う作用があるのではないかと、最近は思うようになりました。

落合さんの新刊本『明治維新の極秘計画』(成甲書房)ですが、先ほどアマゾンからメールが届き、明日拙宅に届くとのことで、今から楽しみです。尤も、実は半月前に草稿を落合さんに送ってもらっているので、既に“読了”している状態ですが、これが改めて本の形になったことが嬉しいです。

その落合さんの草稿を読んで目を見張ったのは、「天皇家には南北朝は存在しない」という行であり、これは栗原さんの史観と根底で相通じるものがあります。

その場合、大きな問題を投げかけてくるのが、落合さんに紹介して頂いた『朝彦親王伝 維新史を動かした皇魁』(徳田武著 勉誠出版)です。

我々は鷹司家、近衛家、伏見宮家は、どの家も北朝派であるという“一般常識”を持っています。ところが、鷹司家、近衛家、伏見宮家は南朝であると読み取れる書き方をしているのが、『朝彦親王伝 維新史を動かした皇魁』であり、さらに南北朝は無かったという栗原・落合史観もあり、考えれば考えるほど頭が混乱してきます。このあたりの謎を、是非、落合さんの第三弾で究明して頂ければと期待しております。



**********************************
 日本人でありながら、日本の国力をそぐことに一生懸命、裏で加担している親切な政治家や財界人、文化人がいます。その人たちの血のなかに、遠い昔、渡来してきた大陸系人種の血が混じっている証拠です。日本国民でいながら無意識に日本に反感を持つのです。霊的遺伝子のなせる業です。霊的下地があるからこそ、海外グループの策略にうっかり乗ってしまうのです。お互いに引き合う要素があるからこそのことです。
***********************************

確かにそのとおりです。日本の政界、官界、経済界、大手マスコミは、外つ国の連中が牛耳っていますから、連中が「日本の国力をそぐことに一生懸命」であるのは当然のことだと思います。

そうした国難の中にあって、頑張っておられるのが『月刊日本』や『みち』の関係者と言えるのではないでしょうか。
89:馬之助:

2012/11/25 (Sun) 00:03:44

host:*.bbtec.net

サムライさん、こんばんは。

>確かに一読の価値はありますね。大本教とか生長の家、さらには空海や最澄といった仏教界の巨星も登場しているし…。
 

時々、ブログの記事に日月神示の引用がありますが、その出自についても詳しく書かれてあって、読んで納得といった感じでした。強い口調で断言された上に、神示などと言われると、無視しにくいところが確かにあります。こういった手合いの情報を切り落として行くと、随分スッキリしますね。スッキリすると、暇を持て余してしまうので、こういった手合いの情報にも需要はあるのでしょう。

>小生の場合はX翁などの複数の先達から情報を得て、それを照らし合わせてみて判断し、述べているに過ぎません。その点、相曾さんは天界から、栗原さんは皇室から得た情報を自分なりに咀嚼し、発言しているので、お二方と小生とでは情報の質に雲泥の差があります(苦笑)。

どんな情報にも、ソースがあるわけですが、それが商業主義的なメディア情報であるなら、またそれが個人のブログにせよ商業主義的な動機(直接的には金銭に繋がらないにしても)の潜むものであれば、それってなんなのという気になります。それも含めて、人間的と訳知り顔で言われる向きもあるかも知れませんが、「相曾さんは天界から、栗原さんは皇室から得た情報を自分なりに咀嚼し」た情報を前にすると、途端に色褪せてしまいます。こうなると読むに値する情報は、ネットにいくら情報が氾濫していても、目にするのは難しいのではないでしょうか?そういう意味では、サムライさんの情報は貴重ですよ。

相曾氏の『言霊と太陽信仰の神髄』こういった記述がありました。

***********************************
質問 初歩的な質問ですが、サニワというのはどのようなことですか。
回答 かかってこられる神と称するものが、正真正銘の神界の神なのか、もっとわかりやすくいいますと、皇祖皇宗の神々なのか、それとも皇祖皇宗とは縁もゆかりも全くないとんでもない霊物なのかを峻別(しゅんべつ)することです。換言しますと、そこらにうろうろしているきつねやたぬき、天狗、邪霊の化身かどうかを見極める技術をサニワといいます。
***********************************

ここに、正真正銘の神界の神=皇祖皇宗の神々とあるのには、なるほどそうなのか、と考えさせられます。また、皇祖皇宗とは縁もゆかりも全くないもの=そこらにうろうろしているきつねやたぬき、天狗、邪霊の化身というのも、なるほどというか、そこまで厳しく峻別しないと、自ら知らないうちにその断言口調に引きずり込まれていっているのかもしれません。となると、「相曾さんは天界から、栗原さんは皇室から得た情報を自分なりに咀嚼し」た情報は、貴重です。

>「さる筋」とは一体全体誰のことか興味津々であり、一日も早く同書を紐解くのが楽しみです。

金融界を生き抜いて来られた落合氏が「ある筋」の情報を自分なりに咀嚼し伝えることは、自らを禊祓いすることであり、我々読者をも祓う作用があるのではないかと、最近は思うようになりました。

相曾氏の『言霊と太陽信仰の神髄』からもう一つ引用しておきます。

**********************************
 日本人でありながら、日本の国力をそぐことに一生懸命、裏で加担している親切な政治家や財界人、文化人がいます。その人たちの血のなかに、遠い昔、渡来してきた大陸系人種の血が混じっている証拠です。日本国民でいながら無意識に日本に反感を持つのです。霊的遺伝子のなせる業です。霊的下地があるからこそ、海外グループの策略にうっかり乗ってしまうのです。お互いに引き合う要素があるからこそのことです。
***********************************

この辺りを読むと、栗原氏の氏姓鑑定の必要性に納得します。

私の場合はまず、日拝鎮魂法を実践することに尽きるように思います(苦笑)。
88:サムライ:

2012/11/21 (Wed) 13:31:11

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、こんにちは。


> 伏せ字にしろ宗教団体名を含めた具体的な内容のものが本書では、詳細に述べられています(これだけでも一読の価値あり)。

確かに一読の価値はありますね。大本教とか生長の家、さらには空海や最澄といった仏教界の巨星も登場しているし…。


> 相曾氏や栗原氏、サムライ氏に、どうしてこういった力強い発言ができるのか

小生の場合はX翁などの複数の先達から情報を得て、それを照らし合わせてみて判断し、述べているに過ぎません。その点、相曾さんは天界から、栗原さんは皇室から得た情報を自分なりに咀嚼し、発言しているので、お二方と小生とでは情報の質に雲泥の差があります(苦笑)。


> 「ともあれ、人類滅亡」ではなさそう

選挙期間中、国民の目を小沢一郎の「国民の生活が第一」から目を逸らすため、権力はマスコミを使って何か驚愕するようなニュースを流す可能性があると、過日のまほろば会での藤原源太郎さんは仰せでした。小生もそのような気がします。


> 『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』

「さる筋」とは一体全体誰のことか興味津々であり、一日も早く同書を紐解くのが楽しみです。
87:馬之助:

2012/11/18 (Sun) 22:09:31

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>ともあれ、人類滅亡レベルに持って行けるのはハープしかないと思いますが、今度の12月はせいぜいドルやユーロの崩壊、あるいは米国の数州が連邦政府から独立するといったレベルで済むのではないでしょうか。


相曾誠成
著『サニワと大祓詞の神髄』を、読み終えました。

まず、大切なことはサニワということだと思います。本書に以下のようにサニワについて説明された箇所があります。

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 サニワする目がありますと偽りのものは見分けられます。サニワとは、かかってくる霊が正しい界の神か、あるいは神を名のる邪霊(天狗)かをしゅん別する技術のことです。たいへん難しい分野ですが、方法さえ心得ていればだれにでもできます。(中略)正神に通じるかたでしたら、『古事記』に記してあるとおりに天上神界から天孫が立体的に下ってきたことを説きます。『古事記』をすなおに信じるよう諭してくれるのが正神界の系統です。
 一方、「天孫降臨とは、騎馬民族がシナ大陸から朝鮮を経て日本に渡来したのを美化しただけだ」と教えるのが天狗系の常です。現在、天狗系の人々が神道会を席けんしていますが、無神論の学者が説く平面史観の受け売りにしかすぎません。否、天狗界の思想が学会の一部に反映していることもじゅうぶん考えられます。
***********************************

現在、様々な情報がネット上を飛び交っている中で、サニワという考え方は迷いから抜け出る道を示してくれているようで助かります。その迷い、雑音の大本に関するものが、上記の一文ではないかと思います。伏せ字にしろ宗教団体名を含めた具体的な内容のものが本書では、詳細に述べられています(これだけでも一読の価値あり)。

次に多いものが、UFOというか、チャネリング情報といった類ではないでしょか?それに関するものに、以下のような文章があります。

***********************************
質問 UFOは天狗界とつながりがありますか。
回答 UFOの問題には二とおりあります。一つは天狗界に幻想を見せられるケースです。換言すれば、天狗にいたずらをされて低次元の霊現象起こし、実在しない姿(幻想)を見る場合です。……現象だけにのめり込みますと、やがて狐神道につながります。注意してください。
質問 まず、幻想ということですが、幻想ではなく、ほんもののUFOは実在しますか。
回答 ほんものもあります。
質問 正真正銘のUFOは正しい神界からの使者で、人類に救いの手を差し伸べようとしているのでしょうか。
回答 ほんもののUFOでも(あまり程度の高くない霊界から来ますので)人類を救うようなこと(力)はありません。この地球世界というものはたいへん神のちょう愛を受けています。火星や水星、木星、土星などには生物は住んでいません。本物のUFOは三次元世界の星(火星や水星など)から飛来するのではなく、ある種の(比較的低次元の)霊界から出没します。
***********************************

比較的低次元とはいうものの、人間よりは上位でしょうから、そういった情報を完全に否定してみたり、かといって無批判に鵜吞みにするのではなく、サニワして情報のひとつとして参考にすることが大事ではないでしょうか。そのような距離感を置いてみると、これはこれとして時には興味深く感じることがあります。ただ、情報に踊らされて右往左往することだけは慎みたいものです。それが、右往左往させて盲目的にすることが情報の発信者(天狗?)の目的でしょうから…。

そこで気になるのが、相曾氏や栗原氏、サムライ氏に、どうしてこういった力強い発言ができるのかということです。それを、本書では、「言霊による大祓の神髄」という章を立てて詳しく解き明かしています。鎮魂ということになるようです。少し引用しておきます。

***********************************
 太陽神経叢は自律神経を調整しますが、自律神経が調整されますと五感が適当に沈静化され、感覚はだんだん六感、七感に移っていきます。いわゆる雑念妄想が遮断され、ほんとうの霊感や直感の世界に参入することが可能になります。
***********************************

具体的な方法としては、鎮魂法や大祓祝詞ということになるようで、そのために書かれているのが、本書『サニワと大祓詞の神髄』ということになるようです。そうやってサニワしていくと、サムライさんの言、「今度の12月はせいぜいドルやユーロの崩壊、あるいは米国の数州が連邦政府から独立するといったレベルで済むのではないでしょうか」ということになるのでしょう。「ともあれ、人類滅亡」ではなさそうですから、まあ、よろしいのではないでしょうか?


>このような時に落合(莞爾)さんの『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』が、今月下旬に発売されるのも意味深長です…。

確かに意味深長ですよね。相曾氏のものを読んでいる身には、これも一種の大祓ではないかと思ってしまいます。出版されるのが待ち遠しいです。

 
86:サムライ:

2012/11/16 (Fri) 06:44:21

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、おはようございます。

> サムライさんの「妙に納得してしまう自分が居ました…」というのにも、係ってくるかもしれません。

マヤ暦によれば2012年12月21日は人類滅亡の日という説が巷で流れており、周囲の友人や知人も来月の12月は大変なことが起こりそうだということで、今までは12月に忘年会をやっていたものを今月中に済ませてしまおうとする人たちが少なからずいます。そのような時に落合(莞爾)さんの『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』が、今月下旬に発売されるのも意味深長です…。一読されたら、馬之助さんの読後感をお願い出来ればと思います。

さる識者に2012年12月説について問うてみたところ、仮に人類滅亡ていどの事態が発生しても、地球・大自然はびくともしない。恐竜が滅亡した時も小さなほ乳類は生き延びたではないか。さらに、仮に地球が破壊されるほどの事が起ころうと、天上の世界は微動だにせぬと語っておられたのが印象に残ります。

ともあれ、人類滅亡レベルに持って行けるのはハープしかないと思いますが、今度の12月はせいぜいドルやユーロの崩壊、あるいは米国の数州が連邦政府から独立するといったレベルで済むのではないでしょうか。

今月のまほろば会が今週の土曜日にありますが、前回は相曾誠治氏との“出会い”があり、今回はどのような“出会い”があるのか楽しみにしています。原則的に毎月第三土曜日に東京の池袋の界隈で「まほろば会」を天童さんが開催しておりますので、機会があれば是非一度顔を出してみて下さい。
85:馬之助:

2012/11/11 (Sun) 22:18:19

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>「日本はもう駄目かもしれない」という相曾氏の発言を読み、妙に納得してしまう自分が居ました…。一度ご破算になった方が、日本人の目が覚めるかもしれませんね。

『波動性科学入門』を再読していたら、次の言葉に出くわしました。サムライさんの「妙に納得してしまう自分が居ました…」というのにも、係ってくるかもしれません。であるなら、この行きづまりは、「現象は自然が与えてくれた科学の答えである」であるということでしょうか。すると科学を科(とが)の学とする栗原氏の感覚には恐れ入るばかりです。

***********************************
 現在の科学は仮定の上に成り立っているので、“なぜ”、“なぜ”と問いつめていくと、すべて行きづまってしまう。その行きづまリは、エネルギーは、物質は、宇宙は、生命は、どうして発生したかというところに行きつくようである。
 イギリスの法律家、フランシス・ベーコンは、「宇宙は人間の理解の限界までせばめられるべきではなく、むしろ宇宙をあるがままの姿でとらえるように、人間の理解力を伸ばし拡げねばならない。」と言っている。これは、「人間の知識で宇宙を知ろうとするより、宇宙の自然現象に教えを請い、すなおに理解するように努めなさい。」と言っているように思う。筆者は基礎知識に乏しかったので、知識に頼って宇宙の神秘を探ろうなどという大それたことは考えも及ばなかった。ただひたすら現象にたよって追い求めてきた。
 最初に突き当たった問題は、原子核の周りをまわる電子はどうして永久的にまわっているのであろうかということであった。この場合も、物理学上、永久機関は作れないという鉄則がある以上、何らかのメカニズムで未知のエネルギーが継続的に加えられているに違いない、と素直な疑問を抱いたのであった。
 「現象は自然が与えてくれた科学の答えである」、これが筆者の信念になっていたので現実に逆らうことはなかった。……
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「競わず争わず」という言葉の意には、こういう側面もあるのかと思いました。

特に「この場合も、物理学上、永久機関は作れないという鉄則がある以上、何らかのメカニズムで未知のエネルギーが継続的に加えられているに違いない、と素直な疑問を抱いたのであった」というくだりには、シビレます。商業主義的に競い争うことを日常にしていると、「人間の知識で宇宙を知ろうとする」ことが、さも利口なことに思えて来てしまって、自分が「宇宙は人間の理解の限界までせばめられるべきではなく」というのに反して生きているとは思えなくなってしまうものです。本当に科学を科(とが)の学とは、よく言ったものだと思います。

>同書の「コトバの原典索引」(p.6)を横に置いて眺めながら、『光悦』を再読しているので、大小さまざまな発見があり、納得できた点も多かったのは収穫でした。また、『光悦』のp.77「霊言八神四対一覧表」とp.78「元素周期表識別一覧」も時折眺めることで、太陽系、元素周期表、電磁気理論、古事記、音(ヤマト言葉)の目に見えぬ繋がりが少しずつ見えてきました。

こういったことが、「むしろ宇宙をあるがままの姿でとらえるように、人間の理解力を伸ばし拡げねばならない。」というのに繋がっていくのでしょうか。私には、宇宙どころか、『光悦』が「宇宙は人間の理解の限界までせばめられるべきではなく、むしろ宇宙をあるがままの姿でとらえるように、人間の理解力を伸ばし拡げねばならない。」という言葉の対象なのですが、人間の理解力を伸ばし拡げて、「宇宙をあるがままの姿でとらえるように」ありたいものです。「宇宙の自然現象に教えを請い」という謙虚な態度、すなおな姿勢を自分の自然な姿勢として取り戻したいものですね。『古事記』を音読していると「宇宙の自然現象に教えを請い」というのは少しだけであるにしろ分かるような気になります。

また、「その行きづまリは、エネルギーは、物質は、宇宙は、生命は、どうして発生したかというところに行きつくようである」いうところに重大な要素があるように思うわけですが、そこを辿って行くと、天孫降臨というところまで行ってしまうのではないでしょうか?「日本はもう駄目かもしれない」という状況を感じないではいられないからこそ、スケールの大きな感覚を欲するのかもしれませんが、これも「現象は自然が与えてくれた科学の答えである」であるように感覚では捉えています。
84:サムライ:

2012/11/09 (Fri) 10:54:50

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1352426091.jpg 馬之助さん、こんにちは

佐藤愛子の『私の遺言』を読了しました。相曾氏との交流の深さに改めて驚きました。そして、「日本はもう駄目かもしれない」という相曾氏の発言を読み、妙に納得してしまう自分が居ました…。一度ご破算になった方が、日本人の目が覚めるかもしれませんね。ただ、今度のご破算は、昭和二十年当時のご破算の比ではないと思いますが…。


> 『光悦』の元素周期律

現在、過日一般公開したPDFファイルを読み返していますが、大は太陽系から小は元素レベルまで、電磁波理論で結びついているのは凄いと、今更ながら思います。

数日前にコンビニに立ち寄った際、『Newton』(十二月号)誌が店頭に並んでいました。「iPS細胞」の特集で面白そうだったので購入したところ、以下のような興味深い記事がありました。

「現代物理学にひそむ、50年来の難問を解決」

詳細は同記事を読んで戴くとして、鉄の磁石に見られる対称性が破れた場合でも、波は〝一つだけ〟であるという理論は、『光悦』の元素周期律を別の角度から裏付けたものなのかもしれません。なお、磁石の対称性に関しては上記のURLをクリックしてください。



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 この日露戦争の遠因となったのが露清密約であるが、これは清国代表の李鴻章がロシアから多額の賄賂を受け取ってロシアに満州を売り渡したものである。このために、必死で満州からロシアを追っ払った日本は、露清密約を知らずに満州を清国に返還したのだった。
 とはいえ、満州は日本人が大量の血を流して確保したところであり、ここをロシアが占拠すれば我が国存亡の危機が迫るという意味で我が国の生命線であった。従って、我が国は国策として満州を確保する為の投資と経営努力を続け、ロシア革命が勃発してからは、その共産主義革命が東の満州に浸透することを防ぐため、満州の管理を強化していた。他方、コミュンテルンと中国共産党は、満州を「赤化」するために満州を「暴力と無秩序」のルツボにしようと画策する。
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このあたりは、角田儒郎さんの『日本の残光 ── 大東亜戦争の意義と満洲帝国』を思い出します。小生は以下のスレッドのNo.2で、同書で印象に残った行を抜き書きしています。
http://michi2672.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=4134667



>国学四大人に数えられる賀茂真淵でさえ、その言霊学は漢字を応用したものだった。荷田春満も例外ではない。世上、言霊の大家とあがめられる水谷、大石凝などのほとんどが、江戸時代から始まった漢字式言霊学を踏襲している。

確かに相曾氏は本質は漢字ではなく音であると説いていますね。その相曾説を下敷きに、『コトバの原典』(松下井知夫・大平圭拮共著、東明社)を再読すると、さらに日本語への理解が深まるのではないでしょうか。同書の「コトバの原典索引」(p.6)を横に置いて眺めながら、『光悦』を再読しているので、大小さまざまな発見があり、納得できた点も多かったのは収穫でした。また、『光悦』のp.77「霊言八神四対一覧表」とp.78「元素周期表識別一覧」も時折眺めることで、太陽系、元素周期表、電磁気理論、古事記、音(ヤマト言葉)の目に見えぬ繋がりが少しずつ見えてきました。

※『光悦』は以下のページで公開中
http://www2.tba.t-com.ne.jp/toneri/koetsu/
83:馬之助:

2012/11/05 (Mon) 22:14:18

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>現在ルーツ探しを進めている身にとって先祖代々引き継いでいるDNAというか家風が、家族の一人一人の人間性として顕れている様子が佐藤女史の話で分かり、興味深かったです。

佐藤愛子女史の「血脈(上)」は出版直後に単行本で読みました。久々の本格的な小説で読み応えのある作品です。ここまで書くのかという赤裸々な内容で、作品に向い合う並々ならぬ姿勢に感銘をうけたものの、中、下と読み進むことはありませんでした。『私の遺言』を読むと、背景にそういうことがあったのかとは思うものの、その背景を伏せたままでは(最後まで読んでないので不適切かもしれませんが…)、栗原氏ではないですが、個人情報はもういいなというのが当時の感想で、自分の中では、私小説はこれで打ち止めという感じを持ちました。個人からその背景を窺うよりも、背景から個人の行動のそのどうしようもなさを探っていく方がその大ききさからすると妥当な感じがします。やはり、氏姓鑑識、家紋というか、『光悦』の元素周期律というのは、個人を遥かに越えて突き動かすものだと、今更ながらに思います。

そんな頭で、『月刊日本』11月号の西村氏の「歴史に学ぶ」を読むと、なるほどと思いました。

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 この日露戦争の遠因となったのが露清密約であるが、これは清国代表の李鴻章がロシアから多額の賄賂を受け取ってロシアに満州を売り渡したものである。このために、必死で満州からロシアを追っ払った日本は、露清密約を知らずに満州を清国に返還したのだった。
 とはいえ、満州は日本人が大量の血を流して確保したところであり、ここをロシアが占拠すれば我が国存亡の危機が迫るという意味で我が国の生命線であった。従って、我が国は国策として満州を確保する為の投資と経営努力を続け、ロシア革命が勃発してからは、その共産主義革命が東の満州に浸透することを防ぐため、満州の管理を強化していた。他方、コミュンテルンと中国共産党は、満州を「赤化」するために満州を「暴力と無秩序」のルツボにしようと画策する。
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また、同号の「鳴霞の中国ウォッチング」にはこうあります。

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諸勢力が入り乱れて大混乱
 中国の経済状況は、不動産バブルが崩壊し、地方不良債権の回収不能によって、地方政府も工商局も税収が激減し、それが銀行の破綻に直結している。外国企業も中国から撤退を始めており、国家財政は益々悪化している。(中略)鉄道の負債だけで数十億元あり、鉄道が破綻するのも時間の問題である。また、銀行ローンの大半が回収不能となっている。中央政府は官僚の給料を支払うために、無制限に紙幣を印刷している。
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「相曽誠治先生」という記事を右のブログで見つけました。http://wiki.livedoor.jp/niwaka368/d/%C1%EA%C1%BE%C0%BF%BC%A3%C0%E8%C0%B8
ここに以下の記事がありました。おもしろく思ったので、引用しておきます。

>国学四大人に数えられる賀茂真淵でさえ、その言霊学は漢字を応用したものだった。荷田春満も例外ではない。世上、言霊の大家とあがめられる水谷、大石凝などのほとんどが、江戸時代から始まった漢字式言霊学を踏襲している。

前回のサムライさんの引用に次のようにあります。


>繰り返し音讀すると、口が言葉に付いてゆく。身體が古事記を捕へる。さうすると、始めは自覺しなくても、注解本のをかしい所や訓みの不自然な所に、何となく氣付くものである。注解本に讀まされるのではなく、あなた自身が讀み、他の意見は取捨選擇するだけでなく、あなた自身が「意味」を發見するやうになつて行くのである。

やはり漢字を通してではなく、ルーツとしての(漢字はルビとして)ひらがなで「身體が古事記を捕へる」ところまでいかないと、複雑な洗脳を解くところには行かないのでしょうね。「注解本に讀まされるのではなく、あなた自身が讀み、他の意見は取捨選擇するだけでなく、あなた自身が「意味」を發見するやうになつて行くのである」というものこそ、克己自立というところでしょうね。なんとか、「古事記」を自らの血肉にしたいものです。


 
82:サムライ:

2012/11/02 (Fri) 09:44:13

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1351817053.jpg 馬之助さん、

佐藤愛子女史の『私の遺言』を一気に読まれたとのこと、いかにも馬之助さんらしいと思いました。小生は未だ最初の数十ページしか読んでいませんが、少しずつ読み進めていくつもりです。そして、美輪明宏氏との交流が描かれていますが、同氏の霊感は鋭いという情報は確か、二・二六事件と三島由紀夫との関連で、鋭い霊感を発揮したことを物の本か何かで読んだ記憶が残っています。美輪氏と異なって、小生は佐藤女史同様に霊感に鈍感なほうなのは残念です。

美輪氏との対話の仲で佐藤女史の祖先の話が出てきましたが、現在ルーツ探しを進めている身にとって先祖代々引き継いでいるDNAというか家風が、家族の一人一人の人間性として顕れている様子が佐藤女史の話で分かり、興味深かったです。



> やはり、声を出して繰り返し繰り返し読むということが大切

毎月行われているまほろば会で必ず耳にする祝詞ですが、何故YouTubeなどで公開されている通常の祝詞と、まほろば会のそれとでは何故異なるのか、相曾先生の本を一読して漸く分かりました。まほろば会の祝詞には相曾先生の秘伝が織り込まれていました。こうなると、再び『陰陽道』(長原芳郎著 雄鶏社)を読みたくなりました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/09/post_dbee.html
『陰陽道』


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 私ははっとした。急所をグサリと突かれた思いだった。そうだった、大切なことは人、一人一人が自分の波動を上げることだった。一人一人の波動が上がれば社会の波動が上がり、国の波動も上がるのだ。それが今まで私が学んできたことだった。政治家を批判しても仕方がない。国民の波動が上がれば波動の高い政治家が出てくる。一人一人の波動の高まりが優れた政治家を産み出すのだ。
********************************

確かに、今の政治家を選んだのは我々国民です。それでも、まほろば会のOB野間健さんが過日の鹿児島補欠選で善戦したことは、明るい兆候だと思います。野間さんが政界に登場してくる日も近いのではないでしょうか…。

最後に、幸田成友訳の古事記が何故優れているか、相曾さんや天童さん以外に赤不動さんが『みち』で同様の主張をされていますが、その記事を飯山さんの掲示板に残した「ツランという絆」に転載しています。改めて本スレッドにも再転載しておきましょう。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13007953
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古事記の讀み方

▼古事記を讀みたいと思つてゐる人がゐるに違ひない。讀みたいと思ふほどでなくても、讀んでみようか、讀まなくてはいけないと思つてゐる人はゐるだらう。とりあへずは口語譯とか解説本の類ひを買つてくるか、勉強會でもあれば出てみようかと思ふ。
口語譯は實にいろいろなものが出てゐる。漫畫本も出てゐるが、これは御勸めできない。全くといつていいほど内容を變へてしまつて、よくまあ「古事記」などと銘打つたものだと思はれる駄本が出囘つてゐる。口語譯は昔から今日まで、名のある作家や學者が手掛けたものも市販され、なかには版を累ねたものもある。だが、いかに名譯 と稱されやうとも、物語の筋をたどることは出來ても、古事記を讀んだことにはならない。あくまでも原文を讀まなくては、古事記を讀んだとは言へない。
幸なことに、古事記は原文は漢字で表記されてゐるが、讀み下し文を收録した文庫本が何種類も出てゐる。そこでまた頭を惱ませることが出て來る。どの文庫のがよいかといふことである。
▼實は、嚴密に校訂された漢字書きの原文を使用しても、その讀みは人によつて異なるのである。どこに、どのやうな讀みが行はれるかは學者によつて説がいろいろある。幾通りもの讀み方を事細く併記したテキストまで出てゐるほどである。
獨斷と偏見を恐れずに言へば、私が御勸めするのは、戰前の岩波文庫本の幸田(こうだ)成友(しげとも)校訂の『古事記』である。これは昭和二年初版で、昭和十五年には改訂第五刷が發行されてゐる。全文、讀み下しで、總振り假名つきだが、解題は短く改定版凡例も簡潔である。ただし、戰後の岩波文庫本は採らない。岩波文庫では、戰前刊行された古典を、戰後も再發賣してゐるが、とりわけ解説・解題の部分は注意が肝要である。大抵は新たに書き直されてゐるが、しばしば水で割つたやうな内容になつてゐることがある。古事記はあくまでも、戰前の幸田成友博士校訂のものに限る。
もちろんこの版は古書店でなければ入手できない。御勸めしたいのは、この版を入手して、擴大コピー(B5判)にすることだ。振り假名もはつきり讀めるし、書込みも自由だ。兩面コピーにして擴大まるごとコピー本にしてをくとよい。この場合、卷頭の漢文の「序」を落さないこと。
▼さて、一應テキストは決つた。古事記は、撰者・太安萬侶の序と、上・中・下の三卷の本文で構成されてゐる。おもむろに頁を開く。最初に目に入るのは、見慣れない文章の「序」である。普通は、何をどう讀んだらいいのか戸惑ふだらう。この難解と見える部分を讀むのは後囘しにしたくもなるだらう。ただし、かういふ話があるといふことは記憶に留めて置いていただきたい。
戰前から戰後にかけて國語國文學の泰斗であつた山田孝雄先生の話である。
山田先生はもちろん古事記については研究はしていて、いづれ自分の研究を著述に殘して置かうとは思つてゐた。だが、人前で古事記の講義をしやうといふことは全く考へてゐなかつた。ところが、神皇正統記についての著述を出版した直後のことだつた。ある學者、その人は古事記を專門に研究したといつてもよい人だつたが、その人が山田先生にかう言つたといふのである。
「神皇正統記を讀むと、日本の國體といふものが誠によく分りますけど、古事記を讀んでみましても、ちつとも國體は分りませぬな」
これを聞いて、山田先生は驚いた。
「そこで私の眼で見ますと、謂はば古事記と云ふものは徹頭徹尾國體を書いてある本であります。結局國體の爲に古事記がでて居ると思ふ位の書物でありますに拘はらず、それを讀んで見ても國體は分らぬと云ふ風に古事記を研究して居たものと見えます。而もそれは最高學府での研究を通つて來た人なのであります。それで私が古事記のことをあちこちで御話すると云ふことが實は生じて參つた譯であります」(山田孝雄『古事記概説』、昭和十五年、中央公論社)
▼古事記は文學であると云ふ人がゐる。神話を書いたものだと云ふ人がゐて、歴史を書いたものだと云ふ人がゐる。一應「御尤も」なのだが、それだけではないのである。今の流行りである多數決で行くと、文學・神話・歴史のどれも絶對多數を獲得することはできないのである。
それでは何か。實は「序」を讀むと、古事記の梗概も精神も分る、と云ふのが山田先生の説である。
▼で、いきなり本文から讀むか、「序」から讀むかはあなたの選擇にまかせるとして、總振り假名付きのテキストを開いたとしても、あなたはまだ讀めないかも知れない。注釋本が必要だと思ふだらう。確かに注解本は必要だらう。だが、それは旅行案内のやうなものだ。道がずっと續いてゐるのに「この先、行止り」と表示されてゐることがある。アテにしてはいけない。信頼してゐると、どこへ連れられて行くか、分らないものである。
▼では、どうしたらよいのか。音讀することである。聲に出して讀むことである。少々意味なんか分らなくてよろしい。理想は、少なくとも上卷、神代の卷を百囘、音讀することである。テキストは大體のところ、幾つかの段落に區切られてゐるから、一つの段落を五囘から十囘、繰り返し聲に出して讀む。これが唯一の古事記の讀み方である。
繰り返し音讀すると、口が言葉に付いてゆく。身體が古事記を捕へる。さうすると、始めは自覺しなくても、注解本のをかしい所や訓みの不自然な所に、何となく氣付くものである。注解本に讀まされるのではなく、あなた自身が讀み、他の意見は取捨選擇するだけでなく、あなた自身が「意味」を發見するやうになつて行くのである。これは「コトタマ(言靈)」の力である。江戸時代の寺子屋で行はれてゐた漢文の「素讀」の力である。これが唯一の讀み方だ。(赤不動)
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81:馬之助:

2012/10/30 (Tue) 23:35:34

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

引き続きの引用ありがとうございます。

>言葉の禊ぎをされたいかたのために比較的正しい言霊で書かれた『古事記』を紹介しておきましょう。戦前に発行された幸田成友先生の『古事記』(岩波書店刊)がたいそう優れています。まだ古書店などで入手できます。声を出して神代巻を繰り返し繰り返し読んでいるうちにだんだん清まってまいります。p.101

やはり、声を出して繰り返し繰り返し読むということが大切なのですね。段々言葉が清まっていく感じがし始めています。また、人が私の言葉を受けとめていく感じも変わり始めている風にも感じられて来ました。

>日本の生きていく道、日本民族が栄えていく道、日本が果たすべき大きな使命は、むきになって相手の悪事を暴くだけでは達成できません。表層的な判断で短絡的に反撃するのはぜひ避けなければならないことです。奥にある霊的な背景を考えなければなりません。問題の本質を正確にとらえるべきではないでしょうか。p.136

ここにある、「表層的な判断で短絡的に反撃するのはぜひ避けなければならないことです。」というのは、大切なことではないでしょうか。ネットの言動では特に気になるところです。さらに「奥にある霊的な背景を考えなければなりません。問題の本質を正確にとらえるべきではないでしょうか。」というのがなければ、自他ともに変わりようがないと思うのですが…。残念ながら、損得勘定が優先されているのではないでしょうか。これでは敵も味方も同じレベルでのお話です。

>これに対して立体史観というものがあります。今、わたしたちが栄えているのは天上神界がいろいろなものを下さった賜物であると考える歴史観のことです。われわれ人類も天上神界から降りてきた神の一柱と見る生き方です。ですから、地球は人類だけが満足すればよいというのではなく、常に神と人とがともに繁栄することを考慮しなければなりません。

今、私の散歩時の古事記朗読は「うみませるかみのみな」に差しかかっているので、「わたしたちが栄えているのは天上神界がいろいろなものを下さった賜物である」というのは実感するところです。海の潮はまるで川のように音を立てて流れていますし、時折魚が海面を跳ねていたりしています。鳥はさえずり木々は枝を踊らせています。朝日の光は海を銀波金波に変えてくれています。それらが、言の葉とともに、私のからだに流れ込んで来ます。確かに私の命体(生体は相も変わらずでありますが…)は、「天上神界から降りてきた神の一柱」であるに違いありません。

>伊邪那美命の系統、つまり須佐之男命系のユダヤ勢力は経済的に日本と衝突するかもしれませんが、最後は必ず天照大御神(日本)と良好な関係になることを菊理媛の言葉が暗示しています。ユダヤと日本が力を合わせて世界平和に貢献できる日が必ず到来します。間違いないことです。

佐藤愛子著『私の遺言』が届きましたので、ちょっとだけ読もうとページをめくると、堪えきれず最後まで読んでしまいました。著者の霊や魂というもの対する態度に好感を持ちました。本書によると、霊視と除霊の違いが分かりますし、霊視も理解を深めて、自分のこととして霊障を捉えていくことに大きく役立つということも理解できました。サニワを立てて霊障を取り除いていくことの有効性やサニワの役目も理解できました。『悟霊の法』もこれを治したいという親族にやってもらっているということだと理解できますが、本職が瞬時に霊障を取り除いていくのに対して、治したいという親族でも長期を要するというのも頷けます。しかし、サニワではひとつひとつ原因を取り除くしかない訳ですが、それを相曾氏は天岩戸を開いて天照大神の登場によって、すべてを解決していく端緒を開いていくところが何とも言えません。現実は細胞が代謝し分裂いくように若干時間を要するようですが、この辺りに、天皇という存在の重要性を感じないではいられません。さて、神国日本では、天岩戸は既に開かれているのでしょうか?後は細胞が代謝していくのを待つばかりと思いたいところです。佐藤愛子女史は次のように書かれています。

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 私ははっとした。急所をグサリと突かれた思いだった。そうだった、大切なことは人、一人一人が自分の波動を上げることだった。一人一人の波動が上がれば社会の波動が上がり、国の波動も上がるのだ。それが今まで私が学んできたことだった。政治家を批判しても仕方がない。国民の波動が上がれば波動の高い政治家が出てくる。一人一人の波動の高まりが優れた政治家を産み出すのだ。
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80:サムライ:

2012/10/28 (Sun) 11:44:38

host:*.t-com.ne.jp

馬之助さん、漸く二冊目の『言霊と太陽信仰の神髄』を読み終えましたので、大分長くなりますが前回同様、印象に残った箇所を以下に転載しておきます。それにしても、相曾氏の二冊を読み通して得るところ誠に大であり、同書に巡り会えて幸運でした。

大橋氏の本は『波動性科学入門』と『波動性科学』だけ読めば十分かと思います。『悟霊の法』も読みましたが、一回読んだだけで再読していません。『悟霊の法』には想い出があり、まだインターネットをやっていないころ、同書がなかなか入手できなかったので出版元に電話したところ、一冊だけ社内に在庫にありましたということで漸く入手できたという経緯があります。それから、先ほどアマゾンで調べましたが7500円もするとは高いし、それだけの価値は『悟霊の法』には無いと思います。よろしければ拙宅の書庫から探して郵送ししますよ。ただ、もしかしたら既に捨ててしまったかもしれませんが…。

佐藤愛子氏の『私の遺言』、天童さんの巻頭言にも書いてあったので発注し、昨夜届きました。もしかしたら、今週の火曜日辺りから再び仕事の缶詰になる可能性があるので、それまでに読み終えたいと思います。

ところで、古事記はいろいろな人たちが現代訳していますが、栗原さんや天童さんは幸田成友がベストということで、舎人学校での古事記のテキストは幸田成友訳を使っていました。相曾氏も言霊の観点から最良の古事記は幸田成友の訳だと書いており、嬉しく思った次第です。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
『言霊と太陽信仰の神髄』

ここで太陽と人間の関係について基本的なことをお話ししておきます。太陽は御承知のように自転しています。太陽が一回転(自転)するのに二十七日かかります。太陽は時計と逆の左回りです。地球から見える太陽の円周は円周全体の三分の一です。最初、太陽の左端に見えた点が九日たちますと右端まで移動していきます。十日目には地球から見えない裏側に回ります。左端の起点が肉眼で見えている期間は九日間です。実はこの九日周期が太陽系宇宙の一つのリズムになっているのです。
 例えば、左端の起点にぽつんと出来た太陽黒点を一日目としますと、四日後には黒点は若干それらしい形跡が見えますがまだ存在はそんなに明確ではありません。七日目になりますと黒点はかなりはっきりしてきます。十日目になるとだれがみても太陽黒点とわかるまでに成長します。そう思った瞬間、裏側に引っ込んでしまいます。これを繰り返しているのです。p.53

地球から見える太陽のいちばん左端に起点を想定してください。起点の気はだんだん右に移動していきます。ですから、赤ちゃんは九日間、起点の気を吸い続けることになります。前日の気は八日間しか対面しません。九日目には地球から見えない裏側に隠れるからです。二日目の気は七日間しか吸いません。三日前のは六日間です。ですから、生まれた瞬間の赤ちゃんに最も影響を与えるのは、誕生したときのいちばん左端の気です。右端に隠れるまで九日間もおつきあいしてくれるからです。p.55

 日本(伊邪那岐大御神や天照大御神、天皇=陽の系列)とスサノオ圏の国々(伊邪那美命や須佐之男命、大国主神=陰の系列)とのかかわりがこれからの世界の歴史になります。陰と陽とでは陽が主体にならなければなりません。日本がこのことを自覚したうえで世界各国の人心を和の心にまとめ、ほんとうに世界平和を築いていかなくてはなりません。
 ただ、このように大きな観点でとらえることも必要ですが、わが身に当てはめて考えることも忘れてはいけません。スサノオ性は決して他人事ではないからです。わたしたちはみんな体内に魂(陽)と魄(陰)を持っているではないですか。魂は天照大御神の分魂です。魄は大地系(須佐之男命や大国主神など)の分魂です。魄の悪い面が出ますと、功名心や名誉欲、支配欲、権勢欲などが強く働きます。地上の修理固成もわが身の修理固成も、規模こそ異なっていても質においては同じです。p.68

 太陽崇拝というものはあらゆる古代民族に共通しています。それがいつしか忘れられたということは、日の神(天照大御神)に対して大きな御無礼、忘恩の行いをしていることにほかなりません。お日様の恩恵で込めや麦などが出来ます。それだけではありません。貴重な酸素、水、蛋白質など、いずれも太陽の光あればこそです。p.82

言葉の禊ぎをされたいかたのために比較的正しい言霊で書かれた『古事記』を紹介しておきましょう。戦前に発行された幸田成友先生の『古事記』(岩波書店刊)がたいそう優れています。まだ古書店などで入手できます。声を出して神代巻を繰り返し繰り返し読んでいるうちにだんだん清まってまいります。p.101

日本の生きていく道、日本民族が栄えていく道、日本が果たすべき大きな使命は、むきになって相手の悪事を暴くだけでは達成できません。表層的な判断で短絡的に反撃するのはぜひ避けなければならないことです。奥にある霊的な背景を考えなければなりません。問題の本質を正確にとらえるべきではないでしょうか。p.136

怒るのはたやすいことです。自分がパーンと爆発すれば気はさっぱりするでしょう。それはほんとうの生き方であるかどうかです。例えば朝鮮のかたは激情に駆られた行動をとりやすいといわれています。反面、家族のきずなが強いという美点もありますが、短気な正確はスサノオ性の特徴です。朝鮮半島だけに限りません。すべての大陸系民族に共通します。そのため、ほんとうに栄えた国はあまりありせん。p.137

「わしは今までずいぶん生○○○(宗教団体)に尽くしてきました。自ら大幹部としても活動してきましたので、もちろんトップのかたとも懇意です。多額の寄付金も惜しまなかったのですが、ただただ残念に思うのは、会長先生にいくら頼んでも〝天津祝詞の太祝詞事〟を教えてくれなかったことです」p.176

トホカミ(前段)エミタメ(後段)を具体的に解釈します。「岩戸の中におこもりなっている大神様、中ばかりで光り輝いていないで(前段)、ぜひ岩戸を開いてお出ましてください(後段)」という天関打開、岩戸開きを祈る言葉になります。p.184

平面史観というのはあくまで平べったい歴史の見方で、地球の歴史は人間だけで作ると考える人生観のことです。
 これに対して立体史観というものがあります。今、わたしたちが栄えているのは天上神界がいろいろなものを下さった賜物であると考える歴史観のことです。われわれ人類も天上神界から降りてきた神の一柱と見る生き方です。ですから、地球は人類だけが満足すればよいというのではなく、常に神と人とがともに繁栄することを考慮しなければなりません。
 人に知られなければどんなことをしてもかまわない。他人にわかりさえしなければいかに悪らつなことでも許される、と考えるのが平面史観です。ここから生まれたのが弱肉強食の生存競争です。ですから西洋には革命や闘争が頻繁に起こったのです。日本はそうではありません。肇国の基盤は立体史観にありますから、人民が隆盛するのは神のおかげであり、人は死ぬと神界に帰って神のいちばん末席に連なり、やがて祖先として子孫を見守っていくと考えるのです。神といっしょに生きるのが立体史観です。この考え方は今でも日本の皇室を中心にして伝わっています。
 ところが、同じ神の国にお仕えしていても、神が全くおわかりにならない人々がかなりいます。ただ形式的に神をお祭りするだけに熱心な神職もおおぜいいます。そういうかたがたは、もうひとふんばりしてほしいと思います。神が実存していることを確信できれば非常にすばらしい人生観になるはずです。そうなると日本はいよいよ栄えます。今のところ、神社界は謙虚で控えめなかたがたがたいへん多いのですが、なにも遠慮する必要はありません。
 元来、日本は立体史観の国です。天照大御神が天祖としていらっしゃいます。平面史観は大陸の国々の思想で、須佐之男命系統の考え方に由来しています。須佐之男命は罰としていろいろな物(千位置戸)をおわされ、ひげと手足のつめを切られ、天上界から追放されました。最初に降臨したのが大陸(朝鮮半島)です。ぶざまなかっこうと決して自慢できない境涯ですから、昼間は人目を避けて出歩きません。やむをえず、みのとかさをつけて変装したり、ひげを生やしたりして、暗やみに紛れて人家を訪れます。そして一夜の宿と空腹満たすための食物をねだりました。これを秘密往訪儀礼(秘密訪問儀礼)といいます。p.188

 全世界に秘密往訪儀礼が見られると言うことは、遠い昔、須佐之男命が大陸を放浪して各民族の原始生活集団や部落を訪ね、日本(高天原)のいろいろな神話や伝承を教えたなによりの証拠です。須佐之男命が変装したときに用いたのが牛冠です。牛の角が生えた冠をかぶっふ人家を訪問します。それで須佐之男命を牛角神ともいうのです。考古学の発掘では牛角神のこん跡があちこちで見つかっています。牛角冠にちなむ古い伝承を牛角神話といいます。
 ギリシャ半島のいちばん先端にクレタ島がありますが、数年前、日本の縄文時代に相当する、つまり七、八千年前の古代遺跡が発掘、調査されました。やはり黄金の牛角冠が出土します。大陸の各地で同様な発見が多々ありました。七、八千年前、世界じゅうでこういう文明が流行していたということができます。
 須佐之男命は族に天王様といわれています。高天原から追放されて下界に降りてきましたが、真っ先に着いたのが朝鮮の慶尚南道にある牛頭山という山です。ここに天下りします。牛の頭の王様ということから牛頭天王という呼び名が付いたといわれています。
 牛頭天王はインドにも伝説があります。インド北部に釈迦が説法をしたといわれる祇園精舎という僧園があります。そこの鐘突きの番人を牛頭天王といっています。あるいは、牛頭天王はその僧園の守護神という説もあります。
 このように牛頭天王という言葉は世界のあちこちで聞かれますが、そこから見ましても須佐之男命は恐らく七、八千年か一万年くらい前に大陸の各地を渡り歩き、食料や宿を求めたりしながら、日本(高天原)のさまざまな文化や文明を伝えたことが推測できます。牛角冠に伴って世界各地から十六弁の菊花紋も発見され、たいへん不思議がられています。その菊の紋をいちばんたいせつにしているのがユダヤ人です。
 今、パレスチナでユダヤ人の神殿が復元されつつあります。そこにはかつて十六弁の菊の紋章があったということで、現在、黄金で紋を製作しているそうです。十六弁の菊花紋は、言わずと知れた日本の皇室の御紋章(菊の花ではなく、本来は太陽光線の形に由来する)で、高天原文化のあかしです。これが各地から出土されるということは、高天原の教えをあちこちに伝え歩いたかたが過去にいたからではないでしょうか。
 スラヴィク教授は、大陸に高天原文化を仲介したのは須佐之男命であると断言しています。外国人の学者が大変な功績を上げました。ところが、日本の学界は海外のかたが先に研究したことをすなおに認めたくありません。ただ救われるのは、日本の皇室がスラヴィク教授の業績を非常に高く評価し、勲章を授与していることです。
 このように、月日がたつにつれ、日本の古代に隠れた歴史がだんだん表面に出てきます。これは正に天の時です。人間が無理無体に主張しなくても天の時が至れば、世界じゅうに神理(真理)が広まっていきます。須佐之男命が大陸を指導教化された事実は学問的にも、科学的にも、だんだん解明されていくはずです。p.190~

アマテラスオホンミカミと発声します。これが秘言です。普通はアマテラスオオミカミと奏上しますが、秘伝はアマテラスオホンミカミです。ホンを一語と見なしますので、十言(とこと)の神呪(かじり)といいます。p.194

正しい日拝鎮魂法の場合は、合掌した手が頻繁に上下運動したり、ぶるぶる震えたりするようなことは決してありません。p.196

必死になって「なんみょうほうれんげきょう」と唱えます。「わたしを早く魔の世界に連れていってください」というじゅ文です。p.197

 生まれた瞬間、小さく縮こまっていた赤ちゃんの肉体は急に膨張します。膨張するその内圧で大気を吸い込み、吸い込んだ大気が一生の性格になります。赤ちゃんの細胞は極限まで押し込められていますので、外に出された瞬間、一気に膨らんで空気を吸い込みます。産声は吸い込む音です。先刻のスと同じで,吸い込む音が産声です。みなさんがもっと早く、産声は吸い込む音声という事実に気づいてくれ、太陽の気と人間の密接な関係をたいせつにすればよかったのです。そうすれば相性を調べたり、適職を見つけたり、太陽の数理を人生にたいへん活用できるのです。
 太陽の自転周期(二十七日)と地球に対面する期間(九日)の数理をお話ししました。これがわたしたちの一生を支配する数霊(かずたま)です。加えて、両親は二週間以内に出生届を出しますが、そのときに名前(画数)も必要になってきます。ですから誕生日の数理と名前の画数(数理)、名前の発音(言霊)が一生、付いて回るわけです。理想的な数理と言霊を持っているかたはたいそう幸福に、健康でりっぱな人生全うすることができます。宇宙はウズとカズの摂理が支配しているからです。p.119

フトマニには年月日という基準があります。それによって幸、不幸を予知いたします。かかわっている事業や就職問題、開業時期、創業、結婚相談など、人生百般が例外なく算出できます。少しの間違いもなく、だれにでも正確に計算できます。p.202

質問 血統という意味で、日本民族には朝鮮やシナ、ユダヤなどの血が混じっているのではないかと思いますが、霊統と血統の違いを御説明ください。
回答 今日、冒頭でお話ししましたが、わたしの祖母の霊能が父に継がれ、父の霊能がわたしに伝わっているように、霊統も遺伝します。生理的なDNA(遺伝子)の伝播のほかに、霊的分子の遺伝ということも考えなくてはいけません。ただ、後者はあまり重要視されていません。ということは、現在、霊統に関する学者の研究がその域に達していないのです。今日、霊学という学問は学界でしかるべき位置を全く占めていません。霊的遺伝子のことがご理解いただければ、どなてでも己を慎むとか、あるいは今日の自分自身の在り方が、何代か後の子孫にまでずっとつながっていくのだという自覚が出てきます。その目覚めがないかぎり人類の進歩はありません。
質問 そういたしますと、今現在のわたしの考え方は先祖代々の傾向と考えてよろしいのでしょうか。
回答 そうです。p.299

いずれにしても『秀真伝』の作者は帰化人の系統です。『古事記』に対抗してでっち上げた伝承です。天照大御神は男性であるとか、十二人のめかけを持っていたとか、とんでもないことが書かれています。つまり、あの書物には天狗が口走ったいいかげんなことがそのまま記録されているだけです。読めばすぐわかりますが、神が神なのか、あるいは人間なのか区別がついていません。神をまるで人間のように描写していますので、平面史観の典型です。神界の実相がわからないからこそ、天照大御神は男性だというような妄言が書けるわけです。神がほんとうにわかってくるとそんなことは恐れ多くてとても発言できません。恐れ慎むという心が少しもありません。古史古伝といわれる書物に共通している態度です。その程度の古記録ですので、完全な神代文字が使われているかどうかは推して知るべしです。p.301

質問 古史古伝(『富士古文書』『秀真伝』『竹内文書』など)の信奉者たちは、古史古伝を偽書とするならば『古事記』も皇室本位に書かれたもので、都合のよいように手が加えられた記録ではないかと主張し、古史古伝の正当性を主張するかたが多いのですが。
回答 はっきり申し上げます。『古事記』を偽書ではないかと信じているのは、ある特定の一派に限られています。思想的に左翼系の下地があり、日本革命を望んでいる人々です。他の国民は『古事記』という書物の名前は知っていてもあまり関心がないようです。『古事記』は非常に難解ですので、読みこなす力を持ったかたはあまりいないのが現状です。ですから世間では短絡的に黒白の結論を出すのを差し控えているはずです。いずれどなたかが『古事記』の正しい解釈を発表してくれるのを黙って期待しているのでしょう。偽書だ、偽書だと騒いでいるのは、日本の国柄や皇室に無意識で反感を持っているかたがたや、もっと極論しますと、日本革命を明らかに目指している人々だけです。これはお調べになるとわかります。p.306

一人の人間には多くの祖先たちがいて、さかのぼりますとどこかの時点でわたしたちも帰化人の系統と混血している可能性があります。あるいは、その昔、遠い祖先が天狗系宗教や外来宗教になじんでいた場合も考えられます。そのような観点から見ますと、他人事ではなくすべてわたしたち自身が内包している問題ではないでしょうか。程度の差こそあっても、日本人全体の課題としてとらえるべきものです。p307

 厳密に申しますと、われわれが毎日触れている現在の学問や芸術などは、太陽系宇宙の神理とかけ離れて単独で存在しえないはずであり、本来、あらゆるものが太陽系宇宙の摂理につながってなければなりません。地球が属する太陽系宇宙の中心は太陽だからです。 ただ、現在は太陽の存在があまりにもおろそかにされて、各分野のせっかくの研究も太陽系宇宙の本質とは連繋していないありさまです。極論しますと、学問や芸術、事業などのすべてが根本で太陽(天照大御神)や皇室(天孫降臨)の存在につながってなければなりません。p317

 今までのわたしどもはわかりやすい言葉で申しますと、神様のことをばかにしていたのではないでしょうか。
 「天照大御神が実存するかどうかは疑問だ。いると思えばいるし、いないと思えばいない。われわれが尊敬しているからこそ、実存するということになって伊勢にお祭りしてある」
 このような不遜極まる考え方、味方をしてきたような気がいたします。
 天照大御神はだれが否定しようとも存在します。実在を確信するかたがたは依然として四六時中お日様を仰いでいます。今、わたしどもがこうして生きているのもお日様のおかげです。もしお日様の御神徳がなければ、一粒の麦も発芽することができません。いわんや、われわれ人間の命をはぐくんでくださるお米の命もちょうだいすることができません。
 そうしたことをいろいろと考えてみますと、われわれは太陽系宇宙のさまざまな神理をもっと学ばなくてはいけないのではないでしょうか。神道学はもちろんのこと、地球物理学、太陽物理学など、もっと深く学ぶ必要があるのではないでしょうか。p.323

 初めて地球上に出現した人類は、日が暮れて夜を迎えますと非常に大きな不安に駆られたはずです。やみのなかではなに一つ活動できなくて懊悩したことでしょう。やがて数時間たち、明け方三時から四時ごろになりますと、白々と辺りが明るくなってきます。そのときの気持ちは、恐らく地獄の底で生まれ変わったような気分ではなかったかと思われます。p.325

 日本本来の印は左右の親指がそろいます。左右がそろって結ばれて一つになります。神仙道ではこの秘伝を最初はなかなか教えてくれません。最初は正伝と少し違うものを授け、ある程度段階が進んできますと宗師は初めて本印(正しい印)を明かします。p.328

 日本民族が結果的に世界のまとめ役にならなければならないのは、いやがおうでも世界からそのように要求されているからです。イギリスのチャールズ皇太子がかつて来日され、日本の国会で演説をされました。
 「今、さまざまな問題が世界的に発生していますが、そういう問題をきちんと聞き取って応分の援助をしてくれるのは日本民族だけです。また世界は日本にそのようなことを期待しています。どうか日本は国際的に援助の手をもっと差し伸べてほしいと思います」
 チャールズ皇太子はこのように言われました。演説を聴いていた日本の代議士たちは目を白黒させたそうです。p.331

 今、正しい日本語(ヤマト言葉)を知っている学者はほとんどいません。特に言語学者、神話学者、歴史学者、国学者のかたがたに申し上げたいのですが、学者はほんとうの日本語を知らないといわれてもしかたがありません。
 例えば、魚をツルという言葉をどのように解釈しますかと聞きますと、学者はすぐに漢字を持ち出してきます。
 「釣るという字は、カギバリ(鉤)の意味の金偏と、くみ取るという意味のシャク(勺)を合わせたものですので、つまりハリガネの針に魚をくっつければ釣るという意味になるのです」
 ほとんどの学者がこのように答えます。これではツルという言葉の解釈になりません。 ツという言葉は連繋同化することを意味します。一つ、二つ、三つ、四つ、みんなツが付随します。指先につながって異質の物質を形成している爪(ツメ)も同様です。ルというのはものの体(カラダ)の形態を意味しますので、つながる、つるむ(連、交尾)、植物のつる(蔓)などは、みんな連繋同化を表す言葉です。これがツという言葉・音声の意味です。そういたしますと、ツルという言葉の正しい解釈は,泳いでいる魚に糸を垂れ、えさを付けて連繋同化するということになります。
 さらにはマツ(待つ)という言葉を考えてみましょう。マツは本体(マ)に対して連繋同化(ツ)していることです。本体が既に立って待っている所へ他のものがくっついていくのがマツという言葉です。マツル(祭る)という言葉の基本的な意味もここにあります。祭る神様の御神体と自分の体(肉体=ラ)が連繋同化する、つまり神人一体の業をマツルといいます。マツロウという言葉も同様です。
 こういう日本語(ヤマト言葉)を日本の学者がほんとうにおわかりになっているかどうかは大きな疑問です。ほとんどの学者は漢字でしか日本語を解釈していません。これでは歌を忘れたカナリヤではないでしょうか。日本のそうそうたる歴史学者あるいは言語学者、神話学者のかたがたは、もう一度日本語を学ぶ直されたらいかがかと思います。
 わたしは静岡県の浜松市に住んでいますが、浜松の賀茂真淵(一六九七~一七六九年)翁が生まれた所です。賀茂真淵は言葉についてかなり勉強されたのですが、あれほどの先生でも漢字で解釈しておられ、日本語のほんとうの原点にまでは到達されていません。
 現在、言葉に対する認識がこんな状態ですから、オオニアエマツリ(大嘗祭)という本来の日本語がいつの間にか忘れられ、ダイジョウサイと漢字読みしています。ダイジョウサイという発音は日本語ではなく、漢字の音読みです。漢読みをした結果、ほんとうの御祭神がわからなくなりました。オオニとは大きな国の意味です。ニとは地球上の大地ですが、これを左、右に分け、東方、西方の神々、大地の御神霊を調和させるのが大嘗祭です。p.333

日本に仏教が渡来し、それらの山岳宗教と合体して修験道になります。山岳系の宗教は修験道になってますます勢力拡大し、日本の高い山々のほとんどを占領します。
 なかでも紀州の山々は修験道のメッカといわれるくらいです。今でもその流れをくんでいるのが天○です。p.353

サニワといいますのは、正系の神様か天狗界の神様かを見分け、識別する方法のことです。p.353

 お日様を仰ぐとき、ほんとうに天照大御神は生きていらっしゃるという信念を持ちますと、必ず相応しい反応が出てまいります。わたしが責任を持って申し上げます。p.359

 せっかく自分たちが終戦後、日本人の頭を洗脳し、民心が皇室から離れるよう力を入れてきたのに、昭和天皇がお隠れになりますと、どういうわけか、日本人の目は古代文化にむいてしまいました。こんなはずではなかったという困惑のささやきが各地で聞かれます。これはたいへんけっこうなことです。p377

 人間の歴史は陸上の人間だけの計画ではなく、目に見えない存在である神界や霊界との共同合作になります。人間だけで世界の歴史を作ってきたと考えるのは平明史観です。人間の歴史に神が介入していないという見方ですと、この世界で恐れるべきものは人間だけということになり、他人に見られさえしなければ何をしても怖くはないという風潮が広がります。そうしますと、犯罪はいつまでたっても減りません。力の強い国が力の弱い国をのみ込み、強者が弱者をいじめることになります。これでは小学生のいじめと同じではないでしょうか。
 こういうような世界の状況ですと、いつまでたってもほんとうの世界平和は樹立できません。そのような状況下、〝ある民族〟が中心になって地球を一つにまとめる計画が進行しているといわれています。この構想が正しいかどうかは決してにわかに断定できません。こんなことを発言しますと危険人物としてマークされると思いますが、現に日本でも故・湯川秀樹博士が初期の世界連邦運動の日本支部長を引き受けたくらいです。この運動は非常に浸透しており、現在ではほとんど八分どおり成功しているのではないかと見られています。p380

 日本の各界の重鎮が(ワンワールドの)メンバーになっているといっても、日本の国益とはあまり関係しないように見えてなりません。日本人の参加者はわが国の利益を考えているのでしょうか? 世界が一つにまとまって平和になるのはもちろん大歓迎ですが、特定の集団だけが反映するというのは、果たしてほんとうの世界平和と呼べるのでしょうか。各民族、各国家が固有性を保ちながら、お互いに尊重し合うのが本筋ではないでしょうか。
 このような状況下、どのようにして純粋の日本を護っていくかが大きな問題となります。さきほどからお話ししてまいりましたように、日本は皇祖皇宗の神々が天孫をお授けになった国土です。稲穂を伝え、三種の神器を伝え、これを携えて天下った皇孫のかたがたが歴代、日本を守ってこられました。昭和天皇はまだ御健在の折にマッカーサー司令官から盛んにある団体に入会するよう誘われたようです。これには昭和天皇もほどほとお困りになったようです。
 「実はわたしもその団体のことは勉強して多少知っております。たいへんけっこうな組織と思いますが、自分の立場を考慮いたしますとどうも……」
 とうとう最後まで言を左右にして色よい返事をされませんでした。昭和天皇の非常に優れたところではないかと思います。
 昭和天皇を勧誘できなかったことがマッカーサーの一つのミスとなりました。朝鮮戦争のとき、マッカーサーはトルーマン(一八八四~一九七二年)大統領の命令を聞かなかったという表向きの理由で解任されましたが、やはり天皇を入会させられなかったことが更迭の真因ではないでしょうか。天皇が断固とした態度をお示しになりましので日本はたいへん救われたわけです。p.381

 日本は御承知のように建国以来、常に祭政一致のお祭り事をしてきました。神武天皇が畝傍山で初めて御即位されたときにも天神地祇をねんごろにお祭りされています。日本では肇国から現代に至るまで祭政一致の歴史が一貫して行われてきました。
 ただし、大嘗祭は途中で二百年ほどとだえます。やむをえない霊的な因縁ではないかと思います。と申しますのは、中世以降、仏教が猛烈な勢いで日本を占領しており、その汚れがかなり積もってまいりました。それを祓い除くために二百年の歳月を要したのではないかと思われます。やがて勤皇の運動が起こり、倒幕の勢いがとうとう明治維新に発展して初めて廃仏毀釈の大英断が下され、国民は日本の国柄に目覚めたわけです。
 終戦後、また元に戻ってしまったようですが、昭和天皇の霊的な御活躍によって日本人の魂が再び覚醒させられたのは、既に外国の学者が気づいて指摘しております。特にフランスの若い医学博士が賛辞送ってくれました。
 「今、天皇はこうして非常に難渋して夢のように眠っていらっしゃるけれど、これは日本人にとって大きな禊です。これにより日本人の魂が目覚めることは、わたしたちもたいへんうれしく思います」p382

 一部のかたがたは菊理媛のことを白山神社の御祭神ではないかと見ております。また、ある文献には「白山神社の御祭神は伊邪那美命なり」という記録があります。〝白山神社〟の御祭神が菊理媛または伊邪那美命であるという説と、前記①〝白云〟と②〝白すこと有り〟の〝まをす〟との関連を考えてみましょう。
 〝まをす〟という言葉は、その昔、〝白〟という字を使って、〝まをす〟と読ませていました。神職が奏上する祝詞文でも「……白す」という一節があります。
 ①②の〝白す〟は〝白山〟をほのめかしています。白山神社の〝白〟にかけているのです。わたしのこの解釈はこじつけでもなんでもありません。漢字のあやで、その昔、古典でしばしば用いられた表現手法の一つです。ですから、菊理媛は伊邪那美命の分身ということになります。
 伊邪那美命は伊邪那岐命にきつく毒づきましたので、気恥ずかしくてなにも言えなくなりました。そこで自分の分身を出して何かを言わせたわけです。すると、伊邪那岐命からたいそう褒められました。いったい分身(菊理媛)にどのようなことを言わせたのでしょうか?
 「あんなにきつくあなたを口汚くののしりましたが、そうはいってもわたしはあなたとともに修理固成の御神事を進めてきた仲です。言葉の勢いであなたの民を殺すなんて言いましが、決して本心からではありません。これから後は、あなたの民が食べていく物をわたしの身体を犠牲にしてでも提供するつもりです」
 驚くことにこのようにささやきます。そこでこの言葉を聞いた伊邪那岐命が賞賛したわけです。
 「それはよいことを聞かせてもらった。ありがとう」
 伊邪那岐命は安心して橘の小文の阿波那原に向かいます。こういう解釈が成り立ちます。そうして禊の段になり、日向(日向灘)で禊をされます。そのときに神生みをされて、最後に三貴子を生みます。左の目を洗ったときに生まれたのが天照大御神です。
 以上を総合しますと、伊邪那岐命に毒づいたことを悔やみ、内心から反省し、わが身を犠牲にしてまで伊邪那岐命に協力することを衷心から誓ったわけです。p396

 伊邪那岐命のお子様が天照大御神、伊邪那美命のお子様が穀神・穀霊ですが、前者は内宮、後者が外宮として古来、お祭りされてきました。内宮と外宮とが二つにして一つといわれていることや、「伊勢に参らば、まず外宮より先にせよ」と天照大御神がおっしゃったことの意味がここで初めてわかります。古来の内宮・外宮のなぞが解けます。外宮の伊邪那岐命の穀物神・豊宇気毘売神が内宮の天照大御神に毎日、大御饌(おおみけ…お食事)を供える関係もようやく理解できます。ですから神宮の参拝は内宮だけ、あるいは外宮だけ、と片方だけではなく、両方をお参りして初めて意義あるものになります。しかも参拝の順序が、外宮を先に、次に内宮といわれているわけです。
 伊邪那美命の系統、つまり須佐之男命系のユダヤ勢力は経済的に日本と衝突するかもしれませんが、最後は必ず天照大御神(日本)と良好な関係になることを菊理媛の言葉が暗示しています。ユダヤと日本が力を合わせて世界平和に貢献できる日が必ず到来します。間違いないことです。
 伊邪那美命・須佐之男命の系統が大陸系民族で、その筆頭(象徴)がユダヤ民族であるといっても、ユダヤ人には経済的に地球規模で活躍するグループと、イスラエルにいる血統的に純粋なグループとがあります。前者は途中からユダヤ教に改宗した人々です。後者はもともとのユダヤ人です。ユダヤ教徒という観点から見ますと双方ともに紛れもないユダヤ人です。
 前者は経理や経済面では世界に比類がない優秀なかたたちですので、日本があまり貿易などで台頭しますとどうしてもぶつかります。日本は経済的に世界で一番になる必要があるのでしょうか。経済活動や交易は人類生活にとって欠かすことのできない重要な分野ですが、ユダヤ人のいちばん得意とする部門ですので、相手の立場を侵害しないようにしなければなりません。先方に一歩譲れば済むことです。日本は二番手でも三番手でもよいのではないでしょうか。このまま競い合いますと衝突しかありません。
 矛盾するようですが、経済問題でユダヤ人から日本は窮状に追い立てられてますが、同じユダヤ人に救われています。後者のユダヤ人たち(イスラエルの血統的に純粋なユダヤ人)は経済活動よりも、むしろ学問や宗教に生きています。日本民族とユダヤ民族とは宗教的共通点があることに気づいていますので、日本にたいそう好意的な感情を抱いています。これが両民族の救いの道になるはずです。両民族和合への突破口になることは間違いありません。
 「ユダヤ人と日本人は同じ祖先から生まれ出た子孫どうしではないか」と、公然と言うユダヤ人もいます。そのかたがたはなんとかして日本人と手をつなぎたいと接点を求めているのです。日本でも明治時代から日猶同祖論を書いたかたが何人かいるのですが、残念ながらほんとうの神の立場から説いていません。みんな歴史的な立場あるいは思想的な立場、つまり平面史観でしか語っていません。ほんとうの神界・霊界の見方でそういう説を立てたかたがいませんので、ユダヤ人に対していまり説得力がありません。
 現在、イスラエルの大学教授たちはなんとかして日本との類似点の秘密を解明したいと真剣に模索しているそうです。ですからわれわれが手を差し伸べれば、あちらのほうも待っていましたとばかりに手を差し出してくることが考えられます。どちらが大本かということは別にして、日本とユダヤの宗教的共通点をいっしょに探求すれば、その昔、同じ太陽信仰に生きていた兄弟どうしであることが判明するのではないでしょうか。前者のユダヤ人であれ、後者のユダヤ人であれ、ともにユダヤ教を信じるかたがたです。差はありません。生命の最大根拠である宗教のルーツが日本人と同じであることがわかれば、多少の摩擦や利害が仮に存在しても、それを超越して語り合おうという姿勢が生まれてきます。
 折を見てユダヤ民族に共同研究を提案することは、和道として日本民族が当然、行うべき仕事です。皇祖皇宗の神々にお仕えするほんとうの道ではないかと考えます。
 ユダヤ民族(ほかの大陸系民族も含め)だけが反映するのではなく、同じように、日本人だけが興隆するのではなく、全民族が栄える道を探さなくてはいけません。てまえみそのようですが、神道の観点に立ちますと、伊邪那美命(大陸系民族)は伊邪那岐命(日本)にさんざん苦労をかけますが、翻って、自らの分身(穀物霊)を提供して伊邪那岐命(日本)に報いるようになっています。ここで初めて日本も救われ、ユダヤも所を得、世界平和が実現いたします。日本は左脳優位民族のまとめるという特徴を生かし、ユダヤは数理に明るいという長所を活用し、両民族がそれぞれ得意分野で世界に貢献すればよいのです。内宮と外宮が二つにして一つというのは、日本民族とユダヤ民族が二つにして一つということと全く同義語です。p398

転勤や引っ越しをされたかたは、お世話になる産土神がそのつど増えていきます。引っ越しなどしますと、生まれた所の産土神と現在住んでいる土地の産土神の両方にお参りする必要がありますが、現実にはいちいち行かれません。そういうときには自室に座って鎮魂状態に入り、今までにお世話になった各地の産土神を思い浮かべて念じれば、それでじゅうぶんつながります。p.410

死後、魂はいったんに居住地の産土様の幽界(霊界)に入ります。そしてある時期(神無月)になりますと、新たに帰幽した物の魂は産土神に引率され、出雲の幽宮に集められます。そこで生前の倫理や道徳はもちろんのこと、正しい信仰に目覚めていたかどうか、あるいは皇室に貢献があったか、反対に弓を引いたかなどの神判を受けます。それによって落ち着く先の幽界(霊界)が決定します。通常の場合、正しい宗教を得て正しい人生を送った者は、めでたく産土幽界に霊魂生活の場を与えられます。あるいはそのなかでも特に優れたかたは、もっと上位の霊界に行く場合もあります。p413

 日本の神社界も一時期、仏教に乗っ取られていました。その昔、皇室すら率先して仏教に入られましたから、やむをえない事情があったわけです。それをなんとかして奪い返そうとして明治に廃仏毀釈運動が起こりました。明治の改革が起こる前までは宮中のなかに真言院という真言宗の道場があり、「皇室といえども、言うことを聞かないと命を短くするぞ」と脅すくらいの大胆不敵なことを奥の院でやっていたわけです。p423

相曾は「明治天皇が考案された教育勅語はすばらしい内容です。教育勅語は祝詞と同様の効果があり、教育勅語のおかげで神様からお示しをちょうだいするかたが続出しています」と、日本の徳目教育に教育勅語を採用することをかねてから提唱していました。p436
79:馬之助:

2012/10/26 (Fri) 23:30:53

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

相曾誠成
著『サニワと大祓詞の神髄』の引用に感謝します。面白い内容です。

>伊邪那岐命が黄泉で伊邪那美命から暴言を浴びたり、挑発されたりしますが、ひたすら退却して難を逃れました。同じレベルになって争ってはいけません。きびすを返して退却するのが最上の策です。p.47


やっぱ、これが日本の正当ですよね。最近、ネット上では、数々の暴言を目にしますが、嫌な感じというか、違和感を強く感じていました。それって、やっぱり日本的ではないですよね。納得です。同じレベルになって、争いたくはないものです。さっさときびすを返すことにします。

>世上では天孫降臨の趣旨を曲解し、天孫系が出雲系を追いやったというふうな解釈が主流になっています。〝安国と平らけくしろしめせ〟という天上界の御命令は、武力に訴えてでもまつろわない者を服従させろと要ったり、強引に領土を奪えと鼓舞しているのでは全くありません。そんな乱暴な思想は御神勅には一言半句も伝えられておりません。『古事記』『日本書紀』『風土記』『古語拾遺』『延喜式』などの古典には、腕力で国土や物をかすめ取ったり、相手の立場を脅かしたりする教えはありません。ところが帰化系の学者たちがねじ曲げて受け取り、攻撃的な文章に書き直したり、あるいは見当違いの解説を加えたりしているわけです。全くでたらめです。p.350

これは、リトマス試験紙になりますね。この辺りも常々違和感を持つところでした。「ところが帰化系の学者たちがねじ曲げて受け取り、攻撃的な文章に書き直したり、あるいは見当違いの解説を加えたりしているわけです。全くでたらめです。」こういう表現は痛快です。また、こう強く断言できるところが凄いと思うし、そう断言させるものを私も持ちたいと願っています。これって、理屈じゃないですよね。理屈を寄せ付けない力強さがあります。この辺りの強さが、「所謂唯物論者には縁の無い」ところでしょうか。まあ、「畏怖」という感性を持たない唯物論者は元来必要のないものかも知れませんが…。


>『サニワと大祓詞の神髄』は『波動性の科学』以上に、古事記に関心のある読者には貴重な書籍だと思いました。同書を紐解くことによって古事記の素晴らしさがよく分かる本だと思います。

現在、『波動性科学入門』から、電気と磁気の本、さらに『波動性科学』へと進んでいます。ところが四番目の子どもが修学旅行で、これをチャンスとばかりに家内は私を捨てて、二番目の子どもの元に走っています。四年生なので、学生生活も最後で、そのまま就職して親元を離れることになっているので…。私も英気が養えると思っていたのですが、帰宅時間が遅いこともあって、なにかと不自由しています。もう修学旅行も終わるので、『悟霊の法』まで大橋正雄氏の本は読んでおこうと思っています。その後、佐藤愛子著『私の遺言』で相曾誠成氏の人となりを摑んで、
『サニワと大祓詞の神髄』へと続きたいと考えています。なんだか、楽しい秋になりそうです。といっても、年々秋の気配はなくなっていますが…。佐藤愛子さんの北海道の別荘の怪奇現象は知っていたのですが、それが相曾誠成氏に繋がっていくとは、興味シンシンです。この怪奇現象の元は相当強烈だとかという話を聞いたことがあります。
78:サムライ:

2012/10/23 (Tue) 17:03:14

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、こんにちは


> 生命体は生体(肉体)と命体(霊魂)とでできている

それと関連して、「まほろば会」のスレッドでも紹介した『サニワと大祓詞の神髄』を読了しましたが、同書は人間を超えた存在について述べた書であり、所謂唯物論者には縁の無い書物だとつくづく思いました。また、まほろば会における天童さんの「大祓詞」を、オト(音)すなわち言霊の観点で解説した最終章、これには大いに啓発されました。以下は同書から印象に残った行を抜き書きしたものであり、同書の概要を掴んで戴く意味で少し長くなりますが以下に転記しておきます。

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相曾誠成

『サニワと大祓詞の神髄』

「大学に行くのはよしなさい。君の研究もわたしのと同様で天孫降臨を扱っている。学界から総すかんを食うぞ。伸びようと思っても芽をつまれるだけだ。入学するのは自殺行為に等しいから…」p.34

 物心ついたころにはなんの抵抗もなく、目に見えない世界になじんでいました。そのせいか、じゃんけんで負けたことがありません。相手の手の内がみんな読めたからです。百戦百勝ですから最後にはとうとう仲間外れです。p.40

幣原は白鳥の発案であることを極秘にし、戦争放棄の案をGHQに提出します。この秘話を知っているのはほんの数人だけです。戦争放棄は進駐軍から押し付けられたと世間一般では考えられていますが、実は白鳥敏夫の発案だったのです。p.46

伊邪那岐命が黄泉で伊邪那美命から暴言を浴びたり、挑発されたりしますが、ひたすら退却して難を逃れました。同じレベルになって争ってはいけません。きびすを返して退却するのが最上の策です。p.47

平泉清の天孫降臨説は平面史観でした。平面史観ですと、いくら国体の淵源を力んで説明しても、天皇陛下の祖先は大陸から渡ってきたことになってしまいます。立体史観ですと『古事記』にあるとおり、天皇は高天原からお下りになった神様ということになり、初めて天皇の尊厳性も揺るぎないものになります。p.53

隠岐産の黒曜石は日本海を越えたロシア沿岸州ウラジオストック、ナホトカ周辺の一万年以上前の古代遺跡から発見されています。p.56

一語一語に気をつけ、意識しながら発言するとかなり変わることが出来ます。p.95

わたしには背後にいらっしゃる白髪の老人がだれかはわかっていますが、口外するわけにはまいりません。たいへん高貴な神様ということだけは確かです。 p.96

すなおな気持ちで、あるがままに物事をみるので、このような体験ができたのではないかと思います。悪いほうに疑いを持たないことです。まだまだ精進が足りないという気持ちでいますと、ますます神の世界に深く参入できます。p.97

『古事記』には古神道の秘伝(神法や行法など)が散見されますが、目が節穴ですと見逃します。p.101

質問 『古事記』を音読するのは正しい神道の修行でしょうか。そうしていると、天狗界に干渉される余地がなくなるのでしょうか。
回答 そうです。『古事記』を真剣に何回も読み、夢の中でも暗唱できるようになれば大したものです。『古事記』のなかにはさまざまな御神法が形を変えて伝えられています。それを直感的、霊感的に感じられるようになれば、もうりっぱなものです。せっかく貴重な古伝が含まれているのですから、見逃すのはもったいない話です。実は、わたしは『古事記』からずいぶんたくさんの神法を教わっています。p.102

正神界の名をかってに使いますと大変なおとがめを受けます。その厳しさや恐ろしさを天狗界(動物霊も含む)も先刻承知ですので、正神界の神名そのままを名のることはほとんどありません。ほんのちょっぴり変え、非常に似つかわしい名前を用います。p.136


稲というものは高次元世界、つまり高天原という空間から三次元世界にもたらされた天上界の生き物なのです。高天原から降ろされた神です。ですから外宮でも神として祭っているわけです。今、米食が減少傾向にありますが、稲は高天原から与えられた人類の主食であるという観点見直し、米穀店はもっと奮起してもらいたいものです。
稲は高天原から来た神の分魂です。ですからこそ、天皇御自ら水田をお作りになり、収穫された米を神々にお供えされているのです。p.172

スラヴィク博士の研究により、インドやペルシャ、ギリシャ、エジプトなどの遺跡から牛角神をかたどった物がたくさん出土したことと、須佐之男命との関連が浮き彫りになってきたのです。p.202

宗像大社 p.217

重力や磁場、核力などの回転運動の中心となる本質を物理学的には〝磁場〟や〝重力〟といいますが、筆者はあえて〝慈場〟や〝慈気〟と表現しています。太陽系宇宙の回転運動が成り立っていますが、これは神道の面から見ますと、とりもなおさず、太陽神の慈しみの心(慈気)に引き寄せられて回転運動をしているからです。p.229

このようなこと(天孫降臨に)を考古学的、科学的、神話学的、血液学的に研究してみますと、ますます興趣が尽きません。とことんまで究明し、日本の国柄や祖先のこと、あるいは大陸系文化と日本文化との相関関係などを突き止め、徹底的に調べたうえで、やはり日本はいちばん古い国だとか、あるいは全くの見当違いだったとか、最終的な結論を下せばよいのです。
 研究や努力もしないで「日本人は天上界から降臨してきた」と強弁しても、にわかには信じ難いかもしれません。p.276

富士山の上空に富士神界があります。今後の世界の岩戸開きなどの議題を天照大御神が中心になり、多くの神々か協議されています。年に何回も会議が開かれます。p.277

昭和天皇がたいへん霊能に恵まれておられたというのは周知の事実です。昭和十九年、今上陛下がまだ学習院の小学生ぐらいのときのことです。栃木県にある那須の御用邸に疎開しておられた皇太子に陛下からお手紙が届きました。
 「この戦争は非常に難しいが、最善を尽くし、且つ神力をよにりどころにして難局を乗り切ろうと思う」
陛下のお手紙に〝神力〟というお言葉が書かれていました。このような御表現をなされるということは、それなりの御体験やお力がなくてはとうていできません。神様を熱心にお祭りしているかたなら、少しでもなまはんかなことを口にしますと大変なおとがめを受けることを承知しています。いいかげんなお言葉ではないことは確かです。p.290

「表面的な判断で批判するのをやめ、みんなで助け合い、かばい合い、思い合ってこそ、日本はこれからの難局に対処していけるのではないでしょうか。わたしにできることがあれば御協力を惜しみませんから、なるべく悪口を言わないようにしましょう。泣くな、怒るな、争うなの精神でいきませんか」p.298

朝鮮半島からの帰化人たちは牛頭天王として須佐之男命を日本で祭り、国じゅうに広めます。全国津々浦々に天王様のほこらが作られ、後に八幡神社と合体しました。こうして八幡様に天王様のお祭りが潜り込みました。p.293

災難を避けるには、常日頃から産土様に密着していなければなりません。そうすればいくら危うい宿命を持っていても、どこかで産土様が霊的なヒントを与えてくれるはずです。<なんとなく気が進まない>と潜在意識で感じるのも産土様のりっぱなお示しの一つです。
 自身の健康や経済的な安定、家族の幸福などを願うのに遠慮は要りません。なにも指をくわえて見ている必要はありません。大いに求めてけっこうです。それにはフトマニを活用します。フトマニとは数の組み合わせによって姓名数や未来の吉凶を占う方法のことです。p.303

天皇もわれわれ国民も台頭であると喧伝するのが共産党です。確かに生理学的には陛下も国民も同じです。肉体的には全く変わりはありません。ただ、霊性といいますか、魂の観点から見ますと、天皇と国民とでは雲泥の差があります。血統以前に霊統というものが厳然と存在しているからです。霊的なつながりは非常にたいせつなものです。p.308

質問 しつこいようですが産土様についてもう一度お伺いします。わたしの家は奈良にありますが、生まれたのは大阪の病院です。生まれてすぐに奈良の実家に戻り、家の都合で三ヶ月後に再度、一家で大阪に引っ越しました。そういう場合はどちらがほんとうの産土様になるのでしょうか。
回答 生まれたのが大阪の病院でしたら病院の所在地を担当する産土様があなたの産土神になります。p.330

質問 空海をねじ伏せると反発があるから直言を避けるのですか。
回答 そうではありません。相手の感情を逆なでしないのが神道の基本精神だからです。p.332

太陽光線の医学的、霊的な恩恵につきましては全く筆者の主張するとおりです。太陽光線の健康面での恩恵(カルシウムの吸収など)の霊的な作用(日拝鎮魂法)をこれほどまで具体的に明らかにしたのは筆者が初めてです。p.339

世上では天孫降臨の趣旨を曲解し、天孫系が出雲系を追いやったというふうな解釈が主流になっています。〝安国と平らけくしろしめせ〟という天上界の御命令は、武力に訴えてでもまつろわない者を服従させろと要ったり、強引に領土を奪えと鼓舞しているのでは全くありません。そんな乱暴な思想は御神勅には一言半句も伝えられておりません。『古事記』『日本書紀』『風土記』『古語拾遺』『延喜式』などの古典には、腕力で国土や物をかすめ取ったり、相手の立場を脅かしたりする教えはありません。ところが帰化系の学者たちがねじ曲げて受け取り、攻撃的な文章に書き直したり、あるいは見当違いの解説を加えたりしているわけです。全くでたらめです。p.350
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> 『光悦』や『古事記』を深く理解するにはうってつけの書

『サニワと大祓詞の神髄』は『波動性の科学』以上に、古事記に関心のある読者には貴重な書籍だと思いました。同書を紐解くことによって古事記の素晴らしさがよく分かる本だと思います。


追伸
ミリオン出版から出た斎藤充功著『フルベッキ群像写真と明治天皇すり替え説のトリック』にサーッと目を通してみました。小生のブログ【舎人学校】に載せた、慶応の高橋先生の記事も紹介されていました。フルベッキ群像写真に写る明治天皇とされる若武者は、明治天皇の大室寅之祐でもなければ、堀川御所にお隠れになった睦仁親王でもないことがはっきりしました。斎藤氏は後書きに「天皇の写真一枚にも近代史を揺るがす秘密が隠されているのかもしれない。次の取材テーマは“天皇写真の謎を追う”と決めている」と書いており、落合さんが近い将来執筆するであろう「堀川政略」と、どのような共鳴現象を起こすのか今から楽しみです。
77:馬之助:

2012/10/18 (Thu) 22:54:31

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>栗原氏とは深い交流のあった藤井尚治氏のことを思い出すと良いかもしれません。藤井さんがノーベル賞選考委員を引き受けたのも、ノーベル賞選考委員会の正体を知っていたからこそであり、ノーベル賞選考委員という〝餌〟で藤井さんを囲おうと思った敵も、後で臍を噬んだことでしょう。

そっちのほうでしたか。何とかして、山中伸弥氏のiPS細胞を取り込んで金儲けに利用したい訳ですか。まだ、変化は遠い先のことなのでしょうか。

>同氏の『波動性科学入門』は3回ほど読みましたし、沢山書き込みを入れました。↑はその一例です(『波動性科学入門』p.32-33)。

この『波動性科学入門』p.32-33というのは、面白い箇所ですね。電磁波の媒質を「虚質」と仮定することで、宇宙の主だった現象を一元的に説明してしまうのですから…。この仮定の置き方、論の展開のスピード感が堪りません。

大橋正雄氏の本は確かにスルメで、じっくり腰を落ち着けて読むしかなく、引用しても誤解される向きが出そうなので躊躇われますが、あとがきにつぎのような言葉があります。先に用語を説明すると本文にこうあります。「生命体という言葉はあるが、命体という言葉は使われていない。筆者は生命体は生体(肉体)と命体(霊魂)とでできていると考えている。」(p201 傍点は省略)

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 物質科学は物質(肉体)の科学であり、欲望の科学であるが、波動性科学は現象(命体)の科学であり、神・仏の心の科学なのである。この仮説は筆者の作ではなく、神・仏の啓示によるものであることを認識していただきたい。したがって、波動性科学を物質科学と同列に考え、私利私欲にこだわると、原爆に象徴されるように人間の幸せにはつながらない。
 波動性科学が具体的に人類に寄与するのは原子波(≒重力)の発見であろう。このエネルギーは生命エネルギーであり、神・仏のエネルギーでもある。今まで重力の本質を示されなかったのは、物質的考え方のもとにおいては人類を破滅に導く恐れがあったからであろう。原子波は無限の可能性を秘めている。どうか原子波を人類の幸せのために役立てて欲しい。(傍点は省略)
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『光悦』や『古事記』を深く理解するにはうってつけの書ですが、この波動性科学の考えを推し進めると、HAARPに行き着くのではないかと妄想を逞しくしてしまいました。また、放射能を無力化することも可能になるのではないかと…。だから引用した文章に「原子波は無限の可能性を秘めている。どうか原子波を人類の幸せのために役立てて欲しい」とあるのでしょう。

>『みち』で、藤原さんが「世界情報分析」でヒントを呈示しています。

中国は虎視眈々と米国に代わる覇権の地位を狙っているということですね。日米の距離を広げようとし、それに周辺国を巻き込もうとしているのですか。それにしても、米国も中国も経済の実態は不透明で不気味ですね。藤原氏の記事で、小沢氏が「私は人民解放軍の野戦軍司令官」と公言しているというのにドキリとしましたが、同時に「小沢氏、定例会見にて福島県民の数百万人移住に触れる」などの発言から、なるほどとも思いました。
76:サムライ:

2012/10/15 (Mon) 14:57:11

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1350280631.jpg 馬之助さん、こんにちは

食あたりとは大変でしたね。食べ物と言えば、藤原(源太郎)さんを中心とするまほろば会でも、直来(なおらい)に出された食べ物は、一つ残さずに食べるというのが決まりのようで、残りを全て平らげるのは参加者の中で一番若い人の役目となっており、前回(9月)は30代の男性が残り物を食べていましたが、流石に極真空手で鍛えているだけあってペロリと平らげていました。


> ーベル賞を受賞するとは、本当にどういうことなのでしょうか?

栗原氏とは深い交流のあった藤井尚治氏のことを思い出すと良いかもしれません。藤井さんがノーベル賞選考委員を引き受けたのも、ノーベル賞選考委員会の正体を知っていたからこそであり、ノーベル賞選考委員という〝餌〟で藤井さんを囲おうと思った敵も、後で臍を噬んだことでしょう。その藤井さんを利用して「俺もノーベル賞で一山当てよう」という山師がまとわりついたという話も、栗原さんから聞き及んでいます。その意味で、ノーベル賞受賞の山中教授の流れに乗り、『iPS心筋移植』騒動を起こした森口某氏も、典型的な山師(詐欺師)と言えるでしょう。このあたりの詳細は、栗原さん本人に会って直接聞き出すと良いと思います。


> IMFの総会が日本で行なわれたこと

本日発売の『みち』で、藤原さんが「世界情報分析」でヒントを呈示しています。

さて、大橋正雄氏の本はスルメのようで、なかなか歯ごたえがあるのではないでしょうか。同氏の『波動性科学入門』は3回ほど読みましたし、沢山書き込みを入れました。↑はその一例です(『波動性科学入門』p.32-33)。小生の場合、電子部品メーカーに入社した際、機械屋だった小生には電気は専門外だったので、松下電器が出している以下の本で電磁気について独学しましたが、今では懐かしい想い出です。
『電気基礎講座2 プログラム学習による基礎電気工学 磁気・静電気編』(松下電器工学院)

ところで、『尖閣諸島売ります』(栗原弘行著 廣済堂出版)という本が出版されたのをご存じでしょうか。同書を読み、何故東京都から国へ売却先を変えたのかといったあたりは歯切れが悪く、栗原氏は国家権力云々と書いているのみであり、これをもっと明確に書くべきだったのではないかと思った次第です。それから、印税は公に寄付すると書いてありましたが、寄付先が特定非営利活動法人セキ・キュア・アソシエイトとのことで、これは栗原弘行氏自身の組織なので、どうも素直に栗原氏の寄付行為に賛同できません。

それから、『怖い噂』の今月号(Vol.15)に「西郷隆盛の写真をめぐるミステリー」という記事が出たという、慶応の高橋(信一)先生から連絡があり、アマゾンから取り寄せてみました。これは加治将一氏という作家の『西郷の貌』を徹底的に批判したものです。

そして同記事以外に「天皇陛下はなぜ火葬の意向を示されたのか?」といった興味深い皇室関連の記事が数本ありましたが、どれも読み応えルある記事でした。どうも例によって宮内庁が勝手に暴走したようです。そのあたり、一連の記事で暴露されています。
75:馬之助:

2012/10/13 (Sat) 21:43:36

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サムライさん、こんばんは。

子どもが、食べ残していた生クリームのショートケーキを、勿体ないと食べると、食あたりを起こしたようで、数日悶絶していましたので、書き込みが開いてしまいました。

>今回、京大の山中伸弥がiPS細胞でノーベル賞を取れなかったのは、iPS細胞の特許を取得せず、誰にも自由にiPS細胞技術を使えるようにしたためである。

倫理面での問題を抱えた受精卵由来のES細胞から皮膚細胞由来のiPS細胞への変換といい、分化したものを未分化な状態に戻しての万能機能獲得といい、特許の商業的な独占を排して研究活動には自由にその技術を使えるようにしているところといい、古事記を読んでいる私には、「またかへりくだりて、あらためいへとのりたまいき」の世界だと思いました。サムライさんの言われるように、「一神教に代表される浅はかなコスモポリタンの考え方」に反して、言われるままあらためたものが、ノーベル賞を受賞するとは、本当にどういうことなのでしょうか?なにが、どう変化しているのでしょうか?是非、栗原氏にお会いした節には、問いただしてみて欲しいところです。

もう一つ気になるのが、IMFの総会が日本で行なわれたことです。競い争うものの象徴のようなIMFが、競わず争わずの国日本で総会をするということは、どういうことでしょうか?これも、私には、「またかへりくだりて、あらためいへとのりたまいき」の世界だと思えてしまうのですが…。しかも、覇権の道を歩くように見える、今でも競い争う中国が欠席というのも、意味深いものを感じます。こちらも、是非、栗原氏にお会いした節には、問いただしてみて欲しいところです。

ご紹介の大橋正雄氏の『波動性科学』、『波動性科学入門』から先に読んでいるのですが、論の展開のスピードといいその既成のものを寄せ付けない飛躍力といい、快感を覚えます。そこにこの腹痛ですから、私はしばらくペースダウンです。しかし、おかげで『光悦』の理解が深まりそうです。
74:サムライ:

2012/10/09 (Tue) 04:33:06

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、おはようございます。



> 一方、本物の武士(もののふ)というのは、意の世界

その意の世界を体現しているのが天童さんであり、そのあたりは以下のスレッドのNo.3のtantanさんの発言からも窺い知ることができます。
http://michi2672.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=4090130


また、このたびノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥・京大教授も意の人だと思います。


栗原氏が年前に山中教授がノーベル賞を受賞するだろうと断言していながら、結局受賞できなかったので、後日(2011年10月8日の舎人学校)その訳を問いただしてみたことがあります。以下のような回答でした。

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・今回、京大の山中伸弥がiPS細胞でノーベル賞を取れなかったのは、iPS細胞の特許を取得せず、誰にも自由にiPS細胞技術を使えるようにしたためである。
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また、同氏にお会いする機会があれば、それなら何故今回の受賞につながったのか、さらに問いただしてみるつもりです。

ここで、「特許をとれば大儲けできただろうに」と思うのは、一神教に代表される浅はかなコスモポリタンの考え方。

ともあれ、iPS細胞は無限の可能性を秘めていると思うし、今後も精力的に調べていきたいと思います。
73:馬之助:

2012/10/05 (Fri) 22:18:01

host:*.bbtec.net

サムライさん、こんばんは。

>栗原さんは大橋正雄と交流があったことから、同氏の『波動性科学』に強い影響を受けていることが分かります。

早速、手配しました。情報に感謝。

>しかし、そうした目に見える“占領”以上に、戦後は極一握りを除いて本物の武士(もののふ)が居なくなったほうが痛いと思います。

栗原氏の文章のあちこちに、個人情報は扱わないとか、個人にそんなに大きなことはできない、といった言い回しが出て来ます。知・情・意という観点で見ると、個人情報は知と情で回っているようで、情には情報も含まれるというわけですね。したがって、ネットの世界は花盛りということでしょうか?いくらうまく行った、成功したといっても、個人情報は所詮、知と情の世界、「みこひるこをうみたまひき」という訳ですから、いずれは「あしふねにいれてながしすてつ」するばかり。ということは、第二次河豚計画というのは、「あはしま」ということでしょうか?ユダヤ人は「あはしま」の用意があるにしても、国内勢力の「ひるこ」の行き場所は、どこなのでしょうか?やはり「あしふねにいれてながしすてつ」ということになるのでしょか?それにしても近年、確かに「本物の武士(もののふ)が居なくなった」とはいうものの、「ひるこ」がその姿を無惨にも晒し始めたようにも思えます。「ひるこ」であることを自慢げに、ことあげする風潮すらある。サムライさんが言うように、待っていれば、向こうの方から崩壊して行くのでしょう。一方、本物の武士(もののふ)というのは、意の世界なのですね。私がそうだとは言えないものの、なんとなくその辺に理解が及ぶようにはなったようです。神計りのなかで、与えられた仕事を使命とばかりに坦々とこなしていく。

ただ、痛くはないのではないかと、希望的観測はしています。原日本人は危機的状況になれば、個人情報としてではなく、武士(もののふ)として、意に突き動かされるままに突き動いていくように感じています。それにはそれ相当の危機は必要のようで、その方が痛いと思うのですが、それも「あしふねにいれてながしすてつ」よりかは、まだしもというところでしょうか。そこで問われて来るのが、本籍ということになって行くのでしょうか?私は、本籍には確証がありませんが、今は、その時になったら顕われて来るものがあるだろうから、それを見届けていよう、という気持ちにはなっています。

なんだか、その気配を感じるような今日この頃です。「古事記」に惹かれるのも、神計りの顕われでしょう。
72:サムライ:

2012/10/03 (Wed) 06:35:56

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1349213756.gif 馬之助さん、

急ぎ『光悦』をPDF化して一般公開してから後、本来ならプリントして精読したいところ、本業の他に天童さんから角田儒郎さんによる三部シリーズ最終本の校正依頼も加わったため、13日までは『光悦』を読めそうにありません。よって、『光悦』の読後感はもう暫くお待ちください。

角田さんの最終稿は東京国際軍事裁判が主テーマであり、日本を焦土化した以上に戦前戦中の日本人が持っていた“良さ”を失わせ、今日もその後遺症を日本に置き土産として残したマッカーサーの“業績”を知るにつれ、改めてマッカーサーが深謀遠慮をもって日本を占領してきたこがよく分かりました。それにしても、「東京国際軍事裁判の実態」は最近まで『みち』に連載されていたものですが、こうして一冊の本にまとまった形になると、連載時には気がつかなかった“東京国際軍事裁判”の実態も浮かび上がったのは収穫でした。


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天童氏の以下の記述は、古事記を想起させますし、栗原氏のいう「家督に歴史的な誇りを取り戻せば済むわけである」ということを別の言葉で言っているように感じられます。また、それが言葉そのものの中に備わっているものであるならば、こんな力強いものはないし、まさに、「骨身に染みて分かっている」ですし、「家督に歴史的な誇りを取り戻せば済むわけである」という言葉に納得出来ます。
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「家督に歴史的な誇りを取り戻す」きっかけとなり得るのが、角田さんの三部作であり、また、孫崎さんの『戦後史の正体』だと思います。1952年(昭和27年)4月28日に日本は主権を“回復”してGHQの占領が一応は終わったことにになっていますが、日米安全保障条約に基づいた在日米軍が今日に至っても残っているし、オスプレイが沖縄に強行配備されたあたりにも、未だに日本は占領されていることが一目瞭然です。しかし、そうした目に見える“占領”以上に、戦後は極一握りを除いて本物の武士(もののふ)が居なくなったほうが痛いと思います。

そうした一握りの武士の一人に、天童さんと交流のある在鎌倉の『みち』の読者Zさんがいます。GHQ占領時代に発禁になった書籍を独りで蒐集しておられる方であり(GHQ焚書図書は七千冊を上回った)、池袋の『みち』編集部で発禁本を網羅した本を見たことがありますが、その本を見れば占領軍の意図が朧気ながら分かります。その意味で昔日の日本の良さの“面影”を残している発禁本の蒐集という行為は、正に公の行為だと思いました

> 太陽系、電磁力や元素の周期

小生も『光悦』を同じような観点で読み進めていくつもりです。栗原さんは大橋正雄と交流があったことから、同氏の『波動性科学』に強い影響を受けていることが分かります。小生も同書を読んでいますが、大宇宙から素粒子に至るまで繋がっているという同書のテーマは雄大でした。今回アップした画像データ(↑)は、「ものの大きさと電磁波の波長」(岩波書店『科学の事典』)からです。
71:馬之助:

2012/10/01 (Mon) 23:25:36

host:*.bbtec.net

サムライさん、こんばんは。

 栗原氏はその著『光悦』の序(p3)で、以下のように述べられています。現在の日本の問題とその解を短く纏められた秀逸な一文だと思います。

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……最大の悲劇は日本人に成り済ました外つ国の勢力が政官業言へ巣くうようになり、もはや有力なポストは日本文明と無縁のコスモポリタンを主流に人事が決められ、是のただよへる祖國を修理り固め成すには、再び古事記三巻の成り立ちに宿る日本の文明文化を掘り興すほかない。すなわち、本義の日本人であれば、古来その使命感は克己自立が信条ゆえ、現代デフォルト系ガバナンスの如き邪神に操られるなんぞは、有り得ない話で家督に歴史的な誇りを取り戻せば済むわけである。
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私は、朝の散歩時の古事記の朗読が「みとのまぐはひ」の段に差しかかっているのですが、それだからでしょか、上記の問題も、米国も中国も、「みこひるこ」や「あはしま」に思えてなりません。そればかりか、自らの生業も含め現代は生存の動機を「みこひるこ」に求め、それを正当化することに狂気しているように感じます。だから今現在は、「またかえりくだりて、あらためいへ」だと思うのです。最初に「おみなをことさきだちしによりてふさはづ」なのですから、それより他ないように感じています。栗原氏の文に「古来その使命感は克己自立が信条」とありますが、自立の前にしっかりと克己とあるのが重大な要素だと思うのですが、この部分は現代では、一番理解しにくいところだと思います。私は、自立の前に克己があるということは、自力本願から他力本願への移行だと思うのですが、これも現代では理解しにくいというか、誤って取ることに狂気しているようにも思えるのです。

天童氏の以下の記述は、古事記を想起させますし、栗原氏のいう「家督に歴史的な誇りを取り戻せば済むわけである」ということを別の言葉で言っているように感じられます。また、それが言葉そのものの中に備わっているものであるならば、こんな力強いものはないし、まさに、「骨身に染みて分かっている」ですし、「家督に歴史的な誇りを取り戻せば済むわけである」という言葉に納得出来ます。

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 一音語では、すべての言葉がもともと意味のある一つひとつの音から成り立っていて、複数の音からなる言葉もそれを構成するもとの一音一音の意味を残して影響を受けている。それらが複合総合されて新しい意味が出て来るのだ。
 ここで新しい言葉として「一音語」を提案したい。「一音語」を一つの音からなる一単語という意味に止まらず、言語が総体として語源的に一音の言葉から成り立つ、すなわち言語の重大な特徴を謂う意味をも敷衍できるようにしたいのである。
 幸運にも[言霊の幸はふ国]に生まれ合わせた日本人は、言葉が文字である以前に「音」であることを、骨身に染みて分かっている。ひとつの言葉はもともとそれぞれ相異なる香りと勢いと風格を持っていた痕跡を、われわれはかすかに記憶している。
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確か、盤珪禅師の言葉のように記憶しているのですが、「仏となりて七世の父母・六親眷属、その外一切衆生あまねく救ふべしと願を立つべき也。ただ身ひとりのためを思いて、心せばくあるまじきことにて候。我を、とりわき、ぬし(主)にして、法界草木までも、わが身と同じ物と信ぜぬはわろく候」というのがありますが、仏教では、最後は「信じる」ということになってしまうのですよね。古代日本では、その先は語らなくてもよくて、単純に皆信じれたように思うのです。

今回、『光悦』を読んでみ、先の時代は信じることが困難になると見通して、信じるという部分を「公」としてのはたらきとして、太陽系、電磁力や元素の周期のなかにみることによって、信じなくても「そうだから、そうなんだ」と大から小まで自然界ではまさに自然にはたらくもの、だから言葉も当然そうだといっているように感じました。「公」というすべてに共通した波が、ことばをも作っているということには、感謝しても感謝し足りないように思います。さらにじっくりと読んで、確固としたものにして行きたいものです。
70:サムライ:

2012/09/27 (Thu) 16:18:19

host:*.t-com.ne.jp
最初に皆様、『光悦作の茶碗が語る秘史』(栗原茂著)を以下にアップしました。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/toneri/koetsu/

今回アップしたPDFファイルは、未だ完成された原稿ではありません。今後不定期ですが、書き加えや訂正があった場合に、都度新たなPDFファイルをアップしていきます。


馬之助さん、ペトログラフについては良く分かりませんが、調査していくとシュメールに行き着くというあたり、興味がわきます。何処かでサンカと繋がりそうな気がしますが、機会があれば日本ではサンカ研究の第一人者である、落合莞爾さんに直接聞いてみたいと思います。

また、馬之助さんは竹内文書について言及されていましたが、『竹内文書』(高坂和導著 徳間書店)が手許にあり、機会があれば再読してみたいと思います。また、『みち』の関係者がお世話になっている成甲書房でも、布施泰和氏が著した『竹内文書の謎を解く』がシリーズで刊行されており、こちらも機会があれば目を通してみたいと思います。

この機会に、今年の2月頃に飯山さんの掲示板で公開した、天童さんのシュメールに関する記事を以下に再掲しておきましょう。


138:サムライ: 2012/02/21 (Tue) 16:35:05

---------中略--------
__________
今、アメリカ・カナダ・イギリスなど世界各国で、音楽チャートのトップを飾る日本語の歌のCDがある。由紀さおりの「1969」。昨年末、アメリカのジャズオーケストラ「ピンク・マルティーニ」と共演したアルバムだ。坂本九の「SUKIYAKI]以来の異例の快挙となるのではと注目されるのが、“日本語で”歌った曲が、海外の人々に受け入れられたという点だ。これまで、由紀さんが童謡や唱歌などを歌い続けることで培ってきた“日本語の歌”には、母音の使い方・イントネーション・発声方法など、世界でも稀に見る独特の“美しさ”があると見直されている。番組では、専門家による様々なアプローチで由紀さんの“日本語の”歌声を分析。世界中の人々の心をとらえる、日本語の響きと日本語の繊細な世界を、今改めて考える。
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数日前、同じ天童氏「ツラン魂は健在なり」という別の記事を、6年前の『みち』のバックナンバーで読みました。一読して目から鱗が落ちるおもいでした。

・ツラン民族とはシュメール人の末裔(メソポタミアを逐われてユーラシア中央の大平原へと移動定着したとされる「シュメール系諸民族の子孫」とは、つまり「遊牧騎馬民族」なのである)。
・シュメール語は言霊の言語(…もっとも望ましいのは、表意文字を母国語として書くことに慣れていること、そしてシュメール語が膠着語であるとするなら(確かにそうなのだが)、母国語が膠着語であること、この二点を満たす学者なのである。そうすると、思わざる見落しがあるやも知れないが、ざっと見渡した限りでは、この二つの条件を満たすのは、日本人しかいないのではないかと思われる。さらに、日本人をしてシュメール語の研究へと向かわせる特徴がこの古代言語には存在する。それはシュメール語が「言霊」の言語だったという特徴である…)

ここで、シュメール語が言霊の言語であるという記述から、咄嗟にシャーマン、さらにはツランの頂点に立つ神格シャーマン(天皇)にまで連想が及ぶことでしょう。

ところで、「言霊の言語」とは一体全体どのような言語か…。これについては天童氏の主張する「一音語」を明確に理解することが必要です。以下の天童氏の記事を参照してください。

__________
●さらに、日本人をしてシュメール語の研究へと向かわせる特徴がこの古代言語には存在する。それはシュメール語が「言霊」の言語だったという特徴である。
 まず、クレイマーはシュメール語が印欧語やセム語などのような屈折語ではなく膠着語であると認めて、膠着語のトルコ語やハンガリー語また数種のコーカサス系言語との少なからざる類似を指摘している。
 それはシュメール語の言語としての独自性とシュメール文字の存在を抹殺しようとしたヨセフ・ハレヴィの暴論が学会を攪乱してから半世紀以上の時間を経て、ようやく同じユダヤ人自身の専門学者がその暴論を正したという意味があることに注目しなければならない。佞論久しからずとは、この一事をもって知るべし。
 その後にクレイマーの指摘する重大なこと、それがシュメール語はもともと一音語から構成されて出来上がった言語だという特徴である。
 それはほんの序でに関説したという按配で、クレイマーも自分でもその重大性にまったく気づいていない。だが、それは取りも直さずシュメール語が「言霊」の言語であると認めるのと同じ重大な指摘と考えるべきである。
 ある言語が本質的に独立した意味をもつ一音一音から構成されているなどと言っても、表音文字体系を是とする連中には、何の意味もないことであろう。もちろん、表音文字体系の言語においても、単語としての一音語は存在する。英語でのa(一つの、ある)とか、フランス語のy(そこに)などの単語がそれである。だが、その数は非常に乏しく、各言語に一つか二つあるだけであろう。
 一音語では、すべての言葉がもともと意味のある一つひとつの音から成り立っていて、複数の音からなる言葉もそれを構成するもとの一音一音の意味を残して影響を受けている。それらが複合総合されて新しい意味が出て来るのだ。
 ここで新しい言葉として「一音語」を提案したい。「一音語」を一つの音からなる一単語という意味に止まらず、言語が総体として語源的に一音の言葉から成り立つ、すなわち言語の重大な特徴を謂う意味をも敷衍できるようにしたいのである。
 幸運にも[言霊の幸はふ国」に生まれ合わせた日本人は、言葉が文字である以前に「音」であることを、骨身に染みて分かっている。ひとつの言葉はもともとそれぞれ相異なる香りと勢いと風格を持っていた痕跡を、われわれはかすかに記憶している。
 だから、ユダヤの聖典に「はじめに言葉ありき」というとき、その言葉は文字ではなく、音の響きだったとまず思ってしまう。それこそ永い永い悠久の時間に養われた言葉の豊穣なる香りと勢いと風格をもっていて、言葉の意味とはそのほんの一部が文字に表わされるだけであることもわれわれは知っているからである。
 したがって、膠着語である特徴にも遙かにまして、シュメール語が「言霊」の言語であると確認できたことから、わが日本語とシュメール語とは本質的かつ密接な関係にあるとここで断言することができる。 『みち』平成18年5月15日号 p.4
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69:馬之助:

2012/09/23 (Sun) 18:38:10

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>久しぶりに「バターライス」か「猫マンマ」でも食べるかな…。「赤いウィンナー」も懐かしい…。

私も、「バターライス」「猫マンマ」は好きで、無性に食べたくなることが、あります。ウィンナーは、「赤いウィンナー」はおいしいかといえば、大しておいしい訳ではありませんが、味は格別のように思います。ただ、着色料がどうとか、健康によくないとか言って、食卓には上って来ませんが、時に外で食べる市販の弁当などに入っていると、喜々として食べていることがあります。

>内容は古事記が中心であるだけに難解であり、科学や化学、さらには電磁気学の知識が求められます。

広範囲の理解が必要になるということは、本物ということではないかと思います。本物は、それに向い合える人を選ぶのではないかと思いますし、人格を賭けて向い合う必要も出てくるように思います。だからみんなで、偽書にしておいた方が楽だと思いますが、それだからこそ、引かれるものを感じもします。バターとライスと、ちょっとの醤油だけで、人を魅了するというのは、凄いことだと思いますし、「猫マンマ」なんて、猫と同じ次元に立って(根源的なものとして)それがおいしいと思い、堂々とその名を付ける訳ですから、庶民(原日本人?)たりえるものの感性は恐るべきものだと思います。また、これを偽書扱いできないところが、おもしろい。古事記もこんな感じで分かったらと思うのですが…。

>『光悦』をPDF化して、近く小生の個人ホームページに一挙に公開するつもりでいます。

大変でしょうが、公開されるのを期待しています。期待しながらも、頭痛がしそう、かな?

吉田信啓著『神字日文考』の話、少しだけ続けます。
本書の中に、丹波之国一宮・元伊勢籠神社に於いて、丹波国造(クニノミヤツコ)第八十二代宮司の海部(あまべ)光彦氏と対談するところがあります。
「安曇(あずみ)はいわば沿岸漁民、海部(あまべ)は天神を祖としています。もともとは海部が制海権を握っていたものを、後に安曇が近畿大和王朝に取り入って海部に代わったようです。我が家に伝わるもので国宝の海部氏系譜は平安期に書写されたもののようですが、それによりましても日本最古の海人の直系であることが分かります。」ということですが、文献調査(私はそれ以前で本を読んでいるだけに過ぎませんが)よりも、直接取材の凄さが分かります。両者の共通の知人が、有栖川親仁殿下だというのも、話を引き出せるポイントかも知れません。

もうひとつ、面白い箇所がありますので、こちらも引用しておきます。詳しくは同書にあたってみてください。

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…欧米のペトログラフ学者達が私の「日本のペトログラフ」の研究発表やスライドを見て、「もしかすると欧州の文字文化のルーツは日本にあったのかも知れない。文字は光と同様、東から来たのか」と畏(おそ)れの表情を見せて驚いていたのは、もしかすると、彼らはこの、『上記』や『竹内文献』の言い伝えに当たる何らかの古代文献を知っていたせいではなかったか?と、今更ながらに思い直し、ペトログラフ研究の重みを痛感している。
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68:サムライ:

2012/09/19 (Wed) 16:36:02

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1348040162.jpg 馬之助さん、こんにちは。


> 四国は徳島県の高所山岳地帯に本拠を持ち、上代から大嘗祭のたびに麁服(あらたえ)の麻布を献上していた忌部氏の流れである。

確か、数ヶ月前に安西(正鷹)さんが『みち』で連載中の「文明大転換に向けて」で、四国の忌部氏について取り上げていました。その意味で、「文明大転換に向けて」は注目するべき記事だと思います。


> 上代では天皇陵の墓守として山窩の一族を配置し、山稜の管理に当たらせていた

今の日本でサンカ研究の第一人者は落合(莞爾)さんでしょう。落合さんは『金融ワンワールド』に続く第二弾として、『堀川政略』に関する本を執筆中だと、数日前に連絡を取り合ったときに教えていただきました。その落合さんに頼まれて未だ途中の草稿をハードコピーして、久しぶりに栗原(茂)さんを尋ねて直接渡してきたのですが、その機会を利用して色々とサンカについて尋ねてきました。

たとえば、『風の王国』を著した五木寛之の持つサンカの情報はもの凄いものがあること、逆に三角 寛のサンカ関連の著作は読むに値しないといったお話でした。また、平成10年12月22日に、栗原さんが以下のように語ってくれたのを思い出します。

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草原の道をつくったのは、紀元前800年代のスキタイであり、日本ではサンカと呼ばれている民族である。彼らは天皇の墓つくりのプロ集団であった(石屋)。→ 現在の北鮮をつくったのが、日本のサンカである。
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これで、サンカもツランに連なることが分かりますね。



> 『竹内文献』は偽書というのが専門家の通り相場のようですが

それだけでなく、『古事記』すらも偽書であると得意になって語る御仁も大勢居ます。尤も、小生も10年前まではそう信じていたのですから他人のことは言えないのですが…。そのあたりを考慮して栗原さんが“遺作”として執筆中の『光悦』をPDF化して、近く小生の個人ホームページに一挙に公開するつもりでいます。ただ、内容は古事記が中心であるだけに難解であり、科学や化学、さらには電磁気学の知識が求められます。こうした学際分野をある程度抑えておかないと、真に『光悦』を読み解くのは困難だと分かるだけに、今から頭痛がしてきます。


さて、小腹が空いてきた、久しぶりに「バターライス」か「猫マンマ」でも食べるかな…。「赤いウィンナー」も懐かしい…。
67:馬之助:

2012/09/15 (Sat) 20:48:35

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>機会があれば何処にお言葉があるのか、筆者の栗原さんに直に聞いてみたいと思います。

それがいいでしょう。解答があったら、また、教えて下さい。

>馬之助さんは四人ものお子さん全員を大学に通わせて

正確には三人で、現在、大学院一年生、大学四年生、大学一年生、高校二年生の四人です。長短様々ですが、それぞれに不登校の期間がありました。大学四年生の子どもが、一番その時期が長くて、親として心配もしたのですが、連休前後には、就職も内定が出ていたようで、進路も親に相談を持ちかけること無く決めました。不登校の経験が、心理学を専攻させたのでしょうが、今では、営業がしてみたい(女だてらに?)というのです。子どもとの様々な経験で、親心より、神計りと大きなこころで経験をひとつひとつ受け入れていくことが肝要か、と、思うところがあります。大学院一年生は、夏には少しでも帰省できるかもと言っていましたが、ある企業のインターンシップに参加するのと、学会の手伝いにかり出されたので帰れないとのことでした。何を研究しているのかしらなかったのですが、暇な時間にググってみると研究室のホームページに辿り着けました。システム情報学研究科計算科学専攻の研究室にいるようです。私の理解によると、コンピューターを使ってシミュレーションをしているようで、宇宙空間を詳細にコンピューター上に、再現しようとしているようです。Face bookに、宝くじを買おうかどうしようかと思ってシミュレーションしてみたところ、一億五千万円買っても、二等も当たらなかったので止めたという書き込みをしているのを見つけました。相変わらず、くだらないことをしているようです(私も負けてはいませんが…)。

吉田信啓著『神字日文考』というのを読みました。
平成11年に国東半島の下成仏(しもじょうぶつ)明見(みょうけん)八乙女(やわた)というところの山稜で、日本初の神代文字のペトログラフ磐を発見したというのです。発見者の家柄は、「紀氏」で、本文にこう説明があります。「豊前豊後では最も古い家系とされているが、この『紀氏』とは『忌氏』のことであり、四国は徳島県の高所山岳地帯に本拠を持ち、上代から大嘗祭のたびに麁服(あらたえ)の麻布を献上していた忌部氏の流れである。」また、その磐は最近まで、先祖代々五軒ほどの山窩が世話をしていたとかで、それもこう説明しています。「上代では天皇陵の墓守として山窩の一族を配置し、山稜の管理に当たらせていた。」
その磐の神代文字を神宮文字や阿比留文字のコードで読んでみると、一面には「トミアキタラシナカオキテンノウ」とあり、もう一方の面の文章の一部には「これは葺不合朝の二十五代の天皇」とあったというのです。それで文献を当たると、『上記(うえのふみ)』や『竹内文献』には、「富秋足中置身光天津日嗣天皇」(トミアキタラシナカオキテンノウ)が鵜草不合(ウガヤフキアエズ)朝二十五代であると示す記述があるというのです。『竹内文献』は偽書というのが専門家の通り相場のようですが、岩刻文字として現物が出たということは一考を要する事態ではないでしょうか。さらに、この「トミアキタラシナカオキ天皇が象形文字を作り、三十二人の使節を海外に派遣して七十通りの文字を五色人に教えた」と『竹下文献』や『宮下文献』が記しているというので驚きです。長くなるのでこの辺で止めますが、吉田氏は広島大学で言語学を専攻したので「信じがたい記述である」とはいうものの、研究をすすめていくうちに「シュメール古拙文字やカナン文字、甲骨文字の原点は、もしかしたら日本で見つかるペトログラフではないのか!」と、不思議な自信が湧いてくるという話です。
66:サムライ:

2012/09/13 (Thu) 18:41:57

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん


> メッセージがこれかどうかは分かりませんが

2010年3月5日に開催された舎人学校で以下のような栗原さんの発言がメモに残っていました。

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・『5.3』(栗原茂著 A+A出版)の中で最も重要なメッセージは、現憲法公布の前に発せられた昭和天皇の御言葉を1~2行紹介したくだりである。
--------

これは、先帝(昭和天皇)のお言葉が“そのまま”書かれていることを意味しているのでしょう。機会があれば何処にお言葉があるのか、筆者の栗原さんに直に聞いてみたいと思います。



> かっこ良くなくても、生き方が下手でも、損ばかりしているようでも、そこに味わいがある

何か、小生も含めた『みち』の皆さんを指しているような気がしてきました(笑)。『みち』を沢山売って大もうけしようという考えなどさらさらない人たちの集団であり、金儲けの下手な日本の神社・神主さんをつい思い出します。


> 「もともとなりたくて俳優になったわけではない。食い扶持を得るため、仕方なく俳優の道を選んだのが始まりだった」

我々は手前だけの食い扶持だけではなく、まだ学生の息子娘の分も稼がなければならないわけです。小生は二人だけだから良いのですが、馬之助さんは四人ものお子さん全員を大学に通わせているのだから頭が下がります。たしか、一番上のお子さんは大学院に進学とかで、なかなか楽隠居ができませんね。

最近読んだ『週刊朝日』で面白い記事がありましたので、以下に転載します。上の息子はジャーナリストを目指しているようですが、『月刊日本』の落合さん、南丘さん、山浦さん、佐藤(優)さんら、『みち』では藤原さん、天童さん、青不動さん、黄色不動さん、稲村さん、安西さんらと接したことが、ジャーナリストを志す引き金になったようです。

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厳しい就職活動を勝ち抜く「スーパー大学生」の育て方
 
 今春卒業した大学生約56万人のうち、ほぼ4人にl人が安定した仕事に就けていないことが8月末、文部科学省の調査で分かった。だが、そんな時代にも次々と内定を獲得している大学生や大学院生がいる。

 わが子やわが孫を"スーパー大学生"にしてあげたいと願うのが親心。そうした子どもは、どうすれば育てられるのだろう。

 就職支援のエキスパートで、『〈就活〉廃止論』(PHP新書)の著者である佐藤孝治さんによれば、優秀な大学生や大学院生が育ってきた環境や過去の経験には、いくつかの共通するパターンがある。

 キーワードは、周囲の大人の存在。特に重要なのは、「影響力のある大人」と出会えたかどうかだ。将来こうなりたい、と思うような目標を見つけた子どもは、その瞬間から行動が変わるのだという。「家族、学校の先生、アルバイト先の店長など誰でもいいが、まわりに『イケてる』大人が一人でもいると、いい影響を受けます」(佐藤さん)。

 一方、学生自身はどのようなことを心掛ければいいのか。再び佐藤さんが言う。

「受験競争に勝つために必要な能力は、社会に出てから必要な能力の一部ではありますが、それだけでは不十分。そのことに早く気づき、努力した学生はスイスイと就職が決まっていきます。誘われたら断らない、気になった場所には行ってみる、やるからにはとことんやるなど、日々、積極的な行動を心掛け、自分で考えて動ける人を目指してください」

※週刊朝日 2012年9月21日号
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65:馬之助:

2012/09/10 (Mon) 22:43:04

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>馬之助さん、それらしきメッセージを見つけたでしょうか…。

メッセージがこれかどうかは分かりませんが、栗原氏の「5.3 社会の歪みは憲法の歪みにあり!!」の中で、一番私に迫って来たのは、前回には書き込みませんでしたが、次(p159)の文章でした。

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 知性の偏向は、日本神話を太古の迷信だとし、象徴の持つ価値を知らずに、生命的本能から遠ざかる。そのため直観に乏しく、意味のうすい抽象的概念を論ずることに熱中し、善悪が葛藤する現実に対し、道徳は強制力の根源だとする白昼夢にボケてしまう。
 政治的にいえば、道徳的段階が低ければ低いほど、強制力を増長させる知性的策謀の餌食となり、政治権力による陰湿な大義名分に国民生活が管理されることになる。倫理が問われる綱紀粛正のために革命が起きて、政府あるいは元首が倒されるというのが、世界的な現実である。
 日本においてもその例外ではなく、腐敗した政府は倒壊する。しかし、近年において左翼革命のない世界無比の日本の基盤は、そうした場面において必ず自己の内面から創造される自律的精神で、猛然と天皇一人で革命の実行をなし、新しい局面を展開して新たなる生命の躍進を実現してきたのが歴史的事実なのである。
 生活がすさび、救いのなくなるときに発揮されるこの真価は、「革命」といわず「維新」というべきであるとする先師の教えに率直に納得できるのは私だけではないだろう。従って、日本そのものは、「皇祖皇宗 国を肇むること宏遠にして 徳を樹つること深厚なり」が証明されるのではないだろうか。
***********************************

同じ「維新」にしても、末世の現代では変な輩がその名もとに衆参しようとしています。上記引用文章と、前回のサムライさんご紹介の記事や、今上陛下のビデオメッセージを重ねると確かに、「“新”堀川戦略の存在に確信を持てると思います」という言葉のままのように思えてきて、希望が持てます。
高倉健の記事にある「高倉がこれまで多くの作品で演じてきたのは、まっすぐに生きる不器用な男。その男たちが醸し出してきた空気は、高倉が生きてきた道、そのものなのかもしれない」というのは、実にいいですね。日本の父親像は、これでいいのではないかと思えてきます。かっこ良くなくても、生き方が下手でも、損ばかりしているようでも、そこに味わいがあるように、最近は(自己弁護に過ぎない感もなきにしもあらずですが)、思うようになって来ました。

また、次のような言葉もありました。

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高倉は、もともとなりたくて俳優になったわけではない。食い扶持を得るため、仕方なく俳優の道を選んだのが始まりだった。それから半世紀以上たった今も、高倉は「俳優という仕事がなんなのか」分からないという。
だが、これまでの経験の中で、教わってきたことがある。それは、俳優の「生き方」が芝居ににじみ出る、ということだ。ふだんどんな生活をしているか、どんな人とつきあっているか、何に感動し何に感謝をするか。そうした役者個人の生き方が、芝居に出るという。
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「もともとなりたくて俳優になったわけではない。食い扶持を得るため、仕方なく俳優の道を選んだのが始まりだった」とありますが、私は、仕事はこれでいいのではないかと思っています。今も昔も、就職活動とか資格があれば有利だとか言いますが、結局は神計りで、いつまでたっても「俳優という仕事がなんなのか」分からないというのに、味わいがあると思うのです。その神計りの部分を小賢しく立ち回ってみても、「『生き方』が芝居ににじみ出る」訳で、そこに考えが及ばないのは等のご本人だけというのは、人生特有のペーソスでしょうか。このあたりも、栗原氏は触れています。

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 天地自然は無限の内容を含んでおり、常に変化する性質があり、自分が変わらなくても時代や周囲はどんどん変化していく。それで、生きていくために自分も変化に応じなければならない。このことは、学術的思想よりはるかに難儀なことであり、容易な知的生活よりずっと正直であり、言葉の不足を補ってあまりある経験となる。正直は真実を明らかにする最も有効な要素であり、絶対的な誠をもつ真実は、変化の対応にも無駄が小さく、常に成長のための変化に強い力を発揮する。
 人間の使命はこういった努力を怠らないことである。
***********************************

最後の、「人間の使命はこういった努力を怠らないことである」というのが、効いている言葉だと思います。人は今の仕事や役割、人生が本当に自分の使命なのかと思い悩みがちですが、そこは神計りと肝に銘じ、そこに生き抜く努力を怠らないことこそが使命だというのです。今の日本は、閉塞感が強く長く、それを誰かのせいにする犯人探しのような方向性もありますが、悪い出来事こそ逃げ出さないで分かち合ってそれぞれに分担し背負いながら、おのおのに自らの成長の糧と受けとめて、そこに生きる努力を怠らないことこそが使命だと、軽く笑って受け流したいものです。各自が、それをやることが、「そうした場面において必ず自己の内面から創造される自律的精神で」、に繋がって行くと思うのです。(ちなみにこの「自己の内面から創造される自律的精神」それこそが、「他力本願」でいうところの「他力」ではないかと私は思っています。「他力」の無い「自力」は、それこそ「他人の力」を頼りにするものです。)それができてはじめて、「猛然と天皇一人で革命の実行をなし、新しい局面を展開して新たなる生命の躍進を実現してきた」というところに続いていくのではないのでしょうか。
64:サムライ:

2012/09/09 (Sun) 06:50:35

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1347141035.jpg 馬之助さん


> 栗原氏の「5.3 社会の歪みは憲法の歪みにあり!!」をすこしずつ読み進めています。

2003年頃、栗原さんに初めてお会いした時に戴いたのが同書でした。その栗原さんが同書に昭和帝の“メッセージ”を入れたと、3年前に語っていたのを思い出しました。しかし、その後に同書を二回読み返しているものの、未だに昭和帝の“メッセージ”が見つかっていません(お会いする時や電話の時に聞こうと思っているのですが、いつも忘れます…)。昭和帝のことを我が命とすら思っていた栗原さんが、同書に籠めた昭和帝のメッセージとは何だったのか…。馬之助さん、それらしきメッセージを見つけたでしょうか…。


さて、『月刊日本』9月号のシリーズ「明日のサムライたちへ」(p.78)に、以下の記述があります。

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わが国の歴史は、肇国の理想を目指した維新の連続ととらえることができます。維新運動の発火点は常に、国内政治の混迷とともに、国際情勢の変化、特に対外的危機意識の高まりでした。

永安幸正氏は、「二つの武士道」において、「何れの国民でも同じであるが、国民集団としてある種の危機が迫っていると感づく秋には、祖国あるいは民族を世界の中に位置付け、他国と比べて祖国自民族の歴史、実力、可能性を確かめなければならぬものである」と指摘し、次のように『中朝事実」を、繰り返されてきた祖国自己確認の歴史の第三期に位置づけます。

第一期聖徳太子の時代で大陸での階唐国家の膨張期(五八一~九〇七年)
第二期蒙古襲来の危機(十三世紀後半)
第三期戦国を終り平時の江戸、素行の『中朝事実』の時期(十七世紀)
第四期江戸時代末期から明治維新へ(十八世紀中葉)
第五期一九二〇~四〇年代における米英中との対立と戦争
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その伝でいけば、第六期は東日本大震災とその後の日本であることは間違いないでしょう。ここで、新憲法と絡めて注目すべき記事があります。

http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-3694.html
天皇陛下に敬礼する統合任務部隊指揮官と日の丸行進


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陸上自衛隊の迷彩の戦闘服を着て鉄兜をかぶった自衛官が、天皇皇后両陛下に正対して敬礼している。

 これは、戦後六十六年間で、初めてのことである。

 戦後とは何か。それは、日本を軍事占領した連合軍のGHQが日本占領基本法として残していった「日本国憲法」によって縛られた時代である。戦後体制とは日本国憲法体制なのだ。

…中略…

 さらに昨日、初めて、四月二十七日に松島基地で天皇皇后両陛下に正対して敬礼する自衛官の写真を見たのだ!

 これは、東日本大震災という国難の中で、その被災地に顕れた戦後体制が既に終焉していることを示す象徴的な映像である。
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上記の記述と併せて、今上陛下の以下のビデオメッセージに注目すれば、“新”堀川戦略の存在に確信を持てると思います。
http://www.youtube.com/watch?v=f2r0BiguXxI&feature=fvwrel


ところで、「明日のサムライたちへ」を連載している坪内孝彦氏が、自身のブログで昨夜放映された高倉健の番組を取り上げていました。小生も見ましたが素晴らしいドキュメンタリーでした。
http://tsubouchitakahiko.com/?p=2341
高倉健という生き方

番組の詳細は以下にアクセスしてみてください。
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0908/index.html

また、同シリーズで「高倉健インタビュースペシャル」を今月の10日に放映するとのことです。
http://www.nhk.or.jp/professional/schedule/index.html
63:馬之助:

2012/09/06 (Thu) 21:55:58

host:*.bbtec.net

サムライさん、こんばんは。

>仮に栗原さんに尋ねても決して語ってはくれないでしょう。百年以上の歳月が流れたら、“新”堀川戦略の事実が明るみに出てくるかもしれませんが…。

その通りですよね。

栗原氏の「5.3 社会の歪みは憲法の歪みにあり!!」をすこしずつ読み進めています。これを読むと、明治憲法と現憲法の質的な差、その目的とするところの差に、愕然とします。と同時に、栗原氏が憲法にも通じていて、こうに現実的なものもしっかりと押えられているということにも、より信頼が深まりました。以下に。二三引用しておきます。

***********************************
 その結果、必ずや日本に上陸してくるのが占領憲法の改定であり、その中身こそ、日本ハイジャック戦略を周到に用意してきたアジア支配の拠点戦術であり、日本人を無国籍化する生活解体の最後の仕上げなのある。
 現憲法が戦後の日本社会で果たしてきた役割は、ここに存する。今の日本社会に見られる風潮こそ何よりの証である。今こそ日本は自力で自らの正体を論じ、現憲法のウソを世界に謝罪するチャンスである。
 この機に臨んで私たち日本人は自らの正体を明らかにしなければならない。

 昨今の国会は空転浪費の休業中、行政は先例システムの人間不在機関、司法は強制力の機械的処理施設———ことほど左様にわが国の政治は地に落ちてしまっているが、にもかかわらず国は動いている。これは官の力ではなく民力の蓄積が支えとなっているからだ。だが、これがいつまでも続く保証はない。放置しておけば官に食い尽くされるだけである。法治主義がまかり通り、天皇の顕現を封じる現代日本において、救国の力量を発揮しうるのは国民一人ひとりであり、私たち自身が憲法への真摯な関心を向けることが急務となるだろう。

……いずれにしろ、強大な権力である主権が、信頼に乏しい政府や参政権を平然と放棄するような国民の手に委ねられている現象は、もっと真面目に再考しなければならない問題である。そこに憲法の存在する真価が問われ、可能な限り多数の国民によって議論されることが、民族の本領を確立する一番の手がかりではないだろうか。
***********************************

本書が、1991年発行となっているのに驚かされますが、なんとなく“新”堀川戦略がないわけではないような期待を抱かせもします。しかし、「今の日本社会に見られる風潮こそ何よりの証である」というように、現在の様々な問題に対して、デモしか起こらないということが、そもそもの不思議です。そのデモで、日本も本当に民主化したとか、属国だとか、ジャパン・ハンドラーズがとかいって覚醒した気になって喜んではいますが、現憲法の改正、破棄という所には目は向きそうにはありません。「天皇の顕現を封じる現代日本において」、「救国の力量を発揮しうるのは国民一人ひとりであり」、その方向性は、デモや、マスコミや本当の裏の支配者を詮索することだけではなく、「私たち自身が憲法への真摯な関心を向けることが急務となるだろう」ということのようです。最後にもうひとつだけ引用しておきます。「日本人を無国籍化する生活解体の最後の仕上げ」から免れるのにはこの方法を思い出すに限るのかもしれません。

***********************************   
 在来の支配権力にとって、現憲法下での唯一の計算違いは、天皇と天皇制を享受する日本人の民族性がこれほどまでに難解なことだとは思わなかった点である。武装解除や民主化に導けば国力の解体は必定であり、これほど早期に復興しようとは予見できなかった。
 このことに関しては、日本人の中にも誤解が多い。経済復興の原因が、「こつこつ働き、ちびちび貯える」という旧来の天皇制で身につけた生活を基盤としていることを知る人は少ない。
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私たちにとって、天皇とは、難しい話は抜きにしてこういうことかも知れませんね。欧米に金融危機が到来しているようですが、私たちは、羞じることなく黙々と自らの使命に身を投げ出して、動じもせず、悔いることもない。ただ、「こつこつ働き、ちびちび貯える」。大きなこころで、その日暮らしを讃え合い、喜び合い、深く感謝するというところでしょうか?(放射能の話も、ここの破壊に関わりがあるという想いがいまだに拭えないのですよね。)


ひろみさん、こんばんは。

>そう考えたら壮大なロマンなんですけれど・・・(妄想しすぎ?)

私も妄想は好きなほうですが、ペテログラフは新しい学問にもかかわらず、海外では著名な大学で広範囲に研究されているようです。だからこそ、日本のペテログラフも、学術的、科学的にあろうとしているようです。だから、分からないことは、はっきりと分からないとしています。吉田氏の言葉にムー大陸などは出てきませんが、妄想好きの人たちに研究結果が利用されたりはしているようです。「みち」に逸れそうなので、もとに戻りますが、吉田氏の本はもう一冊注文していますので、読んだら、懲りずに書き込むかも知れません。
62:サムライ:

2012/09/04 (Tue) 07:08:55

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、


> まだ京都には、昔ながらの学生生活が残っているのでしょうか?

正確には、息子がお世話になっているのは大学の寮です。建物自体は建て替えたのでモダンですが、寮OBには80代を超える方が健在という伝統ある寮です。だから、昔ながらの“学生生活”が未だに残っているのかもしれません。ただ、孫のような学生たちを見て、「今時の若いモンは…」と嘆いている老兵も少なくないのかもしれませんね…。


> 言葉通りに、受け取っていいのでしょうか?

繰り返しますが、堀川戦略は昭和三年の段階で役目を終えて(完結)います。このあたりを初めて明らかにしたのは落合(莞爾)さんであり、それも僅か数年前のことです。そのため、未だにネット界では孝明天皇暗殺という、荒唐無稽な珍説が主流を占めている訳です。しかし、『みち』の関係者と知己になる前は、小生も『裏切られた三人の天皇』(鹿島昇著 新国民社)をかなり信じていました。

個人的には、国難に直面している今日、“新”堀川戦略が秘密裏に進められているはずだと思っていますが、では具体的にどのうな戦略なのかと、仮に栗原さんに尋ねても決して語ってはくれないでしょう。百年以上の歳月が流れたら、“新”堀川戦略の事実が明るみに出てくるかもしれませんが…。


> 途中木立も抜ける自然の中の散歩道で、道中「古事記」を声に出して、読んでいます。

それは素晴らしい。今回の京都小旅行で久しぶりに会った仲間の翻訳者の一人が法華経を熱心に研究しており、彼の家に泊めてもらって興味深い法華経の講義を受け、改めて法華経に関心を持ちました。ご無沙汰している玉井禮一郎さんと近くお会いし、玉井さんの法華経論もお聞きしたくなりました。


> 「アッカド人に追われたシュメール人がボートピープルとなって日本を目指した」のではなくて何であろうか?

現在ご先祖様の調査を少しずつ進めていますが、原日本人を考えるとき、落合さんの『金融ワンワールド』の以下の記述が気になっています。

----------------------------
ヴェネツィア・コスモポリタンがいて、さらにその中に世界王室連合がいます。日本天皇が太古にシュメルから渡来したことは、欧州王室の夙に知るところでした。
……中略……
ウィーン体制の結果成立した欧州王室連合は、ヴェネツィア・コスモポリタンの中核として太古に分離した同族の日本皇室に参加を求める方針を建てました。
 (『金融ワンワールド』p.83)
----------------------------

過日も投稿しましたように、言葉一つとってもヴェネツィア・コスモポリタンの屈折語に対して、皇室の膠着語という具合に大きな違いがあり、母語は個人さらには民族の行動思考様式の根底であるだけに、こうした違いが僅か数千年程度のタイムスパンで生じるのかどうか疑問に思っています。だから、原日本人および「日本天皇が太古にシュメルから渡来した」という点について、一度栗原さんの意見を耳を傾けたいと思っています。


ところで、『みち』関係者に『契丹 草原の王朝 美しき3人のプリンセス』という 展覧会をやっていることを教えてもらったので、近く行ってみたいと思います。栗本慎一郎の『ゆがめられた地球文明の歴史』(技術評論社)や森安孝夫の『シルクロードと唐帝国』(講談社)でも契丹が登場していました。
http://www.tbs.co.jp/kittantokyo/



ひろみさん、

> 八坂神社の神主さんとお話された、という素戔嗚尊および牛頭天王についてのお話

栗原さんの話では拙宅の始祖が鈴鹿市との話であり、奉っていたのが速須佐之男命すなわち素戔嗚尊ということらしく、そのあたりを“身体で感じる”ために八坂神社を訪れた次第であり、数年前から始めたルーツ探し、漸く本格化しそうです。

> 堀川辰吉郎

堀川戦略が終焉を迎えたのは、幕末の開国にあたり西洋列強諸国から国としてのアイデンティティを護るためでした。その大目的を果たし終えたのが昭和三年ということになります。

> ヒッタイトの先住民、ハッティが、最近気になっています。

鉄の民族ヒッタイトを追えば、ツランに繋がります。以下は栗原さんの『アッシリア文明史論』から

------------------
エジプトは初めて海の民と記録に刻んだとされる。これらは神話トロイの木馬を解く発掘調査と関連するなど、本稿も前記したので繰り返さないが、東地中海に巣立つ群雄割拠とヒッタイトの行方を追えば、そこにはユダヤを解く以上の問題が潜んでいるはず、それがツランと気づいても、その本義は意の理に順うほか分かるまい。(p.105)
------------------

相変わらず判読しずらい文章ですが、却って真実を隠す意味で良いのかも…。ヒッタイトと言えば、以下のようなことも栗原さんは仰せでした。

------------------
・ヒッタイトと云えば、鉄である。しかし、現代科学が懸命に取り組んでいるのにも拘わらず、未だに解明されていないのが鉄という金属だ。鉄民族たるヒッタイトは、今までの青銅文明を壊して直ぐに消え去ったのは何故なのか…。
------------------
61:ひろみ:

2012/09/04 (Tue) 04:29:07

host:*.rima-tde.net
サムライさん、馬之助さん、こんにちわ。

9月になりましたが、あと一週間て子供達の夏休みが終わり、進学年が始まります。
夏休み中ほとんど、遊び倒したので、学校が始まって、ちゃんと勉強モードになれるのかどうか・・・
ちょっと心配です。。。


サムライさん、京都を有意義に過ごされたようですね!
子供も頃、京阪四条から大通りを通って、八坂神社、東大谷へ行ってお参りをよくしました。
もう、遠い記憶なので、詳細がおぼろげになってしまっています。

八坂神社の神主さんとお話された、という素戔嗚尊および牛頭天王についてのお話、
またお時間のあるときにでもお聞かせください。

堀川御所の役割が終わった、と言うのは、堀川辰吉郎氏が成人し、自由に動けるようになった
から、もう養育のための隠れ御所は必要なくなった・・・とくことなのでしょうか?
それとも、睦仁親王が薨去されたから・・・?!
(これは、堀川辰吉郎氏の生年からの妄想です・・・)

栗原氏の光悦についての記事のホームページ公開楽しみです。
お忙しいかと思いますが、よろしくお願いいたします。
私でよければ、お手伝いしますが・・・。

馬之助さん、
>紀元前二千年代にもシュメール人は極東を目指した。理由は簡単。
「そこに行けば、何とかしてくれる強固な安定した豊かな国、精神文化のまほろばがある。」

これって、やっぱり、太平洋に沈んだ、ムー大陸が関係するんでしょうかね・・・。
そして、縄文人は、ムー大陸から逃れてきて、日本列島に留まった人たちで、
一部は更に広い大地を求めて海に出て、大陸にたどり着きどんどん西に進んで、
メソポタミアで、シュメール人となった・・・。
そして、攻められたときに、伝説の故郷に向かって、東に向かった・・・。

そう考えたら壮大なロマンなんですけれど・・・(妄想しすぎ?)
でも、私が以前から感じている、環太平洋の平和を愛する人々との関連からすると
ありえそうな気がします。

そして、シュメールにも陰陽の二つのタイプがあったのではないでしょうか・・・?!
陰陽のコスモポリタンと同様に・・・。

ヒッタイトの先住民、ハッティが、最近気になっています。
シュメールと関係があるんじゃないかと妄想たくましく・・・って感じなんですけど・・・。


60:馬之助:

2012/09/02 (Sun) 22:51:17

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>どうやら落合莞爾タイプの大学生活を送っているようです。

「京都太秦恋物語」というDVDを先日、借りてきて見ました。松竹と立命館が製作に協力してできたという作品で、太秦という土地柄もそうでしょうが、京都の大学生活も垣間みることができるようです。まだ京都には、昔ながらの学生生活が残っているのでしょうか?

>小生も堀川戦略は役目を終え、昭和三年に人知れず歴史の舞台から消えたのだと、先々週に堀川御所を初めて訪れて確信しました。

言葉通りに、受け取っていいのでしょうか?そうだとしたら、少し寂しいようにも感じられます。種を蒔いたので、この段階は一先ず終了で次の段階という風に未来を見通したスケールと思ってもいいのでしょうか?

>このあたりは、「文字」(もんじ)という「水の中の世界」に生きている我々が、「音」すなわちアニミズムに連なるシャーマン、さらには神格シャーマンという「陸の世界」を、頭ではどうにか分かった気分でいても、それは上辺だけの理解に過ぎないと思うし、古事記の「音」を真に理解できるのは、皇室およびインナーサークルだけなのかもしれません。

その辺りの難しさは、漠然としたものかもしれませんが、感じています。法華経に、「唯佛与佛 及能究尽」という言葉があります。「ただ佛と佛とが、究め尽くすことができる」という意味でしょうか。人という状態ではできないよという事だと思います。上辺だけの理解に過ぎないといえども、少しだけでも、近づきたいと思うのです。それが人情でしょうが、そんな人の欲を引き摺っていては到達することは出来ないよということでしょう。それでも、朝三十分ほどの散歩を始めました。近所の神社まで歩くと、そのくらいになるのですが、海を見ながら、途中木立も抜ける自然の中の散歩道で、道中「古事記」を声に出して、読んでいます。このスタイルであれば,私なりに「古事記」に継続的に関われそうです。でも、なかなか腰を落ち着けて解釈を進めることはできないのですが、「明日発売の『みち』で中村みつぞうさんが再び古事記を取り上げており、」というのは、そんな私には大変助かっています。それと、私なりの夢乃記で、「ながきよの夢をゆめぞとしる君やさめて迷へる人をたすけむ」に近づいていきたいと行きたいものだと思っています。

>栗原さんが「遺作」として残すという光悦の記事、新たにホームページを作成し、古事記に関心のある人たちと同作品を分かち合いたいと思います。

大変でしょうが、期待しております。

前回の、吉田信啓著『超古代日本は世界の臍だった』の話題を続けると、「私はこれまで、『日本になぜシュメールやセム語形文字があるのか』に言及できなかった。しかし今回の飛騨調査により、」として、次のような仮設を展開しています。

***********************************
 日本ではこれまで鹿児島県坊津、長崎県福江島、福岡県宗像、大分県安心院、山口県彦島、島根県出雲、鳥取県東伯町、山口県小月、山口市秋穂、広島県宮島などと日本海側、太平洋側(周防灘、瀬戸内海)の二ルートでシュメールを含めたセム語形文字検出されてきた。これは「アッカド人に追われたシュメール人がボートピープルとなって日本を目指した」のではなくて何であろうか?
 今日でもベトナムや中国南部からボートピープルが日本列島をめざす。それと全く同じ理由で、紀元前二千年代にもシュメール人は極東を目指した。理由は簡単。「そこに行けば、何とかしてくれる強固な安定した豊かな国、精神文化のまほろばがある。」ことを彼らが知っていたからに他ならないと考えられる。
***********************************

私にはこういう発想はなかったので、今おもしろいと思っています。確かに、現在の経済状態を、このように観ている人もいるようですから、やっぱりこれは、おもしろいのではないでしょうか。
59:サムライ:

2012/08/31 (Fri) 08:18:56

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、おはようございます。

京都では、息子に学生生活の様子について聞き出しましたが、どうやら落合莞爾タイプの大学生活を送っているようです。落合さんの『金融ワンワールド』の何処かに、「学生時代は麻雀三昧の日々であった」といった記述を目にした記憶があり、息子も落合さんのそんな学生生活を倣ったようです。小生も小学生の時に親父に麻雀の手ほどきを受け、麻雀の面白さは分かっているのですが、それだけに嵌まりすぎないようにとだけは言っておきました。本人もそろそろ学業に本腰を入れないと留年になりかねず、新学期からは頑張るとは言っていましたが…。


> 本当に「意義を果たし終えたからであろう」というところなのでしょうか?

落合さんが仰せのとおり、小生も堀川戦略は役目を終え、昭和三年に人知れず歴史の舞台から消えたのだと、先々週に堀川御所を初めて訪れて確信しました。


> 「山鹿素行 中朝事実」は、そういった部分を勇気付る秀逸な連載です

『月刊日本』主催の講演会を中心に、筆者の坪内さんとは幾度かお会いしていますが、本物の武士だと思います。今号の山鹿素行を取り上げた記事で目にとまったのは、「盲滅法に外国人に盲従し、西洋の糟を舐めて随喜し、いたずらに自国を卑下し罵倒するというのは、その一事すでに奴隷であって大国民たるの資格はない」という行で、過日取り上げた原節子主演の「青い山脈」で感じた違和感と相通じるものがあります。


***********************************
 素行の日本的自覚、日本回帰は、言霊への目覚めと不可分だったように思われます。かつて、わが国に漢字が流入し、古語が滅びてしまうことへの憂慮が高まる中で、『古事記』が編まれました。
 「言霊を発揚することこそが、和歌を詠む本来の目的である」と歌人の佐佐木幸綱氏が喝破したように和歌を通じて、言霊に対する日本人の感性は引き継がれてきました。
***********************************

ここで言っている「古語」がペテログラフ(岩刻文字)かどうかはさておき、明日発売の『みち』で中村みつぞうさんが再び古事記を取り上げており、中村さんの記事を校正しつつ斬新な古事記論に思わず目を見張りました。そして、改めて思い出したのが「漢字はルビー」であるという栗原(茂)さんの言葉で、古事記とは元来は「音」を中心に構成されたもので、古事記に使われている漢字は単に「音」を示すルビーに過ぎないとのことです。このあたりは、「文字」(もんじ)という「水の中の世界」に生きている我々が、「音」すなわちアニミズムに連なるシャーマン、さらには神格シャーマンという「陸の世界」を、頭ではどうにか分かった気分でいても、それは上辺だけの理解に過ぎないと思うし、古事記の「音」を真に理解できるのは、皇室およびインナーサークルだけなのかもしれません。そのインナーサークルの一人、栗原さんが「遺作」として残すという光悦の記事、新たにホームページを作成し、古事記に関心のある人たちと同作品を分かち合いたいと思います。
58:馬之助:

2012/08/27 (Mon) 21:43:15

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>翻訳者や息子と待ち合わせの今出川駅まで炎天下の古都の道を歩きました。

いつもと違う場所で、生活の変わった子と、父が出逢うのは、ちょっと趣があって、またこれもいいものですね。私の子どもも大学の寮が二週間閉鎖されるということで帰省していましたが、先日の日曜に車で寮まで送ってきました。

>堀川御所は昭和三年に廃止されたと聞くが、皇統の本拠としての意義を果たし終えたからであろう。(『月刊日本』「疑史 第68回」落合莞爾著)
 
本当に「意義を果たし終えたからであろう」というところなのでしょうか?本拠はどこであれ、皇統の役割は、日々その必要性は逆に高まっていると思わないではいられないのですが…。前回の投稿での栗原氏の言葉、「昭和天皇の御製も、毎朝の賢所での祈りから出たものであり、常人には分かり得ない世界だ。」のように、その辺りは、常人には分かり得ないものだと思いたいものです。『月刊日本』で連載の始まっている、「山鹿素行 中朝事実」は、そういった部分を勇気付る秀逸な連載です。

吉田信啓著『超古代日本は世界の臍だった』というのを読んでいます。そこにあった一文が気になっています。

***********************************
…(ペトログラフの)学会の底流には必ず、「先史時代はシュメール民族の世界的展開があったことを確認する」という暗黙の学説が流れている。つまりは、古代世界はシュメール民族とその文明、宗教が主流であり、それらがアッカド民族に追われ崩壊し、シュメールの民と文化は世界に散ったという共通の認識になっている。
 この論理を押し進めて行けば、日本ではタブーとなっていた皇室の出自も、日本民族の生成もシュメール民族とその文明と密接な関係をもって来るのである。
 つまりは、先史時代においては、ヘブライ民族が日本民族の生成に重大な関係を持ったこと、言い換えれば日本に到来したヘブライ民族(シュメール系)が日本古代国家の成立に関与したこと、もしくは前大和朝廷自体がヘブライ系海洋部族国家であった可能性も生じるのである。
***********************************

どうも、ペトログラフの研究では、そうではないということが検証されはじめているようです。



>京都の本来の遠祖は綾部市とのことでしたが、

おもしろいですね。読み返そうと思いながらなかなか果たせないでいる栗原氏の『真贋大江山系霊媒衆』を早く読み返したいものです。

>自分のルーツを探る旅は始まったばかりのようです。

「年だなあ」でしょうか?続報を期待しています。
私は、ルーツに属すものかどうか分かりませんが、それを夢でやろうとしているようです(これも「年だなあ」の部類かもしれませんが)。河合隼雄著『明恵 夢を生きる』という本の帯に次のようにあります。

***********************************
ユングが晩年に発表した『自伝』を読むと、彼の自己実現の過程に夢が重要な役割を担っていることがよく了解できる。ユングは夢と自己実現ということとの関連を身もって体験し、それを示したと言えるのだが、それと同様のことを、明恵が13世紀に行なっていたということは驚異的なことと言わねばならない。いったいどうしてそのようなことが可能であったのか。
***********************************

その第一章の冒頭に次のような明恵上人の歌があって、それがまたおもしろいのです。

ながきよの夢をゆめぞとしる君やさめて迷へる人をたすけむ

栗原氏の語る天皇の御製の成り立ちの話にも通じますが、『月刊日本』の九月号の「山鹿素行 中朝事実」にこうあります。

***********************************
 素行の日本的自覚、日本回帰は、言霊への目覚めと不可分だったように思われます。かつて、わが国に漢字が流入し、古語が滅びてしまうことへの憂慮が高まる中で、『古事記』が編まれました。
 「言霊を発揚することこそが、和歌を詠む本来の目的である」と歌人の佐佐木幸綱氏が喝破したように和歌を通じて、言霊に対する日本人の感性は引き継がれてきました。
***********************************

その古語を扱っているのが、ペテログラフ(岩刻文字)かも知れません。
「いったいどうしてそのようなことが可能であったのか」という河合氏の投げかけに対しては、日本に生まれたからとしか、いいようがないかも知れませんね。日本に生まれて良かったということでしょうか。
57:サムライ:

2012/08/24 (Fri) 05:10:46

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、ひろみさん、

僅か二日間でしたが、京都で学生生活を送っている息子を含め、生まれも育ちも京都という翻訳者、および生まれ育ちは愛媛だが京都に長年住んでいるという他の翻訳者に古都の街を案内してもらいました。

8月20日朝9時少し過ぎに京都に到着。早速その足で西本願寺の東方面並び(堀川通り)に向かいました。目指すは、西本願寺と京都投球ホテルに挟まれた場所にある、「旧堀川御所」です。到着後、今ではコンクリートで敷き詰めた駐車場になっている跡地の休息所に腰を下ろし、『月刊日本』に連載中の落合(莞爾)さんの「擬史」の一節を思い浮かべたものです。

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堀川辰吉郎は明治十三年、孝明帝の血統を享けて京都の堀川御所に生まれた。明治二年、西郷・吉井・大久保の薩摩三傑が宮中改革を図り、孝明帝の女官を京都に留めたことは周知であるが、その女官たちは、維新後も京都堀川御所に住した京都皇統に仕えたのである。堀川御所は明治天皇の行在所を名目に設けられた施設で、堀川通り六条の日蓮宗本圀寺旧境内にあった。足利尊氏の叔父・日静上人が鎌倉本勝寺をこの地に移し、皇室鎮護の霊場として本国寺と称したが、水戸光圀により本圀寺と改めたこの名刹は昭和四十六年に山科区に移転したが、旧境内は実に広大で、現在の西本願寺もその一部を割譲されたものである。堀川御所は昭和三年に廃止されたと聞くが、皇統の本拠としての意義を果たし終えたからであろう。(『月刊日本』「疑史 第68回」落合莞爾著)
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芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」ではありませんが、嘗てこの地に慶応2年12月25日以降孝明天皇と睦仁親王がお隠れになり、15年後の明治13年には睦仁親王の堀川辰吉郎が誕生した地であったかと思うと感慨深いものがありました。

その後、翻訳者や息子と待ち合わせの今出川駅まで炎天下の古都の道を歩きました。駅で落ち合った後、近くの同志社大学の食堂で暫し近状交換、堀川辰吉郎の話を振ってみましたが、京都生まれ育ちの翻訳者も堀川辰吉郎という名は初めて耳にするということであり、大変驚いている様子でした。

その後、近くにある伏見宮邸宅を訪問した後、下鴨神社で暫く休憩を取り、夕方は干菜山光福寺に行き、六斎念仏踊りを見学。昼間に京都を案内してくれた知人の翻訳者も小山郷六斎保存会のメンバーの一人であり、素晴らしい演奏を見せてくれました。

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【伏見宮家邸宅】
江戸時代の伏見宮家は京都御所周辺に2ヶ所の邸宅を有しており、その時の当主の都合で、どちらかを本邸として使用していた。御所東部と御所北部に、その邸宅は存在した。御所北部の邸宅は現在、同志社女子大学の敷地の一部となっている。周囲には桂宮家と五摂家の二条家と近衛家の邸宅があった。
御所東部(出町北鴨口)の邸宅跡地付近には、「妙音弁財天」を祀る伏見宮家の鎮守社が今も残る。
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翌日は八坂神社を訪れ、神主さんと素戔嗚尊および牛頭天王について色々と問い合わせてみました。その後、西尾八ッ橋周辺を散策して翻訳者仲間と別れ、そのまま京都駅に向かって帰宅の途についた次第。

伏見宮家邸宅と八坂神社を訪れたのは、京都に出かける前日に栗原(茂)さんに電話をかけたところ、遠祖に関連する伏見宮家関連の地および八坂神社を訪れてくるようにというアドバイスがあったからでした。京都の本来の遠祖は綾部市とのことでしたが、時間的な余裕が無く次回に回すことにしました。しかし、その前に鈴鹿市、さらには亀山市を先に訪問する必要がありそうで、自分のルーツを探る旅は始まったばかりのようです。
56:ひろみ:

2012/08/21 (Tue) 21:46:23

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サムライさんの京都探訪記、楽しみです。
子供のころはいつも行っていた京都ですが、もう何年行っていないのでしょう?!
というか、日本にも10年以上帰っていないですし・・・。
早く里帰りがしたいです。
こちらでやるべきことがまだ終わっていない、ってことなんだろうなぁ~と思って、
日々精進しています。。。
55:サムライ:

2012/08/19 (Sun) 20:51:39

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馬之助さん、ひろみさん、明日からは僅か二日間ですが京都に行ってきます。旧堀川御所の他、八坂神社と伏見宮家邸宅を尋ねてきます。帰宅後、報告させていただきます
54:馬之助:

2012/08/17 (Fri) 22:44:51

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サムライさん、こんばんは。

>「…殊に、小室(直樹)の天皇論は上等の部類に属するものと言える。しかし、それすら皇室という内なる世界から見れば、全く天皇の世界というもの分かっていない者の戯言に過ぎない」と、あっさり一刀両断にされた次第。

ここまでくれば、痛快としかいいようがないですね。しかし、この戯言を重ねて(私も含まれるでしょうが)、悦に入っている輩はというか、このレベルでしか議論は成り立ちませんから、それに食傷気味の私にとっては、こういう一刀両断はまさに痛快です。

>昭和天皇の御製も、毎朝の賢所での祈りから出たものであり、常人には分かり得ない世界だ。

こういう話を聞くと希望が持てるというか、こういう世界の存在には希望を感じます。というか、ここからでしか(日本では)変革は始まらないように、私は感じてしまうのです。こういう世界の存在を押しやろうとする力が、内外で受け入れられているのが残念でしようがないし、こういう世界に変な厚化粧をしている向きもあるのではないでしょうか?

渡辺豊和氏の『古代日本のフリーメイソン』の中に、学生に見た夢のレポートを毎日書かせると、毎年一人や二人は天才を発揮するようになるというような話がありました。ある学生は、朝、枕元にデッサンが描かれているスケッチブックが置かれているとかで、本人のものより斬新なタッチで、自分では描いた記憶がないそうです。あまりに素晴らしいので個展を開くように準備をしたのですが、やはり描いた自覚がないので、本人が中止を申し出たそうです。しかし、渡辺氏によると、名のある画家にはほとんど自動書記の経験はあるそうで、プロである以上その部分は自分と折り合いを付けているそうです。「美」である以上、そういう部分がないと「美」として受け入れられないように、または、「美」から受け入れないように私には感じられますが、一般的な議論に食傷気味なのもそういったところから来るように思います。しかし、安西氏のお金が持つ魔性の側面とは違う「別の側面」はこういう部分がないと成立しないのではないのかとも思いますし、本来日本人の得意とするところではなかったのかとも思います。

できれば、金儲けからではなく、祈りが御製になるような仕事をしてみたいものです。そいじゃないと、生まれた甲斐がないよに思うのですが、こういう事を口走ると紀野氏からは、年だなあとからかわれてしまいます。

>神格シャーマンに必要なのは畏怖心であり、畏怖を相手に感じさせるレベルに達している唯一の存在が天皇である。この畏怖こそがアニミズム、シャーマニズムに繋がるのだ。

マ元帥の態度が一変したところから、窺えるように想います。こういうのは人格レベルの政治家には望む方がどうにかしているように思ってしまいます。そうなると、政治家も可哀想というか、利害の調整しかすることがないのは自然なことかもしれません。

>「直流回路は“競わず争わず”の世界であるのに対して、交流回路は“競い争う”世界だ」

交流回路からは、直流回路は理解することさえ難しいのでしょうか?“競わず争わず”が、なかなか捨てきれないのは、そのためなのかも知れません。…ここまで考えてくると、交流回路の世界の為に、直流回路は“競わず争わず”の世界、天皇という存在が与えられているように思えてきました。
53:サムライ:

2012/08/14 (Tue) 14:47:41

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、お盆休みで久しぶりにのんびりしています。


> 山浦氏の著述が、一番の核心を突いているように感じられました。

同感です。赤化を防ぐ為(「七人の侍」の場合なら、野武士を防ぐため)という大目的がありました…。


> この歴史的事実は、陛下御自身はもちろん宮中からも今日まで少しももらされたことはなかった。

この行は『昭和天皇のおほみうた』からの引用ですが、昨年の10月8日に池袋で開催された舎人学校で、栗原(茂)さんは鈴木正男について、「大東塾の影山正治の下で居候していた人物。世間では南方熊楠を昭和天皇が高く評価していたと信じているが、“鈴木は立派”と南方よりも昭和天皇は鈴木を高く評価していた」と語っていたのを思い出します。

その時、御製について栗原さんが以下のように述べていたのも印象に残ります。

------------------
昭和天皇の御製も、毎朝の賢所での祈りから出たものであり、常人には分かり得ない世界だ。
------------------

実は、本スレッドのNo.47~49を纏め、栗原さんに郵送してみたところ電話があり、「赤化防止という目的、七人の侍という喩えは、俗世界(外なる世界)ではサムライの考え方で間違っていない。殊に、小室(直樹)の天皇論は上等の部類に属するものと言える。しかし、それすら皇室という内なる世界から見れば、全く天皇の世界というもの分かっていない者の戯言に過ぎない」と、あっさり一刀両断にされた次第。そして、以下のような言葉が続いたのでした。

------------------
改めて言う。神格天皇は遙かに文字(もんじ)を超えている存在なのだ。小室にせよ孫崎(享)にせよ、文献を有り難がる姿勢(物証主義に埋没した姿)がありありである。神格シャーマンに必要なのは畏怖心であり、畏怖を相手に感じさせるレベルに達している唯一の存在が天皇である。この畏怖こそがアニミズム、シャーマニズムに繋がるのだ。しかし、それは大変な道のり故、俗世界ではジャーナリズムという、「ことさきだちて」ならぬ文字という安易な世界に流れたのである。そして、生まれたのが蛭子であり淡島(朝日新聞、讀賣新聞、etc.…)という片端(かたわ)ということになる。
------------------

外の世界の住人である小生には、未だに栗原さんの語ることに理解が及ばないことが多々あり、これは水中の魚が陸上生活とはどのようなものか想像が及ばないのと同じ事なのだと思っています。栗原さんはその違いを電気に喩えて、「直流回路は“競わず争わず”の世界であるのに対して、交流回路は“競い争う”世界だ」と語っていましたが、生まれてこの方交流回路の世界でのみ生きてきた身としては、皇室という直流回路の世界は想像するより他はなく、また、決して直流回路に成れないのは残念です。小生が残りの人生で出来ることと言えば、これからという素質のある若者に、「コンバーター(交流を直流に変換する装置)入手のすすめ」を辻説法していくことかなと思います。
52:馬之助:

2012/08/13 (Mon) 21:55:01

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

長文の書き込み、ありがとうございます。
特に、大切な部分ですから、尚のこと感謝いたします。
私には、山浦氏の著述が、一番の核心を突いているように感じられました。

>月刊日本』の山浦(嘉久)さんは同誌の平成22年2月号の「わが國體を回復せよ」(p.88)の中で、以下のように述べています。

-----------------------
 8月15日の敗戦からサンフランシスコ平和条約調印に至るまで、昭和天皇は日本國體護持のために凄絶な外交を行った。日本国憲法など所詮は文字で書かれたものであり、皇統は憲法ごときで規定されるものではないのである。
 当時は共産主義革命の脅威が切実であり、日本も赤化される可能性があった。これを恐れたアメリカと先帝陛下の間で合意があったのである。すなわち、沖縄を米国に預け渡すことで赤化を防ぎ、日本國體を護持すると。

とはいえ、「皇統は憲法ごときで規定されるものではない」にしても、

小室直樹博士の『昭和天皇の悲劇』(光文社)からの引用部分も、大切なことだと思いました。

>ここで、仮に天皇が立憲政治の緊急事態でもないのに、天皇大権を発動されたとしたら、どういうことになるか。それは、立憲の常道の否定となる。立憲政治はこれによって一挙に土崩瓦解する。ここで、立憲政治はデモクラシーの必要条件である。ゆえに、立憲政治が墜ちればデモクラシーも墜ちるのである。

しかし、そのデモクラシーも担保しているのは、同時に日本の場合は、「昭和天皇は日本國體護持のために凄絶な外交を行った」という皇統に負う部分が多いのではないでしょうか?ところで、気になってしまうところは、

>確かに、豊下教授の『昭和天皇・マッカーサー会見』に書かれている、「昭和天皇は“沖縄の軍事占領を無期限で継続してほしい”というメッセージを米側に伝えた」という行を初めて読めば、誰もが驚愕するのは当たり前です。ただ、孫崎さんの『戦後史の正体』も、上記の[陽光堂主人の読書日記]ブログ主も、当時の国際情勢について言及していないのが気になります。

という部分ですが、「当時の国際情勢」というのは、

>「沖縄を米国に預け渡すことで赤化を防ぎ、日本國體を護持する」が先帝の御意志であったことを知った当時の小生は、沖縄に姪を持つ身として何とも言えない気持ちになったものでした。

>つまり、村全体は日本を、襲来してくる野武士らを連合軍を表しているとみれば、大変粗っぽい喩えですが、島田勘兵衛の役割を果たされたのが昭和天皇だったのではないでしょうか。

という文章を重ねて読むと、連合国とアメリカは同じものではない、ということでしょうか?それは、以下の部分にも窺うことができます。

>陛下から、先方でマ元帥に会ふ機会があれば「自分は元帥の好意を忘れないし、常に元帥の健康を祈つてゐる、と伝へて貰ひたい」との御伝言があつた。

しかしそういう関係は、以前からあったものではなく、天皇がマ元帥の間に築きあげたもののようです。

>実に米国民の七七%が(天皇に対し)死刑から戦争犯罪人までを要求し、ヒットラー、ムッソリニーと並ぶ憎しみの対象であつた。

>かやうなアメリカの世論があり、また連合国の中でもソ連、豪州、ニュージーランド、中華民国は天皇をA級戦犯として裁判にかけることを執拗に要求してゐた。

>マ元帥は当時、天皇に対するこのやうな苛酷きはまりないアメリカ国内の世論と、ソ連をはじめとする連合国の要求の前に立たされてゐた。…英国からはそのやうなことは全くなかつた。

そこに変化をもたらせたのが天皇とマ元帥に違いないようです。

>要は、そのやうに緊迫した情勢の時に、陛下は堂々と少しも臆するところなく、御心境を敵将の前で述べ給ひ、万民を救はれやうとしたことをこそ、われらは肝に銘ずべきである。

>私は元帥がどれほど深く感動してしまったかを知り、驚いた。ついこの間まで、「日本人の罪をどんなに処罰してやろうか」とばかり話していた人物なのに。天皇陛下が「戦争犯罪人たちの身代わりになる」と申し出られたことに驚いたと、元帥は後に私に語った。「戦争は私の名前で行われた。私には責任がある」と陛下は説明されたというのだ。元帥はそのような考えを受け入れようとは思わなかったろう。天皇の存在なしでは占領は失敗するのだ。

そういう感動をマ元帥に与えたのが、

>マ元帥の態度が御会見の前と後では、全く一変したのであつた。陛下の「自分は戦争の全責任を負ふ。貴方は私をどのやうにしてもよい」との全く予想もつかない御発言にマ元帥は仰天したのであつた。それが陛下に対する態度の急変となつて現はれたのである。

>陛下は、法理上自分に責任が有るとか無いとか、そんなことをお考えになっているのではない。陛下はいつもいつも、皇祖皇宗に対し、また国民に対しての御責任ということについて、人が何と言おうと言うまいと、まじめに厳しくお考えになっておいでになる方である。法律上、憲法上の責任の有無などということは超越しておいでになる。陛下は、そういうお方なのである。


>私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。

という「私」のない「公」からでた行動、発言というものなのでしょう。更にいうと次のようになるのでしょうか。

>児島「天皇についてどう思いますか」
ウェッブ「神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは、神でなければできぬ。そうじゃないか」

その「当時の国際情勢」ですが、大きな変化を感じるのは、属国化してしまった日本と、ソ連ではないでしょうか?それと好対照なのが、中華民国は天皇をA級戦犯として裁判にかけることを執拗に要求してゐた中国の変わらない態度ではないでしょか?「月刊日本」の中国に対する姿勢も頷けます。さらに栗原氏の、次の言葉も気になるところです。

>縄文の人間が日本のトップに立っては都合が悪いと考えた中国・朝鮮が考えていた線から出ている。

しかし、今はただ、次のような文章の言葉を噛み締めることにしておきましょう。

>この歴史的事実は、陛下御自身はもちろん宮中からも今日まで少しももらされたことはなかった。それが、ちょうど十年経った今日、当時の敵将占領軍司令官自身の口から語られたのである。私は何という、すばらしいことであるかと思った。われわれは、なお日本民族の伝統を保っている。

>『歌人・今上天皇』の「増補新版」(昭和六十年、日本教文社刊)の中で著者夜久正雄氏は、
〈木下先生がこの御製を公表されたのは、重大な決心をされてのことであつたらう、と、私は今になつて思ふ。終戦当時の天皇さまの心もちをこれほどよく伝へるものはないからである。この御製は今上天皇の御製の中でも最も重要なお歌であるし、日本歴史の中に記念すべき重大なお歌であると信じてゐる。〉
と述べてをられるが、全く同感である。

>「雛まもる親鳥の決死の姿」の一語に千言万言がこめられてゐる。
51:サムライ:

2012/08/10 (Fri) 08:15:15

host:*.t-com.ne.jp
閑話休題
「自由を求めデモクラシーを欣求(ごんぐ)する者は、昭和天皇を賛美する百千の理由を見出しても、戦争責任を問う一つの理由をも見出し得ないであろう」(『昭和天皇の悲劇』p.50)


ひろみさん、ネアンデルタール人の話題について行けず申し訳ない。馬之助さんから何かの反応がある鴨…。ちなみに、昨日の東京新聞の夕刊に「ネアンデルタール人の食事 苦味も好むグルメだった!?」という興味深い記事がありました。
50:サムライ:

2012/08/10 (Fri) 07:39:09

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1344551950.jpg ここで、ブログ友の飄平さんが、自身のブログ[つむじ風]で鈴木正男著『昭和天皇のおほみうた』の一部を紹介しており、かなりの長文になりますが本スレッドでも引用させて戴きました。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/11/post_c07d.html



「身はいかになるともいくさとどめけり」


海の外(と)の陸(くが)に小島にのこる民のうへ安かれとただいのるなり
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

以上四首の御製(ぎょせい)は終戦時のまことに限りなく畏(おそれおお)い御作であるが、この御製が一般に知られるやうになつたのは木下道雄著『宮中見聞録』が昭和四十一年一月に新小説社より出版されてからである。

木下氏は、大正十三年に東宮侍従、昭和二年には侍従、そして終戦直後の昭和二十年十月から二十一年五月まで、侍従次長として陛下の側近にをられた方で、退官後は皇居外苑保存協会理事長として御活躍であつたが、昭和四十九年末に亡くなられた。

この方の「側近日誌」が昭和天皇崩御後、御遺族の許可を経て新聞に発表された。この日記は終戦直後の陛下の御心境を伺ひ知ることの出来る貴重な第一級資料とし注目された次第であるが、この御製四首もその侍従次長時代に書きとどめられたもので、前記『宮中見聞録』一一七頁から八頁に、
〈昭和二十年八月十五日、終戦のときにも私は会計審査局(註・帝室会計審査局長官)にいたから、当時の陛下の御様子を語る資格はないが、当時お詠みになったお歌を後で拝見させていただいたので、四首ここに載させていただく。〉
とあつて、右記の御製を四首掲載し、
〈鳥にたとえては甚だ恐縮であるが、猛鳥の襲撃に対し雛まもる親鳥の決死の姿を、涙して思うだけである。〉
と簡潔に結んでをられるのみで、これ以上の説明はないが、「雛まもる親鳥の決死の姿」の一語に千言万言がこめられてゐる。

この『側近日誌』は単行本として刊行されてゐるが(平成二年、文勢春秋刊)、このやうな忠誠の士が側近にをられたことは有難い極みであつた。

昭和天皇の御製集は昭和二十六年刊の『みやまきりしま』(毎日新聞社)と、昭和四十九年刊の『あけぼの集』(読売新聞社)の二冊あるが、この四首の御製はそのいづれにも入つてゐない。と云ふことは正式には御発表にならなかつたのである。木下氏がもし側近にをられなかつたならば、この畏い御製も国民の眼にふれることもなかつたかもしれない。それだけに木下道雄氏が『冒中見聞録』で敢へて発表されたのであらう。

『歌人・今上天皇』の「増補新版」(昭和六十年、日本教文社刊)の中で著者夜久正雄氏は、
〈木下先生がこの御製を公表されたのは、重大な決心をされてのことであつたらう、と、私は今になつて思ふ。終戦当時の天皇さまの心もちをこれほどよく伝へるものはないからである。この御製は今上天皇の御製の中でも最も重要なお歌であるし、日本歴史の中に記念すべき重大なお歌であると信じてゐる。〉
と述べてをられるが、全く同感である。それは全国民の声であらう。何ものにも代へ難い御製である。日本歴史の上に永久にしるされる御製である。

昭和六十年、昭和天皇の御在位六十年を奉祝して各地に御製碑が建てられた。東京では「日本を守る東京都民会議」が中心になつて深川の富岡八幡宮境内に建立申し上げたが、そこへ刻む御製は、

身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて

に一決した。他にも、この御製を刻んだ昭和天皇讃仰の御製碑が各地にある。



昭和天皇は昭和二十年九月二十七日、占領軍総司令官マッカーサー元帥の前に御一人で立たれて「戦争の責任は一切私が負ふ。自分はどうなつてもよい。ただ国民が飢ゑないやうにお願ひしたい」旨のことを述べられたのであつた。昭和天皇は全くの素手で敵将の前へ立たれ、戦争責任の一切を御一身に引き受けられたのであつた。

このことは今や全国民のあまねく知るところであるが、当時はそのやうな重大な御発言があつたことは誰も知らなかつた。陛下はマ元帥との約束で、側近にも、二言もお洩らしにならなかつた。

陛下の御発言の内容が明らかになつたのは、それから実に十年後の昭和三十年のことであつた。

当時は第一次鳩山内閣の時代で、外務大臣は重光葵(まもる)であつた。昭和三十年(一九五五)九月、外相は用務を帯びて渡米することとなり、陛下にその旨を、当時、御滞在中であつた那須御用邸に参上し申し上げたところ、陛下から、先方でマ元帥に会ふ機会があれば「自分は元帥の好意を忘れないし、常に元帥の健康を祈つてゐる、と伝へて貰ひたい」との御伝言があつた。

重光外相は渡米後、加瀬俊一国連大使とともに九月二日マ元帥を訪ねて、その旨を述べたところ、マ元帥は今まで外部に洩らさなかつた十年前の陛下との第一回御会見の時の状況をつぶさに重光、加瀬の両氏を前に語つたのであつた。この報告記は同年九月十四日の「読売新聞」朝刊に発表された。

記事の見出しは「天皇陛下賛えるマ元帥―――新日本産みの親御自身の運命、問題とせず」とあり、「特別寄稿重光葵」とある記事であつた。

〈九月二日、ニューヨークにおいて、午前十時半、十年前の、この日を思い出でつつ、加瀬国連大使と共に、マッカーサー元帥の住んでいるホテル、ワードルフ・アストリアの玄関先に着きました。元帥の副官であったホイトニー将軍やスクリップ・ハワード通信杜主のロイ・ハワード氏らに迎えられた。〉

マ元帥との間に懐旧談があつた後(たまたま、この九月二日は十年前のこの日、日本の降伏文書に重光日本全権が署名し、マッカーサー総司令官がこれを受け取つた日であつた)、重光外相は陛下の御伝言を伝へた。これに対し彼(マッカーサー)は次の如く答へた。

〈マック「自分は日本天皇の御伝言を他のなにものよりも喜ぶものである。私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである。それにもかかわらず、陛下のなされたことは未だかつて、十分に(adequately or fairly)世に知られて居らぬ。十年前、平和再来以来、欧州のことが常に書き立てられて、陛下の平和貢献の仕事が十分了解されていないうらみがある。その時代の歴史が正当に書かれる場合には、天皇陛下こそ新日本の産みの親であるといって崇められることになると信じます。

私は戦前には、天皇陛下にお目にかかった事はありません。始めて御出会いしたのは、東京の米国大使館内であった。

どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもってお出会いしました。しかるに実に驚きました。(much to my surprise)陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました。(to my utter astonishment)
すなわち〝私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は、日本の名においてなされた、すべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題でない。(go ahead)私は全責任を負います〟

これが陛下のお言葉でした。私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした。

陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵(favour)を私に要請したことはありませんでした。とともに決して、その尊厳を傷つけた行為に出たこともありませんでした。(never lost his great sense of dignity)どうか日本にお帰りの上は、自分の温かい御あいさつと親しみの情(warm personal greeting and friendship)を陛下に御伝え下さい。その際自分の心からなる尊敬の念をも同時にささげて下さい。(an expression of my personal esteem)」

重光「それは必ず御受け合い申し上げます」

以上が私がニューヨークでマッカーサー元帥と再会した時に、元帥が天皇陛下の思い出を、興奮した態度で私に話したものを、当時同席したロイ・ハワード氏が速記していた記録に照らし合わせたものである。

私は、これを聞いた時は、ほんとうに感激した。終戦の当時、戦犯の問題はもちろん追放の問題まで大騒ぎであった。その空気の中で、天皇陛下は少なくとも親(みずか)らをかばおうとはせられず、戦争に対する国家国民の行動については如何なることも全責任を取る事を敵将に明言されたのである。

私の、この言葉は旧式の感傷の言葉ではなく歴史上の事実に対する感激の言葉である。この歴史的事実は、陛下御自身はもちろん宮中からも今日まで少しももらされたことはなかった。それが、ちょうど十年経った今日、当時の敵将占領軍司令官自身の口から語られたのである。私は何という、すばらしいことであるかと思った。われわれは、なお日本民族の伝統を保っている。今日も、君民一体、一君万民と古い言葉があるが、日本民族のうるわしい姿を、マッカーサー元帥の口から聞き得たという感激をもってワードルフ・アストリア・ホテルを正午近く辞去したのであった。〉

この記事を読み、国民は重光氏とともに感涙にむせんだ。この読売新聞の記事に、最も驚き、且つ感激した一人は、当時、行幸主務官として、この九月二十七日の御会見に随行した筧(かけひ)素彦(もとひこ)氏であつた。寛氏はこの読売の記事を読んだ時の感激を左のごとく記してをられる。
〈私は、御会見当日お供をしながら、知らぬこととは申せ、となりの室で、陛下が御一身を顧みられぬ、捨身の御申し出をなさっていたのに、つまらぬ時間つぶしの話など(註.バワーズ通訳と)していたのであった。
この特別寄稿の記事は、日本の歴史上、否、世界史の上においても、非常に価値のあるものであると確信するからである。〉(『今上陛下と母宮貞明皇后』昭和六十二年、日本教文社刊)



マ元帥は、重光外相と会談の九年後の昭和三十九年(一九六四)、朝日新聞に「マッカーサー回想記」を連載し、これが単行本『マッカーサー回想記』(上・下)となつて同年発行されたが、その中に於ても、左の如く語つてゐる。

〈私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴えはじめるのではないか、という不安を感じた。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろという声がかなり強くあがっていた。現にこれらの国が提出した最初の犯罪リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よくわかっていたので、そういった動きには強力に抵抗した。(中略)

しかし、この不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。

「私は、国民が戦争遂行にあたって政治軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした。」

私は大きな感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする。この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。〉



この第一回御会見の前後の模様は前記筧素彦氏の一書に詳しい。それによると左の如くであつた。

御会見に随行したのは宮内大臣石渡(いしわた)荘(そう)太郎(たろう)、侍従長藤田(ふじた)尚(ひさ)徳(のり)、侍従徳(とく)大寺(だいじ)実厚、侍医村山浩一、行幸主務官筧素彦、通訳奥村勝蔵の六名で、鹵簿(ろぼ)は自動車四台、行幸のことは沿道の警官にも知らされてなく全くのお忍びだつた。

午前九時五十分に皇居を御出発、桜田門前では赤信号となりストップした。午前十時、大使館に御到着。マッカーサーは玄関にも出迎へなかつた。官房長のフェラーズ代将と副官のバワーズ少佐が出迎へ、ホールのやうな所でマッカーサーが傲然とした態度で出迎へた。陛下とマ元帥と奥村通訳のみが別室に入つた。他の者は控室で待機した。
〈もう四十分近くなって、皆、内心いささか心配になって来た頃、ドアのない隣室から突然、陛下がマ元帥と共に出て来られ、われわれの中にお立ちになった。私共も慌てて立ち、お迎え申し上げた。この時である。私共は本当に驚き、眼を疑う思いであった。先刻まで傲然とふん反りかえっているように見えたマ元帥が、まるで侍従長のような、鞠躬如として、とでも申したいように敬虞な態度で、陛下のやや斜めうしろと覚しき位置で現われたのである。(中略)

それから間もなく、陛下はお帰りになったが、その時、玄関までの間をお見送りする元帥はとても優しい感じで、陛下をお抱えするのではなかろうかとさえ思われた。そして、御到着の時には、玄関にお出迎えしなかった元帥は、今度は玄関の扉の外にまで出て来て、長身を屈め、いんぎんな態度で握手をするや否や、はっと我に返ったように急いで扉の中に消えた。これは事前打ち合わせにはなかったことであった。〉

マ元帥の態度が御会見の前と後では、全く一変したのであつた。陛下の「自分は戦争の全責任を負ふ。貴方は私をどのやうにしてもよい」との全く予想もつかない御発言にマ元帥は仰天したのであつた。それが陛下に対する態度の急変となつて現はれたのである。陛下のマ元帥への御発言は御製、

爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて

のままを御実行になられたのであつた。「身はいかならむとも」、「身はいかになるとも」く、ただ「民の上をおもひ」、「民をおもひて」の無私捨身の御行動であつたのである。

児島襄氏の異説について
ところが、陛下には、そのやうな戦争責任を負ふやうな御言葉はなく、あれはマッカーサーの作り話だと云ふ論がある。これは作家児島襄氏の論で、この異説を児島氏は「文藝春秋」昭和五十年十一月号と十二月号に連載の「天皇とアメリカと太平洋戦争」と云ふ長文の論文で論証し、その後もこの説を変へてゐない(後に『天皇と戦争責任』として文萎春秋より昭和六十三年に刊行)。

児島襄氏と云へば名著『天皇』の著者であり、東京裁判史観打倒に献身してをられる数少ない有志であるので、その影響するところ大である。氏の立論の根拠は何であらうか。

前述の如く、当時、天皇とマ元帥御会見の内容は極秘にされ、側近といへども誰も知らなかつた。但し、通訳としてただ一人同席した外務省参事官奥村勝蔵氏が会談の要旨を記録し、一部を藤田尚徳侍従長を経て御手許に差し上げ、一部は外務省の金庫に収めた。

この外務省の金庫に収められたものは、現在に至るも誰も見ることが出来ないものとされてゐる。

ところが、児島氏はどのやうな関係からか、言明を避けてゐるので判らないが、とにかくその奥村手記のコピーを入手し、その全文を前記「文婆春秋」に発表したのであつた。

この奥村手記には、重光外相の「特別寄稿」や『マッカーサー回想記」にある如き御言葉はなく、そのところは、
言ノ戦争ニツイテハ、自分トシテハ極力之ヲ避ケ度イ考デアリマシタガ、戦争トナルノ結果ヲ見マシタコトハ、自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス。〉
といふ御言葉になつてゐる。

児島氏はこれを解説して「帝国憲法下の天皇は国の元首ではあっても、政治的決定を下す権限は与えられていない。当然に政治的責任を負うことはない。天皇は開戦の時も、終戦の時も全く同じ立場で対処され、意見は述べられたが、決定は内閣が行った」と説き、
〈終戦の時は確かに天皇のご意見を伺って、それに沿って政府が決定を下しました。しかし、開戦の時は天皇のご意見を聞いて決定をしたのではありません。内閣は天皇の意向には沿わなくても、責任を持って開戦を決定しました。その場合には、天皇は政府の責任ある決定を認めるだけのことであります。

ところが、終戦は天皇の「ご聖断」できまった。それなら開戦「ご聖断」で阻止できたはずだ、ゆえに天皇には「戦争責任」があるという主張を耳にします。これは結局、天皇の立憲君主としての立場を理解しようとしない論法だと思います。甚だしいのは、天皇がマッカーサー元帥と最初の会見をされた時、天皇が、自分が全責任を負うとか、自分は自分の身をあなたに任せるために来たのだと言われた、マッカーサーはそれを聞いて非常に感動し、それで日本が救われた、有難い、などという声も聞かれます。しかし天皇がそう言われたというのは、マッカーサーがそう言っているだけで、その御会見の一問一答を書きとめた奥村勝蔵氏の記録にはそのような天皇の発言は全く見当らない。

天皇は憲法を遵守することをつねに強調されていました。その憲法は、「聖慮」を示すことはあっても「聖断」はできないという立憲君主としての天皇の立場を明記しています。私は、天皇がそのような、憲法の規定を逸脱する、「自分に責任がある」というようなことを発言されるはずはない、と思っております。〉(大学教官有志協議会・㈹国民文化研究会編百本への回帰-第二十四集』平成元年、㈹国民文化研究会刊)と述べてをられる。これは児島氏らしい緻密な論である。但し、この場合は奥村手記が全く正確であると前提した場合である。



思ふに、児島氏はマ元帥の重光外相への述懐も、『マッカーサー回想記』もすべて自己顕示欲から出た作り話であると簡単に断じてをられるが、それでよいのであらうか。

ここで筆者が取り上げたいのは、初めてマ元帥がことの真相述ベた昭和三十年九月二の重光・マ元帥会談の前後の事情である。重光外相は陛下の御伝言をマ元帥に伝へるために訪問して、御言葉を伝へた。

これに対してのマ元帥の発言は、陛下の御言葉を承つての述懐であると云ふことである。そして彼は、重光氏に対し、
〈どうか日本にお帰りの上は、自分の温かい御あいさつと親しみの情を陛下に御伝え下さい。その際自分の心からなる尊敬の念をも同時にささげて下さい。〉
と伝言してゐる。これは他ではない、陛下への伝言である。マ元帥が自己顕示欲から云つた言葉であるとは到底考へられない。

思ふに、今まで、こらへにこらへて来た気持が陛下の御伝言を受けて、爆発したのであらう。この時に同席した加瀬俊一国連大使(初代)は現在も御元気で、去る日「天皇陛下御在位六十年奉祝委員会」が制作した映画「天皇陛下-世界に輝く昭和」の中で、このマ元帥と重光会談の状況を繰り返し熱誠こめて語つてをられる。

前後の事情からして、筆者にはマ元帥が作り話をしたとは、どうしても考へられない。



さらに、ここに今一つ動かすべからざる証言がある。それは当時、侍従長だつた藤田尚徳氏の手記である。藤田侍従長は陛下の御手許に差し上げる「奥村手記」を受け取つた本人である。
〈宮内庁の用筆に五枚ほどであったと思うが、陛下は次の意味のことをマ元帥に伝えられている。
「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任はない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。」

通常の文書の場合は、御覧になれば、私のもとへお下げになるのだが、このときの文書だけは陛下自ら御手許に留められたようで、私のもとへは返ってこなかった。〉(『侍従長の回想』昭和三十六年、講談社刊)

この侍従長が拝見した「奥村手記」と、児島氏が見た「奥村手記」とは明らかに矛盾する。どちらが正しいのであらうか。侍従長が拝見したものは当事者である陛下の御手許に差し上げたものであるから、ありのままであつたであらう。



次に、アメリカ側の有力な証言がある。昭和天皇が昭和六十二年(一九八七)秋に御不例になられ宮内庁病院に御入院、手術されたが、その直後に、陛下とマ元帥の第一回御会見の時、通訳としてマ元帥の側近にあつたバワーズ氏が読売新聞社アメリカ総局へ「特別手記」を寄せ、またインタビューに応じたのであつた。

御会見当日、バワーズ少佐はフェラーズ代将とともにアメリカ大使館玄関に陛下を御迎へしてマ元帥のところへ案内し、御帰りに当つては御見送りした人である。

この記事は、読売新聞の昭和六十二年十月二十六日付夕刊第一面、第二面に大きく掲載された。その重要な部分は左の如くである。
〈フェラーズ代将と私は、随行者たちを応接間の隣にある小さな書斎に案内して、世問話をして待った。
約三十分後、陛下と元帥は玄関の廊下にあらわれた。二人は親しげに握手をした。陛下のお顔には、ほっとした表情が浮かんでいた。フェラーズ代将と私は、車の場所まで、天気の話をしながら陛下をお連れして、車が曲がり、車道から消えるまで敬礼していた。
我々が玄関のホールに戻った時、元帥ははた目にみてもわかるほど感動していた。私は、彼が怒り以外の感情を外に出したのを見たことがなかった。その彼が、今ほとんど劇的ともいえる様子で感動していた。彼は両腕を夫人やフェラーズ代将や私を抱くように広げ、あのよく響く声でこう言った。「私は平等な人間として生まれたが、あれほど全能に近い地位にあった人が、今かくもへりくだった立場になったのを見て、心が痛む思いだ」。そう言って、彼は感慨深げな様子で、一人でゆっくりと階段を上がっていった。
私は元帥がどれほど深く感動してしまったかを知り、驚いた。ついこの間まで、「日本人の罪をどんなに処罰してやろうか」とばかり話していた人物なのに。天皇陛下が「戦争犯罪人たちの身代わりになる」と申し出られたことに驚いたと、元帥は後に私に語った。「戦争は私の名前で行われた。私には責任がある」と陛下は説明されたというのだ。元帥はそのような考えを受け入れようとは思わなかったろう。天皇の存在なしでは占領は失敗するのだ。〉

以上のことで事情は明白である。陛下はマ元帥の前でハッキリと「戦争責任に言及され、その責任を取ること」を申された。その御心境は畏きながら本文冒頭に掲げた四首の御製そのままであられたと拝察する。

筧素彦氏も、児島氏の説に対し左の如く反論してをられる。
〈私はこれ(註・児島論文)を読んで慨嘆した。その人(註・児島氏)には、もっともっと次元の高い陛下のお気持ちが全然判つていないのではないか。陛下は、法理上自分に責任が有るとか無いとか、そんなことをお考えになっているのではない。陛下はいつもいつも、皇祖皇宗に対し、また国民に対しての御責任ということについて、人が何と言おうと言うまいと、まじめに厳しくお考えになっておいでになる方である。法律上、憲法上の責任の有無などということは超越しておいでになる。陛下は、そういうお方なのである。終戦の御決断だってそうである。私たちお側近くにお仕えした者には、そのお気持ちが痛い位にわかって、心からありがたく思わずにはいられないのである。しかも、陛下は何も仰せられないけれども当時の真実は勿論よく御承知である。それを御存命の陛下を前にこのように言われることはどうかと思うのである。〉(前掲『今上陛下と母宮貞明皇后』)

筆者も、筧氏の御考へと全く同じである。これ以上つけ加へることはない。

ただただ前記御製を繰り返し、繰り返し拝読し、陛下の御心懐を思ひ、何度も感涙の催すのを禁じ得ない次第である。



しかしながら問題は未だ残る。なぜ、陛下の御手元に差し上げた「奥村手記」と、児島氏が見た外務省の金庫に厳重に保管されてゐる「奥村手記」に異同があるのかと云ふ問題である。これについて私見を述べさせて貰ふ。

筆者はここで、どちらが正しいかと云ふ問題から一応はなれて、当時のアメリカ国内の天皇に対する世論、アメリカ以外の連合国の天皇に対する態度について述べる。

日本に進駐したマッカーサーは戦勝国の総司令官として、天皇に対し生殺与奪の権を握つてゐたことを前提として考へたい。当時、アメリカ国民の天皇に対する世論はどうであつたかと云ふと、昭和二十年(一九四五)六月の「ギャラップ」の調査によると、 

殺せ、拷問し餓死させよ………………三六%
処罰または流刑にせよ…………………二四%
裁判にかけ有罪ならば処罰せよ………一〇%
戦争犯罪人として扱え……………………七%
なにもするな………………………………四%
傀儡として利用せよ………………………三%
その他………………………………………四%
わからない………………………………一二%

であつた。実に米国民の七七%が死刑から戦争犯罪人までを要求し、ヒットラー、ムッソリニーと並ぶ憎しみの対象であつた。

かやうなアメリカの世論があり、また連合国の中でもソ連、豪州、ニュージーランド、中華民国は天皇をA級戦犯として裁判にかけることを執拗に要求してゐた。

(巷間、中華民国が天皇や天皇制を護つたと一部に伝へられてゐるが、なぜこのやうな誤伝が生じたか筆者には不可解である。当時、中華民国は天皇処刑の急先鋒であつた。また、マッカーサー回想記』に「ソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろという声がかなり強くあがっていた」とあるが、これはマッカーサーの思ひ違ひで、英国からはそのやうなことは全くなかつた)

マ元帥は当時、天皇に対するこのやうな苛酷きはまりないアメリカ国内の世論と、ソ連をはじめとする連合国の要求の前に立たされてゐた。

この時、〝天皇が戦争の責任は自分にある。絞首刑になつてもかまはないとマ元帥に自首〟などとアメリカの新聞に出たらどうなるか、続いてそれが世界中の新聞に出たらどうなるか、全く収拾のつかない事態になるのは火を見るより明らかである。準備段階にあつた東京裁判など何処かヘフッ飛んでしまふ。

それより恐しいのは日本国内の大混乱である。それこそ、天皇陛下をお護りしようと日本国民は一旦捨てた武器を執つて占領軍と戦ふこと間違ひない。さうなつたらどうなるか、日本人は最後の最後まで戦ふ。最後の一兵になるまで、五年でも十年でも戦ふであらう。マッカーサーの日本占領は完全に失敗する。マッカーサーはそのことを最も恐れた。それを思ふと背筋が寒くなつた筈である。

当時の外務大臣吉田茂は千軍万馬の外交官である。そのことは充分に承知してゐた。吉田は当時、マ元帥とは特に緊密な関係にあつた。

外務省に陛下の御言葉のままの「奥村手記」があれば、それは危険きはまりない爆弾をかかへてゐるやうなものである。いかに厳秘にしても、いかなる方法で洩れるかも知れない(現に時期は不明であるが児島氏へ洩れてゐる)。そのことにつき、マ元帥と吉田外相の間に打ち合せがあつたかどうかは不明であるが、たとヘマ元帥の指示がなくとも吉田外相としては、そのやうな一歩間違へば日本に内乱が起き、占領政策が崩壊するやうな危険は必ず防止した筈である。

即ち、外務省に保管した「奥村手記」の中からは陛下の御発言の最重要部分を敢へて欠落させた筈である。これは筆者の推測であるが、間違ひないと確信する。当時の緊迫した情勢を思へば当然な処置であつたと思ふ。従つて、異なつた二通りの「奥村手記」があつて何の不思議もないのである。

要は、そのやうに緊迫した情勢の時に、陛下は堂々と少しも臆するところなく、御心境を敵将の前で述べ給ひ、万民を救はれやうとしたことをこそ、われらは肝に銘ずべきである。



最後に、東京裁判の裁判長ウェッブの言葉を紹介し、本文の締めくくりとする。

これは前述の「文藝春秋」の児島氏の論文に紹介されてゐる言葉で、児島氏が昭和四十四年(一九六九)秋、豪州のプリスベーン市にウェッブを訪ねてのインタービュー記事の最後のところを掲載されたものである。児島氏は東京裁判についての疑点、特に天皇の戦争責任について質問し、これに対してウェッブの答があり、最後は左の如く締めくくられてゐる。

児島「天皇についてどう思いますか」
ウェッブ「神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは、神でなければできぬ。そうじゃないか」
49:サムライ:

2012/08/10 (Fri) 07:01:12

host:*.t-com.ne.jp
ここまで書いて、栗原さんに以下の①~③についても詳しく尋ねてみたいと思い、纏めてみました。

①昭和天皇と二二六事件
②昭和天皇と開戦
③昭和天皇と聖断


そして、纏めていく過程で、過去に二回ほど読んだことのある、小室直樹博士の『昭和天皇の悲劇』(光文社)に答えが書いてあるのに気付きました。以下、要約します。

①昭和天皇と二二六事件
日本政府は消滅(斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監が逝き。鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、陸軍省・参謀本部・国会・首相官邸などを占拠)、補弼の臣が不在という非常事態にあった。ゆえに、立憲政治に対する緊急な国権の発動としての天皇大権が発動された。

②昭和天皇と開戦
開戦前後は補弼が立派に機能していた。すなわち、大日本帝国は立憲国家であり、天皇は専制君主ではなく立憲君主であった。ゆえに天皇は補弼する者が一致して奏上したことは、お気に召さないことでも、裁可されなければならない。したがって、いかなる決定といえども、補弼の任にあたる者(国務大臣・参謀総長・軍令部総長)に責任があり、天皇に一切の責任はない。
ここで、仮に天皇が立憲政治の緊急事態でもないのに、天皇大権を発動されたとしたら、どういうことになるか。それは、立憲の常道の否定となる。立憲政治はこれによって一挙に土崩瓦解する。ここで、立憲政治はデモクラシーの必要条件である。ゆえに、立憲政治が墜ちればデモクラシーも墜ちるのである。

③昭和天皇と聖断
冒頭の「昭和天皇と二二六事件」と同様、ポツダム宣言受託か本土決戦かを巡って補弼にあたる臣の意見が両分。ゆえに、立憲政治に対する緊急な国権の発動としての天皇大権が発動された。なお、補弼は全員一致でなければならないという鉄則がある。
48:サムライ:

2012/08/10 (Fri) 06:57:35

host:*.t-com.ne.jp
ここで、何故に平成21年(2009年)5月というタイミングで米国機密文書が公開されたのか。小生は時期的に鳩山由起夫元首相(平成21年9月16日~平成22年6月8日)と普天間問題が重なっているのが、ヒントになるのではないかと睨んでいます。

さらに、平成22年5月8日(土)の「まほろば会」で、栗原さんの以下の発言が未だに引っ掛かっており、「昭和天皇と沖縄」と関連して詳しくお聞きしたい点です。(一部伏せ字にしました)

-----------------------
・沖縄とは縄文そのものである。沖縄返還前に同島を訪れたのが高松宮であるが、宮はアイヌの血、すなわち縄文の血が流れる○○を使った。その○○と栗原さんは深い付き合いがあった。その○○がが殺されたのは、縄文の人間が日本のトップに立っては都合が悪いと考えた中国・朝鮮が考えていた線から出ている。
-----------------------

このあたりも含め、今度池袋で舎人学校か開かれるようであれば、是非真実知りたいと思っています。
47:サムライ:

2012/08/10 (Fri) 06:50:15

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1344549016.jpg 馬之助さん、今回は過日の栗原(茂)さんから電話で聞かせて戴いた昭和天皇についての纏めです。少々長くなりますが、お付き合い戴ければ幸いです。長くなるので、分けて投稿します。


最初に、孫崎(享)さんの新刊本『戦後史の正体』に以下のような記述があります。

-----------------------
 戦後、昭和天皇は日米関係の基本路線を決める上で、もっとも重要な役割をはたしています。驚かれたことでしょう。そんなことがあるはずがないだろうと思われるかもしれません。私も『昭和天皇・マッカーサー会見』を読んでびっくりしました。たとえば昭和天皇は「沖縄の軍事占領を無期限で継続してほしい」というメッセージを米側に伝えています。豊下教授はこうした事実をもとに、昭和天皇の政治関与を克明に実証しました。
『戦後史の正体』p.14
-----------------------

孫崎さんの『昭和天皇・マッカーサー会見』が刊行されてから、「昭和天皇と沖縄」についてネット界隈で話題になっており、一例として[陽光堂主人の読書日記]というブログでは以下のように述べています。

-----------------------
本書(『戦後史の正体』)の中で最も深刻な部分は、昭和天皇の話で、米軍基地の恒久化を望んでいたと記されています。天皇を大元帥として連合国と戦ったわけですが、天皇自身が敵である米軍の駐留を望んでいたというのですから驚きです…
http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-708.html
-----------------------

確かに、豊下教授の『昭和天皇・マッカーサー会見』に書かれている、「昭和天皇は“沖縄の軍事占領を無期限で継続してほしい”というメッセージを米側に伝えた」という行を初めて読めば、誰もが驚愕するのは当たり前です。ただ、孫崎さんの『戦後史の正体』も、上記の[陽光堂主人の読書日記]ブログ主も、当時の国際情勢について言及していないのが気になります。豊下教授の『昭和天皇・マッカーサー会見』を二年近く前に小生に紹介してくれた、『月刊日本』の山浦(嘉久)さんは同誌の平成22年2月号の「わが國體を回復せよ」(p.88)の中で、以下のように述べています。

-----------------------
 8月15日の敗戦からサンフランシスコ平和条約調印に至るまで、昭和天皇は日本國體護持のために凄絶な外交を行った。日本国憲法など所詮は文字で書かれたものであり、皇統は憲法ごときで規定されるものではないのである。
 当時は共産主義革命の脅威が切実であり、日本も赤化される可能性があった。これを恐れたアメリカと先帝陛下の間で合意があったのである。すなわち、沖縄を米国に預け渡すことで赤化を防ぎ、日本國體を護持すると。
-----------------------

「沖縄を米国に預け渡すことで赤化を防ぎ、日本國體を護持する」が先帝の御意志であったことを知った当時の小生は、沖縄に姪を持つ身として何とも言えない気持ちになったものでした。

それから二年が過ぎ、数日前に久しぶりに黒澤明監督の「七人の侍」を観たのです。そして、つくづく思ったこがあります。それは野武士から村を守るために雇われた七人の侍のリーダーである、志村喬演じる島田勘兵衛の立てた戦略でした。村の数十戸の家々を守るため、七人の侍だけでは手が回らないので、敢えて離れの三戸を切り捨てるというものです。ここで犠牲になった三戸を沖縄に見立てれば、残りの村の多数を占める家々が本土ということになります。つまり、村全体は日本を、襲来してくる野武士らを連合軍を表しているとみれば、大変粗っぽい喩えですが、島田勘兵衛の役割を果たされたのが昭和天皇だったのではないでしょうか。このあたりの昭和帝の御心の中、昭和帝の弟宮であられた高松宮殿下から多くを問うを許されたという栗原さんに、一度機会があればじっくりと聞いてみたいと思っています。ちなみに、栗原さんは五・一五事件の真相について、高松宮宣仁親王殿下に問うを許されており、その要約を以下の記事で小生は紹介しました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/03/post-4f89.html
46:ひろみ:

2012/08/09 (Thu) 04:35:36

host:*.rima-tde.net
すみません、ちょっと勘違いというか、的外れなこと書いていました。

ミトコンドリアには、痕跡がないのですから、「婿入り」とか侵略した集落の男性を皆殺しにして
女性を自分達のものにした、というのは成り立たないですよね。。。

そうではなくて、現生人類の女性がネアンデルタール人の男性を交わったということなんですよね。。。
沖縄での白百合の塔の自決のように女性は、侵略されると分かったら、相手に身を委ねることを
良しとせずに、先に自決してしまっていたのだろうか・・・、と考えてしまいました。

男性は皆殺しになったのでしょうが、何とか生き延びた人たちがどういう経緯で現生人類の女性と
交わったのか、気になるところです。。。
ネアンデルタール人の集落のリーダーに現生人類の女性が近づき、ハニートラップ?!そして、
襲撃・・・?!なんて、妄想を抱いてしまいます。

こっちの方が、ありえそうですね。。。(って、完璧に妄想です・・・)
45:ひろみ:

2012/08/09 (Thu) 03:03:41

host:*.rima-tde.net
今読み直して、「婿入り」ではなく、侵略して、男は皆殺しにして、女だけ残し、
自分たちのものにした・・・ってことなんのかもしれません。
というか、土地争い勢力争いってえ、だいたい、そんなもんですよね。

で、勝ったものが正当化されていく・・・。

ネアンデルタール人はとても頑固なのだそうです。
何十万年も頑なに変わらない生活の仕方を続けるという部分で・・・。
脳の大きさは、現生人類よりも大きいそうなので、知能がなかったというわけ
ではないのだと思いますが・・・。
平和に暮らしていたから、変化する必要がなかったってことなんじゃないかな、って思います。
1万年以上争いの痕跡がなかった縄文人と重なるイメージを感じます。

先住民の縄文人がすむ日本に大陸からやってきた弥生人が、最終的には融合したように。。。

44:ひろみ:

2012/08/09 (Thu) 02:13:39

host:*.rima-tde.net
こんにちわ。
サムライさんと馬之助さんの話題からは外れるのですが・・・、
ちょっと、気になっていることがあるので、書き留めておきます。

バスク人がネアンデルタール人の末裔かもしれない、という学説もあるんですね。
最近では、ネアンデルタール人は、クロマニオン人や現生人類との争いで滅ぼされたいう
説から、混血によって、消滅したのでは・・・という説もでているんですね。
ミトコンドリアには、痕跡がないけれど、DNAには1-4%ネアンデルタール人の遺伝子が
含まれているとか。。。
これって、ネアンデルタール人の集落に、現生人類が婿入りするように、入り込んで、
子孫を残し、混血が進んだ、ってことなんでしょうかね。。。
(まるで、マヨさんのお種論的だな、って思いました・・・。)

ユーラシア大陸の中で、山岳地帯や辺境地、東の端と西の端の国などに追いやられた
ネアンデルタール人の血を濃く受け継ぐ人達が残っているのではないかと・・・。
具体的には、縄文人、バスク人、イベロ人(スペイン先住民)、モンゴル人、チベット人、
太平洋にあった、ムー大陸もネアンデルタール人の子孫が作った国だったのかもしれません。
そうなると、南北米大陸の先住民、アボリジニ、太平洋の島々の住人なども含まれます。

ツランというのはネアンデルタール人の魂を受け継いでいることなのでは・・・って気がしたんです。

単なる思いつきなのですけれど、なんかそんな感じがしたんです。。。
かなり超古代の話すぎて、現実味がありませんけれど・・・。
43:馬之助:

2012/08/08 (Wed) 23:34:49

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>自由に物を言う原節子を見て違和感を持ちましたが、これが『みち』の関係者と知り合う前だったら、そのような違和感を持つことはなかったと思います。

同感です。そのような違和感と言うのは案外多いですね(今でも少数意見かも知れませんが…)。しかし、『みち』の関係者が近くにいると言うのは羨ましいですね。特に、「そば湯で割った焼酎」というのが、うまそうです。

>このように言わないと、天童さんから百円を徴収されるからです(笑)。

こういう軽ろ味は、いいですね。下駄を預ける生き方というか、法然と親鸞の関係を思い出させるものがありますが、法然が親鸞に百円徴収したかどうかは知りません。

>沖縄の永久占領を米国に懇請した昭和天皇について、どう思うのかとズバリ聞いてみました。

詳しい続報を期待しています。

黒須紀一郎著「覇王不比等」を読み進めているところですが、原日本人の割合を1割だとすると、為政者も民草も技術者たちも、残りの九割を外から入れてきて国土を繁栄させたように思えてきます。搾取する方も、搾取される方も、共に九割の外からの者たちですから、それはそれで(私も搾取されているにせよ)、国が栄えていいのではないかということになるのです。で、この本に面白い表記がありました。

***********************************
 鎌子は倭国に来て、大和を中心に各地を歩き回った。その間、鎌子の頭上を拭き抜けて行く風、袖を濡らす雨,踏みしめる大地の息吹、彼を包み育んだ四季、そして吸う空気、それらの全ては、倭国のものであった。人一倍感受性の強い鎌子が、それらの影響を受けない筈はない。その地には、その地の地霊が住む。そして、誰もが、その地霊から逃れて住み続けることは出来ない。砂漠に住めば、砂漠の顔と心に、山に住めば山のそれに、人はなる。
 鎌子は自分でも気付かない内に、倭国の息吹を吸い込んで、倭人に変わっていった。
***********************************

日垣宮主著『電磁波で解く日本神道』を読んで、古事記という神話を、神話としてではなくというか、むしろ神話として、外のものとしてではなく、自分の内面を語るものとして意識を強めるようになるとともに、「国譲り」を意識するようになっています。そのあたりの風景が、平野貞夫著『昭和天皇の「極秘指令」で語られているので、引用しておきます。

********************************
 「霊性」とは、精神と物質を対峙させず、その二つが互譲し交歓し相互相入の関係とし、それらの奥にあるものを覚醒することである。この「霊性の覚醒」こそ、世界中で日本人がもっとも得意とするところであり、東西の文化や思想、宗教などを共生さらに融合させ、天皇制度を中心として今日の日本が存在しているのである。
********************************
この辺は、もしかしたら、安西氏のお金が持つ魔性の側面とは違う「別の側面」に繋がって行くものかとも思っています。
42:サムライ:

2012/08/06 (Mon) 05:15:49

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1344197749.jpg 馬之助さん、

先週の水曜日(8月1日)に久しぶりに『みち』発行のお手伝いに行ってきました(発行作業には『黒潮文明論』を著した稲村さんも少し顔を出してくれました)。発行作業を終えた後、近くの美味しいそば屋に行き、藤原(源太郎)さんや天童(竺丸)さんらと、美味しいビールやそば湯で割った焼酎で暑気払い。小生が読み進めている『戦後史の正体』で、岸信介が自主独立派と孫崎さんの本に書いてあったのは意外だったので、そのあたりを藤原さんに尋ねたりしました。また、孫崎さんと佐藤(優)さんのお二人とも深い交流を重ねている藤原さんに対して、「お二人とも同じ外務省OBですが、お二人の実際の関係はどのようなものでしょう…」と、意地悪な質問も飛ばしてみました(笑)。


さて、

> 私は、戦後の国産コスモポリタン量産教育を受けた者ですので、黒須紀一郎著「覇王不比等」のように、藤原氏にスポットライトをあて、一方では創作を用いて天皇を臣と同等に扱う手法には、違和感を持ちにくいところがあります。


馬之助さんだけではなく、敗戦後の新教育制度を途中から受け始めた昭和一桁台後半に生まれた日本人、つまり現在80歳前の日本人はほぼ全員がGHQ教育を受けてきたと言っても過言ではないと思います。しかし、そうした日本人の中にも祖国を大切に思う少数派の人たち、例えば上記の孫崎さん、藤原さん、稲村さん、天童、佐藤さんらがいます。こうした腰の据わった人たちと異なり、何か用があって日本に滞在していた小生の知る某先生など、東北沖大震災が発生し福島原発の一基が核爆発を起こすや、国内の同朋のことなど構わずに慌てて日本を出て行った者もいましたが…。

昨日、久しぶりに黒澤明監督の作品を観ました。『赤ひげ』です。この作品の存在は前々から知っていましたが、映画を観るのは初めてであり、改めて黒澤監督は凄いと思ったし本物だと思った次第です。そして、現代版の赤ひげは『月刊日本』の山浦(嘉久)さんだとお世辞を言えば、今度焼酎を奢ってくれるかな(笑)。

それと反対の印象を受けたのが、2年ほど前に観た今井正監督の作品で原節子が主演した『青い山脈』です。自由に物を言う原節子を見て違和感を持ちましたが、これが『みち』の関係者と知り合う前だったら、そのような違和感を持つことはなかったと思います。


> サムライさんの言葉の中に時々出てくる、「神計り」

このように言わないと、天童さんから百円を徴収されるからです(笑)。


さて、栗原(茂)さんが自ら〝遺作〟にするという『光悦作の茶碗が語る秘史』ですが、まだ完成していないものの、昨日本人から連絡があり、サムライが自由に公開して良いということになりました。これは天童さんや馬之助さんにも既にメールやUSBで電子版をお渡ししていますが、いずれ誰もが自由に読むことができるように公開したいと思います。ただ、内容が古事記をベースにしており、さらに電磁気といった科学や元素周期表といった化学の基礎知識が無いと、読破できない原稿なので、孫崎さんの『戦後史の正体』のように、高校生にも分かるような内容に改める必要があると痛切しており、このあたりは次回お会いする機会があれば相談してみたいと思います。

その栗原さんは昭和天皇を我が命とすら思っていた人ですが、『戦後史の正体』に書かれていた、沖縄の永久占領を米国に懇請した昭和天皇について、どう思うのかとズバリ聞いてみました。

長くなりましたので、今回はここまでにします。
41:馬之助:

2012/08/03 (Fri) 21:25:42

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>栗原(茂)さんを囲んでの舎人学校がスタートする前に書いた記事です。その後、栗原さんから教えて戴いた新発見の一つは藤原不比等の正体であり、栗原さんに言わせれば不比等というのは一人の人間のことではなく、ある集団を指していたとのこと。

私は、戦後の国産コスモポリタン量産教育を受けた者ですので、黒須紀一郎著「覇王不比等」のように、藤原氏にスポットライトをあて、一方では創作を用いて天皇を臣と同等に扱う手法には、違和感を持ちにくいところがあります。だから、天皇の出自を面白おかしく話されると、つい溜飲が下がるというか(君と臣が見事に混同してしまっているのです)、釣られて面白がってしまうところが、無いとは言えません。安西氏の『お金の秘密』に、次のような記述があります。

***********************************
 中臣鎌足が大化の改新で英雄的に活躍したことをきっかけに、藤原氏は政界で影響力を行使し始める。鎌足の子・不比等は右大臣にまで登りつめ、朝廷の最高実力者となる。娘を天皇家に嫁がせて天皇家と婚姻関係を結び、間接的に皇室をコントロールする先鞭を付けた。和同開珎が発行されたのは彼の絶頂期である。…
 これほどの家門ならその出自を誇る記録があるはずだが、不思議なことにいまだに出自が不明瞭なのである。
***********************************

「栗原さんに言わせれば不比等というのは一人の人間のことではなく、ある集団を指していたとのこと」というのを聞けば、話の筋が通るように思います。名門・藤原氏の出自が不明瞭であればこそ、天皇家の出自を面白おかしく話すことは、自己の利得になり得るのではないでしょうか。

時間を直線的なものと捉えさせ、永久に来ない未来に目標を置くことで、不安や恐怖を煽り、その上、逃げ場の宗教を変質させ、人々をお金に向かわせるのと同じで、臣ではなく、天皇の出自を不明瞭にすることで、不安をその部分で煽ることは、藤原氏から注目を逸らせるばかりではなく、天皇を神格として仰ぐこと、日本という神国に生を受けたという事実、霊性からも大きく目を逸らせようという意図が潜んでいるのではないかと愚考します。その部分は、サムライさんの言葉の中に時々出てくる、「神計り」や、道元の言葉にある「任運」に通じると思いますし、その辺りのことが、『月刊日本』の八月号で、佐藤氏が「天国のノート」と言う言葉を使って、うまく説明してありました。こんなのを読むと、ロヲラやザビエルがバスク人であるという話にも興味を覚えないではいられません。

>ともあれ、明日発売の『みち』で藤原源太郎さんが「金融ハルマゲドンが起こる」という点で、お二人とも一致していました

頭がヨーロッパまで飛ぶと、多少とも栗原氏の言葉「これは核分裂によって
ウランからプルトニウムに変化することに匹敵するような大転換である。すなわち、金融ハルマゲドンが回避不能であることを意味する」というのも、詳細は別として、イメージだけでも伝わってくるような感じがします。大転換というのに魅力的な響きを感じてしまいます。
40:サムライ:

2012/07/31 (Tue) 19:08:20

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1343729300.jpg ↑ 熱核反応並の事が生じている金融ワールド

書き込むのを忘れていましたが、過日ネットをやっていない栗原(茂)さんから、「バークレイズを巡って、ネット界ではどのような騒ぎになっているのか知らせて欲しい」ということで、関連情報を郵送したことで御礼の電話が来たのですが、例の大津事件について聞くことをコロリと忘れていた自分がおり、代わりにバークレイズ事件について栗原さん自身はどのように捉えているのか、突っ込んで尋ねてみました。以下はその時のメモ書きです。相変わらず古事記を基底に話をされるので、浅学非才の小生には深くは理解できませんでした。分かる方がおられたら、解説して戴ければ幸いです。ともあれ、明日発売の『みち』で藤原源太郎さんが「金融ハルマゲドンが起こる」という点で、お二人とも一致していました

__________
・バークレイズで分かるように、日銀をはじめG8の中央銀行内部で恐ろしいこ
とが現在進行している。これは既に古事記に書いてある。これは核分裂によって
ウランからプルトニウムに変化することに匹敵するような大転換である。すなわ
ち、金融ハルマゲドンが回避不能であることを意味する。
・911は二十世紀後半の火星探索がベースになって起きた。
・八柱を経て地球を固め成す。この古事記の行は現在世界規模で起きている事と
密接に繋がりがある。
・400年ごとに閏年を抜かないといけない事になっている。そうしないと天気が
狂うし(現在のような異常気象)、世界の経済などに多大な影響を及ぼすからだ。
ところが、本来は閏年を抜くべき2000年、何故か閏年にしてしまった。これは(
皇紀暦に比較して)グレゴリオ暦の最大の欠陥となる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
39:サムライ:

2012/07/31 (Tue) 16:16:25

host:*.t-com.ne.jp
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_722300/722285/full/722285_1343718985.jpg 馬之助さん、

なるほど、黒須紀一郎の『覇王不比等』を読み始めたのですが…。小生の場合も、同書を数年前に読み、ブログにも読後感を書きました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2007/04/post_06b0.html

時期的に、池袋で栗原(茂)さんを囲んでの舎人学校がスタートする前に書いた記事です。その後、栗原さんから教えて戴いた新発見の一つは藤原不比等の正体であり、栗原さんに言わせれば不比等というのは一人の人間のことではなく、ある集団を指していたとのこと。その後、『お金の秘密』の安西(正鷹)さんも大化の改新前後で日本の支配者が様変わりしているという疑問を、1年半ほど前に述べていたことを重ね合わせると、確かに昨今の「外つ国」の前・現首相の登場は、陳腐な表現を使えば歴史は繰り返すということなのかもしれませんね。なお、上記のURLは談山神社所蔵の『多武峰縁起絵巻』であり、安西さんは以下のような感想・疑問を呈していました。
・「乙巳の変」のクライマックスを描いた、生々しくてグロテスクな構図。
・青少年が読む教科書に堂々と掲載する文部科学省の「異常な」感覚。「非日本人的」感覚。
・「韓人、鞍作臣を殺しつ。吾が心痛し。(韓政に因りて誅せられるを謂ふ)」
・勧善懲悪的なイメージを植えつけようとする意図は?


次に、今号の『月刊日本』八月号、確かにエネルギーの観点から見て重要な記事が数本掲載されています。特に、「脱原発・エネルギーの切り札 メタンハイドレート」という記事は、同誌の取材報道部の精力的な取材が大きかったのでしょう。また、藤井巌喜氏の「エネルギー革命で転換するアメリカ外交」という記事も注目ですね。最近の藤井氏はなかなか優れた情報を提供しており、月刊日本の山浦さんも高く評価されていました。

最後に、明日発売の『みち』を校正していたところ、やはり藤原(源太郎)さんがLIBORについて大きく取り上げていました。特に目を引いたのが「ロシアは、金融ハルマゲドン勃発を中東大混乱仕掛けで躱そうとする国際ユダヤ金融資本勢力の野望を抑止するため、シリアに艦隊を派遣している」という行であり、過日書いた「〝新しい時代のプレーヤーが既に登場していることに気付くのだし、その一人が再登場したロシアのプーチン」と併せて読み解けば、新しい時代が朧気ながら見えてきたような気がします。
38:馬之助:

2012/07/27 (Fri) 22:54:50

host:*.bbtec.net
サムライさん、こんばんは。

>実は、ここで戸籍が絡んでくる。多重債務で首が回らなくなった人間達からS学会のI会長が戸籍を買い、それを北京政府に売り渡し、北京政府は一人っ子政策で大量にいる戸籍の無い者を選んで日本に送り込む。そうして選挙時は必ず投票所に行き、北京政府が命令した候補者に投票。そうして選ばれたのが中曽根康弘、宮沢喜一、森喜朗、菅直人といった連中なのだ。ここで、『みち』第350号に載っていた栗原稿「いつ日本の国籍を手に入れたのか、天皇制の破壊を企む尖兵が首相になったり、英霊を無視その穢れ足で四国遍路を刻む妖怪が首相になったり、今や外つ国の政治的パフォーマンスに被れた隷従の臣が国政の場を満たし、再び祖國は天皇制を強めようとしている」に繋がってくる。

サムライさんご紹介の、黒須紀一郎著「覇王不比等」の第一部鎌足の謎(どこまで史実に忠実で、どこからが創作なのか判断はつきませんが…)に書かれている、玄理や請安らと、海を渡って倭国にやって来た男が、僅か一、二ヶ月の内に、倭国人中臣鎌子となる謀略を彷彿とさせますね。

同書に次のような記述があります。
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 壬申の乱までは、賤民の子供たちの世界でも、この「百済もん」が幅をきかせていた。それが、壬申の乱を境に、変化が起こったのである。それまで、葛城山の麓の朝妻辺りに逼塞していた「新羅もん」の賤民の子らが、葛城・曾我・飛鳥の三本の川を横切って、宮都周辺に進出してきたのだ。主に彼らは、宮都周辺の貴族や寺院に所有された賤民の子であり、その仕える先は新羅系の貴族や僧侶であった。
 ちなみに、この葛城朝妻というところは、応神天皇の時代に、秦氏の祖とされる弓月君が「人夫百二十県」を率いて来朝し、最初に落ち着いた場所である。…そして、壬申の乱で天武が勝利すると、この新羅系は優遇され、浄御原の新宮都周辺に、移り住むようになった。しかし、この地で新勢力となったいわゆる「新羅もん」の子供たちは、一切新羅などとは関係ない。彼らは単に、親がこの新しい支配階級の新羅系渡来人に私有されているというだけで、元を糾せば古くからの土着民の子孫に過ぎない。それでも、子供たちにしてみれば、渡来人との関わりを誇示した方が得をすることを知っている。

 これら先住民族は、渡来してきた民族によって征服され、賤民に落とされた。彼らの一部は山野に逃れて埒外の民となり、残された者たちは禽獣同様の差別の中で生きることを余儀なくされた。
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これは、「大津いじめ事件 在日に乗っ取られた市」や、昨今の情勢、マニュフェストとやらに期待を抱かせられて、政権を交代させたものの、マニュフェストは一向に実施される気配もなく、マニュフェストに書かれていないものばかリが実施されようとしているし、加えて、なし崩し的な原発再稼動、それに対してできることといえば、警察に誘導されたデモくらいで、それさえ首謀者の出自を云々されている、ということに見事に重なるようです。また、「埒外の民となり」という部分に、皇統奉公衆の存在との繋がりを感じさせます。

まだ第一部だけですが、同書を読むと「みち」に稲村公望氏の「黒潮文明論」や安西正鷹氏の「阿波忌部氏と大麻」が連載されているのも、なるほどと思えますし、巻頭言で天童竺丸氏が「同文同種などと支那人を理解したと安易に思うな。日本人と支那人はまったく異なる」という「伊達宗義先生の強烈な言葉が胸に突き刺さったまま何年も経った」というのも僅かながらにしても窺い知ることができるような気になります。

ところが、面白いのが「月刊日本」の記事です。「ドイツは再び覇権を目指すのか」で菅野稔人氏が「したがってポスト20世紀に新たな生産拡大がもたらされるためには、石油を越える生産性を実現するような新しいエネルギーを人類が手にしなければならない」と言われています。それと呼応するかのように、「脱原発・エネルギーの切り札 メタンハイドレート」と題された記事、さらに藤井巌喜氏は「エネルギー革命で転換するアメリカ外交」という記事に、「現在、世界では、とてつもないエネルギー革命が進行中である。ところが、これを日本のマスコミは正確に報道せず、公官庁もこれを的確に政策に反映していない。この為、多くの日本人は、この事実に殆ど気付いていないようだ。しかしこのエネルギー革命は、アメリカのみならず、世界の政治経済秩序を激変させつつある」としています。この二つは、日本にとって朗報になるのではないでしょうか。おまけにこのシェールガスとシェールオイルというのは、中東以外の世界中に多量に埋蔵されているといいうのですから、国を越えての経済支配の構図が一変するのではないでしょうか。
37:サムライ:

2012/07/25 (Wed) 08:12:00

host:*.t-com.ne.jp
馬之助さん、おはようございます。実は先週の土曜日(7月21日)、都内(池袋)で「まほろば会」がありました。最初、夏風邪が完全に完治していなかったので欠席しようかと思いましたが、やはり藤原(源太郎)さん、安西(正鷹)さん、柿添(政可)さんらの貴重な話を聞きたいということで上京してみたところ、幸いにして当日は7月にしては肌寒いほどの日だったので身体的に大変楽でした。


> 栗原氏のいうとおりで、私たちはトカク文字に信を置きすぎるきらいがあります。

栗原(茂)さん自身は書籍を読むことは殆どないとのことで、最近の数年間に読んだ本と言えば、天童(竺丸)さんの『憎悪の呪縛』と『悪の遺産ヴェネツィア』の他、日野強著『伊犂紀行』の三冊だけだったと思います(もう一冊あったような朧気な記憶がありますが、思い出せません)。『伊犂紀行』については『真贋大江山系霊媒衆』で深く言及していますし、小生も同書を入手済みですが、未だに目を通していません。日野強ですが、後醍醐天皇の蔵人となった日野俊基の流れを組む人物だと栗原さんに聞き及んでいます。

その栗原氏は本どころかインターネットもやらないため、時々小生宛にネット関連の情報について問い合わせしてくるので、その機会を生かして色々と小生も問い合わせています。二日前にもバークレイズLBOR不正操作についてネットでの取り上げられ方を尋ねてきたので、ネットでサーチして報告書の形で纏めて郵送したので、今日あたり「届いたよ」という連絡があると思います。その時に改めて日本人の戸籍と絡めて、新暦七夕の日に『文殊菩薩(ブログ版)』で紹介されていた、「大津いじめ事件 在日に乗っ取られた市」の記事の真偽について問い合わせてみるつもりです。個人的見解としては、現前首相が非日本人であるという重い事実を考え合わせれば、『文殊菩薩(ブログ版)』で紹介されていた内容はほぼ正しいと思って間違いないと思います。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-844.html

なお、ご参考までに昨年の暮れに池袋の舎人学校で栗原さんにお会いした折に、日本人と戸籍についての話題に及びましたので、当時のメモを以下に転載しておきます(個人名等、一部を割愛)。

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・栗原さんから「総理大臣も河原乞食も持っていると、誰しも絶対に認められる“モノ”とは何か、当ててみろ」という謎掛けがあった。「現金」(Tさん)「意」(サムライ)、「心」(H君)と、各々回答をしたものの、全て外れ。正解は「戸籍」であった。確かに、今上陛下は現金を持っていないだろうし、河原乞食も現金を持ってない可能性が高い。小生の「意」にしても、「知」のみで「意」のない人間も多い世の中だし、H君の「心」にしても、如何様にも解釈できる言葉で、「心ない」人間も多いはずだ。
・続いて、「戸籍」、「サラ金」、「北京政府」、「S学会」が密接に結び付く話があった。つまり、昭和四〇年代にサラ金業者か雨後の竹の子のように続々と創立され、日本社会を牛耳っていた一時期があった。金を借りるくらいだから、返済が困難あるいは不可能という客も多く、その場合は別のサラ金業者から借りさせることで、多重債務を負う人間を大量に生んだ。ここで、サラ金業者もプロなのだから、そのあたりの事情は知っていたはずなのに、何故に延々と金を貸し続けたのか…? 実は、ここで戸籍が絡んでくる。多重債務で首が回らなくなった人間達からS学会のI会長が戸籍を買い、それを北京政府に売り渡し、北京政府は一人っ子政策で大量にいる戸籍の無い者を選んで日本に送り込む。そうして選挙時は必ず投票所に行き、北京政府が命令した候補者に投票。そうして選ばれたのが中曽根康弘、宮沢喜一、森喜朗、菅直人といった連中なのだ。ここで、『みち』第350号に載っていた栗原稿「いつ日本の国籍を手に入れたのか、天皇制の破壊を企む尖兵が首相になったり、英霊を無視その穢れ足で四国遍路を刻む妖怪が首相になったり、今や外つ国の政治的パフォーマンスに被れた隷従の臣が国政の場を満たし、再び祖國は天皇制を強めようとしている」に繋がってくる。故に、この世に生きている限り、最も価値のあるものが戸籍ということになる。
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以上ですが、栗原氏の説く氏姓鑑識、家紋、植物学についてはサムライなりに追究していきたいと思っているし、近い将来、目の前に居る人間の「本名・家紋・生年月日」が分かれば、その人物が菅や野田のような「とつくに」からの人なのかどうかも一目瞭然となる…、そしてお付き合いすべき人間かどうかも大凡の察しが付く…、そこまでの鑑識眼を養いたいと願っております。
36:馬之助:

2012/07/20 (Fri) 18:56:53

host:*.plala.or.jp
サムライさん、こんばんは。

>飯山さんが仰せの祖国を憂うコスモポリタンと、天童さんが仰せのヴェネツィア・コスモポリタンとは別の話であることがお分かり戴けたかと思います。

このあたりを明確にできたことで、ある程度スッキリした気持ちになっていましたが、

>小生は「ヴェネツィア・コスモポリタンの中核として太古に分離した同族の日本皇室」という説には納得していません。

というのは、さらに心強いというか、そこもハッキリできたならば、さらに気持ちも落ち着くと言うものでしょう。

>而して、外つ国の渡来が帰化して成る日本人にしてみれば、抑も日本語と呼べるものなど無に等しいとなるが、素もと競い争う事を嫌う縄文社会の先住にしてみれば、その生活主体を支える文明は音を用いたので文字は二の次だったのだ。

栗原氏のいうとおりで、私たちはトカク文字に信を置きすぎるきらいがあります。それゆえ、メディアを操作するという者も出てくれば、分かっていながらも影響を受けていたり、そこを自覚しないでのただの反動としてのネット情報も所詮は文字であり、メディアとは別の胡散臭さを拭いきれません。

>文明の先駆を光子と見立てれば、その陽と同じ分量の陰が実在しても何ら不思議はなし

となれば、太古に分離した同族のヴェネツィア・コスモポリタンの中核は、陰と陽の分離とも考えられるわけですから、そこに光を感じることも出来そうですね。

>生命の真価は第六感ともいう閃きにあり、その光と音で成るハーモニーの交感こそが文明を啓くのではないか。

そういう意味では、「音こそが伝統的日本語の本領」と言う原点に戻る必要があるのかも知れません。確かに坐禅というのはその原点に通じるものなのかも知れません。曹洞宗の禅では「只管打坐」というようですが、ただ座れ、ただ座ればそれが仏だ、と言うことのようです。「その光と音で成るハーモニーの交感こそが文明を啓くのではないか」。坐禅を通してそれをキャッチするほかないのでしょうか。また、すこし座ってみようかと思っています。

>ある掲示板では「『道』という名からして宗教かカルト雑誌を予想させる。そんな得体の知れない雑誌を出している人の教えを乞えとは、何という驕慢で狂信に満ちた発言か考えても見よ」と『みち』を捉えている御仁もいるほどであり、『みち』の普及には未だ未だ茨の道が続きそうです…。

この文章を読んだだけでは、「何という驕慢で狂信に満ちた発言か考えても見よ」といわれれば、「そりゃ、あんたのことだろう」と返したくもなりますが、「柿添政可氏のブログに以下のような文章がありました。

>何故、大衆とは愚かであるのか?
それは、神を知らぬが故だ。神を知らぬ者は悪魔の囁きに魅かれるものだ。

またまた、栗原慎一郎著『ゆがめられた地球文